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《ウェット・ファイターズ》と《ヴィンセントヴァルキリーズ》の選手を乗せたリングが、急上昇を始める。裏面に設置されている重力制御型の昇降装置により上へ上へと押し上げられた戦いの舞台は、会場の全高よりも僅かに低い位置で停止し、その場で固定される。
バトルフィールド:『風巻く尖塔』とは、高所にて雌雄を決する決闘場だ。
選手が立つことのできるフィールドの面積が通常規格よりも狭く設計されており、選手達の物理的距離は否が応でも近くなる。試合開始の立ち位置ならば、ほぼ一足一刀の間合い。ここまでの距離になると、無反動ブラスターを撃つよりも踏み込んで近接武器を叩きつけた方が早い。
また、風巻くの名の通りリング外の四方からは、人工的に発生させた濃密な霧を伴った強風が不規則に吹き込んでくるため、仮に光線を撃ったとしても空気中に散布された微々細な水滴が収束焦点をずらし拡散させてしまい、光学兵器は殆どが無効化されてしまう。
強風に折れることない身体と肉薄した相手を倒す近接戦闘能力。『風巻く尖塔』の戦場を制するのに必要な能力はその二つだ。
バトルフィールドの形式を競り落としたのは、V.V.側だ。試合前の取り決めに於いて、W.F.側からリングについての指定はなく、元から低いハクアの勝率と生還率を僅かでも上げるべくホウセン・ミツルは迷うことなくこの『風巻く尖塔』を選んだ。
光学兵器の封じられた風の踊り場は、武芸者にとって数少ない有利に立ち回れるリングだ。《気》の内通力により皮膚感覚の向上した武芸者にとって、空気の流れを読むのは得意分野であり、強風に煽られたとしても柳のようにしなやかな体幹と自在の体重移動を以っていなす事が可能。
フィールドの空中固定が完全に終了すると、ロビンソンの号令を機にカウントが始まる。
3、2、1―――――試合開始。
「流派:ムラクモ中伝、アマギ・ハクア。――――推して参るよっ」
戦いのゴングが響く中、三昧至宝の解禁から戦場の選定まで出来うる限りの手段を講じお膳立てを整てくれた戦友に心中で感謝を述べながら、ハクアは左腰に佩いている《沙羅双樹》の鯉口を右手で切り刃を抜き放った。
外気に晒される、見事なりし刀身。
波打つ刃文は豪快で猛々しくも、その反り返りの曲線は繊細にて精緻。
戦場でなければ、あるいは殺し合いの場であってもその煌めきは鮮烈であり、観客の中には溜息を漏らす者もいた。
両手の皮膚で武器の放つ鼓動を感じながら、ハクアは《沙羅双樹》を正眼に構える。
氷瞳の視線の先、W.F.のアカギは、不敵に笑っていた。
「『戦士』アカギ、受けて立つ。どこからでも掛かって来い」
悠々とした無駄な力の抜けた自然体。右手で保持した大剣を肩に乗せ、左手は開いた状態で前方へと突き出し掌を対戦相手へと見せている。
構えと評するべきかを迷う、独特な構え。越境能力の透視により筋肉や骨格の稼働を観察できるハクアは、アカギに攻勢に出る気がないことを察する。
待ちの体勢は、何かの狙いがあるのか。多くの戦場を経験し数多の敵の行動を観察してきた眼力を以ってもしても、早朝の澄み切った湖畔の水面の様に静かで揺らぎのない姿勢からは何も読み取ることが出来ない。
躊躇は一瞬、ハクアは果敢に攻めていくことを選択する。元より、勝率の酷く低い戦い。尻込みし縮こまるなど愚の骨頂。リスクを受け入れ可能性に飛び込むことこそが、砂漠で砂金の一粒を掴む嚆矢となる。
足運びを起点に始まる肉体各部の連動。刀に限らず、武芸者の得物とは手だけで振る物ではない。肩で絞り、胴で支え、腰で繋ぎ、足で押す。全身の筋繊維の伸縮作用、各関節の可動性、それらが混然一体となってこそ武芸者の冴え渡る妙技となる。
