第5話「重曹対魔素」
家を買った。
と言っても、日本にではない。異世界にだ。
異世界で商売していると、どうしても移動が多くなる。最近は持ち込む商材も増えている。そんなとき、気軽に使えるマイスペースがないと困っていたのだ。それに、いざ奴隷を迎える時、居場所がないじゃどうしようもないからな。
「うん、値段にしてはでかい家だな!」
目の前には、東京の平均的な一軒家よりもかなり大きな家がある。異世界のこの街でも、この家は大きい部類に入るだろう。そんな物件が安く手に入る機会に恵まれたのだ。飛びつかないわけがない。
「まったく、なんで私がこんなことに付き合わねばならんのだ」
俺の隣で魔法使いちゃんがぼやいた。彼女は俺の純水をよく買ってくれる上客だ。
「いやー、契約に街の人の紹介が必要だって言うからさ」
「私じゃなくてもいいだろう」
「俺、あんた以外に知り合いって言えるほどの人がいないんだよ。それに、ほら。あんたとは共犯みたいなもんだから」
「き、共犯? 全く、何の話やら」
とぼけやがって……”人形薬”とやらで、魔導院の人間を操り人形にしようとしてるのは知ってるぞ。なに口笛吹いて誤魔化してんだ。全然吹けてないぞ。
「さて、ここからがお楽しみだ」
俺は夢のマイホームの扉に手を掛けた。
「ん……? もしかして、まだ中を見ていないのか?」
「ああ。とにかく早く契約できるなら、って条件だったからな。それで金貨百枚は破格の条件だろ。……どうした? 帰らないのか?」
「……せっかくだから、もう少し付き合ってやろう」
なんだ? 変な奴だな。
まあいいか。ほら、感動のご対面だ――
「おお、中も広いな」
開けてみると、外見通り中も広いようだった。
「しかも家具付きだ」
古そうに見えるが、大概のものが揃っているようだった。
……っていうか、これ、結構いい家具なんじゃないか? この珍しい装飾、醸し出されるアンティーク感……日本で売れそうな気がする。
「ウッ!!」
しかしなぜか、魔法使いちゃんは家に入った途端、顔をしかめた。
「どうしたんだよ」
「じ、尋常でない魔素を感じる……!! 鼻が曲がりそうだ」
「? そうかあ? 俺には全然わかんねーけど」
匂いも何も感じない。
「な、なんという鈍感さ……!! 私にはこの家に住むなんて、耐えられそうにない」
「別に無理してついてこなくていいよ。住むのも俺なんだし」
だが、魔法使いちゃんは家を出ようとはしなかった。鼻を抑えながら後ろをついてくる。
……まあ、そっちがついてくるなら止めないけど。
「ここが寝室……ね。ベッドのシーツは変えたいな」
「ほ、本当に寝るのか? ここで?」
「まあ、たまに寝るだろうな。常にこっちにいるわけじゃないけど……あんたも泊っていいよ」
にやけながら言ってみた。睨まれた。
「うーん……風呂はないのかぁ。日本人の俺としては、風呂は欠かしたくねえなぁ。まあ、この世界だと、風呂がついてる家の方が珍しいんだろうけど」
「風呂なんてたまに入ればいいだろ」
「ええー? 女の子がそんなこと言っちゃうう?」
やっぱり外国人……もとい異世界人って風呂にあんまり入らないんだな。別段臭くないのは気候のせいか。とはいえ、俺は風呂は欲しい。なんとか改造して風呂を作ってみるか……異世界DIYだな。
順調に内見が終わっていく。残りはキッチンだ。
俺はあんまり料理しないけど……ちゃんと全部見とかないとな。
そして、キッチンの扉を開いた時。
異変は起こった。
「え。なにこれ」
壁が黒い。気味の悪い汚れのようなものが部屋中にこびりついている。
「……こ、これは!!」
魔法使いちゃんが目を見開く。
なになに。何なの。一体全体この黒いのは何。
「見ろ、上だ!!」
魔法使いちゃんが指さす。
俺の目がそれを追いかける。
そこに、それはあった。
「な、なんじゃこりゃ……」
触手の怪物、のように見えた。
それが天井一杯に広がっていた。
しかも、動く。動いて、俺の方に触手を伸ばしてきた。
「ウギャ――――ッッ!!」
必死に払いのける俺。
そしたら、触手は魔法使いちゃんの方に行った。
「!? や、やだあ!? 助けてえ!!」
触手が魔法使いちゃんの腕に絡む。
彼女は俺の腕に縋りついてきた。
「くっ!!」
懐に忍ばせておいたホーチョー・ソードを抜く。
スパリと触手が断ち切られる。
「ス、スライムの変種だ!! あの壁の黒いのは、魔素の塊だ!! それを栄養源にして、この家に巣食っているんだ!!」
「なにいい!?」
「わ、私が炎の魔法で焼き払って……!!」
「わ――!! やめろやめろ!! 俺の家が燃えちまう!!」
わちゃわちゃと触手を避ける俺と魔法使いちゃん。
触手はさらに勢いを増し、壁の隙間から新たな触腕を伸ばしてきた。
触腕のあちこちから煙が噴き出る。まるで腐海の瘴気だ。
