第二話 捜索と巻物とハンカチ
イリスを探して禁止区域をうろつくルーシュとフォルト。行き着いた先で見付けたそれは、見てはいけない物で……。
俺は緩やかな曲線を描く通路を見詰めた。作り物に過ぎないとしても、真昼の日差しは明り取りの窓から煌々と辺りを照らし出す。
二人は先程イリスが駆けていった方へと足を進め、とある扉の前で立ち止まった。かなり重厚そうで、決して来訪者を歓迎するムードではない。
「入るのは久しぶりだな」
開口一番、ルーシュが額に手をかざして言った。
「もしかして、時々黙って入ってるのか?」
「別に親の部屋だし。入ったって怒られないしな」
「親しき仲にも礼儀あり、だろ」
今まさに勝手に入ろうとしているのだ。俺の呟きには全く説得力がない。
目の前にあるのは兄妹の母である当主夫人の部屋であり、来る途中にはルーシュの自室もあった。が、本人がちらっと覗いて済ませてしまった。「居ればすぐに分かる」らしい。何か仕掛けでも施されているのか。
「失礼しまぁす……」
小声で断ってから入ると、奥方の部屋はさすがにルーシュのような怪しげな雰囲気はなかった。床には軽く沈むほど柔らかい絨毯が敷かれ、女性の部屋らしく化粧瓶が置かれた鏡台や洋服部屋らしいスペースも見受けられる。
一通り確認したが、イリスの姿はどこにもなかった。
「イリス様~、どこですか~」
部屋をそっと出て、通路の更に奥へと捜索を再開する。
次はいよいよ当主の執務室兼プライベートスペースだ。それぞれを別にしていないのは「城の構造上不便だから」らしいが、似たような扉を抜けて納得がいった。両方を備えても十分な空間が広がっていたのだ。
入ってまず目に飛び込んでくるのは、執務机とその背に並ぶ本棚である。視線を走らせれば棚は両脇にも設置されていて、辞書もあれば薄い書物もあり、整然と収められている。
「いないな」
奥は当主の自室だろう。繋がる扉を見やって溜息をついた。執務室に入ったのでさえ十二分に叱責ものなのに、奧の部屋にまで立ち入ることになろうとは。
吸血鬼の五感は人間よりずっと鋭い。下手に証拠隠滅をしてもバレてしまうに違いない。自分の首は明日も繋がっているのだろうか?
「おっ、この本は新しいな」
「おい、何やってるんだよ」
そんな緊張感が漲る俺とは逆に、呑気に棚を興味深そうに眺めるルーシュを呼びとめる。最近増えた書物を物色して、目ぼしいものがあれば持っていこうとしているらしい。
「こっちはどうやって言い訳しようかと、脳みそフル回転させてるってのに」
「考えるだけ無駄なんだから、やめとけやめとけ。ん?」
小さく上げた声と共に、ルーシュの視線が奥へと吸い寄せられた。つられてそちらに目を向けたが、ぴたりと閉じられた扉からは何も感じ取ることが出来なかった。
「何かあるのか?」
我が主の兄は一瞬、「分からないのか?」という表情を見せ、すぐに合点がいったように目を伏せた。
「そうだな。『人』だったな、お前は」
何を当たり前のことを。俺はむっとしたものの、次の言葉を静かに待った。下手に口を挟んで、要らぬ諍いで時間を無駄にしたくはない。
「何かが動いた気配がするな」
「イリス様か?」
超感覚の持ち主は軽く首を振って否と示す。確かに、外に比べて窓が少ないこの部屋で物体が動けば人間でも気が付くだろう。
「少し前に動いた痕跡のようなもんだ。物理的にじゃなく、な」
「理解できるように言ってくれ」
まるで「ここに人が居た」と鳴く犬みたいだ。けれど、これも口にはしなかった。言えば鼻で笑われて、後々まで散々ネタにされるに決まっている。
「行けば分かるだろ」
ルーシュは持ち去ろうとしていた本を一旦棚に戻し、すたすたと奥へ向かって歩き始めた。そのまま止める間もなくノブを回し、鍵もかかっていなかったそれはあっさりと開いた。
「風……?」
空気が頬を撫でた。いや、そんなことはありえない。
入ってきたドアはきちんと閉められており、明り取りの窓も密閉状態。たった今開かれた寝室も同様で、空気が抜ける隙間などどこにもなかった。それなのに、今度はふわりと前髪が靡いた。
「成程な。これか」
いずれ部屋を受け継ぐかもしれない彼は、ベッド脇の小ぶりのテーブルの前に立って何かを覗き込む。
「これって……」
後ろから覗き込んで、俺も言葉を途切らせた。テーブル上に広げられた長い巻物状の紙面に、つらつらと書かれていたのは、名前らしき言葉と関連を示す線。
「なぁ、おい。これって家系図じゃないのか?」
分かったのは、見覚えのある名が幾つか並んでいたからだ。
「歴代の当主に受け継がれる、従者達の記録か。俺も見るのは初めてだ」
ルーシュは厳かな手つきで巻物を持ち上げ、鋭く尖った指先で先を辿り始めた。紙は分厚く上質で、更に布に貼り付けられた状態で包まれており、一見してとても長そうだ。
