第三話 本物の陽光・三人の笑顔
シリアス続きでしたが、ちょっとだけ息抜き回です。フォルトと一緒にハラハラされた皆様、一息ついて下さい。
イリスがここに来ている。その事実は俺をかなり打ちのめした。「何故、こんな意味が分からない世界に?」という理由追求よりも、幼い主人に起こりうる危険が脳内で目まぐるしく交錯する。
転んで怪我をしているのでは? どこかで動けなくなっていないか? それとも悪いやつに遭遇して――。
「す、すぐに探さないと」
「落ち着けよ」
「これが落ち着いてられるかっ」
あくまで小声だが、呆れた体のルーシュをはっきりと撥ね付けた。平生であれば、多少姿が見えなくてもここまでは焦らない。城はイリスの家であり、そこに住むのは優しい家族と仕える人間達だけだ。脅かす者は存在しない。
でも今は状況が違う。あらゆる恐れが脳裏で渦を巻き、精神を侵していくようで、募る苛立ちは隣に立つ主人の兄に向かった。
「お前はどうしてそんなに冷静なんだ」
「……」
ルーシュは答えず、感情の起伏のない視線を返すばかりだ。なぜそうも平然としていられるのか。
「ここがどこだかも分からないのに。イリス様が心配じゃないのかっ」
「お前さ。本当、馬鹿だな」
「っ!」
吐き出したいことを言い切ってしまってから、ようやく俺も相手の様子がいつもと違うことに気付いた。うざったい程にぺらぺらと喋る彼の口数が、やけに少ないことに。
「ぎゃあぎゃあ喚くな」
悪かったよ、とは口の中だけで呟いた。
妹を溺愛しているルーシュが、心配していないわけがない。外見以上に歳を重ねている分、不安を撒き散らした自分とは違って、思考を回転させる方に意識を集中しただけだ。
「んじゃ、探しに行くか」
「動き回って大丈夫か?」
ここが俺達の知る「城」でない限り、誰の所有物かも知れないというのに。ルーシュは顔だけをこちらに向けて、あっけらかんと言い放った。
「もう入ったんだから、歩き回ってもどうせ一緒だろ」
「なんだよ、その理屈」
膨れっ面を作りながらも、置いていかれて困るのはこちらだ。悶々と悩んでいても何も解決しないし、むしろ状況は悪化するばかりだろう。
俺は付いて行くことで同意を示した。
その建物は、「城」をもっと簡略化したような作りだった。見覚えのある通路に既視感を覚えた次の瞬間には、ないはずの場所で部屋に遭遇する。と思えば、次は突然階段に突き当たる。
「気味が悪いな」
記憶に時には重なり、時には裏切る景色に呻き、足元がぐらつくような気がして軽く頭を振った。壁に手をついてもたれかかると、ひんやりとした冷たさが伝わってくる。
「ま、気分の良い物じゃあ、ないな」
「良いどころか最悪だ。……ん?」
煉瓦壁に背中を預けていた俺は、ふいに体を反転させて耳をぴったりとくっつけてみる。
「どんなに頭を冷やしてもお前の馬鹿は治らないぞ」
からかってくるルーシュに口の動きだけで「アホっ」と言い、指で壁の向こうをさした。何かが壁を伝って聞こえてくるのだ。この感じは外、だろうか?
