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ついに猿が正常な状態へと回復したものの、アカギは全身血や吐瀉物塗れでエマも脳に一切の損傷を与えず内の蟲のみを支配するという神経をすり減らす施術を終えた直後、猿自身も改めて本当に身体に問題がないかの精密検査を受ける必要があるため、その場は一旦解散した。
各自主要メンバーが、身支度に休息、食事などを終える頃には漂着惑星の四つの太陽は全て沈み切り、湖畔には蒼い月が映り出していた。
野戦用メイド服の団員が有事に備えて巡回警備するベースキャンプ。その中でも一際警戒が厳重なミーティング用のテントの中には、六つの影が椅子に座りある程度の距離を空けて円陣を作っていた。
《ウェット・ファイターズ》からはアカギとケビン・リー。
《ヴィンセントヴァルキリーズ》からはホウセン・ミツルとアマギ・ハクア。
フラメル王国からエマ・フラメル。
最後に、V.V.での診断を終え黒い衣服を纏った猿。
奴隷として長年酷使され続けてきた男の顔は、今ではすっかり血色の良い健康的な色合いをしており、そこには『薬』の後遺症に苦しむ相は一切見受けられなかった。椅子に座る様も堂々としており四肢には力が漲っている。
部下の団員から送られてきたデータ群を確認していたミツルは、全員の準備が整ったことを確認すると挙手と共にその場で立ち上がる。
「では僭越ながら私、ホウセン・ミツルがこの場での司会・進行役を務めさていただきます。まず最初に……」
円陣中央に投影されたのは、数値化された幾つかのデータグラフ表、人体立体物とその断面図であった。
「当団の医療部門の者が猿様の身体を再検査したところ、呼吸、血圧、体温などのバイタル値の全てが正常値を示していました。鍼灸検査も問題なし、寄生虫どころか老廃物の欠片も無く、見事なまでの健康体です」
視線が自身に集まるのを感じ取った猿は、その場で椅子から立ち上がると、軽く握った拳で胸を叩いた。
「ああ、あれだけ私を苛んでいた蟲や『薬』の影響が全てものの見事に消え去っている。まるで生まれ変わったかのように気分が晴れやかだ。この場にいる全員に、改めて礼を言わせてくれ」
ゆっくりと頭を下げる理性的で落ち着いた物腰。
着ていた衣服が身体の膨張・修復で全損したため、《ヴィンセントヴァルキリーズ》の服飾担当が急いで用意したあり合わせの黒布で作られたその2mに迫る巨体を覆う上下揃いの長丈の服やケープを纏う姿は、一種司祭服を着込む聖職者の様でもあった。
「見ず知らず、寧ろ一時は敵であった私を助けたのは、私の力が必要だからだろう?恩には行動で報いたい。出来れば詳しい話を聞かせてくれないか」
その言葉の一つ一つには知性と理性が宿っていた。最早粗暴さなど微塵もない。
猿自らの提案に、エマは一瞬アカギを見る。了の意が込められた首肯が返され、少女は幾つかの資料映像を端末から再生させながら立ち上がった。
「では、事の経緯は私から語らせて貰いましょう」
故郷のフラメル王国が長年連盟からの不当な契約を押し付けられ続けてきた経緯から、エマ・フラメルは自己の優位性を背景に一方的に搾取する行為を酷く厭う。
最優先は自国の利益と存続、交渉相手に情けを掛ける事は無いが、礼節と敬意は忘れず目指すところは共存共栄。猿を回復させたのは、試合で戦える身体に戻す意味もあったが、第一には交渉の場に立つための必要不可欠な要素、『意思能力』を取り戻させる意味もあった。
ほぼ正常な判断が出来ない状態の猿に対し一方的に行った治療を恩に着せるつもりはエマにはない。ただ、相手が勝手に恩と感じているならば態々否定するつもりもなかった。
「――――以上が今現在、私達が置かれている状況です」
口頭と資料によって語られたのは、フラメル王国これまで辿ってきた経緯、今後の先行きに加え、あるいは圏外の発展そのものが無差別争覇杯決勝戦の勝敗如何により左右される事。
