第二話 消えたお嬢様
一人で出かけることにしたフォルトは、届け先を探しているうちに……。
「お手数おかけします」
翌朝、カーテンをきっちりと閉めてから、俺は宿にイリスを残して一人で出かけることにした。昨晩受付をしてくれた青年――ヴァロアというらしい――に、イリスのことは頼んだ。
本当は連れて歩きたいのだが、今日は生憎朝から快晴だった。極力、イリスは日の光に当たらない方が良い。散々悩んだ末、置いていく結論に達した。
「構いませんよ」
ディーリアと共に暮らすヴァロアなら、女の子の扱いにも慣れていそうだ。俺が割増料金を払って依頼すると、彼は笑顔で請け負ってくれた。
「届け物をするだけなので、そんなに時間はかからないと思います」
ディーリアの姿は見かけなかった。まだ早朝の時間帯だから、きっとまだ眠っているのだろう。
「えーと」
新しい日を迎えんとする町は、夜とはまた違った側面を見せた。煉瓦が朝日を浴び、家々の壁も屋根も目を覚ましたかのように輝いている。表通りの方からは店のテントを立てる音が聞こえてきた。
「こっちか?」
俺は人気を避け、裏通りを行く。建物の間隔が狭く、壁が迫ってくるここには、昇り始めた太陽の光もあまり届かない。
「あふ……」
地上とは違う生活時間に慣れきってしまった体は重い。昨夜もそれほど眠れなかったので、それも眠気に拍車をかけている。目をこすりこすり、地図とにらめっこしていても、たまに視界がぼやけ、足もふらつき気味だ。
「もっと寝ておけば良かったかな」
体調が悪い原因は他にもある。イリスにせがまれて血を分け与えていたのだ。だから、これは……目眩だ。
「……う」
目的地まで半分ほど来たところで、世界がぐにゃりと歪んだ。足に力が入らなくなったかと思うと、ふっと意識が途切れかける。倒れそうになった俺の体を支えたのは、誰かの力強い手だった。……誰だ?
「おい、しっかりしろ。ンなところで何やってるんだ、お前は?」
「……うぅ?」
乱暴に体を揺さぶられ、紫の何かが飛び込んできた。
「軟弱な奴だな。そんなので良くイリスの相手が務まるもんだ」
「っ!?」
主人の名に一気に覚醒する。と、紫色のものがコートで、自分を覗き込んでいる顔が良く知った相手であることに気が付いた。
「ルーシュ!? お前、どうして」
「ようやく起きたか。ったく、しょうがないねぇ」
腕を掴み、声をかけていたのは、イリスの兄であるルーシュだった。妹と同じく、フード付きのコートを足元まですっぽりと着込み、黒いサングラスに白手袋をはめている。
「怪しい格好」
「うるせェよ」
本人も自覚があるのか、ぎろりと睨み返してくる。その紅い瞳も妹そっくりだ。確かに陽光から身を守るためには仕方がないけれども、知人でなければ完全に不審人物と認定したに違いない。
「はぁ、とにかく助かった。ここは礼を言う」
「そりゃどーも」
身体をなんとか起こし、砂やちりを払ってからルーシュに向き直る。こうして立ち上がると、日が裏路地にまで入り始めているのが分かった。
彼が数歩後ずさって、残された僅かな日陰に逃げ込む。建物の影という、くっきりとした線によって空間が切り取られると、お互いが違う生き物だと知らしめられているような気がした。
「じゃあ急ぐから」
言いながら、胸元へ手を突っ込むと、あるはずの手紙がないことに気付く。全身から一気に汗が噴き出た。
「あぁ、コレだろ。ばっちり受け取ったから安心しろ」
「えっ?」
真っ白になった頭で見れば、ルーシュが件の手紙をヒラヒラさせていた。ばっちり封も切ってある。
「お前っ、なんてことを!」
「どうどう、良く見ろよ」
怒りかけたが、ルーシュが見せ付けてきたその手紙の宛名が目に入ると脱力せざるをえなかった。外側は白紙で、届け先しか教わっていなかったのがまずかった。
「そ。この手紙は親父が俺に『帰って来い』ってクドクド言ってるシロモノなんだよ。ったく、俺がどこにいるのか完全に把握してやがる。気にくわねぇなぁ」
「気にくわないのはこっちだ。お前宛ての手紙だって知ってたら届けになんて来なかったっての」
シリアの策だろう。まんまとはめられてしまった。
「帰ったら一言いってやろうぜ。俺は親父に、お前はシリアにな」
「賛成。珍しく気が合うな」
身分から言えば、当主の子息であるルーシュは俺がかしずくべき相手だ。けれども、幼い頃からオモチャにされまくってきたせいで、どうしても頭を下げる気にはならない。
「で、イリスを放って、一人で観光か?」
「そんなわけないだろう」
態度も相変わらずで、いつまで経っても一人前として見られた気がしない。もっとも、本来の間柄に戻るなど今更考えられないことだが。そのルーシュもイリスの同行は知らなかったようで、酷く驚いていた。
「おいおい、親父がよく許したな」
「というか、連れて行くようにこっちが命令されたんだ。……そうだ、早く戻らないと」
話しながら来た道を二人で戻る。裏通りに人気がないのは変わらないが、表通りの方向からざわめきが聞こえてきた。人々の話し声や生活の物音が波のように寄せては返す。まるで音の海である。
「あぁ、あそこだ」
宿を見つけて指し示すと、ルーシュに「もっと良いところに泊まれよ」と言われてしまった。まさに王子様のような身分のルーシュとは、金銭感覚からして差がある。
外ではヴァロアが青いエプロンをつけて掃除をしていた。ささっと箒を動かす度に砂が舞い、潮風に煽られて飛んできた枯れ葉が一カ所に集まっていく。
「お帰りなさい」
こちらに気付くと顔を上げ、笑った。初対面の時と同じく柔らかい笑みだ。
「そちらは? ……あ、すみません。私はこの宿の者でヴァロアと申します」
「イリス様のお兄様のルーシュ……様です。すみませんが、お部屋、もう一つお願い出来ますか?」
たまにこういう場面に出くわすと、いつも歯が浮きそうになる。内心では「どうしてコイツを様付けしなきゃいけないんだ」という気持ちが激しく渦巻いている。
「はい。どうぞ、中へ」
そんなことを考えているとはつゆ知らず、ヴァロアが再び笑顔で頷く。手続きのためにそそくさと中へ入っていく背中を追いながら、俺は呟く。
「誰かに似てると思ったらウィスク先輩だ。ニコニコしてるしさ」
「ふん、一緒にすんな」
ウィスクはルーシュの秘書だ。当主付秘書であるシリアとは双子の兄弟で、俺もよく世話になっている。その仕事ぶりは、「常に笑顔」に尽きる。
噂では、ルーシュが居場所を知らせる唯一の相手らしく、二人はかなりの信頼関係にあるようだった。
俺は「なんだよ」と悪態をつきかけて口ごもった。ルーシュの機嫌が悪い。理由は分からないが、ヴァロアの何かがお気に召さないらしい。こんなに人当たりが良いのに、何が気に入らないのだろう?
