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いつも読んでくださっている方々、誠にありがとうございます。
連日の猛暑で体調を崩してしまったために、更新が遅れてしまいました。
申し訳ございません。
引き続き、体調と時間の許す限り二週間前後の頻度で更新を続けていこうと
思っていますので、今後も拙作にお付き合いいただければ幸いです。
《沙羅双樹》の鼓動と同調し、火花を散らせ金属音を響かせながら刃を間断なく振るい続けるハクア。
三昧至宝と呼吸を合わせ刃を上下左右縦横無尽に走らせる苛烈な攻めは、装備の出力や強度に物言わせるだけが取り柄の三流二流の傭兵ならば、視認は愚か何をされたのを理解する前に細切れになるのが定め。
されど、切っ先が向けられている相手は万夫不当の勇であるアカギ。《仙丹》を持たないため《気》を扱えず一切武術に通じておらずとも、その人間離れした身体強度は計り知れず戦闘に関する技量の深みは底知れず、武芸者の最高峰である達人にすら匹敵する者。
常道の攻撃が通用する道理はなく、しかしそれで構わないとハクアは断じる。
一連の攻勢は、最後の賭けに出る為の前座に過ぎない。寧ろこの程度の攻撃で倒れるような惰弱な相手ならば死力を尽くす価値はない。遥か彼方に佇む頂にこそ、武芸者達が目指すものはある。
ハクアは、《仙丹》から五体を通し《気》を全方位に放出し仕掛けを起動させた。
アカギを包囲する位置にて浮遊しだしたのは、大小様々な黒き無数の群れ。全ては削られ壊されたリングの残骸が磁力で強固に結び付けられた漆黒の鏃だ。体外に放出すれば途端に霧散してしまう《気》を、ハクアは試合前に切り落とした自身の一部であり媒介でもある頭髪に込め、戦いながら散布することで《気》の残留時間を延長させ、罠として成立させた。
「一斉、発射」
全方位、大剣の間合いの内と外の両方を埋め尽くする黒い鏃が、ハクアの意思に従い怒涛の如く射出される。
包囲の中にあっても、鏃がハクアを穿つことはない。その身に纏った外通力の《気》は磁力の性質を付与されており、飛来した黒き鏃の大群は縫うような軌道で武芸者の身体を避けアカギのみを穿つ。
高速で回転し、命中することで炸裂する鏃。脳天から両足の先端までを黒に飲み込まれるアカギの姿は、まるで蟻の軍隊に狩られようとする巨象。一つ一つの鏃は小さくとも群れを成した物量攻撃はその全身を文字通り埋め尽くした。
だがそれでも、『戦士』であるアカギの命には届かない。
流派:ムラクモの使い手である武芸者、ハクアが霊長兵器である『使徒』に痛手を負わせることの出来る一手は、限界まで《気》を圧縮して解き放つ神速抜刀による浸透斬撃解体のみ。
試合開始から罠を張り、少なくない《気》を消費し大量の鏃を用意しても、出来るのは一瞬という僅かな時間を稼ぐことだけだ。
そう、この瞬間を作り出す為に、ハクアは初手からあらゆる布石を打っていた。
相対距離、タイミング、自身と武装のコンディション、全ての項目が是であると感覚が告げる。
稼ぎ出した時間を以って納刀を行い、ハクアは大きく構えを変える。
右手を、右腰に佩く今までの苦楽を共にしてきた愛剣の柄へと。
左手を、左腰に佩く師匠から受け継いだ《沙羅双樹》の柄へと。
共に逆手持ちの状態で握り、腰を落とすことで身体を縮め鞘の内部に《気》を凝縮する。更には納刀時には水平な地面に対し刃を上に向けて山なりを描くように腰に差すのが常であるが、二振りの刀を両方共に刃を返し下を向けさせる。
その型は、基本から外れた奇形も奇形の型であった。
本来、右利きならば左腰の鞘から右手の順手持ちで抜刀する。左利きはこの逆だ。二刀を扱う場合でも、刀は左右の腰のどちらかにまとめて交差させた状態で帯刀し、抜刀する。
