第五話 麗人と使用人
元の場所へ帰ってきたかと思えば、また違うところに出てきてしまったらしい。
とにかく建物を散策していると、誰かの声が聞こえてきて。
「懐かしいお客様ですね」
突然かけられた声にぎょっとして振り返る。目に入ったのは黒衣を纏った先程と同じ顔――ルデリアの微笑みだった。
「その客に、家の主が気配を殺して近付くとは面白い」
ルーシュがシニカルな笑みを浮かべて言うと、不思議な館の不思議な主人は「不審者だったら用心しなければならないでしょう?」と気分を害した風でもなく返す。
確かにそうなのだが、何かが間違っているような気もして、けれど驚きと勝手に入り込んでウロウロしていた侵入者である手前、抗議を口にすることはなかった。
「えと、あのこれは」
代わりに頭をぐるぐると回る焦燥感を少しでも軽減させるため、慌てて謝罪を絞り出そうとして、無意味な言葉を列挙する。これでは……本人には誠に失礼だが、従者見習いのサスファみたいだ。状況を理解していないイリスだけが、またルデリアに会えた喜びでにこにこしている。
「顔芸を披露してないで、お前はイリス抱えて黙ってろ」
「な、顔芸って……!」
ルーシュが妹を抱き上げて渡してくる間にも、その紅い目はすっと細められていて、俺は幼女の軽い体を両腕で支えながら真っ赤になって視線をそらす。
長い付き合いがある分、感情を刺激されてしまう。当分この話題でからかわれるかと思うと、はらわたが煮えくり返りそうだ。
「勝手に入って悪かったな。こっちにも事情があるんでな。何も盗んだり壊したりしないから、大目に見てくれると有難いんだけど?」
盗人猛々しい、もしくは居直り強盗か? およそ侵入者とは思えない不遜な態度に、それでもルデリアはにこにことした笑みを絶やさない。
「構いませんよ。ここは滅多に人が来なくて寂しい思いをしていますから、貴方方ならいつでも歓迎します。何か目に付いたものがあったら、どうぞお持ち帰り下さい」
「えっ」
太っ腹な言い様に反応してしまい、即座にルーシュのツッコミじみた視線が刺さる。
「お前なぁ」
「放っといてくれ、金持ちのお前と違って貧乏性なんだ」
「それ、雇い主へのクレームってことでいいんだよな?」
「ち、違う。ただの独り言っ」
俺が直接仕えているのはイリスだが、従者達全員の主人は兄妹の父である当主だ。
城から自由に出ることもままならない身分でも、衣食住はしっかりしているし、主人一家の性格もよそに比べてだいぶマトモだと承知している。
「親父はお前らが買い物ついでに多少の贅沢品を求めても怒らないし、それなりに良い物喰わせてやってるつもりだがなぁ?」
「だから独り言だって言ってるだろ! それに、良い物食べさせてるのは自分達のためもあるだろうが」
人間の食事をおろそかにすると、旨い血にありつけなくなるからだ。改めてそう考えると空しい気持ちになる。鑑賞に耐え得る、美しい「かごの鳥」ならまだしも、自分達の現状は「働く家畜」そのものである。
「今更なこと言うなよ」
「お兄ちゃん、『かちく』ってなぁに?」
「イリスがもうちょっと大きくなったら教えてやるから、な」
「えー」
小声でやり取りされる内容が面白かったのか、ルデリアのさざ波のような笑い声が耳に届き、二人は押し黙った。
「あー、ウチの馬鹿が失礼したな。こいつ面白いんだけど、時々空気読めなくてさ」
「おい、空気読めないってなんだよ」
全くフォローになっていないルーシュのセリフにまたも条件反射で噛みつき、再び黒衣の麗人が笑いを零した。本当に楽しそうだ。
「楽しそうで羨ましいかぎりです。やはり、ひとりは寂しいものですから」
「ひとりじゃありません!」
かぶさるようにして横入りしてきたのは若い女性の声だった。
年は15から20の間だろうか。今では少々廃れ気味の、腰からふわっと広がるワンピースタイプのメイド服を着て、長い茶髪を後ろで束ねて垂らしている。
彼女とは初めて会ったはずなのに、どこか見覚えのあるような顔立ちをしていた。
「ルデリア様ったら、私がいるじゃありませんか」
「ふふ、そうでしたね。すみません、レイテ」
今度こそ目を見開く。レイテという名には聞き覚えがある、なんてものじゃない。つい今しがた耳にしたばかりだ。
「ルデリアさん、今何て? この人は……」
麗人が口を開くより早く、レイテと呼ばれた女性が恭しく頭を下げて笑顔を作った。
「お客様の前で失礼しました。お初にお目にかかります。レイテと申します。ルデリア様にお仕えしております」
ぱっちりとした目元と、太陽を連想する笑み。そのどちらもが、今しがたルデリアに食糧を運んできたあの少女とそっくりだった。もしかして姉妹か親戚だろうか。そんな淡い想像も、次のセリフが容赦なく突き崩す。
