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「それでは、後始末はお願いします。試合前の公開イベント時には戻りますが、それ以外はエーテル通信の使えない漂着惑星に籠るので、定期連絡は随時派遣するV.V.の団員さんと行ってください」
「了解致しました、どうかお気をつけて。家臣一同、エマ様のご帰還を心よりお待ちしております」
深く腰を折り主家の王女を送り出す臣下の姿を確認すると、エマは後ろに控えていたミツルへと手を差し出した。
「今から、《キマイラの翼》で移動します。効果範囲内からはみ出すことはないと思いますが、一応はぐれないよう手を握っておいてもらえますか?」
「では、失礼します」
結ばれる両者の手。
手足は、人体で最も外部と直接接触する機会の多い部位だ。故に、そこにはそれまで歩んできた人生の一部が刻まれている。
方や王国の姫、方や名門宗家の嫡女。
いと高きと称される貴にして賓なる生まれではあったが、両者共に歩んできた道筋は決して平坦ではなく、乙女の手には古傷が刻まれ柔肌と言うには硬く厚みがあった。
懸命な努力を真摯に重ねてきたいい手だと、両者は互いを黙しながらも賞賛する。
そして同じく、口には出さず心中で思った。
『ああ、この人………自分から厄介事を背負い込む苦労性の気質だ』、と。
本物の苦労人に、自分がそうである自覚など欠片もない。自身が成すべき事だと感じたことを率先して行っているだけで、当人にとってそれは苦労でも何でもないからだ。
自らの事を棚上げにし、手を握り合った両者は、第一印象の悪かった相手に今後は出来る限り優しく対応しようと心に決めたのだった。
「準備はいいですか、ミツルさん?何か気掛かりや心配事があれば、遠慮なく言ってくれていいんですよ?」
「お気遣い感謝します。ですが、私に遠慮は無用です、いつでも構いません」
ミツルの応答を受けたエマは、空いているもう片方の手で懐から羽飾りのついた牙のアイテムを取り出した。
掌に載せ頭上に掲げながら想起するのは、半年前に流れ着きアカギと出会った漂着惑星。
使用者の意思を読み取った《キマイラの翼》は、ふわりと宙へ浮くと方位磁石の様に何度か回転を繰り返し、ある一方向へ牙の先端を向け制止する。
内側から輝きを放ち、アイテムが砕け散る。
発生した眩い光の柱に一瞬目を閉じたミツルは、再び瞼を空けた時には既に自分がホテルの一室から別の場所へと移動していることに気付いた。
緑が生い茂る深い森。大気で循環する濃密な《気》の奔流が、生命の息吹が如何にこの空間に溢れているかを物語る。人工物で埋め尽くされたコロニー内部とはまるで違う。
その場にしゃがみ地面に直接触れる事で、目の前の光景が幻でないことをミツルは改めて確認した
「これは……本当に一瞬なのですね。《キマイラの翼》とやらが一般にまで普及すれば、移動の概念が大きく変わるでしょうね」
惑星間の移動、更に遠く別星系へ移動しようと思えば、必然的に宇宙船を使う事になる。自前の船を持っていなければ定期便を利用する必要があり、移動距離が伸びればそれだけ運賃はかさむ。
船を所有していたとしても、燃料費や管理費などのランニングコストを無視することは出来ないため、兎にも角にも移動と金は密接した関係にある。
しかし仮に、ここに《キマイラの翼》が入り込めれば、蜜月時代も終わりを迎える。
ミツルの感想を聞いたエマは、静かに頷いた。
「ええ、アカギさん所有のアイテムは、多くが破格の価値を有しています。これは、私達の同盟がコンウェイ陣営に対する数少ないアドバンテージです。もし露見すれば、決勝は勿論今度のアカギさんの活動にまで差し障ります。V.V.の組織内でも機密保持は徹底してお願いします」
「勿論です。《ウェット・ファイターズ》とフラメル王国の皆様方は、約定を交わした間柄。これを裏切るような武芸者は、当団に在籍していません」
「それを聞いて、安心しました」
互いの意思確認を改めて行った後、二人は足早に移動を開始する。
五分もせずに森が開けだし、辿り着いたのは湖畔に設営されたベースキャンプ地だ。
立ち並ぶテント群。
