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吸血鬼な幼女様と下僕な俺  作者: K・t
第一部 幼女に仕える従者編
2/60

第一話 ご主人様はご機嫌斜め

急いで主人の部屋へ向かうフォルト。なんとか辿りつくと、中からは幼女の震える声が聞こえてきた。

 煉瓦を積み上げた、天を突き刺すかのようにそびえる塔の群れ。変わった姿をしたこの城は、塔そのものが居住の境界線を果たし、俺達「従者」が住まう塔は城の隅に女子寮と対で建っている。


「よっと」


 髪を顔の横で簡単に纏めてから部屋を出て、塔の一番下の開けたフロアに降りる。そこは広大な食堂で、女子寮との唯一の共有スペースでもある。現に今も、朝食を取る同じ服装の面々で結構な賑わいだった。


「あら、おはよう」


 ふいに後ろから声をかけられて振り向くと、女子寮側の入口から先輩であるルフィニアが歩いてくるのが見えた。

 赤紫色の髪をリボンで束ね、女性用の制服を今日もぴしりと着こなしている。トレードマークのメガネの奧では深い色の瞳が光っていた。


「貴方、『今朝は早くに』ってイリス様がご命令じゃなかった?」

「……あぁっ」


 指摘され、俺は早く部屋に来るように言われていたことを思い出した。食堂へ向けた足をくるりと回転させた瞬間、長い髪が鞭のようにしなり、周囲を行き交う同僚達が慌てて避ける。


「わ、悪い」


 やはり邪魔だ。でも必要なんだよなぁ。はぁ。それに、どうやら朝食抜きを覚悟しなければならないようだ。大急ぎで従者塔から渡り廊下を一つ二つ、雪が降る寒い中を抜け、辿りついた長い螺旋階段を上った。


 途端、景色が一変する。念入りに磨き上げられた通路が輝き、階段の手すりには木の幹に似た彫刻に職人の技が光る。

 部屋の扉には、どこぞの楽園を描いた優雅な風景や獅子やらが彫り込まれ、触れるのも憚られる雰囲気だ。その美しさは、初めて来た者は必ず目を奪われ、城の広さも手伝って必ず迷子にされると言わしめる。


「次は右、その次は左……」


 もちろん、何年も城勤めをしてきた自分が迷うことはない。迷路のような通路を通り、ようやく目的の部屋へと辿り着く。目印は扉に彫り込まれた満開の花々と、主人の名――イリス。


「ふぅ、間に合ったか」


 走ったせいで乱れた呼吸を整え、慎重に二度、コンコンとノックした。


「フォルト、来たのぉ?」


 返ってきたのは、幼い子どもの震えるような声だった。やっぱりか。心を決めて扉を開けば、思った通りの現実が待っていた。

 日当たりがよく、従者塔よりぐっと温かい室内。天蓋付きのベッドと、至る所に置かれたぬいぐるみが目に付く可愛らしい一室には、幼い女の子がいた。


「ねぐせ、なおらないよぅ! なんとかして~!」

「またですか」


 思わず脱力しながら観察すれば、肩まであるその柔らかな髪からは想像もできないような、見事なハネが出来上がっていた。


「ううぅ」


 宝玉のような紅い瞳を、滲んだ涙で更に赤く染めながら見上げてくる、ピンクの寝間着の女の子。彼女こそが俺の主人、イリスである。

 大人が腰を落としてやっと目線の高さが揃う幼女は、ぐちゃぐちゃになってしまった髪の毛を引っ張っては、いつものウェーブに戻そうと格闘していた。


「ああぁあ。そんなことしちゃ、駄目ですよ」


 まだ5歳を迎えたばかりのイリスは、「寝癖は引っ張ったくらいでは直らない。髪を痛めるだけだ」と何度教えてもこの有り様で、美しい銀髪は猫に遊ばれた毛糸玉のような無惨な姿をさらしていた。


