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翡翠色の瞳の少女、エマ・フラメルが破顔一笑で大笑いし王国存亡を左右する賭けに躊躇なく乗った事で、その場の流れが変化の兆しを見せ始めていた。
王国側の優勝予想チームに選択された《ウェット・ファイターズ》のプレートがARにより空中に描画されていく光景を視界に収めながら、五帝の若手筆頭は脳髄の思考回路を高速で回転させる。
採決未投票から始まる一連の仕込み、コンウェイによって仕組まれた術中に於いて、エマ・フラメル第一王女には選び取れる選択肢が二つあった。
敷かれた筋書き通りに賭けに乗り《グレイブヴァルチャー》を優勝チームに選択するか、あるいは場の流れやお膳立ての全てを無視して賭け自体を拒絶するかだ。
賭けに乗れば、当初の目的である五帝の地位売却は達成されるが、大きすぎる負債を背負ったフラメル王国に待っているのは過干渉から始まる隷属という名の未来。
賭けを拒絶すれば、土壇場で尻込みをする臆病者、そんな状況に陥らぬよう対策を講じることも出来なかった無能として烙印を押され、組むに値しないと繋がりを得た五帝からも縁を切られ寄る辺なく孤立してく未来。
だが、エマ・フラメルが選択したのは予想されたどれでも無く、賭けには乗りながらも無差別争覇杯初参加の無名チーム《ウェット・ファイターズ》を優勝予想に選ぶというものだった。
件のチームは派手なパフォーマンスと物珍しい内容の試合を繰り返す事で、ここまで勝ち上がってきた新参だ。
綿密な計算の上か偶然の産物かは定かではないが、W.F.の試合はとにかく目立つ。
一撃KO宣言からの五人抜き、自ら不利を背負った上で闘技場王者に逆転勝利し、義体化がほぼ既定路線の大会で生身のまま試合を行い義体化人以上の高速戦闘を見せつける。前代未聞の稀有な記録を毎度の如く乱立させるため、好む好まざるに関わらず多くの観客達を惹きつけていき今では運営員会もおいそれとは『工作』で潰す事が出来ないまでに知名度が膨れ上がっている。
ここまで勝ち抜いてきた実力は偽りではないのであろうが幾ら派手な看板を用意しても、W.F.はコンウェイが専属で長期契約を結んでいるG.V.に勝つことは出来ない。
型落ちの時代遅れとなった小型戦艦一隻で息巻く十名程度の木っ端海賊団から、何十もの星系を金と暴力で支配する大海賊船団まで数多くの悪党が圏外では蠢いているが、そんな命知らずの極悪人達が口をそろえ『奴らだけは敵に回すな』と顔を青くするのがG.V.だ。
団長のラファエル・レーヴィトを筆頭に団員の全てが一騎当千の猛者であり、一度請け負った仕事はそれがどんなに困難なものであろうとも必ず遂行するプロフェッショナル集団。
特殊な越境能力が引き金となり圏外を震撼させることとなった『饕餮事変』や連盟政府高官がテロリストに誘拐されたことで圏内と圏外であわや全面衝突と成りかけた『ガイスト事変』を可及的速やかに解決したのは他でもないG.V.であり、その積み上げてきた戦績を列挙すれば枚挙に暇がなくザイ・コンウェイが仕切る圏外の様々な場所に伸びる販路や流通ルートは、G.V.の雷名により守られていると言っても過言ではない。
科学技術隆盛の現代でなお語り継がれる伝説、それがG.V.だ。
四年前の前大会では彗星の如く電撃参戦し、前々回大会の優勝チーム《グランドチャンピオンズ》さえも下した。『ガイスト事変』を解決に導いたことでその銀河でも指折りの実力は連盟圏内にも轟いており、元連盟加盟国であり無差別争覇杯についても事前調査をしたであろうフラメル王国側が知らないはずはない。
交渉現場で様々なタイプの人間を相手取ってきた経験から、コンウェイはエマの余裕を崩さぬ自然体がその場凌ぎための演技でないことを見抜いている。迷いや恐れは一切なく、その根底にあるのは揺るがぬ自信と確信。威風堂々としたその様からは、年齢にそぐわぬ風格すら感じる。
たった十数秒、三回戦を突破した四チームのプレートを見た事で苦境に歯噛みしていた少女の内側で『何か』が劇的に変化したのだ。
その理由に対し幾つかの予想を立てることはできるが、結論を断じるには確たる証左がなくこの場で答え出す事は出来ない。
五帝ザイ・コンウェイは、残り三枚となったプレートから一枚を選び取った。
「それでは、私はこの《グレイブヴァルチャー》を優勝予想に選びましょう」
