第26話「一撃」
「遅いな……セバスのヤツ」
レギン侯爵が苛立ちを露に、床を踏み鳴らす。
焦れているのは、ボクも同じだった。
ボクに魔印を施そうとした魔法使い。ヤツが恐ろしい力を持っていることはわかる。
ご主人様……どうか、無事でいて……
その時、ぞっとする感覚が背筋を駆け抜けた。
レギン侯爵がボクを見ている。その視線に、怖気を感じずにいられなかった。
「……そうだ。どうせなら、意思が書き換えられる前に楽しむというのもいいかもな」
「……え?」
彼が立ち上がり、ボクに近づいてくる。
その手が、ボクの頬をいやらしく撫でる。
「や、やだ……!!」
「ふふ、いいぞ。どうせなら、思いっきり声を出すがいい。その方が興が乗るというものだ」
「……うぅ」
ボクは声を出すのをやめた。
嫌だ。コイツを喜ばせたくなんかない。
だが、ボクが声を上げるのをやめると……侯爵の笑みは更に邪悪さを増した。
わかっている。結局コイツは、ボクが抗う様子を見て楽しんでいるだけなのだ。だから、必死に声を押し殺すボクを見て喜ぶ。
涙がとめどなく溢れてくる。
こんな、こんな奴に……
ごめんね、ご主人様……
侯爵がボクの服に手を掛ける。
その手が、勢いよくボクの服を引き裂こうとした時。
扉が勢いよく開け放たれた。
伯爵の手が止まる。
視線が扉に集まる。
そこに、その人はいた。
「ご、ご主人様!!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
激情が全身を渦巻いていた。
警棒を握りしめる手に力が入る。
「……マナに触るんじゃねえよ、クソ野郎」
地の底から響き渡るような声で、男に告げた。
「し、商人!? なぜここに!? セバスはどうした!?」
「あいつなら、俺の一番頼りになる仲間が相手してくれてるぜ。もう倒されてるころじゃねえか?」
「バ、バカな……魔導院の術師が在野の人間に負けることなど……」
「さあ、今度はてめえの番だぜ。見たところ、てめえは武器も持ってねえし、魔法も使えないようだな……お前なら、この俺でも好きなだけいたぶれる」
ゆっくりと男に近づく。
男は怯えるように後ずさりした。
「ま、待て。彼女は返す。金も渡そう。だ、だから命だけは……」
……こいつ、腐ってやがる。
マナを返すのは当然だが……金だと? 俺がそんなもので納得すると思うのか?
最初はぶっ殺してやろうかと思ったが……コイツの言葉で、却って冷静になれた。こんな奴、俺が手を下す価値がない。
警棒でぶん殴った後、セアーラさんのアニキに突き出してやる。
「歯ぁ、食いしばりやがれ」
警棒をゆっくりと振りかぶる。
「ひぃぃ、や、止めてくれえ!」
聞く耳もない。
容赦なく、男の頭を打ち据える――
「なんてな」
男がニヤリと笑った。
次の瞬間、凄まじい衝撃が全身を襲った。
「ぐはッッ!?」
「ご主人様!?」
壁に強かに体を打ち付ける。
なんだ、何が起こった……!?
よろめきながら、ゆっくりと顔を上げる。
男の勝ち誇った顔があった。
「はははは!! 馬鹿め!! この私が、こういう時のために備えてないと思ったか!?」
男の後ろから、大きな影がぬっと姿を現す。
俺の数倍はあろうかという巨躯。
それに、オオカミのような耳と尻尾。
全身におびただしい数の魔印が刻まれ、異様な輝きを放っていた。
「そ、そいつは……!?」
「私とセバスが研究の末に生み出した、強化獣人だ!! 圧倒的な膂力を持ち、私の意のままに操ることが出来る! そいつを殺せ!!」
獣人が歩み出る。
嫌な汗が全身から噴き出す。
凄まじい圧力だ。
た、倒せるか……!? この俺が。
……いや、獣人といえど、所詮は人だ。
このスタン警棒があれば、動きを止めることは出来るはずだ。
当てることは難しくない。
いけ、今だ――
「……え?」
その瞬間、獣人は視界から消えた。
「ぶッッ!!!!」
今度は横合いから衝撃。
ごみクズのように吹き飛ばされる。
殴られた……? 速すぎて見えなかった。
「ぐああッッ!!」
倒れそうになったところに、今度は反対側から衝撃が襲い掛かった。
俺はピンボールの玉のように部屋の中をのたうち回った。
「はははは!! 見ろ、まるで玩具だ!! ……いやあ、いい物が見れたなぁ。せっかく完成した実験体だ。いつかは人と戦うところが見たかったんだよ」
こ、この……クズ野郎……
俺は何度も警棒を握りなおして、獣人に攻撃しようとするが……
全く当てることは出来なかった。
は、速え……
やべえ……視界が白濁してきやがった……
赤いものが視界の中で乱れ飛んでいる。