W.F.、V.V.、王国の三勢力連合は、その決戦の場にて戦える選手を欲しているという事。
「無差別争覇杯の決勝戦は、まず間違いなくコンウェイ陣営は全ての財力と戦力を投入してくるでしょう。命の保証など無いと分かりきった上で申します。猿さん、三勢力連合の選手として決勝に参加してもらえないでしょうか。勿論、対価である報酬に関しては―――」
「その先は言わなくていい」
エマの言を途中で制すと、猿は自身の胸に手をあてた。
「報酬は、既にここへ貰っている。命のみならず、君達は私に人としての尊厳を取り戻させてくれた。これ以上を要求するのは、流石に欲深すぎる」
椅子から立ち上がった猿は、その場で深く頭を下げた。
「能力を強制的に引き上げていた蟲が取り除かれた以上、私の越境能力は減衰しているだろう。大猿にも、もうおそらくは成れない。だがそれでも、私は君達に恩を返したい。決勝、是非とも参加させてくれ」
「猿さん………ありがとうございます」
目下の課題であった五名の決勝戦参加メンバーが、ようやく揃う。
しかし、この段階はあくまでも決勝で勝利する為の過程の一つでしかない。仮に今のままのアカギ、ケビン、ハクア、エマ、猿の五名で《グレイブバルチャー》を筆頭とした三チームに挑んでも、結果は眼に見えている。
「役者は揃いました。ですが、今のままでは勝てません」
時間無制限で最後の一人になるまで潰し合いを行うデスマッチルールならば、大会に於ける最強の手札であるアカギを有する三連合が負ける事はまずないが、決勝は時間制限付きのバトルロイヤル。
制限時間に達すれば、生き残った選手の数が一番多いチームの勝利。アカギ以外の四名は、G.V.の選手に対して戦力で大きく劣っている。
「そこで、計画を第二段階にまで進めます」
音頭は、司会の団長代理である。
ARで表示されたのは、決勝当日までのスケジュール表。分単位での非常に綿密かつタイトな予定が組まれており、制作者であるミツルの几帳面さが全面に押し出された仕様となっている。
「決勝までの九日間のキャンプでの目的は至ってシンプルです」
空中に展開されていたスケジュール表が三つに分割され、その場にいた六名の内三名の元へと移動する。
「この際、ハッキリと申しましょう。今私が作成した特訓プランが配布された方は、決勝を戦うには力不足、チームの急所と言わざるを得ません」
真剣な面持ちで素直に受け入れるケビン。
まあそうだろうなと納得顔で落ち着き払うエマ。
スケジュール表をまるで旅行のパンフレットか何かの様にキラキラとした氷瞳で見つめるハクア。
三者三様のメンバーを見渡し、ミツルは改めて告げる。
「この急所を寧ろチームの要とするため、ケビン様、エマ様、ハクアの三名での連携能力、個々人での戦闘能力をキャンプで徹底的に鍛え上げます。尚、猿様は個別で別プランを熟していただくので、御覚悟をお願いいたします」
V.V.には数多くの武芸者達が在籍しており、そこには当然各流派で旧時代から連綿と培われてきた様々な修練のメソッドが蓄積されている。
《気》を効率的に扱う為の訓練などは言うに及ばず、秘伝の薬湯を用いたコンディションケア、仮想敵として想定されている義体化人、越境能力者への戦術理論。
例え武芸者ならざる者でも、戦いに関わる者であれば学ぶべきロジックは非常に多い。
「あ~、ミツルさん質問いいか?」
挙手したのは、自身の元にスライドしてきたスケジュール表を見ながら眉間に皺を寄せるケビン。
実体のないARの指示棒を向けどうぞと告げる事でミツルは発言の許可を出す。
「俺、頭悪いし、正直集団戦とかやったことないんで素人考えで言うけどよ………決勝はアカギさんが全力を出せるよう他四人全員でサポートして、敵の三チームにあたった方が良くないか?」
大会参加前のケビンであるならば、自身が弱いなどと告げられれば蓄積した鬱憤・劣等感から反発し、事実を認められずに最悪この場を去っていただろう。
そうならなかったのは、偏に少年の成長の賜物。