左右の腰の両側に刃の向きを下に帯刀し、それを逆手で握り抜くというのは、流派:ムラクモの型には存在しない。
また、主に近接武器を扱う武芸者の基本姿勢からも大きく外れる。敢えて近似をあげるならば、母星の西部開拓時代に存在したという、早撃ちを得意とする実弾銃使い達が愛銃に手を掛ける姿だろうか。
ハクアが構えを変更したのとほぼ同時に、アカギは全身に纏わりつく黒い群れを振り払った。神速抜刀によるものを除けば、一切の怪我や疲労も無くその肉体はまさに堅牢。
見たこともないハクアの構えを視界に捉え、アカギは笑みを深くする。
不動の大山を踏み越えるべく、白髪氷瞳の武芸者は練り上げた《気》を、己の積み上げた修練の全てをぶつける。
「流派の御歴々方ならび師匠―――――浅学非才の身なれども、遺された奥義書に只今より一筆付け加えさせていただきます」
それは、ハクアが十年以上を掛けて学んできた流派の集大成でありながら、既存の技術体系には存在しない少女独自の創意工夫にして、無理を通すための覚悟。
流派:ムラクモ独自編纂《流星光底》。
《気》の爆発と共に射出される左手の《沙羅双樹》、性質付与による磁力の反発、柔軟な上半身の関節可動を活かした伸縮の力を乗算された変則にして神速の逆手抜刀。
肋骨を断たれ心臓真上を鋭く熱く切り裂かれたアカギは、驚愕に心を沸かせ確信する。
逆手の変則抜刀は、順手で行う抜刀よりも速く、そして重いと。
右手で鞘引きを行えない分、刃を加速させることが出来ず威力が落ちる様にも思えるが、それを補って余りあるものこそハクアの打った布石だ。
黒の鏃群は、単なる時間稼ぎの為だけに放たれたものでは無い。その真の目的は、磁性を帯びた金属片を大量にアカギに浴びせかけ、眼に見えぬ程の微細な破片を付着させ強制的にアカギにも同様の磁力を帯びさせること。
凝縮された《気》の爆発、鞘の金属部分との反発により神速状態で放たれた金属の刀身は、アカギの帯びた磁力に引き寄せられることによりもう一段階加速する。
即ち、磁界神速抜刀。
『使徒』の反応速度さえも超える一閃は、対象への刃への単位当たりの接触時間をより延長させ体内に浸透させる《気》の斬撃の威力をも向上させる。
寸分違わぬ威力と速度で放たれる右の一閃。
寸毫違わぬ正確さで左の一閃と全く同じ個所をなぞる様に鋼の刃が奔り、断たれた骨と骨の隙間を抜け傷口を切開しより深く心臓へと切り込む。
残り数センチ先にまで迫った死に、口端から血を零しアカギは好戦的に笑う。そして、愛剣を手に臆することなく前へと踏み込んだ。
「浅いっ!……骨肉を断っても、命を絶たねば俺は止まらないぞ、ハクア!」
抜刀された瞬間、神速で奔る刃を捉える事は出来ない。故に攻め込むべきは、抜き放たれた刃が再び納刀され、《気》が再収束されるまでの僅かな時間。
武芸者ならぬアカギに、《気》の動きを視認することはできない。しかし、都合四十一回。己の身を何度も切り裂かせることにより、『戦士』の耳目はハクアが《仙丹》を稼働させる際に口端から漏れる独特な呼吸音を、胸部奥の肺が行う伸縮運動を観察し、攻撃のタイミングを掴んでいた。
踏み込んだ一歩先の視界で、アカギは見る。
既に、納刀を終え《気》が限界まで収束された発射間際の左の刀を。
「ご安心を――――――――残り三手にて、決着へ至ります」
通算四十二回目の斬撃が、アカギの内臓を切り裂いた。
神速抜刀から、次の攻撃へ移るまでの時間の大幅な短縮。それを成したのは、ハクアの修練と独自の発想。
刃を返した左右逆手の奇しき型の骨子は、神速抜刀と神速納刀を同時に行う事にある。
要訣は左右の上半身の連動。
左手の逆手抜刀を行う際、左上半身は前に出る。この時、右上半身は自然と後ろに下がるため、神速で進む左上半身の速さを利用し、磁力吸引による鞘への軸線の補正を行いながら右手の刀を同じく神速にて納刀する。後はこの動作を左右交互に行う事で、攻撃モーションの全てを神速でまとめ上げた、繋ぎ目を生じさせない無縫の抜刀が成立する。
