幼女に仕える教育係・後編
ルフィニアは凄まじい轟音と共に気を失ってしまう。再び目を覚ますと、そこにあったものは大きな大きな。
「きゃっ!?」
次に気が付くと視界は真っ白で、ひやりとした冷たさが体をあらゆる方向から刺してきた。驚いて上体を起こすと、はらはら音を立てて白くて冷たい何かが頭や背中から落ちて、地上に顔を出すことが出来た。
「……ここは外? これ、雪なの?」
慌てて立ち上がってから、建物の古びた壁伝いに手を這わす。何処にも怪我はないようだったが、体の雪を払い除けて城を見上げ、わいてきた実感にぞっとする。
自分は落ちたのだ。あんなに高い場所から落ちて、よく無事でいられたものだと思う。
「そ、そういえばイリス様は!?」
まさか同じように吹き飛ばされたのでは。周囲を見回すも、それらしき影や雪の盛り上がりはない。
立ち尽していても仕方ないだろう。今度は壁に沿って塔を進む。朝には降っていた雪はかなり積もっており、ヒールの高い靴では穴を穿つばかりで歩きにくい。
それでもなんとか入口を見付けて建物の中へ滑り入り、息を切らせて階段を上る。肩を上下させつつも元の部屋へ辿り着いてみると、扉は何事も無かったかのようにそこにあり、部屋はひっそりと佇んでいた。
また変な夢でも見たのか。しかしすぐさま否と思い直す。冷え切った体のあちこちがちくちくと痛む、その痛みが夢でないことの証明だ。
一体、あの凄まじい轟音と衝撃は何だったのだろう。扉を二度ノックしても返事がないことを確かめると、思い切って開いた。
「な……」
白白白、完全なる白の世界。扉の向こうは塔の外と同じだった。
私はしばらく、その景色を呆然と眺めることしかできなかった。くるりと背を向けて扉を後ろ手に締めると、やがて異常事態を前に我に返り、声の限り主の名を叫んだ。
「イリス様! イリス様いらっしゃいますか? お怪我はありませんか!?」
大人が弾き飛ばされる程の威力に、幼女が耐えられるはずがない。もし体が冷え切ってしまっていたら、雪の重みに押しつぶされていたら――。
「ルフィニア~、楽しいよ~!」
「……はい?」
返事は、雪の壁を通してくぐもってはいたものの、比較的はっきりと聞こえてきた。
「ゆきがいっぱいだよ!」
「……」
何なのだ、この陽気で緊張感のない展開は。イリスの声はカン高く、とても何処かに怪我を負って窮地に陥っているようには聞こえない。
「お、教育係の姐さんか。こっち来いよ!」
「行けるかぁっ!!」
条件反射のツッコミだった。その声が大嫌いなくそが……もとい、悪戯小僧の吸血鬼クシルのものであることに気付いた途端、私の中で何かがぷつりと切れた。
「姐さんって呼ばないで! じゃなくて何ですか、コレはっ!?」
『雪だるま!』
「ハモらなくていい!」
すると今度は、「ごめんなさい」とクシルの姉・ミルラが謝る声がする。
「弟がまたお騒がせして……はわわ」
本人を見なくても、私には子ども二人の周りをオロオロと歩き回る色白の女性の姿が目に浮かんだ。溜め息が出る。
ご覧の通り、姉としての威厳など皆無のミルラは、こうしていつもいつも弟のしでかす悪戯に頭を悩ませている。
「またこのパターンか」
美しい容姿と控えめな態度から一部にファンを作っているようだが、何事も白黒付けないとすっきりしない性質の自分にはまどろっこしく思えてしまう。弟なのだから、なんとかして欲しいものだ。
今度も一応「ミルラ様。クシル様とこの雪だるまをなんとかして下さい」と頼んではみたものの、返答は予想通り「そんなこと言われても、私には……」だった。
