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下手より出づ  作者: 小山内藤花
第1章 アウトサイダーたち
1/1

誰も来ない部屋の中で一組の男女がふざけ合っています(言葉通り)

 ストリックランドは堅実な人生を送っていたはずなのに、どうして急に絵描きになるだなんてことになったんだろう。そしてあの変貌ぶり、非情ぶり。妻を捨て、人妻と関係を持って数少ない彼の才能の理解者である人の家庭を崩壊させた挙句、彼女を捨てて南海へ出、そこで別の人と一緒になって、最後まで芸術に身を捧げる。

 何が彼を変えてしまったんだろう。『月と6ペンス』にはそれが書かれていない。それとももともと彼はそのような望みを抱きながら、30年以上も生きていたのだろうか。その欲望がついに閾値を超え、社会生活にとっての悲劇をもたらした……。彼は悪魔に憑りつかれたというようなことが書かれてはいたけれど、本当のところは分からない。

 人の心は分からない。心が通じるなんてことはあり得ない。そもそも自分自身が何考えているのかさえ分かったものじゃないんだ。ましてや相手の心なぞ……。


「そういえばミンちゃんとピーコは?」

 つややかなポニーテールがそう尋ねる。


「そういやまだ来てないね」

「それは見りゃ分かるって」


 漆黒の後頭部が一点で束ねられて耳から右へ垂れている。声の主は胡坐をかいて、足元の紙の束に身をかがめている。


「あいつら教室で遊んでんなー。ちくしょう、私たちはこのクソ暑い中、こんなに頑張ってんのに。ねえ、暑くない? 窓開けてよ」

 スカートからはここ数日で日に焼けた脚が出ており、そこにはうっすらと汗がにじんで、掃除の行き届いていないこの部室に常に漂っている、塵やら埃やらが浮いているビニールシートのそれらが、ところどころ張り付いている。


「開いてるよ」

 それを直視することは控え、彼女の白とピンクのストライプの靴下のそばにある、落書きだらけのホチキス止めの藁半紙の束を見、それからメモで同じように汚れている自分のに目を落とした。


「うそ、うわ、ホントだ。えー、うそー。あつーい。なんでー、まだ6月だよー?」

 胸元を片手で引っ張り、その紙の束でカシャカシャと自分を扇ぐ。

「6月ならだいたいこんなもんじゃない?」

「そうだ、頭使ってるからだ。こーんな蟻這ってるような台本とにらめっこしてりゃ、誰だって汗だくにならあね」

 パシパシと紙の表面をたたき、空の弁当箱のそばに投げ捨ててから、天井を仰いで、あぁ、と力の抜けた声を発する。


「いや、それは人による。レオは普段頭使ってないからこれくらいの作業でオーバーヒートするんだよ」

 そう軽口をたたきながら、先ほどまでの打ち合わせで書き漏らしたことを追加でメモしていった。

「失礼な、あたしはいつも頭使ってるっての」

 立ち上がり、うーんと伸びをして狭い部室の中を移動する。


「ほう」

「なめんな、キレっキレだべ?」

「椎名琴葉さんは天才だと?」

「あたぼーよ」

 ソファに寝転がり、ひらひらと手を振る。

「アインシュタインもびっくり仰天、1000年に一度の超天才。天動説なんかお手の物。掃除洗濯お買い物から子守りまで、何でも完璧」

 アインシュタインは天動説など唱えていない。後半に至っては天才とは関係がない。が、あえてここは黙っておく。

「ただの天才ではなく、さらにその上を行く稀代の天才だと?」

「そうそう、代々だいたい稀代の天才一族」

 代々天才だと稀代の意味合いが薄まるのだが。それにだいたい、って……。


「え、じゃあ、中間の結果どうだった?」

「え? 中間? なにそれ?」


 裏声である。


「中間テスト」

「え? ごめん、もう一回言って」

 天才は耳が遠いとお見受けする。


「中間テス――」

「ああああああ、聞こえない、聞こえない」

 こやつ、両耳を手の平でたたくという古典的な手を使いおる。

「おい代々だいたい稀代の天才一族。天才ならもっと画期的な手段を講じても良さそうなものだが」

「ええ? 何だって? すまんのう、わし、最近耳が遠くてのう」

 手段は変えても古典的であるのには変わらなかった。


「おばあちゃん、あのねー」


 仕方ないから乗ってやろうと思う。

「ええ?」

「あのねー、おばあちゃん。おばあちゃんのー、中間テストの結果はー、どうだったんですかー?」

「なに?」


 耳に手を当て、こちらに顔を寄せる。こちらもそれに対応して、耳元に顔を寄せる。汗とシャンプーのにおいがした。


「中間テスト」

「ちゅう……何だって?」


 レオはさらに体を傾けてくる。手が触れた。少し身を引いた、がその直後、そのあほ面に負けじと耳元で叫び返した。


「ちゅ・う・か・ん・て・す・と!」

「ああ、中国拳法?」

「そうきたか……っておわっ、ちょ、おばあちゃん」

「おわたー、あちょ、あちょ」

 体の方は達者なご老人は、インチキ拳法の使い手だった。しかも結構みぞおちを的確に突いてくる。

「やめっ、おばあちゃん、ちょ、おばあちゃん!? やめて、おばあちゃん!!」


「わぁしはおじいちゃんじゃあああ!!!」

 片足と両腕をあげ、決めポーズをとる。


「おじいちゃんかよ!!」

 思わずそう叫び返してしまった。


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