「残り、二手です」
言葉にすれば至極単純、シンプルな理論。
その実、それを実行する為には挺身の覚悟を必要とする。
霊長兵器である『使徒』の性能さえ超える《気》の収束・解放を用いた神速モーションは、本来人の身には過ぎた代物だ。威力、速度共に武芸者の反応速度の許容値を超えており、五感を研ぎ澄ませ全身の筋肉や骨格を総動員して御さなければ容易く己を殺す諸刃の剣へと変貌する。
磁力制御による補正があるとは言え、無縫の動きを完成させるために右半身のみと左半身のみそれぞれでこの制御を連続して行うためハクアの身体に掛る反動・負荷は想像を絶する。
一太刀振るうだけで筋繊維がまとめて断裂していき骨格は亀裂を生じさせ身体は加速度的に崩壊していく。更に攻撃の最中は《仙丹》を超過稼働させ常に《気》を放出し続け、加速Gが体内で暴れまわるため血管を伸縮させて血流を制御しなければ、意識が一瞬で飛ぶ。最早その難易度と過酷さは通常の神速抜刀の比ではない。
残り二手だと、ハクアは言葉を吐いた。
それは虚勢でも伊達でもなく、覚悟の宣言。
多数の力を制御する集中力を維持する精神的限界、過負荷に耐える為の肉体的限界、後二回の攻撃を終えた瞬間、ハクアの身体は絶え間ない神速の負荷の反動を制御しきれずに捻じれ引き千切れ物言わぬ肉片と化す。『使徒』さえ殺す事が可能な無縫の磁界神速抜刀の業は、都合五度にてその使い手をも殺す。
業の着想自体は、アカギと戦う以前よりあった。流派:ムラクモの初伝中伝から体得した理念や精髄を研究し、ミツルや団長などの意見も踏まえ実現可能であることは分かっていた。同時にその危険性も、開発者であるハクア自身が一番理解していた。
自身の人生の全ては、流派の再興に捧げると己自身に誓約しているハクアは、保身ではなく唯一の使い手が死ぬことで流派:ムラクモの教えが完全に途絶える可能性を懸念してこの業を長らく未完のままに封印してきた。
解禁に至ったのは、アカギを対象とした五千回の夢想稽古を経たため。アマギ・ハクアが切れる手札の中で有効打となるは浸透斬撃による解体攻撃。しかしそれでも決定打には遠く、打ち勝つにはより速く重い抜刀術が必要だった。
V.V.の団員やミツルを巻き込み、業が完成したのは昨日の深夜。実戦投入は今日が初。
様々な不確定要素を自覚していながらも、ハクアは流派再興の宿願のため戦友達の助力の報いるために、躊躇することなく四度目の無縫・磁界神速抜刀を刻み込んだ。
武芸者よりも早く、振るわれていた武器に限界が来た。ハクアの愛剣が斬撃を出し切った途端に、刀身はおろか握り込む柄さえも砕け散り破片をリングの上にばら撒いた。されど片足半歩、僅かながら『戦士』の身体が後ろへ退く。
試合中、どんなに猛攻に晒されようとも前に進み続けるのみであったがアカギが、確かに下がったのである。
「後、一手っ!」
ハクアは三昧至宝などではなくただの無銘の武具でありならがここまで付き合ってくれた愛剣に感謝と別れを告げ、左手の《沙羅双樹》による最後の抜刀の体勢へと入った。
体力気力は既に底をつき、今にも崩壊しそうな身体を意地や矜持で突き動かしている状態ではあったが、嘗てない相対に精神は高揚し感覚はこれ以上ないくらい研ぎ澄まされていた。
培ってきたハクアの感覚は、今この瞬間ならば今までの人生で最高の出来栄えの一閃を放つことが出来ると確信を告げる。
脳を《気》で強化することによる思考加速で何百倍何千倍に引き延ばされた時間の中、ハクアはアカギの姿に違和感を憶えた。
両手で『カネツグ』を構えたままの、棒立ち。
全身から血を噴き出している様は、最早死に体。出血量から言えば、この場に立てていること自体が不可解。
ハクアには、この状況で尚もアカギが笑っていられる理由が分からない。
