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『地獄に突き落とされたくなければ命令に従え』

 提示されたのは取引と言うにはあまりに一方的な条件。

 コロニー・ナタに存在する自身の所有している別荘邸宅最奥一室で、アレックス・ガフは奥歯を強く噛みしめながら音を鳴らした。

 部屋には金に物を言わせて収集した絵画や石像などの稀覯品(きこうひん)の数々が飾られており、普段ならば空調設備の整ったワインセラーに保管してある年代物の一品を片手に、自身の富の象徴であるそれらを肴としてアレックスは表情を悦に染める。

 だが、今顔に浮かんでいるのは逡巡と躊躇。

 奴隷をたった一体を手放すだけで裏帳簿の件が揉み消せるのなら、二の足を踏む理由は全くないが、問題なのは弱みを握られた状態のままでは今後エマ・フラメルに延々と強請(ゆす)られ続ける可能性があること

 対価が比較的に軽いモノなのは、徐々に要求をエスカレートさせていくための準備段階にも思える。一度や二度、『譲歩』してやるのならいいが、これが長期間となると話は別だ。

 つい先日ギルドに加入したばかりの外様の国の小娘にいいように転がされ侮られ続けるなど、アレックスには我慢のならないことであった。

 それと同時に、ここで断れば一寸先に待つのは破滅であり事実上選択肢はあってないようなものだと告げる保身に長けた冷静なアレックスも心中にはいた。

 天秤の揺れが一方に傾いた時、長年ギルド直轄の地位を利用し非合法な手段により私腹を肥やしてきた商人は、憎しみと猜疑心に満ちた眼で通信回線の向こう側にいるエマに問いかけた。

「………本当に、奴隷を一体引き渡せばあのデータは提出しないのだな?」

「あら、あのデータとはなんの事でしょう?これは取引です、もっと具体的に仰っていただけなければ後々困る事になるのは御自分では?」

 自身が優位な立場にいること誇示しているかのような安い煽り文言。エマのせせら笑いに、アレックスは荒く言葉を吐いた。

「っ!麻薬取引に関する裏帳簿のデータの事だ!あれがライコウ様に露見すれば、私は破滅してしまう!」

 その絞り出された声に満足したようにエマは首肯する。

「はい、確かに承りました。(マシラ)さんを即時解放していただければ、裏帳簿のデータはライコウ様に提出しないとお約束しましょう」

 ああそうだと気軽に言葉が付け加えられる。

「表向きに締結されている傭兵契約なども含めて全ての契約を破棄し如何なる賠償も求めないと言質も頂けませんか?何分、王国(ウチ)は貧乏なので」

「いいだろ、その条件で取引に応じてやる」

 裏帳簿と言う決定的な証拠さえ隠蔽できれば、まだ挽回は可能だ。

 今後数年間は、ライコウを筆頭にした麻薬や人身売買の取引を禁じている商人達から厳しい疑惑の眼を向けられるだろう。

 が、時期を見て『証拠』を用意し切り捨てても構わない部下を『真犯人』として麻薬取引の咎を背負わせ、アレックス自ら処断すれば、『身内から罪人を出すも、厳正な対応で解決に尽力した商人』と言う体裁を保つことが出来る。

 カード型の個人認証鍵を端末のリーダー部分に読み込ませ、アレックスは(マシラ)に関する契約の全てを破棄する手続きを早々と終わらせると、確認用の電子文書をARを通して対面しているアカギの端末へと送った。

 投影されたエマの映像はデータの内容を確認すると、静かに頷く。

「はい、確かに」

「もし、裏帳簿のデータが公表されることがあれば、この取引の記録をも公表し、貴様達も道連れにしてやるぞ。決して自分だけが優位に立っている訳ではない事を忘れぬことだな」

「はい、私とて圏外に生きる人間の一人。約束を違えるような愚行は致しません」

 エマの映像がヒラヒラと手を振りながら消えると、アカギが力なく倒れている猿を肩に担ぎ上げその場から去っていく。

 その背中がホールから完全に消えると、猿を捕獲するために突入した武装集団も随時撤収した。

「忌々しい、小娘が!」

 そう吐き捨て、通信を切ったアレックスは、力任せに腕を横に振るい癇癪を陳列されていた調度品に叩きつけた。

 一般的な中流階級の年収程度なら軽く吹き飛ぶ金額の精密時計や工芸品が床に散乱し、物によっては修理することが難しい破損が発生しているが、怒り心頭のアレックスには欠片も頓着する様が無い。