ソーラーパネルに繋がれた簡易的な照明設備、分解組立式で背負っての運搬が可能な調理台を複数台接合した野外キッチン、コンテナ内蔵式の仮設浴場。
他にも各種設備が湖畔の周囲には展開されており、一定人数以上の集団が生活する為に必要な基盤が整えられていた。
ここ漂着惑星で決勝までの九日間、エマ達は特訓を行う。
現状、《ウェット・ファイターズ》はコンウェイ陣営に対し選手の質、量、更に付け加えるならカネとコネでも負けている。今のままぶつかれば、勝機は殆ど無い。
万に一つ未満の可能性を、分が悪い程度にまで押し上げるために《ヴィンセントヴァルキリーズ》全面協力の元、短期促成で徹底的に鍛えるのだ。
ベースキャンプ地をめまぐるしく動き回っているのは、黒のメイド服を纏った武芸者、V.V.の戦乙女達だ。彼女たちは昨日の時点で現地入りしており、特訓の準備を整えていた。
その内の一人がミツルの前にまで駆け寄ると、背筋の通った動作で敬礼をした。
「団長代理、各種設備、全て設営を完了しています。現時刻をもって、お預かりしていた指揮権を返上致します」
「ご苦労。以降は、『モード:すぺしゃる』の編成で団を動かします。現場の指揮は私が引き継ぐので、貴方は元の隊に戻ってください」
「はっ」
それではまた後程と言い残し、ミツルは黒衣の集団の中へと埋没していく。
事前にベースキャンプ地の見取り図を端末に取り込んでいたエマは、一人になっても迷うことなく目的地へ足を進める。
真っ白な天幕で覆われた、テント。負傷者を収容・治療する為の即席の野外病院だ。
エマが中に入ると、そこには医療担当であることを示す腕章をつけたV.V.団員とアカギ、そしてベッドでは口端から唾液を零し虚ろな眼をした猿が横たわっていた。
年齢にそぐわない子供のような小さなその体躯は、エマが映像越しに見た時よりも更に衰弱が進んでいるようにも見えた。
「遅れました。猿さんの容体は?」
答えたのは、複数の診察カルテを空中の投影し深刻な顔で眺めていたV.V.団員だ。
「非常に悪いですね。医療用のナノニードルで《気》を使った鍼灸検査を行ってみましたが、脳には少なくとも十数匹の《焦螟》が寄生しています。身体の方も、長年に渡って摂取し蓄積してきた『薬』の毒素で骨の髄までボロボロです」
強力な越境能力を所持している者を拉致し、蟲を植え付けた上で『薬』漬けにし奴隷として販売するその非道な宇宙海賊のやり口は、傭兵界隈でもつと有名な話だった。
商売柄、何度かV.V.でも傀儡と化した越境者とは戦ったことがあり、生きている内は意志を奪われ死した後は内側から《焦螟》に食い尽くされ遺体すら残せぬ凄惨な最期に、多くの団員達が憤慨し件の宇宙海賊を討つべしと声の上がった事も一度や二度ではない。
が、己の身体組織を組み換え蟲を作り出す越境者の宇宙海賊は、圏外最大の大海賊船団の中枢に席を持ち、狡猾かつ慎重に立ち回るため本人が滅多なことでは表に現れずV.V.では手を出したくとも出せないのが現状であった。
「……肉体強化系越境者の自己防衛反応で何とか蟲の動きを抑え込んでいるようですが、少しでもバランスが崩れれば今すぐに死んでもおかしくありません」
「分かりました、ではすぐに施術に取り掛かりましょう」
速足でエマはベットの脇、猿の頭部付近に近寄ると掌を横たわる身体の額へと乗せた。
寝具を挟んで対岸にいるアカギは、エマが視線を向けると静かに頷き了承の意を返した。
「猿さん、これから私とアカギさんで貴方を治療します。事後承諾の形になるのは、御勘弁ください」
エマは、内に宿る支配の力、《黒の王》を起動させる。
ただし、今回は訓練により体得した黒糸としてではなく、基本形態である黒い霧状の靄として。遠くの一点へ延ばすならば射程距離が伸びる糸状での運用が的確だが、近距離の面制圧ならば黒霧に軍配は上がる。
掌から生み出された黒の力が、猿の頭部、とりわけ脳に対して浸透していく。
外科手術等で《焦螟》を取り除く事はほぼ不可能だ。サイズが細胞一片以下の超極小であることも理由の一つだが、蟲は普段脳細胞に擬態しており判別することが非常に困難なのだ。しかも、自ら脳内を動き回るため巣くっている位置も時間ごとに変化する。