両者が予想を決定し、王国側と五帝側の中間の空間にはW.F.とG.V.のプレートが一回り拡大された状態で浮かぶ。
歴代の五帝の中でも最年少でその地位に就いた若手筆頭は、焦らない。その必要もない。
王国側にどんな思惑があったとしても、エマ・フラメルがどんな挙動を見せたとしても、圏外最強の傭兵団G.V.の強さが陰ることはなく、優勝の枠もまた動かない。
決勝が終われば採決は賛成二反対三で否決が確定。地位売却の決議を利用して《ノイマン》を手に入れることは出来なかったが、それならばそれでも構わない。ビジネスが予想通りに進まないことなどそれこそ当たり前で、重要なのは如何にして現実を設定した目標に近づけていくかの手腕。
無差別争覇杯終了後の計画を脳髄で組み立て始めたコンウェイに、二つのチーム名を投影したARを挟んだ対岸に立つエマは微笑みかけた。
「コンウェイ様……少し、よろしいでしょうか?」
まるで午後のお茶会に友人を誘うような朗らかな表情。凄んでいる訳でも冷酷さを滲ませている訳でもなく、それでいてその場にいた誰もが彼女の声を無視できずにいた。
「………何でしょうか、エマ王女?」
「このままでは、賭けの内容が少々不公平だとは思いませんか?」
「何かご不満な点でも?条件は公平を期していると私は考えますが」
賭けを了承し、互いに優勝チームを選択した状態での物言いなど悪手も悪手。ここまできて何を今更宣うのかと眉を顰めるコンウェイに、翠の瞳の少女は笑みを崩さない。
「逆です、コンウェイ様。まるで足りていないのです」
エマは、静かに言の葉を紡ぐ。
「私達、フラメル王国側が敗北した場合に支払う代償が、この賭けには指定されていないのです」
五帝の若手筆頭からの提案で行われている賭けの内容は、王国側が大会の優勝チームを的中させればコンウェイは売却の決議に賛成票を投じ、はずせば反対票を投じるというもの。
元々の票の分布が賛成票二、反対票二、未投票一。この状況では地位売却が成立せず、結果だけ見れば王国側にとっては賛成票二、反対票三で否決となった場合となんら変わりがない。
つまり、ある意味でこの賭けは王国側が現状よりもリスクを負うことが無いよう設定されている。無論、それはコンウェイが、エマが賭けに乗る事に二の足を踏むのを避けるための策略であり、善意などは欠片も含まれていないが。
「挑戦する機会を与えてくださったコンウェイ様の度量に報いるべく、フラメル王国に代償の選定をさせていただけないでしょうか」
成程とコンウェイは心中で頷き、脳髄で思考を巡らせる。
これは、取引の提案だ。
どう転んでもフラメル王国は多くのモノを失う。
ならば、賭けの敗北を確定事項とし、能動的に自らコンウェイに差し出す事でその被害を最小限に留め、苦渋のその先で国家の独自性を保とうとしている。
コンウェイ側からしても、悪くない話だ。『負債』を盾に干渉し、弱者である王国から一方的に搾取したと後ろ指を刺されぬようじっくりと時間を掛け、《ノイマン》などの技術を吸い出しながらも適度に飴を与え傀儡にしていく目算であったが、それらを王国側から差し出してくれれば角も立たずに穏便かつ早急に事を進めることが出来る。
あの大笑いも、己の身に刃を突き立てるが如き行為を自ら行うという精神的負荷を緩和するため、敢えて感情を爆発させ落ち着きを得る一種のクールダウンだと考えれば後々の態度や行動にも納得がいく。
得られた情報や推測から様々な計算を瞬時に行ったコンウェイは、王国側の申し出を了承した。
「いいでしょう、エマ王女から提案されるのでしたら、私は否定する舌を持ちません。どうぞ、代償をお決めになってください」
五帝の纏め役であり、運輸部門を司る若手筆頭がフラメル王国の持つ財の中で最も欲しているのは言うまでも無く物流に革命を起こせる《ノイマン》の詳細なデータと実物、そして船の開発を行った天才、ヒャクシキ・ツハードの身柄。王国側が差し出してくるのは、当然これらであるとコンウェイは予測する。
その考えは、正しくあったが、同時に間違ってもいた。
「ありがとうございます、コンウェイ様。では……」
軽く息を吸い込むと、エマは言葉を吐いた。
「私は、代償としてフラメル王国に帰属する人命、財産、国土その全てを賭けます」
事も無げに、個人の全財産どころか国家の全てが賭けのテーブルに乗せられる。