 地団太を踏みながら考えるのは、恥をかかされたフラメル王国に如何にして復讐するかだ。

 同じくライコウの傘下にいる以上、直接的な攻撃は厳禁だが、蛇の道は蛇。裏社会の住人達とも付き合いのある商人には、幾らでもエマ・フラメルを貶める手段がある。

 例えば、宇宙海賊にフラメルが統治する本星を襲撃させ、国土を焼き払い国民を何十人か殺させれば統治者たる王族の面目は丸潰れだ。繋がりのある商人達に働きかけ、物流を止めて国を干上がらせるものいい。

 その時のエマがどんな表情をするかを想像し、アレックスは僅かに留飲を下げた

「エマ・フラメル……私に立てついてこの圏外で生きていけると思うなよ!」

 早速幾つかのプランを実行するべくアレックスは、自らの端末で外部に連絡を取ろうとするも、既に遅かった。

 直後、部屋の電子扉のロックが解除され音も無く侵入してきた全身が黒で覆われた人影が、背後からアレックスの無防備な首に無針アンプルを打ち込んだ。




 つい昨日の9月20日、実時間にすれば24時間未満前、エマ・フラメルはアカギから一回戦で戦った《キリングフィールド》から選手を一名引き抜いて欲しいと要望を受けた。

 名前は、(マシラ)

 死肉を食らうことで自ら強化する越境者。

 エマには最初疑問だった。

 確かに巨体を成すその能力は強力であり出場選手の中でも上位層に名を連ねる一人でもあるが、猿以上に強い選手や闘士ならばコロニー・ナタには何人もいる。

 ケビンが義体を粉々に破壊したため戦えるかどうかは不明だか、可能ならば《グランドチャンピオンズ》のマッドマックスを引き抜くのが最善であるとエマには思える。

 《グレイヴバルチャー》への雪辱に燃える闘技場覇者ならば交渉もしやすいだろうし、何より敗退したはずの王者の復活劇からのアカギやケビンなどの嘗ての敵との共闘など、エンターテイナーであり観客を大事にするチャンピオン好みの状況が揃っている。

 何故この状況で態々アカギの一撃で敗北した者を引き抜こうとするのかとエマが問えば、『戦士』は所感を語った。

『手心を加えたつもりはなかったんだが、殺し切れなかった』

 一回戦、アカギは明確かつ嗜虐的な殺意を向けられた事もあり、躊躇なく《キリングフィールド》の選手達を屠っていった。

 四人目までは、有効打が決まればほぼ即死だった。

 五人目、頭部を粉砕する必殺の意を以て放った一撃は、直撃の瞬間にほんの僅かに打点がズレたことで、頭と胴を引きちぎるに留まり完全に絶命するには至らなかった。

 奇跡にも等しい悪運か、死に瀕した際の火事場の超反応か、理由は如何なるものであろうとも、それは本気で命を奪いにかかった『使徒』の攻撃を凌いでみせたことに他ならない。

『結局のところ、戦いは最後まで生き残った者の勝ちだ。もし俺が一名をチームに加えるならば、誇り高く潔い英雄よりも生き汚く往生際の悪い死神を選ぶ』

 アカギにこうまで言われては、エマには否など抱きようもない。

 決勝までに時間も無いため、フラメル王国王権代行者は自身の権限とコネに《魔王》としての力を駆使、共闘関係となった《ヴィンセントヴァルキリーズ》の情報網や人員も借りて、猿や彼が所属しているチームや雇い主のオーナーについて調べ上げていった。

 本来の無差別争覇杯の日程は、9月21日に準決勝、23日に決勝を行う予定であったが、急遽プログラムが変更になった事で決勝バトルロイヤルの開催は後日にずれ込んでいる。

 9月30日、それが決戦の日時だ。

 元々予定していた内容から大きく形式も状況も変わっているため、大会運営委員会が万全を期すため――あるいは超大型兵器を多数用意したいコンウェイの思惑が反映され――10月にまで延期する事も考えられたが、四半期の第三クオーターの決算月である9月中にどうしても数字を出したい数多くの大会協賛企業に押され、9月の最終日に捻じ込まれた形だ。

 残り九日。初めて顔を合わせてから一カ月未満の者が大半の《ウェット・ファイターズ》のチームメンバー同士の意識の擦り合わせや連携の訓練などの時間を考えると、一刻でも早く猿を引き抜く必要がある。