「ほら、お前の名前もあるぞ」
「あ、本当だ」
良く見れば、自分の名前だけでなく、一緒に働く同僚の名も書かれている。そして密接に繋がれた線によれば、思っていた以上に自分とあの者は近い親戚だったのか、と驚きの事実なども記載されていた。
「あのさ。俺、見たらまずいんじゃないのか」
実は先ほどから背中に汗をびっしょりかいている。恐る恐る呟くと、その様子にルーシュは噴き出した。
「ほんっと、今更だな」
「笑うなよ。こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだぞ!」
たとえるなら、一兵卒が軍事機密を盗み見るようなものか。胸は絶えずドクドクと脈打っていた。恐らくそれもルーシュには聞こえているだろう。
「ま、いざとなったら多少はかばってやるよ。面白いものも見たしな」
「あっ」
ルーシュの指先が触れたのか、はらりと巻物が波打つ。巻かれた部分が地面に落ち、転がるようにして地面を這った。しゅるしゅるしゅる……衣擦れが部屋を満たす。
その音を前に動けないでいると、やがて巻かれた紙のもっとも奥が現れた。目を奪われずにはいられない。家系図の奥には、吸血鬼に仕えてきた一族の根源、最初の人間の名前があるはずだからだ。
『!?』
しかし、開ききったと思った途端、目の眩むような激しい光が巻物から発せられ、二人を包んだ。
随分と長い間、腕で顔を覆っていた気がした。やがて、目蓋を閉じていても瞳が焼かれそうな光の洪水がおさまると、二人はゆっくりと周囲を眺め直した。
「なんだったんだ、今の……」
別段、部屋に変わったところはないように思える。どんな仕掛けが施されていたかは知らないが、今のところは巻物が光っただけに過ぎないようだ。きっと、盗まれないための防犯装置か何かだろう。
ところが、ルーシュの意見は違っていた。口の端を笑みの形に押し上げて、なにやら楽しげである。
「すこーしばかり、面白いことになってるみたいだな」
「面白い?」
「さっきとは匂いが違うんだよ」
彼はまたしても「わからないのか」と視線で問いかけてきたが、鼻で空気を吸い込んでも些細な匂いの違いなど判らない。むっとして「俺は犬じゃない」と吐き捨てた。
「とすると、あっちか」
「おい待てよっ」
流れる動きで隣の執務室へ戻るルーシュを追う。こんな場所に一人で残されてはたまらない。けれども、出入り口で思わず足が止まってしまった。
「どうなってるんだ……!?」
頭がおかしくなってしまったのかと思った。もしくは、まだ先ほどの光に目がやられて、変に見えているのだろうか? 何故なら、執務室があった場所は大きく様変わりしていたからだ。
まず、どんと鎮座していた机がない。代わりに二人掛けの丸テーブルが置かれ、たった一つ、ワイングラスが乗っている。底には濃い紫の液体が残っていて、今まさに飲まれたばかりのように見えた。
「これで頭の悪いお前でも分かっただろ?」
ぐるりと部屋の内周を囲んでいた書棚も消え去り、グラスや食器が美しく並んだ硝子棚へと変貌している。
「分かるか。一体、何が起きてるんだよ」
「考えられる結論は一つ。ここは、親父の部屋じゃないってことだ」
「何だって?」
ルーシュが用心しながらカーテンを開くと、シャッと音がして室内に陽がさした。暗がりでは確認できなかった細部までが照らし出され、磨き上げられたグラスがぴかぴかと輝く。
そっとその光に手のひらで触れ、俺は愕然とした。
「なぁ、これ!」
普段、空に浮かぶ吸血鬼の城は、彼らが編み出した術による作り物の光を受けている。何故そんなことをする必要があるのかは、考えるまでもない。闇の生き物は太陽の光を浴びることが許されないからだ。
「これ、本物の光だろ!」
はっとして顔を向けると、ルーシュは光を避けるように部屋の隅に佇んでいた。直に浴びなくても良い気分はしないのか、眉根に皺が寄っている。
「どういうことだよ。ここはど……っ」
今更ではあるが、声を荒げそうになる口を自分の手で押さえた。ここが当主の執務室でないとすれば、騒ぐのはより一層得策ではない。
ルーシュは再び厚いカーテンを閉めると、廊下へ続く扉を薄く開いて外を覗き見た。その背中越しに窺おうとした俺は、床にあるものを見つける。
「見ろ!」
ドアのすぐ傍に落ちていたのは、レースで飾られた淡いピンク色のハンカチだった。吸い寄せられるように柔らかいそれを拾うと、ほんのりと花の香りが鼻孔をくすぐる。
「ん、匂いがすると思ったらそれか。もしかして?」
察したルーシュに、立ち尽くしたまま頷いた。
「あぁ、イリス様のものだ」
迷い込んだ、似て非なる世界。イリスはどこへ?