第1話「キッチンナイフは魔物もよく切れます」
「あー……、だりい……」
何もする気が起きない。
友人はいない。特技はない。趣味もない。恋人は勿論いない。
十代も終わりに差し掛かり、ひたすら無気力な青春が過ぎようとしていた時だ。
「うっ……! ごほっ、ごほっ!」
と、苦しそうにせき込む老人? を見つけた。マスクをして帽子を目深にかぶっているので、歳のほどはよくわからない。
「……」
横目にしながら、過ぎ去る。
俺に老人をいたわる博愛精神はない。せいぜい俺が通り過ぎた後、くたばらないことを祈るのみだ。
しかしその瞬間、老人はいきなり大げさにせき込み始めた。
「うぉーっほん! おーっほん! あー! そこの人!」
げぇっ。これ、俺に話しかけてる……?
嫌嫌ながらも立ち止まる。
「ちょっと、肩を貸してくれないか……? ほんの、そこまででいいからさ」
流石にここまで言われると、邪険にしにくい。
渋々俺は肩を貸した。
「ありがとう。久しぶりの日本の空気はきつくてねえ……」
「ん? あんた、外国行ってたの? それとも、外国人?」
「……まあ、似たようなもんかな。ああ、そこの角を曲がって。……よし、ここだ」
言われるがままに道を進み、やがて俺たちは目的地に辿りついた。
……と思ったのだが。
「……あれ?」
思わず目を擦った。
俺が入ったのは建物と建物の影。その袋小路だったはずだ。
これ以上先には進めない……と思った場所には、扉が存在していた。
しかも、その扉は空中に浮いているように見える。
「な、なんだこれ……?」
「よし、”ゲート”の魔法は安定しているな。……すまんが、あとちょっとだけ付き合ってくれ」
俺の答えを待たず、老人は歩み出した。
引かれるように、俺はその扉をくぐった。
空気が変わる。
景色が一変する。
目の前には、青い空が広がっている。そのどこにも、東京の摩天楼は存在しない。
建物はある。日本ではあまり見ない建築様式だ。どこか西洋の古い街のような……
「ああ、やっぱりこっちの空気はいいなぁ。最後の時間は、こっちで過ごしたい」
と、老人が伸びをしながら言った。
俺は突然起こったことに、リアクション出来ずにいた。
口を大きく開けて固まっている。
っていうかコレ、夢?
「夢じゃないぞ」
「おわぁ!?」
老人が俺の顔を覗き込みながら言った。
「ホレ、あっちを見ろ」
ぐりん、と顔を強制的に動かされた。
「……な、なんだありゃあ!?」
古風で大きな車がある。
その車を曳いていたのは……巨大なトカゲのような生き物だった。
「竜だよ。馬車じゃなくて竜車だ」
「りゅ……ドラゴン!? 竜車!?」
「はっはっは。初々しくて楽しいな。どれ、ちょっと一緒に散歩しようか」
老人は俺を先導するように歩き出した。もう苦しそうな印象は受けない。しっかりとした足取りだ。
「あそこが武器屋、防具屋……魔法屋なんてのもあるんだぞ」
「ひえええ……」
次々と目に飛び込んでくる、未知の数々。
俺は好奇と畏怖が入り混じった感慨を抱いていた。
ただひたすら老人について行き、それらを見送った。
そして、老人の足が止まった。
「……あ? どうしたんだ?」
聞いてみるが、反応が無い。どこか一点を見据えて立ち止まっている。
彼の視線を追ってみた。
そこで、俺は目を奪われた。
「お、おい。ありゃ、一体、なんだ……」
「奴隷だよ。獣人は、この世界では地位が低い」
「獣人……」
俺の視線の先には、檻に入れられた亜人が居た。
彼らの頭や尻には、普通の人間にない特徴がある。
犬や猫に似た耳が頭部から生え、尻からは長い尻尾が伸びている。口を開ければ、中からは牙のような歯が覗く。まるで漫画やアニメから抜け出したかのような姿だった。
「あ、あれは、奴隷を売ってんのか……」
「そうだ。と言っても、並みの人間に買える値段じゃない。金貨千枚は稼がないとな」
「……欲しい」
最初に思ったのが、それだった。
漫画やアニメを見て、密かに憧れていた。俺も可愛いケモミミ少女を手に入れて、精いっぱい愛でたい。ご主人様と呼ばれてみたい。
あれが、欲しい……
「望むままを行え。お前には言霊の加護を与えてある。それじゃ、達者でな……」
「え?」
気配が去るのを感じた。
振り向いた時、そこに老人はいなかった。
ただ一つ、地面に小さな袋が落ちているのを見つけた。
拾い上げ、中を見てみる。
銀貨が十枚。それと、小さな紙きれ。
そこには見た事もない文字が書かれていた。だが、何故か俺にはそれが何と書かれているかわかった。
『武器でも買って、魔物と戦ってみたらどうだ?』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あの変な老人の言うことは本当だった。
俺は恐る恐る武器屋に入り、店主に話しかけてみた。
聞いたこともない言葉で話された時はヒヤッとしたが、不思議とその言葉が理解できた。
「えーと……これで買える武器で、一番いいやつください」
と、銀貨十枚を見せる。
出てきたのは、何だかよくわからない金属で出来た短めの剣だった。
どうでもいいが、これ……曲がってないか……?