 故に、エマが念入りに探したのはK.F.のオーナーであるアレックス・ガフへの脅迫材料(・・・・)だ。

 商人同士が行う正道の交渉とは、お互いの腹を内を探り合いつつも譲歩出来るところは譲歩し、互いの妥協点を探していく行為なのだ。一方的に相手の弱みを突きやり込めれば、一時的には多くの利益を生み出すことは出来るだろうが、その関係は決して長続きしない。

 誰が好き好んで、損失しか生じない不利益な取引を結ばせようする相手と付き合うと言うのか。

 一流の商人とは、自分は元より相手も儲けさせ利益をあげることにより、経済を循環させることの出来る人物を指すのだ。

 その観点から言えば、裏帳簿の存在をチラつかせ猿を引き渡させるという行為は下も下、交渉とも言えない脅迫に相当する。

 可能な限り避けるべき行いであるが、悠長に話し合っていては決勝戦に間に合わない事、そして何より調査の過程で判明した貧困層に麻薬を売りつけ薬漬けにする、臓器移植の為のストックとして人間を『飼育』するなどの弱者を食い物にするアレックスの数々の諸行が、エマの心中にあった躊躇容赦の感情を捨てさせた。

 交渉の決め手なった、裏帳簿。

 実のところ、あれはエマが複製した真っ赤な偽物だ。

 V.V.の協力の元、コロニー・ナタを訪れていたアレックス腹心の部下の一人を捕捉し、高級クラブで商談中の隙を突き部下とその個人端末を《黒の王》の糸で絡めとり、エマは記憶・記録を抜き取った。

 その際に得られたのは、格好の脅迫材料である違法取引をまとめた裏帳簿が存在するという事実とその一部のデータ。

 分割されたデータの管理者全員を探し出し、情報を抜き取れれば話は早いのだが、今コロニー・ナタにいるアレックス腹心の部下は一人のみ。

 エマの《黒の王》により発現する万物を支配する力を持つ黒糸は、差し込めばありとあらゆる情報端末からセキュリティなどの防壁を無視して内部に侵入し情報の改竄なども思うがままだが、射程距離100mの物理的距離と言う制約を持っている。

 対象に近づけなければ、裏帳簿のデータを奪うことは出来ない。だが、ごく短時間で効果的にアレックスを揺さぶれる脅迫材料となると裏帳簿以上の物は存在しない。

 そこでエマは、モノを偽造することにした。

 本物のデータは無くとも、アレックス腹心の部下の記憶を読み取った際、そこから抽出した裏帳簿に関する映像記憶がある。

 それを元に、エマは偽の裏帳簿を作る事を決めた。

 制作を担当したのは、天才ヒャクシキ・ツハード。エマの意思や思考を強制的に伝える《黒の王》の応用で、黒糸を介して映像記憶を受け取った希代の天才は、《ノイマン》の整備と並行しながら極々短時間で本物そっくりな裏帳簿を作り上げてしまった。

 ただ、幾ら博識多才なヒャクシキであろうともこの手の偽造は専門外かつ複製は突貫作業で作り上げたシロモノ、おそらく本物とは細部のディティールで相違してくる部分が無いとも限らない。

 注意深く確認などをされれば、偽物と看破される可能性もある。

 故に、エマは交渉の際まずは最初から偽の裏帳簿を出すのではなく、わざと本物を持っている者にしか分からない断片的な情報をばら蒔いた。

 裏帳簿は偽物であっても、記述されている取引記録自体は映像記憶から読み取った本物の情報。

 詳細な数値を知っていれば知っている程に、アレックスの中では『エマが裏帳簿を握っているのでは』という考えが膨張していく。

 後は、偽の裏帳簿を広げつつも、『麻薬』『偽死七選』など当事者ならば意識せざるえない話題を適時に投げ掛けていくことで、深く考える余裕を与えず冷静な判断能力を奪っていく。

 追い打ちは、詐欺師の常套句を言えばいい。

 今ならまだ間に合う、と。

 結果、アレックスは業腹でありながら要求を呑んだ。

 表沙汰には出来ない違法取引や犯罪行為を繰り返してきた商人は、ありもしない裏帳簿の存在に怯え、失態を晒したのだ。

 フラメル王国がコロニー・ナタでの拠点として借りている老舗ホテルの一室にて、一区切りつけたエマは事務机に着いたまま背伸びをした。

 昨日からの作業で凝り固まった関節をほぐす体操でもしようかと考えていると、音を立てることもなく机の上に湯気を引く紅茶が配膳された。

「お疲れ様です、エマ様。お茶を淹れましたので、どうぞ召し上がってください。もしよろしければ、マッサージなどもいかがですか?」

 眼鏡をかけた知性的な武芸者ホウセン・ミツルが柔らかな笑みと共に問いかける。

 療養中のレイホウに代わり、昨日からエマの補佐を引き受けているのはV.V.の団長代行であった。《スクール》時代、各分野の才人達を見てきたエマの基準からしてもその分野を問わない多角的な仕事振りは非常に優秀であり、出来るならばフラメル王国に引き抜きたいと思った程だ。