あれは、全部俺の血か。
徐々に全身から力が抜けていく。
警棒を持つ手に力が入らない。
戦うどころではない。
マナの悲鳴が遠く聞こえる。
男の笑い声が部屋中に木霊している。
……どうした、しっかりしやがれ。
マナを助けに来たんだろ。
こんなところで負けてるんじゃねえ。
まだ、何にも始まってないだろうが。
意識が混濁する中、必死に自分を叱咤する。
ゆっくりと手が動く。
警棒を握っていない手が、服の中にあるものを探り当てる。
へへ、これさえあれば……
あとは、当てるために、こうするだけだ……
俺は、獣人を視界にとらえると、両手を広げて急所を晒した。
「ぐぶッッ……!?」
獣人の爪が、俺の腹を貫いた。
「いやああああああ――――ッッ!!」
「ああ――はっはっは!! 自分からやられやがった!!」
男の言葉は無視する。
俺の体を貫いている腕を思いっきり掴む。
「こ、これで、逃げられねえ……!!」
すかさず手の中にある物を獣人の体に押し当て、スタン警棒により着火する。
隠し持った爆薬が炸裂し、獣人の体を吹き飛ばした。
よろよろと、マナの元に向かって歩みを進める。
「へへ、マナ……俺、勝ったぞ……」
「……う、うわあああああああ!?」
男が血まみれの俺を見て、逃げ出す。
追いかけたいが……今は、こっちの方が先だ。
「ご、ご主人様……」
マナの拘束を解いていく。
手に力が入らなかったが、日本製のナイフはそれでも抜群の切れ味だった。
そして、彼女は解き放たれた。
それを確かめた瞬間、俺は力尽き、その場に倒れこみそうになった。
彼女に抱きかかえられる。
「マナ……助けに来たよ……」
「ご、ご主人様! ご主人様ああああ!!」
マナが俺の頭に縋りついて泣いた。
全身に力が入らず、彼女に寄りかかる。
視線が床に落ちる。
真っ赤だった。
これ、全部、俺の血か……
「やだよおおおおお!! いかないでえええ!!」
応えたい。
だが、かすれて声が出ない。
代わりに頭を撫でてやろうとするが、それも出来なかった。
……参ったな。
「マサル!! こっちの勝負はついたぞ!! マナは無事か!?」
魔法使いちゃんが目に入る。
その手には、ぐったりとしたセバスがいる。
やっぱ、お前はすげえよ……
彼女の目に涙が溢れるのが見える。
そして、彼女も俺に抱き着いた。
そんなにきつくするなよ。苦しいじゃねえか。
ああ……でも、なんか、眠くなってきた……
「ご主人様、ご主人様ぁ……」
……不思議な光が溢れている。
いよいよ駄目なのかと思ったが、この光は幻ではない。
マナの魔印が光り、俺を包んでいた。
暖かい。
なんだこれは……傷が、傷が……治っていく!?
「な、なんだこれ……?」
声が出た。
意識がはっきりしている。もう、痛くない。
治っちまった!?
「こ、これは……!!」
魔法使いちゃんが目を剥いている。
「特別な者にだけ宿る、生命の加護……!! まさか、後天的に獲得することが……!? 魔印の影響か!?」
「はは、何それ!? おい、マナ。もう大丈夫だぞ! 俺、元気だ!」
「ほ、ほんと? ご主人様!!」
マナが頬ずりしてきた。
俺もし返す。良かった、これで全部、元通りだ……
「おい、マサル。再会を喜んでいるところ悪いが、あの男はどうなった? 見当たらないが」
「あっ、そうか!!」
俺達は慌てて逃げ出した男を追いかけた。
この部屋は袋小路になっていたが、隠し通路があったらしい。
そこを通ると、地上に出た。
「あっ、ご主人様! アイツ、あそこにいる!」
マナが指さす。
彼女は鼻が利く。ヤツはあっという間に見つかった。
「追いかけるぞ、マサル!」
「おう!」
「ひ、ひいっ!! 勘弁してくれえ!!」
バタバタと走る男。大して速くない。
この分ならすぐ追いつける。
それ、捕まえた――
「そこの男、待て!!」
と思った瞬間、何者かに呼び止められた。
何事かと思っていると、辺りから一斉に人が現れた。
物々しい鎧姿の男たちが俺達を取り囲む。
「あ、あんたは……ダンさん!?」
セアーラさんの兄がいた。
ということは、俺達を取り囲んでいるのは、この国の騎士か。
ちょうどいい。この男を突き出して……
「た、助かった!! この男が、うちに侵入して私を襲ってきたんだ!!」
「……は?」
男は、ダンさんに縋りついて訴えた。
何言ってんだコイツ。
そんな馬鹿な話、聞くわけ……
「私たちはレギン侯爵の要請を受けて参上した。東の街の商人マサル。我々と共に王宮に来てもらおう」
「……え?」
そして俺達は、有無を言わさず王宮に連れていかれることになった。