「オイ」
「あ?」
もう一つの鍵を貰い、ひとまずは自分の部屋に向かう途中の階段で。それは床の軋みにかき消されそうな呼びかけだった。
「イリスを一人にするな。港町ってのは、良いものも悪いものも出入りするところだからな」
「どういう――」
言葉が途切れる。軽くノックし、ドアノブを回して中に入ろうと扉を開いた瞬間に気が付いたのだ。いるはずの主人がいないことに。
「イリス様?」
カーテンがはためいている。窓が僅かに開いており、そこから湿った風が入り込んで室内を冷やす。ベッドには誰かがいた膨らみだけが残り、袋に入っていた中身が散乱していた。
「いったい何処に……!?」
部屋を一通り探したあと、下へ降りてもみた。しかし、やはりイリスの姿はない。一階には、ヴァロアがカウンターにいる以外、人は見当たらなかった。
「申し訳ありません。つい先ほどお茶を持っていった時にはおられたのですが……。ずっと入口もチェックしていたのに」
青年も強張った顔で頭を下げてくる。いや、ここは俺の落ち度だ。やはり人任せにせずに連れていけば良かった。後悔で食いしばった奥歯がぎしりと鳴る。
「……そういえば」
「何か思い当たることでも?」
ふと思い出したような呟きに耳をそばだてる。階段を降りかけていたルーシュも気にくわない顔でこちらに注目していた。
「朝食の後からディーリアが見当たらないないんです。もしかしたら一緒かもしれません」
「行き先に心当たりはありませんか?」
再び外に出れば太陽がだいぶ昇ってきていた。長く伸びていた影も縮み、これからは日陰が加速度的に減少する時間帯だ。もしイリスが陽を直に、長時間浴びるようなことがあったら非常にまずい。
「町からは出ていないと思います。けど、普段どこで遊んでいるのかまでは」
「……」
雲を掴むような話だ。黙り込んでいると、ルーシュが階段の傍からこちらへと近寄ってきた。
「俺は俺で探す。お前もお預けくらった犬みたいな顔してないで動くんだな」
「だ、誰がっ」
文句を言おうとそちらを見れば、すでに出入り口に差し掛かっているところだった。しかし、自分で探すとは、手がかりでもあるのだろうか。
世界中を飛び回って、自宅である城にいるのは年に数日というルーシュの私生活を、一従者に過ぎない俺が知る術はない。
「まさか、町を裏から牛耳ってたりして」
恐ろしい想像をしかけ、頭を振る。妄想を打ち消した後は、もう一度部屋で手がかりを探そうと階段を上った。
「あれ?」
ツインのベッドの片割れ。その上で散らかった荷物を整理していると、無くなっているものがあることが解った。
「えーと、メモメモ……あった」
自分の服のポケットを漁り、持ち物メモを取り出す。何か紛失してはいけないからと、念のため記しておいたものだ。こんな風に役立つとは、皮肉な話だと唇が我知らず歪む。
「ないのはサングラスと小銭と……時計か」
小さなメモと荷物袋の中身を比較する。ホッとしなくもなかった。サングラスがあれば日差しを多少なりとも避けられるし、小銭があればいざという時に困らずに済む。
なにより、きちんと時刻を意識していることが救いだった。
「あとの問題は一つ、だな」
その一つは、ある意味で最も深刻な問題だ。他でもない、「血」である。前に飲んだのが今朝だから、当分は保つだろうが、楽観視は出来ない。
「ディーリアも危ないかもしれない」
ぽつりと漏らす。見た目は幼い子どもでも、イリスはれっきとした吸血鬼なのだ。飢えれば本能的に血を求めるだろう。それも、一番近くにいる人間の……。
俺は居ても立ってもいられなくなり、ヴァロアに言伝を頼んで建物から飛び出した。
いつもどこか抜けているフォルトにルーシュも溜息がとまりません。
さて、いなくなったイリスはどこへ?




