第二話 小さな侵入者たち
屋敷を踏み荒らす侵入者は子ども達だった。イルヤはそのうちの一人を捕えて取り引きを持ちかける。
宴の準備を始めた頃と時を同じくして、屋敷には別の異変も起きていた。
「へぇ、それはまた面白そうだなァ」
報告を聞いたイルヤはニヤリと笑う。最近、何者かが出入りしているようだと、ラクセスが気付いたのだ。きっかけは些細なことだった。
「花瓶の位置がずれていたり、整えておいたベッドにしわが出来ていたり……。痕跡が多いことから、素人かと推察しますが」
部屋は相変わらず暗いが、その日は窓から本物の月と光がのぞいている。丸いそれを見上げながら、イルヤが再度笑った。
「んじゃ、客はもてなさないとな」
ラクセスは「客」の探索を命じられ、ほぼ一日中屋敷に逗留することになった。
暗がりでじっと息を潜め、時を待つ。相手が何者か分からない以上長期戦は避けられまいと踏んでいたものの、その時は割りとあっさり訪れた。
張り込みを始めて二日目の、まだ空が夕暮れに染まりかけた頃合い。幾つかの遠慮のない足音が扉越しに聴こえ、彼女は身を硬くした。
「……」
手は腰に帯びた細身の剣をきつく握り締めている。ともすれば抜くことになるかもしれない。
重い扉の開く軋みがやけに大きく響く。一体誰が無断で吸血鬼の館に訪れているのか……。乱れかけた息を整え、押し黙った。
「今日は何して遊ぶ?」
「……っ!」
玄関正面の階段の影に隠れていたラクセスは、幼い声に耳を疑った。それは紛れもなく子どものものだった。緊張感の欠片もない、はしゃいだ声。足音から察するに数人はいる。
最初とは別の子が声を発した。
「二階を調べようよ。この前開けられなかったドアが気になってさ」
どたどたという振動が頭上に消えていく。飛び出していって侵入者を取り押さえようと待ち構えていた彼女は、完全に機を逸して立ち尽くしていた。
何が起こっているのか。初めは理解出来ず混乱していた。が、次第に頭から熱が引いていく。なんのことはない、彼らは開け放たれたこの家を空き家だと勘違いして遊びに来ているだけなのだろう。
「さて、どうしたものか」
下された命令は、客人の正体を突き止めて捕まえることだ。しかし、いくら子どもでも、あの人数を一度に相手するのは骨が折れそうだ。
「まずは一人捕まえて……」
「だな」
悲鳴を寸でのところで呑み込む。
「イ、イルヤ様……!?」
「しーっ」
掠れ気味の声で名を呼ぶと、イルヤは悪戯っぽい表情で人差し指を唇の前に立てた。
「どうしてこちらへ? まだ日も高い時間ではありませんか」
「面白そうだったからサ」
子ども達がのぼっていった階段を見上げて声もなく笑う。それよりさと彼は言い、こう続けた。
「俺と似たような趣味の連中だなぁ。面白い。というわけで捕獲作戦開始」
脈絡などあったものではない。言葉の端をラクセスが掴む前に、すでに彼は走り出していて、「お待ちください」と小声で叫びながら、慌ててその後を追った。
「開かないね」
階段を駆け上がり、最上段、つまり二階に上がる寸前で立ち止まる。脇の壁にぴったりと身を寄せ、廊下へ目をやった。
がちゃがちゃとノブを回す乱暴な音が響く。ずらりと並んでいるのは同じような扉で、子ども達は右奥の部屋に入ろうと躍起になっているようだ。
「鍵がかかってるんだよ」
その部屋はラクセスさえ最初に一度入ったきりの場所だった。恐ろしい相手に狙われているとも知らず、彼らは呑気にドアノブをいじり続けている。
「無礼な」
「開きやしないだろうけどね」
そこからのイルヤの動きは鮮やかなものだった。部屋が開かないことで諦めたのか、子ども達が引き返すつもりであることに気が付いた彼はラクセスに合図を送り、無音で目の前の部屋に滑り入る。
そうして子ども達をやり過ごし、全員が階段をおり始めたところを見計らって、しんがりを歩く子の腕を絡め取って室内に引きずり込んだ。一連の動きは、風がそよと吹いた程度の揺らぎの中で起こった。
「~~!」
悲鳴はなかった。口を強く抑え込んだからだ。
捕らえたのは十歳を過ぎたあたりの少年だった。整えることを知らない髪と薄汚れた服。この辺りに住んでいる、お世辞にも裕福とは言い難い家の子だとすぐに分かる。
「叫んだら、楽しいことになるヨ」
意外なことに、最初を除いて抵抗はあまりしなかった。こういう場合、無意味に暴れても物事が好転しないことを本能的に知っているのだろうか。
「抜くのですか?」
「うーん、今はいいや。それより面白いことを思いついた」
ラクセスは「その瞬間」を見ずに済むよう背けかけた瞳を戻した。何を思いついたのか訊ねる前に、少年の口からは手が離れていた。
「ねぇ、かくれんぼしない?」
少年はイルヤが口にした「お金」の言葉に反応し、より焦点をはっきりさせた。そうして駆け引きとも呼べない陳腐なやり取りが行われ、数分のうちに契約は成立した。