ただでさえ、人体の中で最も繊細な部分の脳の外科手術は非常に難易度が高い。ここに《焦螟》の悪条件が加われば、圏の内外を合わせても、施術を成功させることの出来る者は五人といないだろう。
言うまでもないことだが、エマ・フラメルに専門の医療知識や技術などない。《スクール》時代に教わった緊急時の応急処置ならば心得があるが、精々その程度。
故に、エマが今から行おうとしているのは医療行為ではなく、侵略行為だ。
ただし、支配する対象は猿ではない。その脳に巣くう、十数匹の《焦螟》だ。
眼を閉じる事で視覚情報を意図的に遮断し、エマはより意識を集中させ脳髄の内部の隅々まで黒霧による走査を行き渡らせていく。
額の裏側にある前頭葉から始まり、頭頂葉、側頭葉、その奥の奥の奥にまで。
例えどれだけ巧妙に脳細胞へ擬態していようとも、対象の意志を鋭敏に感知する黒き魔手からは逃れられない。
脳内と言う一種の内世界への黒の侵略が開始する。
蟲達は親元の越境者から伝播した濁り澱んだ悪意の残り香を嗅ぎ取られ、逃げ惑うことさえ許されず次々に黒の波濤へと飲み込まれ蹂躙されていく。
支配に抗えるか否かは、対象が宿す意志の善悪正邪の属性の偏りではなく純粋な強さによって決まる。人間の様に生への執着や渇望もなく、機械的かつ自動的な意志しか持てぬ人工的に作られた《焦螟》達では、抵抗など出来るはずもない。
約十秒。
エマが全ての蟲達を掌握するのに要した時間だ。
世界の主導権を握った『魔王』は、頭を垂れる下僕に対して勅令を発した。
『――――――――くたばれ』
瞬間、《焦螟》達は自ら命を絶ち悉く滅び去った。
元から証拠隠滅のためにそう作られていたのか、後には死骸さえ残らない。
寄生虫を除去されたことで、僅かながら虚ろだった猿の眼には光が宿り出していた。
その手で確実に蟲達の命を握りつぶした感覚を得たエマは、額に置いていた掌を離し自らの汗を拭うとアカギに言の葉を吐いた。
「後は、お任せします」
「ああ」
寄生虫である《焦螟》を駆除したからと言って、猿が全快する訳ではない。
その身体には未だ根深く『薬』の毒素が沈殿しており、蟲が食い荒らした脳へのダメージもある。直近の死は避けられても、重篤な怪我人であることにはなんら変わりがない。
アカギが《オロチぶくろ》から取り出したのは、厳重に封の施された小瓶だ。容器の形状だけならHP回復ポーションにも似ているが、中に封緘されているものはまるで別物。
透明な容器から覗かせる液体は非常に透明度の高い青であり、金砂でも内包しているのか神々しい煌めきが散りばめられていた。
あらゆる致命傷を快癒させ、あらゆる病魔を駆逐する、こことは違う異世界エクセリアでは過去権力者達が死に物狂いになって追い求めた伝説の万能薬、霊薬エリクシルである。
「猿、今からお前にこの薬を投与する。信じられないだろうが、これは紛れもない万能薬だ。どれだけ『薬』の毒が蓄積していようがまず間違いなく快癒する。だが、代償にお前の身体には凄まじい負担が掛かる」
不老不死の秘薬とまでされるエリクシルだが、同時に命を奪いかねない劇薬でもある。
古の伝承では、霊薬を手に入れた何人かの王や貴族は喜び勇んで飲んだ結果、その場で絶命している。
霊薬は、身体のありとあらゆる不浄を清める。一切の容赦なく。
姿勢の悪さや怪我などから来る筋肉や骨格の歪みがあれば、肉を引き千切り骨を粉砕し再生させた上で正常に戻す。
エリクシルは臓器、血管、神経、《霊核基幹》、肉体に存在する全てのものを一度は壊し尽くした上で、作り直すのだ。
破壊と再生のサイクルを行うことで、肉体は本来あるべき健康・完全な状態へと回帰する。
ただし、その過程に精神が耐えきれるかどうかは、定かでない。
根底が霊長兵器であり内外両面で頑強かつ強靭な『使徒』ならば、一日一本までは問題なく摂取できる。
だが、それがただの人間であったならば。
「殆ど意識は無いだろうが、敢えて問う。覚悟いいか?」
ほんの僅かに光を、人間性を取り戻した猿の眼はアカギを見た。相変わらず全身は痙攣を繰り返し、呂律は回っていなかったが、喉奥から腹からその声は木霊した。
「…………や……れっ!………」
「思った通り、やはりお前は強い男だ」