特殊な歩法により瞬く間に埋まる彼我の距離。少女の狂気さえ孕む並々ならぬ研鑽によって練り上げられた斬撃が、突き出されていたアカギの左前腕を断ち切った。
その一撃は、仮に敵が全身義体化人の鋼鉄の身体であったとしても容易に切断する斬鉄の一閃。だが、刀を振り下ろしたハクアは、手応えに違和感を憶えずにはいられない。
軽い。空を切ったかのように感触があまりに軽く、骨肉を断ち切った感覚がまるで無い。
そしてハクアは見る、五体満足で毛ほども傷を負っていないアカギの姿を。
「いい動きだ。才能以上に努力の痕跡を感じる」
「……今のは、越境能力?」
疑問を口にしながらも、ハクアの第六感は否と回答している。力場生成系の越境者が使う幻覚攻撃にも似た現象だが、今起こったのはそう言った超常的なものではない。
種を詳らかにするためにも、白髪の武芸者は太刀筋を重ねていく。
一呼吸の間隔内にて前腕、上腕、肩口に振るわれる連続した斬撃。近い部位を集中的に攻撃することにより揺さぶりを掛けるも、全ては初撃と同じく手応えは空虚。
短い努力呼吸で瞬間的に《仙丹》を動かし内通力にて四肢に、外通力にて刀身に《気》を奔らせたハクアは、意識と肉体を加速させる。
三連撃に、更に一手が繋がる。常人ならば筋繊維が引き千切れる急激な速度変化を、《気》の膜で内外を保護することにより可能とし、身体の中心線目掛けて放つ高速の突き。
深く踏み込み全身丸ごとぶつける重みを伴った一刺しが胸に穿たれようとした瞬間、ハクアの瞳はそれを見た。
二指だ。アカギの左手の人差し指と中指が、《気》により強化され切断力の増した刃の切っ先を胸に届く寸前で摘まんでいる。
握力はまるで込められていない。寧ろ驚嘆すべきは技巧の深みであり、突きの力の流れを止めるのでも押し返すでもなく完全に制御し掌握している。二指が僅かに動くと力の流れが横へと動き出し、ハクアは吸い込まれるようにアカギの側面を刀を突きだした勢いのまま通過させられた。
交差際、左手小指が少女の腰の一点を僅かに押す。ただそれだけで、小さな身体は制御を失い派手に横に回転しだした。
何をされたのかを頭で認識できずとも身体の感覚で理解したハクアは、受け身を取れぬ状態でリングに叩きつけられるより早く、《沙羅双樹》を床に突き立て回転を制御。柔軟な身体の体幹を活かし、刀を軸に捩じる動きでアカギの顔面に金属板入りのブーツを叩き込んだ。
「成程、型に習熟する努力は怠らないが、型に拘泥する頑迷さはない実戦派。君のその直向きさ自由さは若さゆえか、素直に羨ましいな」
「ぐっ!」
今度は、一指。
不安定な体勢で放たれたとは言え内通力で全身を強化された武芸者の渾身の蹴りを、人差し指一本が靴裏を押さえることで止めていた。
軽い動作でアカギが手首を折り曲げると、ハクアは猛烈な勢いで後方へと投げ飛ばされた。身体がリングから落下する寸前で刀を突き立て淵で何とか踏みとどまるも、後数瞬遅ければ試合が決していただろう。
荒ぶる息を整えながら、ハクアは理解する。
アカギの防御の起点になっている左手の業。あれは、母星の創世期時代に発祥した古い武術大系の系譜に連なるものだ。人類が宇宙へと漕ぎ出した航海期では、母星に存在していた玉石混交の数多の武術群は無形文化財として保護し銀河へと伝播させるために、時の為政者に召集された武術の達人達の手によって編纂・統合され幾つかの系統にまとめられた。
そしてその中には、様々な理由から削られ抹消された業も存在する。現存する武術の殆どは《気》の運用を基礎とし、理念の根底としている。それは一側面としては人体を巡る経絡に《気》を循環させることによる肉体の強化・防護を優先的に行わせ、使用者の命を守るための措置でもある。
逆に、《気》の運用を不要とし純粋な技量のみを求められる業の内、失敗した場合のリスクの大きいもの、習得難易度の高すぎるものは排除され歴史の影に消えていった。