むぅ、やはり駄目か。期待はしてなかったけど! 小さく舌打ちしながら、足に力を込める。私にだってプロとしてのプライドがある。主人のためなら迷う必要があろうか。こうなったら突撃あるのみだ。
「とりゃあああああっ!」
床を蹴り、その勢いで雪だるまへ突進していく。どれだけ大きかろうと雪は雪だ。砕けないはずはない。視界が再び真っ白になり、デジャヴが脳裏に過ぎる、までもなく。
げしっ!! 何か重いものが自分を押し戻そうとする感覚に呆気に取られた刹那、どどっと音を立てて体が斜め向こうの壁に叩き付けられた。鈍く背中が痛む。
「痛た……」
何? もしかして、雪だるまが動いた? まさかそんな馬鹿な。
しかし、幸か不幸か飛ばされた先は室内だった。そこにはピョンピョン跳び跳ねる幼女イリスがいて、隣にクリーム色の髪をした姉弟の姿もある。
気が強そうな少年がクシル、対照的に所在無げに瞳を揺らす女性がミルラだ。どちらも吸血鬼の証である濃い色のマントを羽織っている。
「イリス様!」
「雪だるまは可動式なんだぜ。な、凄いだろ!」
「わーい、もっとうごかして~」
はたしてその「まさか」だったとは。怪しげな術かカラクリかは知らないが、困ったものを持ち込んでくれたものだ。
あの小僧いつか絶対にぶっ飛ばす! 喉元まで出かかった罵詈雑言を無理矢理呑み込む。ムカムカするほど腹は立ったが、解ったこともある。
このままここにいるのは、とてつもなくヤバイという現実だ。あの雪だるま型兵器をなんとかして、一刻も早くイリスと共に脱出しなければ。
「あらあら、クシル。その、ちょっと、危ないんじゃ」
駄目だ、ミルラは役立たず以外の何者でもない。いっそクシル以上の憎々しさを感じながら、まずは敵の動きを観察しようとした。それがまずかった。
「行け、正義の鉄槌~!」
クシルが高らかに命じ、雪だるまから白くて固そうな足やら手やらがにゅにゅっと飛び出してこちらに襲いかかってくるのが、妙にスローで見えた。
成す術のない私が思う事はただ一つ「誰が正義だ、この悪魔」だ。どうするどうする、いや、逃げる以外に選択肢などない!
半ベソをかきながら駆け、扉に縋り付く。慌てると滑ってしまい、なかなか開かないそれを何とか開くと、勢いを落とさず外へ踊り出た。
「助けてぇっっ!!」
――扉は開ききる前に、向こう側にいたらしいフォルトの顔面に直撃したのだった。
「で、どうする?」
「……どうする、と言われても」
その後の展開も怒涛だった。
私がパニックを起こし、クシルへの怒りでフォルトが大暴走し、女装男子の先輩シリアが拳の一撃によって沈めた。他に説明のしようがないのだが、改めて列挙すると意味不明の極みだ。
ただ、問題のクシルと雪だるまが消えたわけではない。雪で出来ているとは到底思えない動きと大きさに、いよいよ私達が手も足も出ない状況へと追い込まれた時だった。
「クシル様!」
女性のものと思われる、相手を責めるような鋭い叫びが響いた。音量は凄まじく、びりびりと建物までが恐れをなして震えたようだった。
鬼が、いや、神が来たと思った。絶賛気絶中の同僚を抱えた私とシリアは待ち望んだ時の訪れを感じ、ゆっくりと振り返る。
「また、やりましたね? ……悪戯を」
今度は大声でもないのに地響きの如き重低音が地面を這い伝う。
ガツンガツンという足音が加わり、階段を上りきった黒髪の女性が仁王立ちした。私達とは黒の色合いは同じでもデザインが違う制服に短いスカート、そして丈の高いブーツを履いている。
「え、エカティナっ?」
今までの威勢が嘘のように、余裕たっぷりだったクシルは明らかに慌てふためいてその女性を呼んだ。