「じゃ、俺はここでお前達が遊ぶ許可と、かくれんぼに付き合ってくれたお礼を出す。お前は、来たら知らせるだけで良い。――えぇと、名前は?」
「キルイェール。キルイェでいい」
こういうのを「話がわかる」と表現するのは適切なのか。ラクセスが無言で見守る中で話はまとまり、キルイェと名乗った少年が部屋を出て行った。
仲間と合流し、空白の数分をうまく誤魔化してくれるだろう。おそらくは迷ったとか、そんな古典的な方法で。
「よろしいのですか? 計画に支障をきたす恐れも……」
「だから言ったろ、面白いことを思いついたって」
あぁ、と彼女は心の中で呟く。イルヤはまた一つ、自分の天敵である「退屈」を退ける手段が見付かって喜んでいるに過ぎないのだ。
紅い液体を集めることが彼にとって十分に達成し得るゲームなら、イレギュラーな要素が必要だと思っているだけ。まだ幼さの残る少年が出て行った窓を眺めて、イルヤが笑った。
「……仰せのままに」
それからは文字通りかくれんぼが始まった。子ども達は相変わらず空き家だと信じて遊びに来る。キルイェは他の子が来る前に訪れて、二階の一番隅のカーテンを閉めることで来訪を知らせるのである。
『開いていたら、閉めるだけでいい。閉まっていたら来るなよ』
こうすれば、二階の窓を確認するだけでお互いの様子が分かる。ラクセスが閉じたままにしておけば、その日はキルイェが様々な方法で子ども達の来訪を防いでくれる。鉢合わせをしなくて済むというわけだ。
けれども、どんなに気を遣っていても、完全に存在を隠し切れるものでもない。不特定多数の者が訪れる屋敷にはどうしても痕跡が残り、やがては子ども達もそれを察知するようになる。
気が付けば近所の噂も手伝って、幽霊が住みついたという怪談話になっていた。
「昔、私が住んでいた頃の話も出ているみたいね。もっとも、娘の幽霊なら私も是非とも会いたいものだけれど」
ある時、屋敷の客間でくつろいでいたサクヤが言った。結局事情を聞けず仕舞いではあったが、ラクセスにはとても声をかけられなかった。
「無理だって」
イルヤはさして気にする風でもない。ことがひと段落付いたのか、久しぶりにくつろいでいる。
ソファに座ってお茶を飲んでいる二人は珍しくのんびりしたムードを漂わせていて、今行われている出来事の全てが嘘のように思えた。
「そうね。この町にはあれが居るから、幽霊なんて放っておいて貰えそうにないものねぇ。それにしても残念。あんなに美味しそうなのに、手を出しちゃいけないなんて」
「身のためって奴だろ?」
「あれ」とは何のことだろう。ラクセスには二人の会話が掴めなかった。
テーブルの端に置かれた陶器のポットからは、蒸された紅茶の芳醇な香りが立ち昇る。彼女は難しい話を聞いている一方で、ミルクや砂糖がそろそろ足りなくなりそうだ、などといったことを考えていた。
「それで、どうなの?」
「順調。間に合うって」
いつの間にか内容は宴の余興の準備に移っている。
彼の言葉に偽りはない。この建物の地下には昔ワインを貯蔵していた倉と樽があり、整備し直されて現在も使用されていた。ただし、保存されているものが決定的に違うのだが。
吸血鬼は闇に紛れて通行人を襲っていた。それもほんの少しずつしか抜き取らない。被害者は気を失うが、酔っていたり、夜間であるために眠ってしまったのだと誤解することがほとんどだった。
事情を知っている者からすれば、非常に間の抜けた話だ。
「あと一樽分ってところかなァ。じゃあ、そろそろアレ……やろうか」
ラクセスが弾かれたように彼を見た。闇の中で薄く光る瞳が、楽しそうに細められて、ふふふと笑いが零れた。
「やっぱり若くて美味そうなのが良いに決まってるからな」
「イルヤ様、もしや」
その先は予想が付いたが、はっきりと口にするほど愚かではなかった。しかし、何も言わずに終わらせてくれるほど主は慈悲深くはない。
「で、あの子たち、次はいつ来ると思う?」
昼間の屋敷。その全てのカーテンが、例の場所を除いてぴたりと閉められる。建物をぐるりと囲う煉瓦の塀に開けられた小さな穴から、あの少年が他の子ども達を伴って再び侵入した。
「幽霊なんているのかなぁ」
「びびるなよ。それを確かめに来たんだろ」
どれもあどけなさを残した顔立ちだ。キルイェはそんな彼らが全員塀の内側へ入るのを確認してから言った。
「ディーリアはあとから来る。お前らは先に行ってろよ」
彼より年下の子らは、言われた通りに入り口へ向かった。キルイェがズボンのポケットに手を突っ込むと、数枚のコインがこすれて安っぽい音を立てる。
「大丈夫。何もいやしないんだから」
ぽつりと呟いた。
キルイェはお金欲しさに話に乗りましたが、相手が悪すぎましたね……。