猛威を振るう左手の業は、古の武術大系では化勁や合気と呼ばれるものだ。剥き身の肌で直接攻撃に触れる事でベクトルコントロールを行い、攻撃の吸収や無効化を行う技法。攻防自在であり、護りに徹することも出来ればカウンターで相手の体勢を崩しそのまま攻撃に転じる事も可能。
有用性は間違いなく高く、しかし無防備な肌を晒し皮膚感覚で直に攻撃の流れを掴み取ると言う性質上、外力通などで防護膜を展開することもできず、使用者への精神的負担が大きいものとして編纂・統合の際に抹消された。
ハクアに知識があったのは、武術の歴史変遷に一家言あるミツルの指導の賜物であり、武芸者でもないアカギが知識や技術を有しているのは、明らかに不自然だった。
「突破口、少しだけ見えてきた・・・・・・ところでアカギさん、試合中だけど幾つか質問いい?」
「構わない」
鷹揚な仕草で首が縦に動くのを確認すると、口先は軽くしかし視線と構えは解かずにハクアは言葉を投げかける。
「その左手の業は、明らかに武術由来のもの。ウチに来て戦技教導を受けたいとかあんまり武術についての知識がないように振舞っていたのは、油断させるためのブラフだったの?」
「いいや、多少はケビンからも概要などは教わったが、武術に関して俺は本当にただの素人だぞ?」
肩を竦め苦笑するアカギを、ハクアは透視能力で以って観察する。呼吸数、心拍数は共に変化なく正常値を維持し、顔面筋の緊張もなく発汗も微弱。少なくとも肉体は嘘を言っていないと判断できる。
殊更誇るでもなく、アカギは平然とその言葉を吐いた。
「だがな―――こと戦闘に関する経験ならば、俺は大会参加者の誰よりも長じている」
言の葉に乗せて発せられる、静かな自信。
それは、事を成しえた者だけが有する重みだ。口先だけではない、魂そのものに根付いた確固たる認識。
「殴られ、切られ、貫かれ、砕かれ、抉られ、潰され、縛られ、溶かされ、腐らされ、捩じ切られ、掻き消され……とまあ、過去に嫌になる程攻撃を受け続けた時期があってな。何度も何度も身体が崩壊する寸前まで破壊される内に、何となく掴めてきたモノがあった」
凡そ百年に渡る『勇者』達との冒険の旅で芽生えた、錯覚にも等しい朧気な感覚。曖昧模糊とした数秒後には消え失せる幻を、アカギは二百五十年の自己鍛錬の中で試行錯誤し形あるモノとして昇華させ、自身の血肉とした。
「楯無し。昔馴染みの仲間達は、この防御法をそう呼んでいる。君の使う武術のように継承され世代を超えて磨かれてきたものではなく、ただの工夫の産物だ」
鍛冶師としての経験に立脚した三工程を経る事で物質を両断する二度切りと同じく『使徒』としての能力に依存しない楯無しは、手で直接触れる事で斬撃や打撃などの物理攻撃を無効化する。投擲物や関節技さえも往なして返す、アカギの左手の届く範囲は一種の不可侵領域だ。
素手や武器による攻撃を主とする武芸者にとって、それは相性の悪い天敵のような防御法だった。創世期から武の先人達の血と汗により紡がれてきた流派の武術大系に匹敵する業を、ただ一人の一個人が編み出すなど俄かには信じがたい話だが、ハクアはそれを行える人物を一人知っていた。
「誰彼に教わらずとも、己の才覚と経験を元にした独自のアプローチで武の合理に至る者。よりにもよって、アカギさんがウチの団長と同じタイプとはね」
V.V.団長、ダン・ヴィンセントもまた特定の流派を修めることも誰かに指導を受ける事もなく、我流で学び自らの強さを確立させた傑物。ハクアを含めた団員の誰よりも強壮にして巧手であり名実と共にV.V.最強の看板を背負っている。
武術に関してはハクアも自他共に認める天賦の才を持つが、広い銀河にはそんな天才達ですら理解できない奇怪にして出鱈目な輩がいるのだ。
世界の不条理を改めて認識した白髪の少女は、厳しい視線を待ち構える赤毛の対戦相手に送る。
