第20話「魔印適合」
「ど、どうした? マナ」
マナに問いかける。
彼女は暗闇を見つめ、耳をピンと立てて沈黙した。
俺も彼女が見つめる先に目を向けるが、何も窺い知ることが出来なかった。
「……ご主人様。何かおかしいです。匂いと、音が……」
「匂い? 音?」
「……はい。風に紛れて……獣のような匂いが近づいてきます」
獣。それは野生の動物か、あるいは魔物か……
単独ならそれほど恐れることはないだろうが、もし集団なら……
確かめた方がいいかもしれない。
俺はマナに頷いた後、接近者に気取られないよう、ゆっくりと立ち上がった。
懐から懐中電灯を取り出す。
暗闇へと光を向ける。
……いない。
辺りを照らしてみるが、それらしいものは見つけられなかった。
杞憂だろうか。
しかし、マナは俺よりずっと耳と鼻が利く。もう少し注意深く探してみた方がいいかもしれない。
俺は何気なく懐中電灯を上へと向けた。
本来、そこには何もないはずだった。光は虚空を通り、夜の空を映し出すはずだった。
だが……
「え」
白いものが見えた。
光に当てられ、空に亡霊のように浮かぶ影。
それは、巨大な人の顔だった。
「ち、違う!! ご主人様!! あれ、昼間の怪物!! 囲まれてる!!」
マナが悲鳴のように叫んだ。
その瞬間、暗闇から雄たけびのようなものが聞こえてきた。
「ま、まずい!! 敵襲だ!!」
すぐさまキャンプのみんなに知らせる。
セアーラさんが一瞬で飛び起き、剣を抜き放って構えた。
それと同時に襲い来る盗賊たち。
竜車の乗客たちの悲鳴が木霊した。
「マサル!! オレの後ろに隠れてろ!!」
「わ、わかった!!」
セアーラさんが俺達の盾になる。
盗賊たちが剣を掲げて迫ってくるが、セアーラさんの剣技の前に動きが止まる。
ここは彼女に任せておけば大丈夫そうだ。
俺はキャンプの中心に陣取った。
「”光の精霊よ、顕現せよ!!”」
その呪文が聞こえた瞬間、辺りに無数の光球が出現した。
光球は周囲を飛び交い、暗闇にいる盗賊たちの姿を暴く。
「”大地の剣よ、貫け!!”」
地面から鋭い刃が飛び出し、盗賊たちに襲い掛かった。
呪文を唱えた主を見る。
杖を掲げた魔法使いちゃんが、竜車の荷台の上に立ち、盗賊たちを睥睨していた。
「マサル、すまない! 少し出遅れた!」
俺は彼女に笑いかける。
ははっ。いいってことよ。
「ご、ご主人様!」
マナに手を引かれ、上を見る。
巨大なこん棒を持った巨人が迫ってきていた。
「チッ……オレの相手は、お前かよ!!」
魔法使いちゃんとセアーラさんは盗賊たちで手いっぱいだ。
よりによって俺がコイツの相手をすることになるとは。
筋肉と脂肪の塊の巨人、トロル。
コイツは人の十倍は背丈のある怪物だ。
その馬鹿力から繰り出される一撃は、地面を砕いてしまうほどだ。
普通なら人の敵う相手ではない。
ではないが……
「俺には、日本で手に入れた道具がある!!」
懐からナイフを抜き放つ。
以前、忍者のおっさんに武器としての使い方を、少しだけ手ほどきしてもらった。斬るのは難しかったが、俺にも上手くできたことがあった。
「食らえッッ!!」
ナイフを思いっきりぶん投げた。
白銀の刃は吸い込まれるようにトロルの足に突き刺さった。
巨人が苦悶の悲鳴を上げた。
「まだまだッッ!!」
続けざまに三本ナイフを投げる。
ナイフは綺麗にトロルに突き刺さった。
よしっ……!! やれる。
最初はトロルの大きさに恐怖したが……冷静になれば、こいつは思った以上にトロ臭いことわかった。落ち着いていれば、攻撃を食らうことはない。俺でも十分に戦える。
倒すことは難しいかもしれないが……いずれセアーラさんも魔法使いちゃんも手が空くはずだ。そうなれば、力を合わせてトロルを撃退できる。
やれる。盗賊どもを倒すことが出来る。
生き残ることが出来るぞ!!
もう少し、もう少しだ……!!