雑念の一切を排除して行った自己修練、己の死力を尽くし何もかもをぶつけ切った強敵との激戦、その過程を超え心身共に強くなったからこそ、己の弱さ、至らなさを真摯に受け入れれるようになっていた。
「いや、別にビビってるとかじゃねえぜ?勝のに必要だってんならG.V.のラファエル・レーヴィトだろうと何だろうと掌底かましに突っ込んでやる。ただ、いくらV.V.の特訓でも十日未満で俺等そんなに強くなれるのか?」
今の自分に何が出来て何が出来ないのか。己の現時点での立ち位置を理解し、短所を埋め長所を伸ばす方法を試行錯誤し、地味で地道な努力を一秒一秒積み重ねていく事こそが本当の強さに繋がる。
それは、芯の通った折れぬ強さとは一朝一夕では決して培われぬものであるという武芸者的な考えから立脚した意見。
アカギとの特訓でケビンは急速に戦闘能力を向上させたが、あれはあくまでも五年間闘技場で足掻き続けた努力の種が花開いた結果であり、いきなり力を得た訳ではない。
「現状でG.V.に対抗できるのがアカギさんだけなら、アカギさんには対超大型兵器を想定した戦闘訓練をしてもらって俺達四人はその支援をするための連携を訓練する方が勝率はあがるんじゃないか?」
否定意見だけでなく代案も出し、自己の弱さを理解しながらも出来る事に力を尽くす。
少年の見違えるような成長ぶりに、アカギは目を細めて右隣のケビンの頭を分厚い手でガシガシとかきまわし始めた。
「はは何だケビン、随分と謙虚だな。若い内からそう小さく纏まる事は無いんだぞ?」
「うるせ、今は勝つための作戦会議をしてんだよ!ってか俺は子供じゃねえんだぞ、勝手に撫でるな!」
「アカギさん!アカギさん!どうせ撫でるならケビン君の空っぽ頭よりもボクの頭をどうぞ!あ、出来れば無遠慮に雑な感じで!」
武芸者としての身体捌きを使用した一瞬の早業で椅子ごとアカギの左隣直近に陣取るハクア。無警戒に急所である頭部を差し出す様は、飼い主に構って欲しがっている白い子犬を思わせる。
その小さな頭に、アカギは気安く片手を乗せるとわしゃわしゃと指先で白髪をかき乱し始めた。
「なんだなんだ、こっちは随分と注文が多いな」
無骨な太い指が白い髪を絡めとっていく感覚に、エマはにへらと表情をだらしなく緩ませる。その様をケビンは鼻で笑った。
「はっ、子供かよ」
「親愛表現のスキンシップを素直に受け入れられない方が幼稚だと思うな~、ボクは。心に愛を抱けなければ、真の武芸者には成れないよ?」
「なんだとてめぇ、速さ頼りのひょろひょろモヤシ女の癖にかますじゃねえか?そんな背筋も臀筋もない貧相な身体だから神速の反動に耐え切れねえんだよ」
「耐久力頼りで無駄に被弾する木偶よりはマシかな~。ケビン君の流派は後の先が主体なんだから、もう少し体捌きを憶えた方がいいんじゃないの?」
『………………ああ!?』
異口同音で重なる声。
アカギを挟み侃侃諤諤とした遠慮のない遣り取り、言の葉の乱打戦。両脇を騒がしい若者達に囲まれながらも、その溌剌とした様子が好ましく、そして微笑ましくアカギは苦笑した。
が、少し離れた場所から見ているエマは違っていた。
「話、進めませんか?」
笑顔。
終始、笑顔。
しかし、その黒い影を背負う笑顔が、アカギは何より怖かった。心なしか、半年前よりも発する重圧が上がっている。
若者の成長は本来歓迎すべき事であるが、当の本人から三年以内に認識を塗り替えるだの何をしてでも必ず捕まえるだのと宣言されているアカギとしては薄ら寒いモノを感じずにはいられない。
背筋の冷たさを払拭するように、荒れた場を一旦区切るように、『戦士』は敢えて大きく咳払いをして場の注目を自身に集めた。
「特訓の内容に関しては、事前に俺からミツルに提案させてもらった」
その言葉に、生真面目な団長代理は小さく頷いた。
「エマやケビンには前にも言ったかもしれないが、俺の身体は若作りが上手くてな、外見年齢こそ二十代そこそこだが、これでも既に二百五十年程生きた老人だ」