「わーん!! わ、私もう帰るう!!」
「く、くそ!! 一旦、引くしかねえか!!」
尻餅をついた魔法使いちゃんを抱え上げ、家の中を駆け抜ける。
俺たちは何とか家を脱出できた。
一息ついた後、俺は地面に手を付いて愕然とした。
「そ、そんな……これじゃ、家に住むことなんてできねえ……」
「とんだ物件を買わされたな。だから販売者は契約を急がせたんだろう。中を見られないようにな」
「くそ、あいつめ……!! 騙しやがったな……!?」
「ちゃんと調べなかったのが悪かったとも言えるだろう。中の異変も含めての値段なんだからな」
「……」
正論だ。それだけに堪える。
この世界にクーリングオフ制度はない。買ったものが間抜けなのだ。そしてその間抜けは、俺だ。
これは戒めだ。商売においては、たとえどんな相手であっても油断してはいけない――
「……」
「ど、どうした? 落ち込んでるのか?」
「……」
「そ、そう気を落とすな。また良い物件も見つかるさ。なんだったら、ちょっとくらい私の家に荷物を置いてもいい――」
俺はガバッ、と立ち上がった。
魔法使いちゃんが目を丸くする。
「……このまま引き下がって、たまるかああ!!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「帰ってきたぜ」
扉を蹴破るように開ける。
触手共が、俺の姿を見てうろたえたように震えた。
頭部は、プロテクトグラスにマスク。さらに体全体をワー〇マンで買ってきた防護服で覆っている。おまけに足は防水シューズカバーを付けている。
一ミリの隙も無い完全装備だ。
「だ、大丈夫なのか!? マサル!!」
魔法使いちゃんが台所から離れたところで俺を見守る。
「任せておけ」
触腕がいくつも伸び、あちこちから瘴気を噴き出してくる。
「効かねえ」
全く問題にもならない。
俺は瘴気を意に介することなく、キッチンを進んだ。
瘴気が効かないことを見てとるや、触手が俺に向かって伸びてきた。
「しゃらくせえ!!」
俺は無造作に触手を掴んだ。
ゴム手袋にはあらかじめある液体が塗布してある。
触れた途端、触手はボロボロとちぎれとんだ。
「やはりな」
マスクの下で、ニヤリとほくそ笑む。
俺の目論見は当たっていた。
そして、これが、俺が用意した最終兵器だ。
「覚悟しやがれ」
俺は腰だめに銃口を構えた。
手にしたのは、秒間100ccを発射する電動ウォーターガン。容量を増やしたダブルタンク付きだ。
中身は日本でしこたま作ってきた液体だ。
それは――
「食らいやがれ!! 重曹&酢のパワーを!!」
電動ウォーターガンが唸る。
凄まじい勢いで液体が魔素スライムに襲い掛かった。
声にならないスライムの悲鳴が聞こえる。
液体が当たった瞬間、はじけ飛ぶ触手。
逃げ惑うスライムの本体。
重曹は効果抜群だった。
「ふはははははは!! 口ほどにもないな!!」
「マサル!? す、すごい……スライムが手も足も出ていない!!」
覗き込みながら感嘆の声を上げる魔法使いちゃん。
おもちゃの銃を片手に、魔素スライムを蹂躙する俺。
戦況は一方的となった。
「ふっ……あらかた片付いたな」
俺の眼下には、重曹を浴びてピクピクと痙攣するスライムたちがいる。
だが、これだけでは終わらない。こいつらは壁にこびりついた魔素を栄養にして生きているのだ。このまま魔素を放置すれば、またいつの日か復活しかねない。カビのように。
「これが俺の奥の手だ!!」
「ああっ!? それは!?」
ジャキーン。構えたときにそんな音が聞こえた気がした。
俺が手にしたのはメラミンスポンジ。取っ手付き。
「うらうらうらうらあ!!」
「す、すごい! 擦っただけで魔素が消えていく……!!」
一擦りするだけで、魔素が面白いように取れる。
あっという間に魔素は駆逐された。
「あとはリ〇ッシュを吹きかけて……と」
最後の最後、仕上げまで念入りにやる。
俺が純水を飲みながら一息つくころ、そこにはピカピカになったキッチンがあった。
「やったぜ! これでもう憂いはねえ! 堂々とこの家に住めるな!」
「すごい……まさかあれだけの魔素を消してしまうとは。もう、私の鼻にもほとんど魔素は感じられない」
「そうだろうそうだろう」
よし、後は荷物を搬入して、奴隷ちゃんを迎えるだけだな!
俺が腰に手を当てて仁王立ちしていると、横から魔法使いちゃんにツンツンと突かれた。
「マ、マサル。うちもちょっとやってほしいな~……お礼は弾むからさ」
「あ?」
俺は後日、魔法使いちゃんの家の掃除をした。
彼女には大層感謝され、たくさんの金貨を貰った。
そのお金で大工を呼んで新たに一室設け、風呂場とした。
シャワーとかは魔法使いちゃんに相談したら、魔法でそれっぽいものが出来た。
もう何も言うことはない。これこそが俺の夢のマイホームだ。