第四話 同族の気配
おっとりとしたルデリアと交流しながら、ヒントを探すフォルト。ここがどこなのか、手がかりは掴めるのでしょうか?
「あの、今のレイテという子は村から?」
少女が村からやってきたことは容易に想像が付いたが、本当に聞きたかったのは今のやり取りについてだった。ルデリアはそれを察して、理由を説明してくれる。
「えぇ。レイテは村長の子で、こうして高台に住んでいると何かと不便だろうと、時々ああして食べ物を持ってきてくれるのです」
なるほど。ここには屋敷がでんと構えてあるだけで、庭らしいのは手前にあるこぢんまりとした花壇だけだ。風に吹かれ、葉と大ぶりの花びらを揺らす赤と青の二種類の花は、いずれも知らない種類であった。
「山が近いですからね。この場所で野菜を育てようとしても、獣達に食い尽くされてしまうのがせいぜいで」
苦笑しながら言う。
村のように人間が群れていれば恐れて近付かないような小動物も、広大な場所を一人きりで見張るのが不可能であることくらいは学習する。実がなった途端に食べ物をかっさらってしまうだろう。
「何か気になることでも?」
「あ、いえ」
首を捻るルデリアに更に訊ねようとして、慌てて打ち消す。
先程、代金を渡している様子はなかった。なぜかそのことが不思議と気になって確かめようとしたのだ。と同時に、出会ったばかりでいきなりする質問ではなかったと反省する。
「あ」
今度はルデリアが小さく声を上げ、白い手を伸ばした。その仕草は空から落ちる雨の雫を受けとろうとするかのようだった。隣で見上げても晴天であるのに、だ。
それから長い睫毛を触れ合わせて僅かの間目蓋を閉じ、開いたと思えばおもむろに「雨が降りますね」と呟いた。やけに断定的な言い方である。
「え……」
俺の驚きは、これほど晴れているのに? という戸惑いを含んでいた。山や森に住む者には、ちょっとした湿度の変化や風の流れを肌で感じ取って、天候を読み取る能力があるのだろうか?
生まれた時から「人ならざるもの」に仕えることを運命付けられてきた自分に、その世界で生きる術が身についているように。
「おい、フォルト。いつまで待たせるつもりだよ」
声に弾かれて振り返ると、フードを被ったルーシュがこちらにやってくるところだった。多少日光に当たろうとも、待たされるのに飽きてしまったらしい。二種類の意味で顰め面だ。
「お兄ちゃん!」
イリスがたっと駆け出し、兄の足に抱きついた。それでやや機嫌が良くなったのか、はたまた妹に八つ当たりするわけにいかないと思ったのか、顔を綻ばせて軽々と抱き上げる。
「イリス、大丈夫だったか?」
「うん! あのおにーさんとお話してたんだよ」
この発言により、俺はようやくルデリアが男性であることを確信した。その間に、ルーシュが幼女から外した視線は冷えたものへと変わっていた。
「お兄さんですか」
「妹が世話になったな」
口にしながら、心ではそう思ってはいないだろうことは明らかだ。
「いえ、ちょっとお話をしていただけですよ」
「だろうな」
「お、おい」
ルデリアはあからさまな敵意を向けられても平然と笑っているのみである。しかし、何が気に入らないのか知らないけれど、さすがにその態度は失礼だろう。
横から諌めようとしたのをルーシュは手で軽く制して、「イリスじゃアンタを満足させられないだろうからな」と続けた。
「え……。それ、どういう意味だ」
「悪いが、これも俺んところのだから、勘弁してもらうぜ」
思わずごくりと唾を飲み込んだ。じっとりと背中が汗ばみ、頭が真っ白になりかける。ルーシュが「これ」と称したのは、間違いなく俺自身のことだったと分かったからだ。
「見れば分かりますよ。安心してください」
ふっと、先ほどと変わらぬ笑顔でルデリアが言う。それはつまり、認めたという意味だろう。変わらないはずの笑顔は、一瞬で印象が違ってしまった。
「で、こんなところで何やってんの、同族さんよ?」
やはりと思わないでもない。最初からその風貌や纏う雰囲気が誰かに似ている気がしたのだ。
「何をと言われても、ここに住んでいるだけですよ」
「下の村の連中を餌にするために?」
「!」
どきりと胸が強く脈打つ。
つい先程食料を持ってきてくれた、無邪気な少女の笑顔が浮かぶ。レイテは心の底からルデリアを慕っているようだった。だとしたら、ルーシュの指摘が本当のことなら……。恐ろしい予想が脳裏を掠める。
主人の兄は、一度は自分で口にしたセリフに疑問を抱いた様子で、今度は「その割には、匂いが薄いな?」と呟いた。何を指すかは言うまでもない。
「薄くなるのも当然かもしれませんね。ここへ流れ着いてからは口にしていませんから」
――ぶつり、と耳の奧で何かが切れるような音を聞いた気がした。
「え?」
音が完全に消える前に、今度は僅かな立ちくらみを覚える。そのほんの瞬きほどの間に視界が暗さにやられたと思ったら、俺達は元の執務室に立っていた。
「は? 飛ばされた……?」
どんと鎮座した執務机と本棚の群れが、訪れるものを威圧する。掃き清められた床が、薄く開いた扉から入る細々とした明かりを反射して、ほんのりと光っている。その光も元の作り物に戻っていた。