「何で、何でお前が居るんだよ!? 今日は用事で来られないって言ってただろ!」
エカティナと呼ばれた若い女性は、クシルの世話係兼教育係にあたる人物だ。黒髪をきゅっとまとめた可愛らしい外見からは想像もつかない威圧感を、全身から漲らせる彼女の数々の噂話を思い出す。
物心つく前から周囲の手に負えない悪戯ばかりするクシルは、これまで何人もの従者を振り回しては追い返し続けてきたと言う。そんな困った子に最後にあてがわれたのがエカティナだったとか。
「悪戯小僧には、お仕置きですね?」
従者としては珍しい足を強調したコスチュームは、機動性を重視した結果だと聞いた。エカティナは紫の瞳に怒りを浮かべ、ゆっくりと雪だるまと対峙した。
「いつもすみません。ウチの馬鹿ガキがご迷惑をおかけしまして」
「えっ、あの……ご丁寧にどうも」
途中、こちらに軽く頭を下げるのも忘れないあたりは従者の鏡だが、中身はびっくりするセリフである。返事が妙な調子になるのは仕方がないだろう。
見る限り、サスファよりやや年上くらいだろうか。見習いの彼女と明らかに違うのは、確固たる信念を持った眼差しと、有無を言わせない雰囲気だ。
「これはイリスへのお土産で……な、なぁ、イリス?」
「うん。楽しかったよ~!」
クシルの必死の言い訳は逆効果だった。静かな怒りが彼女の全身を湯気の如く立ち上っていくのが分かる。そうして、すらりと長く美しい片足が上げられ、雪だるまめがけて繰り出された。
「いたいけな、純真なイリス様になんてことをっ!!」
どぱあっ! 「全てを粉砕する」と評判の蹴りは噂以上で、雪だるまを一撃で打破したかと思えば、首謀者クシルをあっけなく引っ捕らえて去っていった。
「それでは急ぎますので。失礼いたします」
「やだ、やだやだやだ帰らない! ……ヒッ!?」
猫掴みよろしく持ち上げられた小僧は、エカティナの一睨みで硬直した。帰ってから起こるであろう「おしおき」に、心の底から恐怖してガタガタと震えていた。
二人の後ろをミルラがいそいそと付いていく。自分の弟さえ止められない気弱な彼女のことだ、エカティナの仕置きもきっとオロオロしながら眺めることだろう。
「……はっ」
我々もずっとぼんやりしているわけにはいかない。一応の客人である三人の見送りのためにシリアが追随するのを見届けた後は、伸びてしまったフォルトを尻目に、部屋の片付けに取り組む羽目になった。
「雪だるま、すごかったねー。フォルト、見られなくて残念だったねー」
「そうですね」
たらいに雪を詰めては窓の外に捨て、濡れてしまった布類を纏めて洗濯に出し、壊れた壁の修理を手配する。溶けかけた雪のカケラを冷え切った指先でつまみながら溜息を付く。
けれど、こんな気の滅入る作業をイリスは楽しんでいるようだった。普段、自分で掃除をしない幼女にとっては、これも遊びの一つみたいで面白かったのだろう。その笑顔がせめてもの救いだった。
「イリスね、今日フォルトと雪だるま作ったんだぁ」
「それは良かったですね」
「うん。ルフィニアもみてね!」
「はい。是非」
正直、しばらく雪だるまは見たくないと心の中だけで思いつつも、私はイリスに微笑み返した。
終
フォルト視点では書かれていなかった点をメインにしてみました。
個人的に好きなのは、やっと登場させられたエカティナです。彼女の最強伝説をいつか書きたいです。
イリスの食事係のお姉さんもほんわかタイプで書いていて楽しかったです。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
次回は再び閑話を1つ挟み、第二部に入ります。