死を前にした諦めから発せられる乾いた表情でもなければ、動揺を誘うための取り繕われた虚飾の仮面でもない。
揺るがぬ芯の通った力強い笑みにて、アカギは宣言した。
「君の研鑽の集大成―――――俺の歩んできた人生を以って、超えさせてもらう」
霊長兵器の『使徒』である『戦士』の脳内には今、けたたましい警告音が鳴り響いていた。
パラメーターが危険領域に推移したことにより、目の前の脅威対象であるハクアを即刻排除しろと、それが不可能ならばこの場から離脱しろと、兵器の設計思想が最優先事項を告げる。
HP値が一定値以下になることで発動する《霊核基幹》に紐づけされた《スキル》群が一斉に起動し、戦闘能力値を大きく向上させ強制的に兵器としての側面を色濃く反映させる。
平常時とは比べ物にならぬ程に力を増したアカギは、自己の内から生じるその全ての衝動や反応を、意志の力のみで捻じ伏せ黙らせた。
例え兵器として創造されようとも、既にアカギには確固たる三百五十年の経験があり、その中で培われた戦闘理論は、『使徒』としての性能のみに頼る事を否定する。
過分な力は、不要。寧ろ邪魔でしかない。
今ここで成すべきは、紡いできたモノを結実させること。
加速してく世界でアカギは、両手で保持する『カネツグ』を上段にまで振り上げる。
感覚が研ぎ澄まされているハクアは、その構えから派生する未来の動きを垣間見た。
ただの、素振りだ。
足を肩幅にまで開き、大剣を振り下ろすだけの単調にして単純な動作。刀剣を扱う流派に入門した徒弟が初歩の初歩で習い覚える基礎の基礎。実戦で戦うためでなく、己を磨き克己する為に振るわれるモノ。
武の道をほんの少しでも携わる者であれば、誰でも行う事のできる業。
だからこそ、ムラクモに己の人生を捧げてきたハクアは理解してしまう。
その素振りに込められた、永き時を。
武術の業とは、極め研ぎ澄ます程に無駄という無駄を徹底的に削ぎ落していく。剣を握る手の位置や握力の強さ、切り込む角度や速度、重心の位置から足運び、修正すべき項目は多種多様多岐に渡りそれら全てを破綻させることなく成立させ一つの動作として完成させるには長い修練と研鑽を必要とする。
故に真に極まった業とは、一切の綻びや脆弱性を持たず完成された芸術品の様に欠落のない美しさがある。
アカギの素振りは、この逆だ。
嘗て、一度は完成という一つの頂に至った。そして、その場所を終端とせず尚も積み上げた。敢えて一度は遠ざけた一見して無駄と思える要素を再度見直すことで取り込み再構築し、完成という限界の枠からもはみ出し、全く新しい独自のものへと昇華した。
業一つを極めるのでさえ、天賦の才を持つ傑物が百年余りをかけて成せるか否かの大業。その先に至ろうとすれば、定命の者では届く前にその身が朽ちる。仮に何らかの方法で延命を成し遂げたとしても、あまりにも長い時間は挑まんとする者の心を腐らせる。
広大な銀河全てを見渡しても、同じことが出来る者は数名といまい。
剣を振るう動作から端を発する、始まりから終わりまでの何もかも。ほんの小さな取るに足らない一要素でさえも不可欠と定義することで、全てを循環させ巡るそれは一つの真理。
その太刀筋は、理そのものであった。
「この素振りは、俺の数少ない自慢でな」
威力、速度、時間さえも超えて、『カネツグ』の刃が奔る。即座にハクアも全身全霊の《流星光底》の最後の一太刀にて迎え撃つが、届かない。世界が制止したかのように身体が固定され、不動の空間でアカギだけが動いていた。無縫たる神速であっても、追いつけない。
否、そもそも比べること自体が無意味。
理となった剣には、既存の法則でさえ道を譲る。
物理法則が支配する世界で、アカギが剣を振るっているのではない。