一瞬ではあるが、鼓膜から拾い上げられたその音情報を、コンウェイの脳は理解することが出来なかった。
「え、エマ王女!御自分が仰っている意味を理解されているのですか!?もし、賭けに負ければっ――――」
「はい、私を含めた王族、臣民の全てが最低限の尊厳さえも失った奴隷以下の存在と成り果て、心身・人生の全てをコンウェイ様に捧げる事と成ります。御安心ください、フラメル王家の名に誓って敗北した際には滞りなく事が済むよう、手筈は整えておきます」
連盟に多くある民主国家ならばこのような民の意見を無視した取り決めをすることは不可能、仮に実現できたとしても相当な長期間の調整を必要とする。絶対君主制の長所と危うさこの即時性に集約されており、王を頂点と抱く国は極々少数の人間の意思で国家の指針が決まる。
オーギュスト王よりその全権を預けられている王権代行者であるエマ・フラメルは、即決即断でフラメル王国の全てを自由に差配出来る立場にあるのだ。
「……流石にそれでは負けた場合のリスクが大きすぎます。差し出がましいかとは思いますが、再考されてはいかがでしょう」
「御忠告痛み入ります。ですが、コンウェイ様のご厚情に報いるには私共の全てで以って応えなければ、私はこの交渉を任せられた父上に叱責されてしまいます。どうかご容赦を」
笑顔のままで返答するエマに、コンウェイは思わず机の上に置いていた拳を固く静かに握り締めた。
それは、正しく王国側からの痛烈なカウンターであった。
先日の交渉現場でビジネスは何よりも信用が第一とコンウェイ自身が述べたように、圏外中の商人達の頂点に立つ五帝は、下から槍玉に挙げられるのを避けるため多角的なビジネスを円滑に行うため他の誰よりもこの無形の信用という担保を保全し続けなければならない。
実際に一切の不正を行わず清廉潔白な商売をする必要はない、重要なのは大衆などの大多数から抱かれている信頼と実績のイメージを崩さぬ事。
確たる基準がなく人の思い込み一つで容易く失墜する信用とは、築きがたく、崩れやすい。
エーテルによる情報通信ネットワークが銀河の辺境を含めた津々浦々にまで広がっている現代社会、ちょっとした噂話や風聞でもそれが大衆の興味を引けば光よりも速く伝播して拡散していく。
無差別争覇杯終了後、五帝との非公開の交渉の現場でコンウェイ主導の元に行われた賭けの結果、連盟を脱退したばかりのフラメル王国が何もかもを失ったなどと言う時勢的かつ衝撃的な話題がネットワークの電脳の海に投下されれば、その話は尾ひれ背びれを生やし瞬く間に五帝ですら制御不能な無形の怪物へと成長する。
大多数の注目が集まるのは過程ではなく、結果。
実際に起こった複合的な出来事を簡潔に分かり易く伝達する関係上、情報として落とし込む際に元の事実に対して省略・要約は避けられない。抽出されるのは多くの場合、印象に残りやすい物事の始まりと終わり、つまりは原因と結果であり意図的に情報を精査し過程を調べようとでもしない限り多くの者にとってその二つのみが『事実』となる。
連盟の権威を失墜させるため、連日のネットニュースなどの報道関係でフラメル王国の悲劇性がピックアップされ王女がギルドへの加入を希望していると報じられていたのも輪をかけて状況を悪くしている。
圏外に住まう多くの者はこう思うだろう、『五帝ザイ・コンウェイは祖国の命運を背負って単身交渉に臨んだ小国の王女を唆し、その全てを奪った』と。
暗黙の了解で強き者こそが正義であるのが圏外の習わしではあるが、まがりなりにも交渉に来ただけの相手が背負う国家の全てを収奪する行為は、度を超えている。大多数が思い描く構図では、エマ王女は完全な被害者でありコンウェイは弁護しようもない加害者となるだろう。
大衆に、権力をかさに新参者に対し容赦のない仕打ちを行う冷酷非情なる五帝というイメージを抱かれることは、絶対に避けなければならない。
コンウェイ一人の責任問題で終わるならまだいい。最悪なのは、今回の件を切っ掛けにギルド・アライアンスそのものが非道を許容する組織体質である大衆に認識されること。そうなってしまえば、組織に加入を望む国家は企業は激減し、ギルドは立ち行かなくなる。
他の五帝達はその最悪の事態を事前に避けるためならば、躊躇なくコンウェイから五帝の地位を剥奪し組織から追放するだろう。
加齢による辞任などの円満ではない理由で五帝の地位から退いた者の末路は悲惨だ。