「なんで、何が起きたっていうんだ?」
わけが分からない。分かることといえば、芝居の場面転換のように周囲が変化してしまったことと、全然知らない部屋に変わってしまったはずの執務室が、今は元通りになっているという事実だ。
「ルーシュ、今見たのは全部幻だったのか? ルデリアも、レイテも?」
「さぁな。幻にしちゃ現実味があったし、もっと違う何かかもな。原因がこれなのは間違いなさそうだが」
言ってルーシュは床に転がっていた巻物を拾い、だらりと垂れ下がった紙面を巻き直した。一緒に飛ばされたイリスが、しゅるしゅると鳴るその動きを楽しそうに眺めている。
「おもしろいねー。イリスもやってみたい」
「これはオモチャじゃないから、今度似たようなものを持ってきてやるよ。それで良いか?」
「うん。待ってるね!」
「確かに、それを落として光に包まれたんだっけか」
目を開けていられないほどの、強烈な光だった。あの時は単に防犯用の装置か何かだろうと思い込んでしまったが、他にきっかけと呼べるものは思い付かない。
「じゃあ、本当に戻ってこられたのか?」
けれど、事はそう簡単ではなかった。期待を込めて問いかけると、ルーシュはあっさりと首を横に振って希望を打ち消す。
「匂いが違う。元いた場所とも、さっきまでいた妙な世界とも」
「『世界』?」
認識にずれを覚えて聞き返す。単に場所を移動しただけなら、そんな表現にはならないはずだ。まるで空間でも捩じれているかのような言い回しである。
「俺はあっちこっち出入りしてるが、あんな屋敷もルデリアって名前にも覚えがない」
人間よりもずっと長い時間を生きる彼の言葉には、ずしりとした手応えがあった。
「名前に関しちゃあ、群れるのが嫌いって連中もいるから仕方ないとしても、あんな目立つモノを建てていて網に引っかからないなんてありえないんだよ」
「網」が情報網を指すことくらいは俺にもピンときた。吸血鬼独自のネットワークには侮れない力があり、地上の動きも敏感で緻密に吸い上げると聞く。
吸血鬼を束ねる「上」の者達に顔がきくルーシュが知らないのだから、よほどの事態なのだろう。
「つまり?」
「少しは自分でも頭を使えよ。……『世界』の他に言い様がないな」
「さっきまで何処にいたのか、全く見当がつかないって意味か……」
いや、と言いかけてルーシュは言葉を句切る。なんとも含みのある様子だ。でも、こういう時に無理矢理口を割らせようとしても無駄なのもわかっていた。どんなに悔しくても頼みは彼だけなのだ。へそを曲げられては困る。
「お兄ちゃん、イリスたちどこに来ちゃったのかなぁ」
「んー、どこだろうなぁ。ま、安心しろ、お兄ちゃんが絶対に家まで連れて帰ってやるからな」
「うん!」
幸いはイリスの存在だった。無邪気に訊ねる妹に、兄の不機嫌そうなオーラが和らぎ、場の空気もてき面に変わる。緊張感のない笑顔とぱたぱたと鳴る足音が、大人達から杞憂を消し去ってくれるようだ。
「なぁ。巻物、ちゃんと調べた方がいいんじゃないか?」
今しがた、怪しいと睨んだばかりだ。巻くところを見てイリスが喜んでいたし、事態に付いていけず混乱していたから止めなかったけれど、真っ先に睨めっこをする価値がありそうな代物だろう。
「またどこぞへ飛ばされるかもしれないのに?」
「う、でも」
あまりの正論に言葉を詰まらせる。それでも食い下がると、巻物をふところにしまうルーシュに「後回しだ」と一蹴された。
「最終的には調べるとして、それよりはまずこっちだな」
「『こっち』って?」
なんの相談もなく、突然イリスの小さな手をひいて歩き出すルーシュの背をまたしても慌てて追いかける。主人の兄は首だけ向けて、にやりと笑った。
「仕組んだ誰かさんに付き合ってやろうじゃねぇか」
何が起きているにせよ、巻物以外から手掛かりを見つけるには部屋から出てみる以外に道はない。三人はそれぞれ違った思いを抱えて書斎を後にした。
「見た目はそっくりだな……」
建物は今度も、俺達が良く知る城に似ていた。緩やかに楕円を描く廊下や、作られた部屋など、なんども既視感を覚えさせる場所に突き当たる。だが、違うところも幾つか見つけた。
「あれ、こんな部屋、さっきはなかったよな」
ルデリアと出会ったあの場所に建っていた屋敷は、城と呼ぶにはこぢんまりとしていて、ちょっと歩けば壁が立ちはだかった。それが、今度は部屋や通路に変わっているのだ。
「おうち、大きくなってるね!」
言葉に表せない居心地の悪さをよそに、合流前にあちこち見て回ったらしいイリスがわくわくしながら覗き込む。客間であったり寝室であったりする部屋は真新しさが漂っていて、家財から立ち上る木の香りが人間にも判るほど濃い。
「『新築の匂い』ってやつかな」
「ふーん?」
「なんだよ」
面白いものを見つけたといわんばかりの笑みに問いかけるも、思考に耽っているのか返事はない。きゃっきゃと騒いでいたイリスも、大好きな兄の邪魔をしないように大人しく待っている。
それらを途切れさせたのは、またしてもあの声だった。
また飛ばされてしまいました。話の流れで場面転換が多くてすみません。
分かりやすいように気を付けますね。