この時、この瞬間のみは、『アカギが剣を振るう』という行動自体が新たなる法則となって世界を駆け巡っている。生命の息吹を絞り出して放つ神速抜刀がどれだけ凄まじかろうとも、それはあくまでも既存の法則に立脚した上で引き起こされた結果に過ぎず、より上位の法則の前には無効化される。
斬撃の理が、無縫神速を完全に掌握する。
己の身体が切り裂かれる瞬間、ハクアに恐怖は無かった。
ただ、止む事なき飽くなき研鑽と工夫という武芸者の原点とも言うべき行動理念により紡がれた業は、あまりにも眩く鮮烈で、不覚にも美しいと感じる事しか出来なかった。
音が、遠い。
肩口から対角線上の脇腹までを切断されたハクアは、リングの上に仰向けで倒れながらぼんやりと上を見上げていた。
全身の至る所で神速の反動により致命的な損傷が発生しており、寧ろ無事な部位を探す方が難しい。特に『カネツグ』の刃によって断たれた箇所は、見惚れる程に見事な切断面であり、それゆえ致命の傷であった。
機能を保っていた数少ない器官である鼓膜が、司会者によってW.F.側の勝利が宣言されアカギが何かをマイクに向かって叫び観客達が歓声をあげる音を拾いあげる。V.V.の敗北が決定したというのに、心はまるで動かない。
常日頃からの修練による条件付けで、肉体は反射的に内通力を使用し治癒に全力を注いでいるが、そう長くは持たないことは当人であるハクアが一番分かっていた。
幸か不幸か極限まで肉体を酷使していたせいで痛みを得る感覚すら麻痺しており、とても静かだった。
このまま消える様に死ぬのかとハクアが思った時、心にふと浮かんだのは心配そうな顔のミツルだった。
何故、こんな時に口煩い同僚の事を思い出したのかと疑問に思っていると、団長やV.V.の団員達など見飽きた顔が次々と浮かびだし、その最後にはしかめっ面で不機嫌そうな師匠の顔が見えた。
「―――――あ、ああっ………」
意味のある言葉すら紡げなくなった口から、か細い悲鳴が漏れた。
鼻の奥が湿り気を帯び、目頭が熱を孕みだす。ただそれでも、自分の最期を悟った少女は奥歯を噛みしめ沸き上がる衝動を堪えた。
既に公衆の面前にて流派の名乗りを上げた状態で敗北を期し、その歴史に泥を塗りたくったその上に醜態を晒して最期を迎えるなど武芸者の恥。
必死になって感情を押し殺そうとするハクアに、朴訥とした何処か諭すような声がかけられた。
「泣きたければ、泣けばいい」
アカギが、どこからともなく取り出した小瓶の薬液をハクアの顔へと振り撒いた。不思議な香りのする液体は少女の身体に染み入りその傷を癒していく。一本では終わらず、二本三本と繰り返し全身が水浸しになるまでその行為は続いた。
「年を取るとな、心が凝り固まって泣きたくとも思うように泣けなくなる。だから、せめて若い内は思いっきり泣くといい。恥じる事はない、感情を吐露する行為は、今ここで君が生きているという何よりの証だ」
「~~~~~~~っ!」
塞き止めていた感情の波が、一気に押し寄せた。
裏切った自分にそんな資格は無いのに、どうしようもなく願ってしまう。
もう一度だけでいいからまた会いたい。
試合に負けた自分を怒鳴りつけ、一から修行のやり直しだと叱って欲しい。ただの一度でいいから、また頭に拳骨を頭に落として馬鹿者めと言って呆れた顔を見せて欲しい。
自己を省みる事無く酷使し狂気さえ孕む氷瞳の少女が、今の際に思ったのは『家族』に会いたいという極々当たり前の思い。
ハクアは、両の腕を顔に目一杯押し当てて声を上げて泣いた。
「―――――――――――――――――――――っっっ!」
その切なる叫びは会場の大歓声の前に掻き消え、涙は全身に浴びた薬液が覆い隠す。数万人以上も人間がいる会場内で、唯一人静かにその場で寄り添うアカギだけが少女の嗚咽を聞いていた。
実に何年越しかにて、何処にでもいる只の少女はようやく『家族』を亡くした悲しみを得る事を己に許すことができた。
「好きなだけ泣けばいい。流した涙は、全て君の糧となる」