圏外屈指の権力を振るえる立場についていただけあり、多くの場合恨みを買った海賊やテロリストの標的と成り追われることとなる。最年少でその地位に就くため、今まで強引な取引を散々行ってきた自覚もあるコンウェイは、保身のみならず延命のためにも不名誉な理由で五帝の地位を離れるわけにはいかなかった。
「おお、御自身達のみが安全圏にいることを是としないエマ王女のその気高さ、誠に感服します」
表面上は恭しくも、内心では若手筆頭の腸は煮えくり返る思いだった。
王国側が捨て身で放ってきたカウンターへの対抗策は、分かりきっている。
この賭けを大々的に公表し、その上でコンウェイ自身も己の全てを賭けの対象とすればいい。
非公開の交渉や賭けで、王国側が全てを失ったという結果のみが認識されるのが問題なのであり、誰の目にも見える形の公平な勝負で『勝ち取った』と認識されるならば悪評は着かない。それこそ強き者が正義である圏外の流儀に則った、正当な報酬なのだ。
だが、コンウェイが対策を理解していながら二の足を踏むには理由があった。
互いに賭けるモノの差だ。
一口に全てを賭けると言っても、エマ・フラメルとザイ・コンウェイでは賭けのテーブルに乗せるモノに開きがありすぎる。
フラメル王国の総人口はどんなに多く見積もっても一億人を超える事はなく、これと言った産業も無ければ、稀少な資源が採取できるわけでもない。
対して五帝ザイ・コンウェイに紐づけられている組織の数は関連企業を含めれば数百に上り、そこに属する人間の数は軽く十億を超える。豊富な鉱脈を持つ十の資源惑星を所有し、その気になれば圏外の経済の百分の一を操作することさえ出来る。
富と言うよりも圏外経済の一部とも言うべきモノを、吹けば飛ぶ小国に属するモノ全てと等価値として扱わなければならない業腹な状況に、コンウェイは奥歯を強く噛みしめる。
かと言って下手なモノを賭けの対象にしてしまえば、不公平感が増しやはり悪辣のレッテルを避ける事は出来ない。
「コンウェイ様、どうかされましたか?お顔が少々赤らんでいるようですが」
「……いえいえ、御心配ならずとも私は壮健ですよ――――ええ、本当に」
王国側が指した一手はただ捨て身なだけでなく、互いの立場の違いをも利用した奇手であった。現状を正確に把握、自らの弱ささえも利用し、油断した格上の相手の喉元へ刃を突き立てる逆転を狙う一手。
遅まきながら、コンウェイは理解する。
フラメル王国に、正確に言えばエマ・フラメルには退く気が一切無い。
この場に於いては、譲歩も妥協もしない。なぜならば彼女にとってこれは交渉などではなく、どちらかがもう片方を屈服させるまで続く潰し合いだからだ。
全てを賭けて向かってこいと、まるで傲岸不遜な王の様に言外に告げている。
「それでは私もエマ王女の心意気を買い、この賭けにOOE社の代表取締役の椅子と株式の70%を上乗せしましょう」
伸るか反るかの大勝負に興じる程、コンウェイは数寄者ではない。常に保険をかけておき、万が一に備えるのが常。
故に、行ったのは線引きだ。
OOE社はザイ・コンウェイが代表取締役を務める圏外を代表する企業の一つであり、設立当初から創設者として長らく関わってきた虎の子だ。圏外で運行する大部分の船舶の生産を担い、宣伝も積極的に行っているためネームバリューは相当なものがある。
大衆への不公平感を軽減するだけならば、何も全てを賭ける必要はない。仮に失っても立て直すことが可能なラインをコンウェイは瞬時に見極め、手札を切った。無論、完全同一条件の全賭けでない以上、不審を完全に払拭することはできないがそれは時間を掛けて信用を回復していけばいいだけの話。
既にフラメル王国は全てを賭けると宣言してしまっているため、これ以上の上乗せは発生しない。
知らず知らずの内に緊張を強いられていたコンウェイは、知気取られぬ程小さく息を吐く。
動揺を晒した場面もあったが、結果は上々。これで合法的かつ速やかに《ノイマン》を手に入れることができる。また、何らかの不測の事態が発生しても、被害は最小限と成る。
総合的な『勝ち』を確信したコンウェイは、しかしくぐもった音を聞いた。
発生源は、すぐ近くの真横。
笑っている、口元に拳を当てながら老獪が一人でこの状況で笑っている。
「若い者同士でなにやら面白そうな事をやっておるのう、どうじゃ儂も混ぜてくれんか?」
五帝最古参、それまで沈黙を保っていたシュン・ライコウが動き出した。




