04
エマ・フラメルの朝は早い。
前日に内臓が丸ごとシェイクされるような耐G訓練の後でも、教官からの嫌がらせで不条理とも言える量の課題を明け方までこなしていた後でも、相も変わらず早朝起床。幼少期の教育もあったが、長年に渡る士官候補生寄宿学校での生活が、エマの乱れぬ生活リズムを形成していた。
とは言え、惑星が違えば自転速度も公転周期も違う、一日が24時間でない星など銀河に無数に存在する。もしもの場合に備え、エマは昨晩の時点で端末に時限式で鳴るアラーム音を事前にセットしていた。
音が響くとリピートを一回もさせないまま、エマはスイッチを切る。これも染みついた習慣。早朝抜き打ち試験なども不定期に行われるため、アラーム音が鳴ると、意識が即座に覚醒するよう、反復訓練で身体に覚えこませている。
エマは、見知らぬテントの天井を視界に収めると、両手で目元を覆い隠す。
「何をやってるんですか~私は~!」
左右に、ゴロゴロと転がる。意識はハッキリとしている。しているからこそ、昨晩の醜態を克明に反芻し、羞恥に悶えていた。
「激恥ずですよ、これ~」
観察だ、有用性の提示だなどと気を張っていたにも拘らず、食欲に負けてドカ食いした挙句、無防備にも寝落ち。
テントの中で寝袋に包まっている状況から察するに、警戒していたはずの少年にここまで運ばれ、寝具の世話まで焼かれた事になる。
あの時の自分はどうかしていたと、赤面しながらエマは昨日の自分の頬を引っ叩いてやりたい気分に駆られた。スープを一口飲んだ瞬間から、身体の奥から食欲が溢れ出し、止まらなかった。無我夢中で目の前にあるものを貪り、胃に落とし込む度に芯から熱くなる。追加で出された葡萄を頬張った時が、最高潮。酩酊状態にも似た高揚感と充足感に満たされ、おそらく生涯で最も幸せな気分で眠りに沈んだ。
「でも、これである意味裏付けがとれました」
エマがあまりにも分かりやすい醜態を晒し、隙だらけな状態であっても、少年はエマに何もしなかった。やろうと思えば、如何様にも転がせたはずだ。
絶好の機会を無視し、エマの健康を気遣う様さえ見せる少年は、エマを害するつもりがなく寧ろ守ろうとしている。つまり、少年に対し、明確な敵対行動でも見せない限り、エマの安全は保障される。
流石に、生贄の祭壇に捧げる供物を新鮮で傷の無い状態で連れていくつもりだったとかエマの常識からかけ離れている行動原理で動いているなら、もう、手の打ちようが無いが、エマの見立てでは少年の倫理観等は連盟圏内の一般人のものとさほど違いがない様に思える。
「今日は、会話によるコミュニケ―ションを行ってみましょう」
情報端末の、少年の言語ライブラリの作成は未完であるが、ある程度は解析を終えている。簡単な日常会話位なら、成立させることができる。足りない分は、ジェスチャーなどのボディランゲージで補うしかない。
「なんとかして、圧縮鞄だけでも回収しないと」
圧縮鞄の中には、予備のLスーツと観測用ドローンが入っている。あの二つが揃うだけで、生存率が大分変ってくる。
少年との交渉を成功させ、回収作業に同行してもらうべく、身を起こしテントから出る。身体にまだ昨日の酩酊感が残留していたのか、歩き出した途端、エマはクラリときた。視界がブレ、僅かな間だけ太陽が四つにも五つにも見えた。
「うう、顔でも洗いますか」
四方をポールで囲われたキャンプ地を離れると、湖畔の浅瀬で、冷水を顔に叩きつける。冷たさに身が震えるが、頭はクリアになった。
そして、明瞭になった視界に飛び込んできたのは、一糸纏わぬ裸体の少年だった。
目が合う。
「……っ!?」
「―――――――」
少年は、羞恥心が薄いのか、裸を見られても頓着しない文化なのか、さして慌てた様子もなく軽く片手を挨拶代わりに挙げると、岸の岩に掛けてあったタオルを腰に巻いて、その場を去った。少年としては、水浴びをしていたが、エマも水浴びをしにやってきたので、場所を譲った、くらいの認識なのだろう。
一方、エマの心臓はバクバクと早鐘の様に、鼓動を刻んでいた。
昨日は無我夢中で意識する余裕も無かったが、実を言えば少年、かなりの男前だった。