「……こんなんで本当に魔物と戦えんのか?」
思わず口に出してしまう。そしたら店主に睨まれた。
俺はすぐさま代金を支払い、そそくさと店を後にした。
街の外へ向かう間も、しきりに剣を見ていた。
さして艶があるわけではない。どちらかというと濁っている。刃に指をあててみるが、大して鋭くもない気がする。これなら、台所にある包丁の方がマシなのではないか……と思っている間に、街の外に出た。
魔物。そんなものは見た事がない。
だが、一目でわかった。街を出た瞬間、唸り声を上げながら涎を垂らした、黒い犬のようなものが迫ってきたのだ。
「やるしかねえか……こいっ!」
覚悟を決め、魔物と向かい合う。
ハッキリ言って、怖い。なにせ魔物は目がやたら血走っており、体も犬より一回り大きい。
聞いたことがある。人間がまともに動物と戦った場合、小さな猫でようやく互角であると。それが正しければ、俺がこの魔物に勝てる道理はない。
だが、今は武器がある。
なけなしのお金で買った武器。ドラ〇エで言うなら銅の剣であろう代物。見た目はともかく、この武器なら最初の街の魔物くらい、訳ないはず……
そう思い、武器を振るった。
剣の刀身が閃き、魔物の頭部に吸い込まれるように当たる。
衝撃と共に鈍い音が響き――
「だああああッ!? マジでッ!?」
折れた。
たった一撃で。魔物の頭に当たっただけで。
当の魔物は、ピンピンしている。いや、頭からちょっと血が出ている。そのせいで怒っている気が……
「うわわわわわっ!? ご、ごめん!! 勘弁してくれ――!!」
俺は脱兎のごとく逃げ出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はああ、マジかよ……」
思い出して、背筋に寒気が走った。
魔物は街に入った瞬間、追いかけてくるのをやめた。
多分、結界か何かが張ってあるんだろう。マジで助かった。
異世界に来て早々、俺は絶望していた。
あれが戦闘。あれが冒険者の敵。
無理だ。俺にあんなことは出来ない。
ということは、俺にお金を稼ぐことは出来ない。
可愛い獣人の奴隷を買うこともできない……
そう、とぼとぼと歩きながら思った時。
「……ん?」
なんとなく目に入った。
たくさんの人がいる。日本でも似たような物を見たことがある。
これは……フリーマーケット?
様々な人が、思い思いに店を広げ、物を売っている。
空気はフリーマーケットと非常に似ている。
だが、売っているものは全く異質だ。
武器や防具、牙や骨といった魔物の素材、変なにおいのする薬……
ぼんやりと眺めながら歩く。
先程剣を買ったせいで、なんとなく武器を優先して見る。
だが、やはり質は……武器屋で買ったものと同じくらいか。いや、もっと悪いか……
「冒険者のみなさん、うちの携帯食料は一週間は持つよ! 是非味見してってくれ!」
威勢のいい掛け声が、通りがかりに聞こえてくる。
ふーん……コイツが携帯食料ねえ……何で出来てんだコレ?
一つ手に取り、食べてみる。
直後に後悔した。
なんだコレは!? ドッグフードの方がマシじゃないか……!? こんなの持ち歩いて食うの? マジで?
周りの人は普通に食ってたから油断した。マジかよ……羊羹でも持ってったら爆売れするんじゃないか? コレ。
「……」
その時、頭に電流が走ったような気がした。
うん、試しにやってみる価値はある……
俺は駆け出した。
果たして、それはあった。
この世界に来るとき通った扉。建物と建物の影に隠れるように存在する。誰も気づいている様子はない。
くぐると、そこは見知った世界だった。狭い東京の空だ。
俺は慌てて周囲を探す。確かこの辺にもあったはずだ。
アレは、アレは……あった! ドン〇ホーテだ!!