親指の力だけ封を破ったアカギは、小瓶の口を猿の胸に突き刺した。
霊薬は必ずしも経口摂取する必要はない。全身に血流を送り込む心臓へ直接注ぎ込まれたことで、五体の津々浦々へと余すことなく広がり身体に吸収されていく。
「――――――ッ!―――がっ!?―――――ぐぁあああああああああああああっ!!」
猿の絶叫。
肉が擦り潰れ骨が圧し折られていく音が響く。子供の様だった体躯が、二倍にも三倍にも膨張し弾性の限界に達した皮膚が裂け、全身から血飛沫が飛び散っていく。
体外に露出する骨や筋繊維、一瞬垣間見えたのは心臓だ。
内側から破壊されていく激痛に喘ぐ猿は、拳をその場に叩きつけた。
力任せに振るった一撃は、易々とベッドを二つに折った。悶え苦しみのた打ち回る猿を、アカギは返り血を浴びながら両肩を掴み床に押し付ける事で押し止め続ける。
「決して意識を手放すな、どれだけ痛みが身体を苛んだとしてもお前ならば超えられる。好きなだけ暴れろ、俺が全て受け止めてやる」
背後のエマ達に被害が及ばぬようアカギは猿をその場に固定してはいるが、丸太の様に太い脚で蹴りつけられようと胃からの逆流で嘔吐した吐しゃ物を吐きかけられようとも、一切防ぐことなくその身で受け入れた。
連続する破壊の中で、やがて猿の身体は湯気を帯びはじめ、瞬く間に炎の如く超高熱を発し始めた。
熱気の余波だけで、野外病院内の温度・湿度は異常なまでに高まっていく。
「アカギさん!」
後方で見守っていたエマの皮膚を、火傷すら負いかねない熱波が舐めた。至近距離で猿の両肩を押さえているアカギは、それどころか噴出した蒸気熱の直撃を全身で浴びている。
思わず駆け寄ろうとしたエマは、半年前に見た大きな背中を思い出し足を止めた。
《シルバー・セブン》を漂着惑星で建造しようとした際、アカギは素材の発する閃光や炎に焼かれながらも鎚を握り振り下ろし続けていた。
後に何故身を守る防護服の様な物を着ないのかと問えば、アカギは応えた。
『どんな武器や防具を鍛造する時でも、鍛冶と言う作業は素材に変化の苦痛を強いる。なら、その際に生じる悲鳴や絶叫を肌身で受け入れるのは、鍛冶に携わる者としての責務だ』
それは、アカギと言う人物の本質の一端を表していた。
エマと初めて出会った時もそうであった。
『戦士』アカギは、苦痛に喘ぎ現実の非情さを理解しながらそれでもと前に足を進め変わろうとしていく者に苦笑しながらも寄り添い、手を貸す。
その生き方に、エマは救われたのだ。
「大丈夫です」
エマは、自身と同じく前に出ようとしたV.V.団員を手で制した。
「ですが、このままでは……」
「今は、アカギさんを信じましょう」
滴り落ちた汗が、エマの額から頬、顎を伝い水滴として床に落ちる。
体感時間では非常に長く、端末上での記録ではさほどでもない時間が経過すると、熱波が徐々に静まっていく。それと同時に、絶えず発せられていた猿の唸り声も鳴りを潜めだす。
「二人共、もう近づいても大丈夫だ」
残留していた湯気をアカギが腕を払う事で吹き飛ばす。
視界が晴れた先には、二人の男が立っていた。
一人は、当然アカギ。全身返り血や吐しゃ物で酷い有様だったが、怪我などは一つも負ってはおらず、全くの無傷。
もう一人は、一糸纏わぬ全裸の男だった。
こちらも同じく全身余すところなく血まみれ。ただし、衣服などは一切身に着けていないため、ある種その様は生まれたばかりの胎児の如く。
身長は2m近くあるがか細さやひ弱さと言った脆弱性はなく、全身しなやかながら張りのある筋肉で覆われている。髪は黒く、それでいて床に這う程に長い。
野性味を帯びた鋭い眼つきに彫りの深い顔、ともすれば厳つい印象を与えそうな造形であったが、加齢による精神の円熟が無闇に周囲を圧する空気を発さず、寧ろ瞳には理性の光を宿らせていた。
「初めまして、と言うのも妙な話だが改めて名乗らせてもらおう」
消去法的にも状況的にも男が誰であるかは明々白々だったが、あまりの変貌ぶりからエマは脳内で男と予想の人物を結び付ける事が出来なかった。
「名は忘れた、生まれた場所も憶えてはいない。だが、君達への感謝は一生忘れぬと誓う。私は、猿。《キリングフィールド》の選手だった男だ」