眉目秀麗というわけではないが、優しげな双眸に、自信と余裕で以って結ばれた口元、顔のパーツ一つ一つの作りの出来が良く、位置関係もいい。ともすれば美形すぎて近寄りがたくなりそうなものの、敢えて完璧より一、二歩下がり、崩して構成されることで、人を遠ざけるような威圧感を緩和している。無造作な赤毛が、飾らない彼の姿勢を象徴していた。付け加えて、張りのある闊達な声が耳に響く。
脳裏に焼き付いてしまった身体も、一見して細身に見えるが、上半身下半身、均整のとれたいい肉付きをしており、しなやかに動き回る獣を想起させる。体表に刻まれた多くの傷は、彼の戦歴を無言で物語っていた。
一言で評すと、出来すぎだった。まるで、何者かがかくあれかしと造形にこだわり抜いて創造されたかのような、現実離れした一貫性。少年であり、戦う者であり、親しみも湧いてくるというバラバラな方向性の要素が破綻なく一つの存在の中に落とし込まれている。
エマは今までの生きてきた人生の中で、他人に見惚れるという反応を、初めて体験してしまった。
「ああもうっ!」
脳内の煩悩を消し去るため、首から上を全て水没させる。心肺機能のギリギリまで沈み込み、浮上して酸素を胸一杯に吸い込む。
「生き残る事……生き残って帰る事だけ考えるんです」
湯気が出そうになる頭を、エマは再度冷水に浸した。
アカギは、昨日行った実験の結果を確認しようとしていた。
起床した後、素振りとランニングの基本メニューをこなし、湖畔の冷水で汗を流す。途中、エマと遭遇するも、元気そうな姿を確認できてアカギは胸を撫でおろした。
一連の習慣を消化し、アカギは昨晩エマと遭遇した湖畔近くのポイントまで足を運ぶ。
そこには、倒した鳥の魔物の死体が、幾つかに解体されて放置されていた。
『勇者』が、世界改変後には、実際に実験してみて仕様変更を体験する事が重要だとよく言っていた。告知内容だけを読み理解したつもりになっても、実際にやってみると想定していた内容と勝手が違うことがあり、そんな有様ではいざという時に醜態を晒すことになる、と。故に、時間がある時、『勇者』は正確に世界改変の詳細を知るためによく実験を行っていた。
今回、アカギも『勇者』に倣い、実験を行っている。
倒した鳥の魔物の死体を分割し、それぞれ別のアプローチを加える。
基準となる一つは、手を加えずにそのまま放置。ただ、他の魔物の餌にならないように、簡易結界柱だけは設置している。
その他の死体は、《スキル》により、焼却、凍結、腐食、等の状態変化を加えて放置している。アカギは、その一つ一つを手に取り、あるいは注意深く観察し、昨日の変化を見定める。
「やはり、消えていない」
アカギが今まで戦ってきた魔物達は、死ぬと塵も残さず消え去る。運が良ければ、ドロップアイテムを残すが、その場合でも死体は残らない。この現象は、そもそも魔物とは鏡面世界の住人の、心を無くした成れの果て、あるいはその子孫であるため、生存時ならばともかく、死亡した場合存在を維持できなくなり、世界から拒絶され消滅するからだ。
世界刷新後の仕様変更では、この死体の消滅現象がなくなった。以前は首を断つなどすれば、消滅したが、様々な方法で更に過剰とも言える程に破壊してみても、死体が残り続ける結果となった。
「死体の処理が面倒になるな」
誰も来ないような秘境なら、大分部分が他の魔物の餌になり、残りは腐って土に還るだろうが、人里近くで放置しては血の匂いが多くの魔物を呼び込む結果につながりかねない。
「一旦は、《オロチぶくろ》に保管して、安全圏でまとめて焼くか埋めるかする必要があるな」
ただし、消滅現象が発生しなくなったことには、利点もある。低確率でしか入手できなかったドロップアイテムが、ほぼ100%入手できるようになった。鋼鉄さえ貫く牙や爪。力を宿した心臓や魔眼など、仕留め方と解体方法さえ間違えなければ確実にこれらを入手できるようになっている。一体の魔物から複数の部位のドロップアイテムを入手することも容易であり、鍛冶などに消費する素材が潤うことは間違いなかった。
アカギは、実験材料に使った鳥の魔物の死体を完全に焼却すると、予め掘っていた墓穴へと埋葬した。墓石は、大剣で岩から切り出した石壁を置く。