信じられない、と言った否定的な意見はこの場では出なかった。
半年前の事件で、『使徒』や異世界に関する事情を知り得ていたエマは別として、他四名も驚きこそあれど妙に納得した表情をしていた。
《気》も義体も越境能力を使わずに凄まじい戦闘能力を発揮し、原理不明のアイテム群を多数所有する者の素性が何の変哲もない平凡なものであった方がある種異常。
これまでのアカギの振る舞いや行動もふくめて、この場にいた者達はその言葉は信じるに事足りるものであると判断した。
「でだ、二百五十年間ほぼ毎日実戦や鍛練で剣を振り回し続けてきた俺の実直な所感なんだが、今の俺に伸び代は殆どない」
一瞬目を閉じる事でアカギが反芻したのは、誕生から今日までの足跡。
『勇者』達と共に歩んだ百年間の冒険、自己と向き合い鍛え続けた百五十年の鍛錬。
成長の最盛期であった冒険時代に得た感覚や反省点を、自己鍛錬により徹底的に洗い出し、一切の妥協なく鍛え続けた。
いつ『勇者』が帰ってきてもいいようにと剣を振るい続ける日々の中で、ある日アカギはそこに辿り着いた。辿り着いて、しまった。
即ち、『使徒』という器の限界へ。
達成感は勿論あった。極め尽くしたのだという充実感も十二分にあった。それでも、一抹の寂寥が胸から消える事はなかった。
その感情と正しく向き合い続けるため、今日までアカギは鍛錬を止めたことがない。
「俺の強さはほぼ完成している。言い換えれば、これ以上の成長が現状ではほぼ見込めない」
異界の土壌に『使徒』の《霊核基幹》が順応したことで、ステータスの成長限界のみであれば上限値が上がっているが、熟練度を上げるには隕石の精霊クラスの相手を打ち倒す必要があり、それを決勝までに行うのはあらゆる意味で不可能であった。
「エマ、ケビン、ハクア。ミツルの言った通り、確かに君達は未熟だ。だが、それは可能性の裏返しでもある。もし現状を打開する一手があるとすれば、それは君達の成長に他ならない」
アカギの言葉に、ミツルが追従する。
「私からも補足させてもらえば、ケビン様とハクアは先日の試合で《仙丹》を極限まで酷使したことで、体内の《経絡》がより強くより太くなっているはずです。V.V.のスペシャルメニューを完遂すれば、短期間での急成長も十分に可能です」
「エマには、俺から《黒の王》の応用法ついてありったけを教える。その力には昔随分と苦労させられたからな、敵対者にとって厄介な使用法は身に染みて憶えている」
アカギはその場で立ち上がり両腰に手をあてると、にやりと口角を吊り上げ言葉を吐いた。
「どうする?自信がないなら計画は変更してもいい。その代わり決勝は、俺一人で戦う。他の者には自分の身の安全だけを確保してもらう」
少年や少女達を挑発するかのような物言い。されど言の葉に悪意は微塵もなく、寧ろ一人一人を信頼し認めているからこその問いかけ。
最初に立ち上がり応えたのは、アカギとは一番付き合いの長いエマ・フラメルだった。
「言ったはずですよ、アカギさん。私、有言実行の女なんです。勝利は私が呼びこんでみせます」
武芸者二人、反応速度ではエマよりも先んじていたがどちらが先に立つかを競り合った結果一歩出遅れ、持ち前の速度でケビンに足を掛け横で派手に転倒させたハクアが元気よく挙手と共に立ち上がる。
「はいはーい、みっちゃん特製の特訓プランにアカギさんとの共闘なんて、これを見逃す手はないね!ボクは勿論やるよ!」
「だー畜生、出遅れた!………優勝には、俺の家族の命、レイラの病気が治るかどうかがかかってるんだ、ここで尻尾を巻けるかよ!」
少年少女が決意を示し、猿も同じく静かに頷いたことで、アカギが言葉を吐いた。
「コロニー中………いや、圏外中の誰もが俺達が負けると思っている。俺達を無謀だと嗤い、無茶だと呆れている。だけどな、そんな奴らの鼻を明かすのは何よりも痛快だとは思わないか?」
アカギは、宣言する。
「さあ、ここから俺達の冒険を始めるぞ」