「ありがとうございます、ミツルさん。折角ですが、お茶だけ頂きます。今マッサージを受けてしまったら、そのまま眠ってしまいそうなので」

 エマがカップに口を着けると、さっぱりとした酸味と爽やかな後味が疲れた心身を癒してくれる。最低限の休憩のみで昨日から各所を飛び回っていたため、本音はこのまま倒れ込みたい所存だが、まだやることが残っている。

「分かりました。では、なにか御要望があればいつでも仰ってください」

 やんわりと断りを入れるエマにミツル軽く頷くと、事務机の上に積み上がっているアレックス・ガフの資料を見た。

「ところであの商人は、どうなりましたか?」

 武芸者が奉じる概念に五徳と言うものがある。

 即ち、仁・義・礼・智・信。

 流派により五つの文字のどれかが別の文字に置換される、微妙な解釈の違いなどがあるが、概ね武芸者とはかくあるべしとされる姿勢や在り方の基本が五徳だ。

 その理念に鑑みれば、アレックス・ガフは唾棄するべき外道の一人。道から外れた輩は恨み辛みから復讐行為に走る場合も多い。今後フラメル王国勢やアカギ、V.V.などに害を成す可能性があるならば先んじて対策を講じる必要があると考えるミツルに、その心中を察してエマは簡潔に述べた。

「大丈夫です、その件に関しては上役のライコウさんが後始末をつけてくれます」

 締結された取引内容に従い、エマは決定的な証拠と成る裏帳簿の提出は行わない。尤も、本物の裏帳簿のデータなど手元には存在していないため、出しようがない。

 が、アレックスにも宣言した通り、既にエマは麻薬取引や人身売買の記録をまとめた裏帳簿の存在についてライコウへ情報を流している。

 そしてその際、アレックスとの間で行われる取引の映像を、ライコウの端末へとリアルタイムで送信する取り決めも同時に行っていた。


『っ!麻薬取引に関する裏帳簿のデータの事だ!あれがライコウ様に露見すれば、私は破滅してしまう!』


 本人の口から直接語られた、自白にも等しい発言。裏帳簿が無くとも、この発言とそれまでの会話記録で証拠としては十分。

 ギルド直轄の御用商人かつ五帝とも繋がりの深い者の犯した、明らかな禁忌。

 組織の範を維持するためにも、苛烈なライコウはまず間違いなく、即座にアレックス・ガフを処断する。

「まあ、仮に偽死七選を免れたとしても、後の人生の全てを過酷な特殊環境下の資源惑星でレアメタル坑夫として過ごす事になるでしょうね」

 太陽風や地殻からの磁気の影響などで、文明の利器たる電子機器や機械類が一切使用出来ない惑星などは稀に存在し、もしその星に貴重なレアメタルの鉱脈などがあった場合、採掘作業は前時代的どころか原始的とさえ言える人力に大きく依存したローテクノロジーのものになる。

 落盤による崩落や地中からの毒ガス噴出などの危険性も高い。誰も自ら進んでやるような仕事ではなく、採掘作業は主に罪人への刑罰として課せられる。

「それを聞いて、懸念が解消されました」

 胸を撫でおろしながらミツルは安堵し、言葉を吐いた。

「かの《不倒翁》の差配となれば、捕縛に動いたのは直属の隠密部隊。正直な所、シノビの者達の金さえ積めば見境なしの流儀は同じく《気》を扱う武芸者として正直どうかと思いますが、その腕前は確かです。アレックスが逃げおおせる可能性もまずないでしょう」

 エマは、紅茶を飲み干すと会釈で礼を表しつつカップをミツルに返した。

 机の上の資料を手早く片付け、勢いをつけて椅子から立ち上がる。

「さあ、《シルバー・セブン》に向かっているアカギさんと合流しましょう。猿さんの勧誘は、寧ろここから本番です」

 取引により、契約上猿は自由の身となった。だが、その脳には越境能力により寄生させられた心身を蝕む《焦螟(しょうめい)》が巣くっている。これを除去し猿へ加入への意思確認を行わなければ、本当の意味で引き抜き作業は終わらない。

 そしてそれを実行するには、エマの《黒の王》の力が必要不可欠であった。

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