敵を殺す事に躊躇してはならない。しかし、死者を貶めてはならない。素材として有効活用し、生きる糧にするならまだしも、死体を解体し損傷させるのは、実験のためとは言え、アカギには少々気が咎めた。謝罪と感謝を込めて、今回は墓を作り、丁寧に弔う。
合掌。
アカギは、踵を返しキャンプ地へと戻った。水浴びが終わった直後の着替え中のエマと遭遇することも考えて、脇道に逸れながら余裕をもって、帰還する。エマ位の年頃の子供の裸を見たところで、アカギは何も感じないが、向こうはそうではないかもれない。特に、年頃の娘というのはそのあたり色々と過敏なのだと、何故か数百年生きている『盗賊』に力説された事がある。年長者として、配慮が必要なのだと。
時間を空けたおかげか、キャンプ地では既にエマが椅子に座り、手首のアイテムを弄っていた。顔が、僅かに赤らんでいるが、特に問題は無いだろう。
「待たせたな、朝食にしよう」
《バゲット》と《ミルク》を食卓の上に置き、食べやすいようにナイフでパンを斜め切りにする。
「―――――ア、あ、あ~」
「ん?どうかしたか?」
「私ハ、対話ヲ、希望シマス」
アカギは、思わず口にしていたバゲットを零しそうになった。急いで噛み砕き、牛乳で流し込む。
「君は、会話することができたのか!?」
「否定。コノ、道具ヲ、使用シテイマス」
エマが指さしたのは、手首に嵌められているリングだ。確かに、耳を澄ませると声が発生しているのは、エマの口からではなく、このリングからだ。
「同時翻訳、シテイマス。ライブラリガ、未完成。多クノ言葉、ユックリ、希望シマス」
「詳しくは分からないが、とりあえずそのアイテムの効果で、君は俺の言葉を翻訳している、と考えればいいんだな?」
「肯定。私ハ、相互ノ情報ノ共有ヲ、希望シマス」
噛みしめるように、決意の表情でエマが頷いた。
「わかった。そう言えば自己紹介もまだだったな。俺の名前は、アカギだ。分かるか?ア、カ、ギ」
発音が聞き取れるよう、アカギは自分の名をゆっくりと復唱した。
「アカギ…記憶、シマシタ」
「君の名前は、エマで良かったんだよな?」
「驚愕。説明要求、シマス」
「気付いていると思うが、俺は『使徒』だ。君の事はクエストで知った」
エマは困惑の表情を浮かべた。アイテムの翻訳が上手くいっていないのかとアカギは考えたが、どうやらそうでもないようだ。
「シト、クエスト、意味不明、デス」
「『使徒』やクエストを知らないのか?」
「肯定」
思わず、アカギは肩を落としてしまった。『勇者』達との冒険が既に過去のものになって久しいのは既に理解していたつもりだったが、『使徒』関連の用語の意味すら知らない世代の人間を目の当たりにすると、どうしても気落ちしてしまう。
「スイマセン。気ヲ、悪クサレタノナラ、謝罪、シマス」
「いや、君は悪くない。もう、君の生まれるずっと前の話だ、若い君が知らないのは無理もないことだ」
今後の事を考え、相互理解を深める意味でも、アカギは、『使徒』などの事柄について、軽く説明することにした。
「いいか?『使徒』というのは、世界の調和を保つために、『勇者』の権能によって創造された者達の総称だ。力が強く、肉体は老い知らず。まあ、世界規模で働く頑丈な便利屋程度に考えてくれ」
「アカギ、サンガ、ソノ『使徒』、デアルト?」
「そうだ。これでも、三百年以上は生きている。何度か、世界の危機も救った事がある」
エマの感情の色合いが困惑や戸惑いを超え、疑惑や恐怖にまで染まったことを、人の機微云々に疎いアカギであっても理解できた。妄言を吐く、狂人扱いされている。
「続けるぞ?クエストは、『使徒』相手に届く世界からの依頼だ。とある町の村人を助けてくれ、とあるアイテムを人に届けてくれ、とかだな」
「私ノ、コトハ、クエストデ、知ッタノデスカ?」
「ああ、君を故郷のマーズマという都まで護衛してくれと依頼を受けた」
「状況、理解、シマシタ」
エマは、目頭を押さえた。
(この人、本気です)
