第30話「一人ぼっちの戦争」
家に戻り、水を飲む。
ちっとも喉が潤った気がしなかった。
街の喧騒がまるで他人事のように聞こえる。
呆然と立ち尽くす俺に、マナとセアーラさんは逃げる準備を進めていた。
俺は何度もセアーラさんと魔法使いちゃんに縋った。
だが、彼女たちは頑として譲らなかった。
挙句に、俺にも逃げるように何度も説得された。
そうして俺達は、逃げる準備をしている。
店を捨てて。
「あらかた、必要なものは持ち出したな」
呆然とする俺に、セアーラさんがほぼすべての作業を取り仕切って、逃げる準備は整った。
彼女が俺に語り掛ける。
「……店を始めるにあたって、大事なものも詰め込んだ。これだけあれば、新たに出発することもできるはずだ。マサル、いいな?」
「……ああ」
彼女は正しい。命より大事なものなどない。
だが、俺にはもう一つ不安があった。
この世界と、日本を繋ぐ異世界の扉。
この街が滅べば、あの扉はどうなるのか。
もう二度と、くぐることは出来ないのか。
その場合、俺はどっちにいるのか。
向こうに戻れば、俺は助かるだろう。
あの扉は俺以外には見ることが出来ない。魔王軍が入り込むこともあるまい。
だが、もはやその選択肢はない。
俺はマナやセアーラさんや、魔法使いちゃんを見捨てることが出来ない。
もはや彼女たちに分かちがたいものを感じている。
日本での生活を捨てでも、俺はこっちに残る。
そうなると、異世界での商売の基盤を失うが……
命には代えられない。俺は別の商売を考えなければならないだろう。
そんなことを、竜車へと向かう間、ずっと考えていた。
マナに手を引かれながら、セアーラさんの後を付いて行く。
「皆さん! 竜車は大変混雑しております! 出発できるようになるまで、今しばらくお待ちください!」
竜車の支配人が叫んでいた。
それに対して、周りから悲鳴のような声が上がる。
乗りたくても乗れない人がたくさんいるのだ。
「チッ……! 流石に、足が足りないか……!! 魔王軍が来るまでに、間に合えばいいが……」
セアーラさんが苦々しく言った。
俺は、何気なく竜車の方を見た。
その中に、ある人物を見つける。
彼は列に並ぶことなく、悠々と竜車に乗りこんだ。
「あ、あいつ……あの、奴隷商……!!」
マナを売っていた奴隷商。
ヤツは金持ちだ。おそらく、袖の下でも渡し、優先的に竜車に乗り込んでいるのだろう。
こんな時にも、忌々しいヤツだ。
その時、俺はハッとした。
「あ、あいつがここにいるってことは……!」
嫌な予感がした。
「あっ、マサル!!」
俺は駆け出し、街の端にある薄暗い通りへと向かった。
そこに、いた。
首輪に繋がれた、獣人たちが……
彼らは一様に生気のない顔をしていた。
「マサル……」
「ご主人様……」
俺に追いついたセアーラさん達が俺に呟く。
「……なあ、彼らはどうなるんだ」
誰にともなく、聞いた。
「魔物たちに殺されるだろうな。一人残らず」
セアーラさんが答えた。
「彼らを連れて、逃げられないかな……?」
「……無理だな。こいつらは幼いし、栄養も足りていない。確実に足手まといになる。追いつかれ、俺達も殺されるだろう」
「……セアーラさん、やっぱり、戦うのって、ない……?」
彼女は答えなかった
答えなくとも、わかった。
「セアーラさん、マナを、お願い……俺はもう少し、街でやることがあるから……」
「マサル!」
俺は魔法使いちゃんの家に向かった。
戸を叩こうとして、彼女が出て来るところに出くわした。
「マサル。どうした、まだ逃げないのか」
「……頼みがある」
俺は彼女に跪いた。
必死に助けを請うた。
どうにか、彼らを連れていく方法はないか。
彼女の答えは、一言だった。
「無理だな」
「……」
握りしめる手に力が入る。
汗が額から落ち、地面に染みを作った。
「……まさか、まだ戦う気か? マサル」
「……お前が、力になってくれれば……」
「私はそれほど強くはない。それに、私は自分の命が一番大切だと思っている。自らを犠牲にしてまで、他人を助けようとは思わない」
「……そうか」
「マサル。君も、そういう人間じゃないか? 私と似て、お前はドライな方だと思っていた。彼らを助けようなんて、らしくないんじゃないか?」
「……かもな」
「変わったな、マサル。お前のそういうところ、私は嫌いじゃなかった」
彼女が俺の横を通り過ぎようとする。
俺に彼女を止めることは出来ないだろう。
だが、最後に……一つだけ、彼女に聞いておきたいことがあった。
「なあ、お前……なんて名前なんだ? 教えてくれよ」
今まで、なんとなく「お前」で通してきた。それが癖になると、名前を聞くのがどうしても気恥ずかしくなってしまった。
だが、今はどうしようもなく名前が知りたかった。
「……生きてまた会うことが出来たら、教えてやろう」
彼女は俺の元から去っていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
俺は一人、東京の街を歩いてる。
ありったけの金を手に、方々を歩いて回った。
両手が重い。背中が重い。
ありったけ。持てるだけ、有効そうなものを持っていた。
以前実験で威力を確かめた物、使えば強力であろう物……
必死に、歯を食いしばって運んだ。
今まで、問題を後回しにしていたことに後悔を憶える。
もっとこっちの世界のことを、早めに知らせていれば……彼女の答えは違ったかもしれない。こんな苦労をしなくてよかったかもしれない。
だが、全ては過去の事だ。
今は出来ることに集中する。
そう。俺にできること、全て。ありったけを使って、やってやる。
異世界の扉をくぐる。
もう、再びここを通ることはないかもしれない。
戻ってきた時、街はしんとしていた。
誰もいないという訳ではない。
道で項垂れている者、酒を飲んでいる者……
恐らく、逃げることが叶わなかった者……あるいは、この街を捨てることができず、残った者もいるかもしれない。
マナ達は、逃げることが出来ただろうか……
一人で、準備を進める。
恐らく最前線となるであろう場所に、仕掛けていく。
俺は戦士ではない。商人だ。道具で戦うのだ。
拙いながらも、俺は戦ってきた。
中にはドラゴンや、トロル、強化獣人といった手ごわい相手もいた。
俺の攻撃は、奴らに通じた。
だったら、魔王軍にも一矢報いることは出来るかもしれない。
毛ほどの希望だが、それを力の源にして、懸命に作業を進めた。
夜が明ける頃、一通りの仕掛けは終わった。
街の入り口に座り込み、地平線の彼方を見つめる。
空との境目が、僅かに黒く蠢いた。