「レイテ、初めてではありませんよ。数年前にお会いしています。一瞬でしたから、覚えていないかもしれませんが」
レイテが思い出そうとして、けれど駄目だったらしく、「そうでしたか。申し訳ありません」とだけ返した。
数年前! 思わず唇を噛んで思いとどまったものの、大声で叫んでいてもおかしくはなかった。ルデリアの言葉で、目の前の女性があの少女と同一人物だと証明されてしまったのだから。
『懐かしいお客様ですね』
ルデリアの挨拶に違和感を覚えたのは事実だ。今しがた別れたばかりなのに、と。焦りが心中を侵していなければ問い直していただろう。短い間に色々とあり過ぎてしまったせいだ。
ありえない話だが、要するに「ここ」は先ほどまでいた場所の数年後の世界、「未来」なのだろう。ここまで荒唐無稽だと、深く考えることさえ面倒になってくる。
「なんか、読めてきた気がするな」
「えっ、何がですか?」
「いや、何でも」
ルーシュがぽつりと漏らした呟きをレイテが聞きとめ、きょとんとして首を傾げる。気の抜けた返事をする仕草も、まだ完全には幼さが抜けていない感じがした。
俺は彼女に改めて自分達を紹介し、いきさつを訊ねてみた。
天真爛漫で一寸は少年にさえ錯覚したレイテが、何故ルデリアに仕えているおのか。この数年……俺達に取っては瞬きのような間に何が起きたのか、純粋に興味がわく。
「あれは、私がまだ小さかった頃です」
レイテは話し相手が出来て嬉しかったらしい。喜々として客間へ案内し、慣れた手つきでお茶を用意してから、ソファに座るルデリアの後ろに立って話し始めた。
同じ使用人の立場である俺も座るのを辞退しようとしたら、ルーシュに「後ろに立たれると邪魔」と言われ、結局横に腰をおろすことになってしまった。更に隣では、イリスが出されたクッキーを美味しそうに頬張っている。
「もう、そんなになりますか」
レイテに依れば、ルデリアは元々旅人で、ある時ふらりとこの村にやってきたのだという。そろそろ旅をやめて腰を落ちつけたい。家を建てるから、どうかこの村の仲間に入れて欲しいと。
「村ってのはどこも閉鎖的だろ。良く受け入れて貰えたな」
ルーシュが言うと、話題の本人が苦笑する。さすがにいきなり快く、とはいかなかったのだろう。当時の苦労を思い出し、しかしそれすら楽しんでいる様子でもあった。
「景色が気に入りましてね。とにかくこの家を建てて住み始めました。村の人だって、良い顔はしないまでも、別に物を売ってくれないわけではありませんでしたから」
家を建てた職人ももちろん村人だった。彼らは、山中では一人で生きていけないことを知っているのだ。心根は優しい人達なのだろう。レイテが引き継いで続きを語る。
「そのうち村で重病人が出たんです。でも、お医者様はこの村にはいなくて。隣町まで出かけないと診て貰えないのに、天気も悪い日でした」
激しく叩き付ける雨に、家屋すら吹き飛ばしそうな風。重病人を運ぶことも、医者を呼びに行くことも難しい嵐だったという。
「で、そこに現れたのがアンタだったってわけだ?」
「ええ、まぁ。多少、薬の知識がありましてね。おかげで、病で苦しむ方を救うことができました」
軽く話しているが、擦り傷などに聞く薬草ならともかく、病気の診断と処方は「多少の知識」でどうにかなるものではない。薬は、量や種類を間違えば簡単に毒に変わる。聞きかじり程度で手を出すと、殺してしまうことだってある。
「ルデリア様は凄いです! あとで天候が回復してから念のためにお医者様に診て頂いたら、『見事な腕前だ』っておっしゃっていましたもの」
「凄いですね」
俺が素直に称賛すると、当の本人は「そんなに褒めても何も出ませんよ」と笑う。
「でも、それをきっかけに村の皆さんとの距離が縮まったのは事実ですね」
想像するのは難しくない。怪しげな来訪者が、恩人に変わった瞬間だっただろう。
「このお屋敷、とても広いでしょう? ルデリア様は時々改築をなさるから、大きくなる一方。お一人だと色々不自由されていると思って、私の方からお願いしたんです。『雇ってくれませんか』って」
「へぇ」
押しかけ使用人とは、なんとも驚きの事実である。てっきり、かつての恩を返すために村長から指図されたとか、そんな流れだと予想していた。いや、それもあるのかもしれないが。
「クッキー、おいしいね~」
席の隅っこで、お菓子をぱりぱり食べていたイリスが無邪気に感想を述べ、大人達の空気も更に緩む。お茶の、澄んだ香りの効果もあるだろう。
「これだけの建物だと、掃除も大変でしょうね」
「そりゃあ、もう」
俺が話題を向ければ、レイテも茶目っ気を出し、しばらくは談笑が続いた。
再び怪しくものんびりとした場面です。レイテは元気っ子なので書いていて楽しいですね。
サスファと会わせられれば気が合いそうです。
次回は猛烈にシリアス注意報!