己は救世主であるとのたまう少年を、エマは簡単に信じることはできない、だが全てを偽りであると断じることもできない。凄まじい身体能力や、由来不明の圧縮固定技術に似たテクノロジーなど、エマには説明できない未知の領域がアカギにあることは、事実だった。しかし、少年の話す内容があまりにも荒唐無稽すぎて、二十年近く積み上げてきた常識が、受け入れることを拒んでいた。
「悪いが、今度はこちらからも質問いいか?」
その問いかけに、エマは思考を一旦打ち切る。
「了承。可能ナ限リ、答エマス」
アカギは、今度は自らの疑問をエマに投げかけた。
「情けない話だが、俺は君と出会うまで、迷子だった。元々ある人物を探して旅をしていたんだが、災害に巻き込まれてここまで飛ばされてきてしまった。君は、この辺りには詳しいのか?」
「否定。私モ、アカギ、サント、同ジ。不慮ノ事故デ、ココニ、キテシマッタ、遭難者、デス」
「なるほど、お互い似た様な境遇というわけか。ところで、君はどこから来たんだ?」
「ウ~、ア~」
渋面で軽く唸るエマ。言いたくないというよりも、どう伝えればよいか悩んでいる様子であった。
「多分、アカギ、サン、ニハ、信ジテモラエナイ話デス」
「それを決めるのは、君ではなく、俺だ。言うだけ言ってみてくれ」
「了承。シマシタ」
意を決した様に、エマはすっと右手の指を空へと向けた。
「私ハ、空ノ向コウカラ、来マシタ」
「……空の、向こう?」
「空ニ浮カブ、太陽ヤ月、ヨリ、遠ク、遠ク、ノ、星カラ、デス」
「それは、随分と遠くから来たな。難儀しただろう」
しみじみとアカギが呟くと、エマは不思議そうに首を傾げた。
「信ジル、ノ、デスカ?アナタヲ、騙ス、虚言デハ、ト、思ワナイノ、デスカ?」
「君が俺に嘘をついて、なんのメリットがある。君が流星に乗って落ちてくるところを見ていたからな。なんとなく、普通の場所でない所から来たのでは、位には考えていた」
『勇者』が言っていた、異星人とのファーストコンタクトとすることになるとは、アカギも予想外だったが。『使徒』について知らなかったことも、まったく別の星から来訪したというなら、納得がいく話だ。
「個の生物が、一生に収集できる知識などたかが知れている。俺の常識から外れたことであっても、君の言葉を信じない理由にはならない。一々疑って何もしないよりは、まずは信じて行動してみる方が、人生は彩り豊かに輝くものだぞ」
初めてもう一つの世界である鏡面世界の存在を知った時、魔物の正体が鏡面世界の住人であると知った時。長く生きていると、価値観が根底から覆る様な珍事には、何度か遭遇する。回数が増えれば増える程、感性が鈍化、言い換えると感情の発露が枯れてくる。
別の惑星に人間が住んでいると聞いても、そういうものか位の感慨しか、アカギには湧いてこなかった。
「それで、帰る方法はあるのか?」
「ア、エット、10日、イエ、最長デモ、30日、程、生キ延ビレバ、救助ガ、クルハズ、デス」
「それでは駄目だな、遅すぎる」
「疑問。何ガ、問題ナノデショウ」
十日でも三十日でも、クエストの期限を優に超えてしまう。
アカギは、丁寧に、しかし強い語気でエマに言う。
「エマ、信じられないかもしれないが、仮に救助を待っていた場合、君か、もしくは君の家族や故郷に災いが降りかかる」
「意味不明。アカギ、サンノ、言ッテイルコトガ、理解デキマセン」
「いいか、全てのクエストには、期限がある。今回俺が受けたクエストも、勿論同様だ。仮に期限内に依頼内容を達成できない場合、必ず凶事が起こる。具体的に何が起こるかは、俺にも分からない。ただ、起こる事だけは、確実だ」
「何故、ソンナ、コト、ガ?」
「そもそもクエストとは、厄災の種が芽を出す前に、種を潰す仕事だと思ってくれ。クエスト内容自体は、取るに足らない小事だったとしても、それは後々の災禍に必ず結びついている。身内の安全を考えるなら、今回のクエストの期限である七日以内に、必ず君は故郷へ帰る必要がある」
アカギは、力強く堂々と右手を迷うエマへ差し出した。
「君の事は、俺が故郷まで護衛する。クエストの話が信じられないのなら、俺を利用する、と考えればいい。盾代わりになる、丈夫な護衛で身を護るのだと。頼む、エマ。俺に協力してくれ」