「……イリス様の声?」
「ふむ、外か。盲点だな」
別れた時の印象から、イリスはてっきり屋内にいると思い込んでいた。それに今、外は本当の陽光が照らす世界だ。長時間浴びては、吸血鬼である彼女の体にも良くない。一度は押し込めた不安が、また胸にじわりと広がり始めた。
「出口はどこだろう?」
二人は外へと通じる扉を探すことにした。
途中、ずっと奥へ奥へと進んできた弊害で意識を反対側へ向けてこなかったことを悔やんだが、壁伝いにしばらく歩いていると、扉が姿を現した。備え付けられた棚に靴がいくつか並べられているのを見ると、ここが玄関らしい。
「お前はここにいろよ」
「あぁ、任せる」
開けた先は快晴で、眩しさに目が眩む。嫌そうに顔を顰めているルーシュを扉の内側に残して、俺は一人で表へと踏み出した。
「俺は大丈夫だよな?」
疑問が頭を掠める。自分は人間だが、生まれてからずっと城で生きてきて、本物の日を浴びたことがなかった。きっと俺の親も、その親も、何世代も前からずっとずっとそうだったのだと思う。
だからこそ光の違いを感じられたわけだけれど、そんな生き物が急に日光に当たっても大丈夫なのだろうか? 眩んだ目が治まるまでの間、恐ろしい予感しか浮かんではこなかった。
しかし、二の足を踏んでいる場合ではない。自分以上にイリスが心配だ。
「イリス様、待っていて下さい。今すぐ助けに行きますからね!」
そう強く胸に誓い、拳を握りしめて外の世界へ駆け出すと。
「あっ」
座り込でいた小さな影が振り返った。頭まですっぽりと被っていた薄い布の隙間から、見慣れた銀髪がはみ出している。
「フォルト、おそいよぅ」
「……へっ?」
「おにごっこはイリスのかちだよね! えへへ」
ちらりと覗いた、兄に良く似た赤い瞳が自慢げに笑った。が、こちらには何の話だかさっぱり不明である。
「お、『鬼ごっこ』?」
互いの余程の温度差に呆気に取られていると、イリスはその小さなほっぺたをぷくっと膨らませた。まるで小さなリンゴみたいで、本人は怒っているのに可愛らしく見えてしまう。
「忘れちゃったの? イリスとおにごっこしてたでしょー」
「……そういえば」
不思議な場所に迷い込んだことと、主人の危機に頭がいっぱいで、すっかり失念していた。そもそもはイリスの遊び相手をしていたはずなのに、いつの間にやらこんな事態に陥ってしまったのだ。
「むうぅ」
忘れていたと知ると、イリスはさらに大きな赤い風船状態になってしまった。大事な主人の機嫌を損ねてしまうとは、従者失格だ。
「すみません。でも、心配したんですよ。イリス様、お怪我はありませんか?」
言ってしゃがみ込み、小さな体をぺたぺたと触ると、幼女は「くすぐったいよ」と笑顔になった。どうやら怪我はなさそうで一安心である。
「へーきだよ」
「外へ出られては危険です。さぁ、帰りましょう」
早く元の「城」へ戻る手段を探さなくては。俺はそこで初めて周囲を見回した。玄関前は次がむき出しになっているが、その周りは小さな草が生えた緑の土地だ。
そして、乾いた風が二人の間を心地よく吹き抜けていく。もっと遠くまで見通したい。そう思い、イリスの手を取って立ち上がろうとした時だった。
「まぁまぁ、そんなに急がなくても。ゆっくりしていってください」
「え……」
穏やかな声に引き止められてどきりとする。イリスの存在に意識を奪われて、他のことにまで気が回らなかったせいだ。
「フォルト、お友だちだよ」
「友達?」
声の主は、俺が駆け付けるまでイリスと話していた相手のものようだった。そっと立ち上がり、その人物をようやく認識する。
背丈は俺よりもやや低く、声は中性的だった。何より男女の見分けを付きかねさせていたのは、イリスと同じく頭から足先まで伸びたフード付の外套である。
かろうじて見える口元は艶やかに紅く縁取られており、目が吸い寄せられる。
「あなたは……」
問いかける途中で我に返る。従者として長年仕込まれてきて、自分の身を明かさずに何かをたずねる不躾さに気が付いたのだ。
「いえ、申し遅れました。私はこちらのイリス様にお仕えしております。フォルトと申します」
二度と見失わないように幼い手を強く握りながら、にこやかに名乗り、軽く一礼する。
「これはどうもご丁寧に。私はルデリアと言います」