店内に入り、急いで買い物を始める。
狙うは、刃物。包丁や、ハサミ……それっぽいものを集めた。
あと、ついでに食料品売り場で羊羹と試し切りの芋を買ってみた。
リュック一杯になった品物の数々。
これは、武器だ。俺が異世界で成功するための。
ゴクリと唾を飲みこみ、再び異世界の扉を開ける。
異世界は変わらずそこにあった。
フリーマーケットまで行き、開いている場所を探してレジャーシートを敷く。
すでに不思議なものを見る視線が注がれている。
それは、レジャーシートの質感と模様がなせるものか……はたまた、俺の黒髪黒瞳がなせるものか。商売するなら、目立つ方がいい。
商品を一つ一つ、丁寧に並べる。思えば、店をやるのも初めてだ。
心臓が高鳴っている。上手くいくだろうか。期待と不安がせめぎあう。
「い、いらっしゃいませー……」
商品を並べ終え、ちょこんと正座する。威勢のいい掛け声は出ない。出せない。
……やはりというべきか、皆興味深そうな視線を向けて来るが、立ち止まったりはしない。そりゃそうだろうな。俺だってこんなわけわからない異人の店には近づかない。やっぱり駄目だったんだ。俺にこの世界で生きる道はない。大人しくつまらない人生を送るのが身の丈に合った……
「店主。少し見物してよいか?」
ハッ。俺は顔を上げた。
客がいた。俺の第一号だ。その人物は……
なんというか、でかくて、変な服を着ていて……忍者っぽいなこの人。
「ど、どーぞどーぞ! 好きなだけ!」
とはいえ、大事な客だ。精一杯もてなさなくては。
まあ、やることないけど……もう包丁を手に取って見てるし。
……すげえ目つきだ。この目、確実に十人は殺してる。こええ……
「この刀、エンチャントが施されているのか?」
刀。包丁なんだけど。いや、それより……
「は? エンチャン……なに?」
異世界用語だろうか。言霊の加護でも上手く認識できない。
「魔法による加護が付与されているのかと聞いているのだ」
「魔法。……いえ、そのような物はついていないと思いますが……」
加護じゃなくて加工はされてるかもしれない。防菌の。
「ふむ。そうか……ただならぬ加護の気配を感じたのだが……少し、試し切りをしてみてもいいか?」
「え、ええ。どうぞ。ここにちょうどいい芋が……」
と、俺が喋りかける隙に。
忍者が背負った袋から異様なものを取り出した。
「は。お、お客様。それは一体……」
「骨だ。ジャイアントグリズリーの、雄の頭部の」
「グ、グリズリー……」
それは熊か。この世界の熊は象みたいにでかいのか。
巨大な骨が市場におもむろに置かれる。
異様な気配に、周りの人間も足を止めてそれを見る。
忍者から凄まじい殺気が放たれているのが分かる。
俺は小便をちびりそうになっている。
「テヤ――――ッッ!!」
裂帛の気合と共に、一閃した。体がビクリと震える。
次の瞬間、骨は真っ二つとなり、片方がずるりと崩れ落ちた。
満足そうに包丁を見つめる忍者。震えて声も出ない俺。
それ……果物とか野菜切る用なんですけど……
魔物の骨は用途に含まれないんですけど……
「店主。コレはいくらだ」
値段か。全く考えていなかった。
相場が分からない。どれくらいの値を付けたらいいのだ。
比較、比較対象は……あの、武器屋の剣が銀貨十枚なんだよな。
あれよりはいいだろ。もっと高くていい。
じ、じゃあ……
「金貨……一枚です」
「なに、金貨一枚!!」
ギロリと鋭い目が俺を睨んだ。
ヒィッ! 怖い!! 高かった!? ごめんなさい!!
「……安いな。買おう」
「え」
手の上に金色に輝く硬貨が置かれる。ズシリと重い。
そうか、コレが命の重みか……違うか。
「……店主、俺にもそれ、クレ!」
「わ、私も! 私もください!」
「……え?」
俺は何が何だか分からないまま、商売を続けた。
包丁は売れに売れた。羊羹は全部売れ残った。食べ物だと思われなかったらしい。
とにかく、俺の異世界生活一日目は、まずまずの滑り出しを見せた。