「ご主人様、後ろ!!」
マナの声が聞こえた。
後ろ。その言葉通り、俺は振り向く。
思いもしなかったものが目に入る。
それは、こん棒を振りかぶるトロル。
そんな馬鹿な、と思う。
トロルは前にいたはずだ。
こんな一瞬で移動できるなんて……と考えたところで、それは間違いだったと気付く。
トロルは二体いた。
一体は身を潜み、こちらの隙を窺っていたのだ。
気付いた時には、もう遅い。
トロルの渾身の一撃が炸裂する。
それは幸運なことに、俺の体を外れたが――
地面を砕いた衝撃と、それによって生じた石つぶては、見事に俺の体を打ちぬいた。
宙を舞う感覚がある。
痛みはまだ感じない。
だが、すぐに襲ってくるだろう。
いや、もしかすると……感じる猶予はないかもしれない。
次の瞬間には、俺は死んでいるかもしれない。
そうなれば、痛みを感じる自我もない。
……え? 終わりなのか?
こんなところで? まだ、俺は何もできていないのに。
これから試験を受け、店を作り、マナのためにお金を稼ぎ――
そのはずだった。
だったのに……
もう、終わりなのかよ。
衝撃が全身を貫いた。
多分、地面に落ちたせいだろう。
幸い、まだ意識は残っている。
だが、体は動かない。どれくらいダメージを負っているのかもわからない。
どちらにしろ、もうダメだろう。
次の瞬間にも、トロルは俺の体を砕く。
それはいい。マナや仲間たちが無事なら。
惜しむらくは……最後まで、マナの傍にいてやれなかったこと……
ごめんな、マナ。約束破って……
「ご主人様……ご主人様……」
声が聞こえる。
何かに抱き起される感覚。
体中が痛い。
頬を打つ感覚に、ゆっくりと目を開ける。
マナが泣いている。
彼女の涙を拭ってやりたい。
だが、体は動かない。
ダメだ、マナ……逃げるんだ。
彼女の後ろ。見える。
トロルがこん棒を振りかぶっている。
振り下ろされる。
ああ……ダメだ……マナ……
彼女はゆっくりと振り向いた。
その目がこん棒を捉える。
もう逃げることはかなわない。
だが、彼女は怯んでいなかった。
彼女は牙を剥いてトロルを睨んだ。
「……許さない」
こん棒が彼女と衝突する。
その瞬間、彼女は手を伸ばした。
こん棒は吹き飛んだ。
(……え?)
何が起こったのかよくわからない。
だが、マナは生きている。俺も生きている。
わかっているのは、マナが手を伸ばしたこと。
その瞬間、トロルの渾身の一撃は吹き飛んだのだ。
「……許さないぞ、お前たち!!」
マナが立ち上がった。
彼女の体に異変が起きている。
体中に刻まれた怪しい文様が、輝いている。
「うわああああああああッッ!!」
マナが吠える。
次の瞬間、マナは目の前から消えた。
気付いた時には、トロルが弾かれたように宙を舞っていた。
(……何が起こってやがる?)
夢を見ているようだった。
全身に痛みと痺れが走る中、マナがトロルを蹂躙する光景を見ている。
普段は大人しい彼女が、まるで……獣のようにトロルに襲い掛かっていた。
爪が腕を切り裂く。蹴りが骨を砕く。
目にも留まらない。恐らく、セアーラさんよりも速い。
「マサル!! 無事か!?」
ぼんやりとマナを見つめる俺に、魔法使いちゃんが駆け寄ってきた。
彼女が魔法薬を俺に飲ませる。
そこでようやく、口を開くことが出来た。
「あ、ああ……なんとか、生きてるみたいだ」
そう言うと、彼女は泣きそうな顔をした。
次の瞬間、がばっと抱き着かれる。
「無茶をして……!! これから店をやるんだろ? マナを救うんだろ? しっかりしろ!」
「……面目ない」
彼女の温もり感じながら、思う。
大勢は決した。
トロルは二体とも倒れている。
盗賊たちはセアーラさんと魔法使いちゃんが倒したようだ。
俺たちは生き残ったのだ。
「ハァ、ハァ……ご主人、様……」
マナは俺の姿を見た後、安堵したようにクタリと倒れた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「マサルさん、大丈夫かい? あと少しだよ!」
「おー」
御者が俺に語り掛ける。
俺はゴロリと頭だけ動かし、竜車の先を見た。
遠くに小さな点のようなものが見える。アレが王都か。
盗賊の襲撃を退けた翌朝、俺達は行軍を再開した。
竜の傷はすっかり癒え、乗客を乗せて動けるようになった。
俺は命に別状はなかったが、全身が痛くて動けない。
魔法使いちゃんに看病してもらいながら、旅の間はずっと寝ていた。
マナはまだ目を覚まさない。
だが、疲れて寝ているだけのようなので、安心している。いずれ目を覚ますだろう。
そして半日ほど経ち、俺達は王都へと到着した。