名前まで判別しにくい響きだ。まぁ、女性らしい名の男性や、男性らしい名の女性など幾らでもいるだろう。咎める権利は誰にもない。
ルデリアは自己紹介をして、すっと手を差し出してきた。俺はイリスと繋いでいるのとは反対の手でそれを握る。
きゅっと握り返してきた手は透き通るように白く、病を連想させた。けれど、触れてみると心地よい暖かさがあり、生を実感させる柔らかさがあった。
「イリス様が大変お世話になったようで、お礼申し上げます」
イリスに危害を加えた様子はないし、それどころかしばらくの間面倒を見てくれたらしい。そんな相手に失礼な真似をするわけにもいかない。
ルデリアは離した手を軽く振り、「お世話だなんて」と口元だけで微笑む。その笑みはどこかで見た事があるような感じがした。
「いぃえ、たまたまお会いして、ほんのすこしお話をしただけです。ここには滅多にお客様がいらっしゃることはありませんから、大変楽しい時間でした」
「イリスねー、いっぱいおしゃべりしたんだよ」
「そうですか。よかったですね」
「うん!」
元気よく頷く様子に、無事で本当によかったと胸をなで下ろす。
その咲くような安堵感で気が抜けてしまいそうだったが、残念なことにまだ事態は収拾していない。弛みかけた気持ちを引き締めて俺は訊ねた。
「あの、どうやら迷ってしまったみたいで。申し訳ありませんが、ここがどこなのか教えて頂けませんか?」
いかにも怪しげな質問だ。それでも相手は親切に説明してくれた。ルデリアの話によると、ここはとある村の端らしく、確かに見下ろせば木々の向こうに長閑な集落らしき家々の影が広がっている。
「ここは高台なんですね」
四角いそれらはまるで積み木のオモチャのようで、軽くつまみ上げて遊べそうに見えた。今よりもっと幼かったイリスが、積木で生き物や家を作って遊んでいた頃を思い出し、口元が綻ぶ。
改めて振り返れば、自分が出てきた建物がはっきりと確認出来た。材質や色などが「城」に良く似てはいるものの、比べればずっと小さい「屋敷」がそこに建っていた。
「良い風が吹くでしょう?」
さわさわと聞こえるのは、高台に建つ屋敷と村との間にある林が立てる音で、涼しげな爽やかさを演出している。集落をぐるりと囲む山々で生まれた風が木々を擦り抜けて葉に囁きかけ、高台を抜けていくのだろう。
「えぇ、とても」
「きもちいいね」
ルデリアの口振りからして、屋敷はこの人物のもののようだった。規模も、その風貌も普通の村人とも思えない。こちらの経緯を訊ねもせず朗らかに笑っている様は、不思議な雰囲気を醸し出している。
このひとなら、荒唐無稽な話も笑わずに耳を傾けてくれるかもしれない。そう考えた俺が思い切って「実は」と口にした時だった。
「……アさま~。ルデリアさま~っ」
赤い可憐な花を連想させる、高い声が高台に届く。呼ばれたルデリアが顔を向けた方に視線を送ると、かごを腕から下げた子どもが手を振りながら坂をのぼってくるのが見えた。
「そんなに急ぐと転びますよ、レイテ」
最初は活発そうな少年に見えた。それが近付くにつれて、少女だと分かって驚く。
明るめの茶髪はばっさりと切られ、着ている衣服もつぎはぎのズボン姿で、これでもし帽子でも目深に被っていようものなら、完全に男の子だと思いこんでいただろう。
そばかすのある日に焼けた顔立ちは、目もぱっちりとした紛れもない少女のものであり、笑顔は太陽のように輝いていた。
下の村から来たのだろう。裕福さとは縁遠い出で立ちでありながら、影のない表情から毎日を楽しむ余裕を感じさせた。
「レイテ、良く来てくれましたね」
「はい、ルデリアさま!」
坂を駆け上がった荒い息のまま差し出した編みかごには、色とりどりの野菜と果物、ワインらしき赤い液体が揺れるビンなどの食料が詰まっている。ルデリアも笑顔で受け取り、少女の労をねぎらった。
「いつもいつも、ありがとうございます。皆さんにもよろしく伝えて下さいね」
「はい。かならず伝えます!」
レイテと呼ばれた少女は元気よく返事をして、用事があるからと手を振って坂を下りていく。背を向ける直前、俺達に頭を下げていくのも忘れない辺り、行儀の良さも身に付けていることが窺われた。
謎ばかりで何も解決していませんが、とにかくやっと辿り着いたほのぼの回でした。この雰囲気が続くといいな。
◆お知らせ:「騎士になりたかった魔法使い」第四部完結しました!