「少しの間、じっとしていて下さいね」


 優しく言い置いて頭に手を伸ばす。今日の敵もすこぶる手強そうで、どこから取りかかったら良いのか迷うほどだが、意を決して櫛を通してみることにした。


「うーん……」


 鏡台から取ってきた子ども用の櫛、といっても数匹の蝶が飛ぶ様が繊細に彫り込まれた高級品、を髪にそっと入れてみて、俺は思案する。

 強く梳くなどは論外である以上、ちょっとやそっとで直る気配は……なしだ。


「どぅ、フォルト?」


 イリスが一縷の望みを託す瞳で俺を見上げるも、視線を逸らすので精一杯。ここは笑顔でスルーが正解だと、数年仕えてきた経験が答えを弾き出す。


「え~と、濡らしてみましょうね」


 世の女性が羨むような鏡台の前に小さな主を座らせると、曇り一つない大きな鏡に否が応にもウネウネとしたハネが映ってしまい、二人は一瞬固まった。

 それ程に衝撃的。きっと生き物。……ここでも笑顔で流しておくに限る。


「ちょっと冷たいですよ」


 霧吹きを手に取り、針色の髪を湿らせる。乾く前に丁寧に櫛を通せば、しんなりと素直に……なる訳はないか。絡まりが優しく見えたのはフェイクだったらしい。

 あとはクリームだのスプレーだのと、試しに一箇所ずつ処置してみるが、最後の一角である前髪の見事なハネだけは、どうしても多少マシになっただけで立ち往生してしまった。


「直らない、ね」

「そですね」

「う、うぅうぅ。わぁあぁん」


 とうとうイリスが本格的に泣き出してしまい、俺も泣きたい気持ちで胸がいっぱいになった。もうこの髪は、そういう存在なのだと思う他はないのかもしれない。


「いやぁ、俺には――」


 げんなりして言いかけると、イリスは涙目を一層うるうると潤ませて見つめてきた。うーん、やはり許しては頂けないようだ。


「分かりました。他の者に聞いてみましょう」

「……うん」


 それにしても、といつもの疑問が脳裏を掠める。

 当主の大事な娘の世話係を務める俺は、日中はイリスにぴったり張り付き、頭のてっぺんから足の先まで気を配っている。当然、夜も寝る前に念入りに髪をとかし、寝入ったのを確認してから部屋を後にする。


 にも関わらず、毎朝挨拶をする度にこの有り様なのである。全く、どうなっているのだ。どんな寝相だ。そう思いながら、ぐずるイリスを着替えさせてから部屋を出た。

すぐさま冷えた空気が廊下から吹き込んでくる。余り長い間放っておくと湿らせた寝ぐせが凍ってしまいそうだ。それではここまでの苦労も完璧に水の泡である。


「あらっ、イリス様?」


 人が集まる塔とは逆の方向へ歩いていくと、渡り廊下の方から一人の従者が声をかけてきた。

 目を向けると、それは最近、城勤めを始めたばかりの見習い・サスファであった。多少ドジっぽいところはあるものの、仕事の覚えは早いと評判で、自称「イリスの大ファン」でもある。


「どうかしました?」

「ちょっと来てくれ」


 髪は女の命だ。彼女ならなんとかしてくれるかもしれない。俺は、二人を連れて近くの女性用の化粧室に飛び込んだ。

 入ってすぐの細長い空間には、手洗い場の他にも簡素な鏡台がずらりと並べられているが、すでに皆が働き始めたこの時間帯は幸いにもがらんとしている。


「えっ、えっ。フォルトさん?」


 人気がないとはいえ、女性用の化粧室に入るという奇抜な行動に戸惑う後輩に「緊急事態だから」と告げ、簡単に事情を説明した。


「寝ぐせ、ですか」


 理由を聞いたサスファが櫛を取り出したのを見て、俺は慌てて制す。それは先程散々試したのだ。従者が持ち歩くようなお安い櫛では歯も立たないだろう。


「ついでに言うと、クリームもスプレーも試した。これでも大分マシになった方なんだ。俺にはもうお手上げ。頼む、なんとかしてくれないか」

「わ、わかりました」


 サスファは眉間に皺を寄せて、真剣な眼差しでイリスをじっと見つめる。そして、やおら外へ出ていったかと思うと、何かを手に持って戻ってきた。


「……髪飾りか?」

「きっとイリス様に似合いますよ」


 それは桃色の大きな花の形をした髪飾りだった。決して高級品には見えないが、心のこもった品なのか、色合いや形に温かみが感じられる。


「さ、付けますね」


 ハネた部分にパチリとはめれば出来上がり。柔らかい雰囲気がイリスの銀の髪に良く映えて、可愛らしさを引き立たせている。


「成程な」


 主人に聞こえないほどの小声で呟いた。要するに、髪飾りで寝ぐせを隠したのだ。試行錯誤して直すより余程効率的で、かつ、男には思い付きにくい方法かもしれない。


「さ、いかがですか?」


 周囲がどう言おうと、結局大事なのは本人の気持ちだ。サスファがにこりと微笑みながら声をかけると、鏡を見ていたイリスが振り向き、訊ねてきた。


「似合うかな」

「えぇ、とってもお似合いですよ」


 この瞬間を逃さず、賞でも取れそうなスマイルを全力で発動する。すると、不安げだった幼女の口元がふっと綻び、何度も鏡を覗いては自分の姿に見入った。


「えへへ……」

「慣れてるんだな」

「じ、実は私も毎朝寝ぐせが酷くて。あはは」


 折角見直したと思ったのも束の間だ。少々気まずい空気は流れたものの、それが妙におかしくもあった。

多少振り回され感はありますが、基本的にのんびりまったりな回でした。次回はフォルトの天敵が登場。空気も一辺です。

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