「後さ、こっちが本題なんだけど………アカギさん、どういうつもり?本気、出してないよね?」
初手を往なされた段階で、既にハクアの中には微かな違和感が芽生えていた。手数を重ねる内、それは確信へと変わった。
アカギは、明らかに手を抜いている。
独自の工夫、楯無しの攻防転換の流動性は初見のハクアから見ても高く、斬撃を逸らしてからカウンターを差し込むなど朝飯前、能動的な攻撃をせずとも自在なベクトルコントロールで場外にまでハクアを投げ飛ばせば苦も無く白星を捥ぎ取れる。
そしてなによりも、アカギの表情や姿勢からは戦闘行為を行う際は誰しもが発する攻撃性や敵意といったものがまるでない。不敵ではあるが包み込むような気遣いや優しさ透けて見え、ともすれば潰し合いの真っ最中であることすら忘れそうになる程に。
その態度が、ハクアには何故か癪に障った。
ミツルが苦心して取り付けた契約を反故にされたのかという疑惑もあり、氷瞳の視線は冷たく鋭利だった。
突き刺さる不可視の圧力に、アカギは平然と返す。
「まあ、そう拗ねるな。大丈夫だ、約束を違えるつもりは毛頭ない」
落ち着いた、癇癪を起して暴れる幼子を諭すような穏やかな口調。子供扱いされていることに、少女は細い眉をひそめた。
「試合中、個人の力は包み隠さず全て開示する。ただし、先日君達に馳走になったコース料理、あれと同じ方式でいく」
よく分からない例えで疑問符を浮かべるしか出来ないハクアに、アカギは上手く説明出来なかった自身の至らなさに苦笑しながら補足する。
「全ての品を一度に出しては、腹に重く胃に凭れる。全ての技を一度に開示すれば、おそらく初見の君はなにも学ぶ事の出来ないままに果ててしまうだろう。そうならないよう力は小出しにしていき、君が技や動きを咀嚼し吸収した段階で、また次の技を出す。この楯無しは、言わば前菜のようなものだ」
その気遣いに溢れた言葉で、ハクアはより強く《沙羅双樹》の柄を怒りに振るえる手で握り締めた。
手加減どころの話ではない。これは、指導だ。未熟な弟子に業を教え伝える武術の師の如く、動作の一つ一つをゆっくりと丁寧に実演して見せて理解させる修行の初期段階。
アカギの言葉に嘘偽りはなく、愚直に誠実に本気で約束を守ろうとする意志が込められている。段階を踏むのも、新しい要素を取り入れ武術の発展を願うV.V.の意思を汲んで観察する機会を増やす為だろう。ただ、目の前の少女のことを完全に勝負の相手として見ていない。
侮り蔑み見下す対象としているのではなく、良識と寛容さで庇護対象として認識している。実際に、天と地程の実力の開きがあるため、取るに足らない雑兵程度位にしか思われてないだろうと認識していたハクアだが、まさか対戦相手が幼子を見守る保護者の顔で立ち会ってくるとは完全に予想外だった。
抑えきれない感情の昂りが、《経絡》を通して皮膚から大量の《気》を溢れ出させる。普段ならば武術に縁遠い者には視認出来ぬ奔流であるが、ハクアの放つそれは密度が高く会場の誰しもが蜃気楼のような揺らめきを垣間見るが、多くの者はリングの特性が生み出した濃霧だと考え、気にも留めなかった。
張りつめていく空気。殺気と怒気が満ちていく中、尚もアカギは笑う。
「不快に思ったのなら、余計な世話だと俺をその刀で切って捨てればいい。戦いの場で力も資格もなしに吐かれる言葉は、ただの戯言だぞ、アマギ・ハクア」
「――――――言われずとも」
響いたのは、鍔鳴りの音。
抜かれていた《沙羅双樹》の刀身が、完全に鞘へと納刀される。それと全く同じタイミングで武芸者の全身から溢れ出ていた《気》の流れも止まり、凪の状態へと移行する。
ハクアは、右手を順手の状態で柄に乗せ、佩いた鞘を左手で握ると腰を落とし右足を前に出した。
「ここからが、本当のムラクモの業だよ」
それは、抜刀の構え。抜刀術とは、刀を鞘に納めた状態のまま奇襲を受けた際、如何にして無駄なく迅速に体勢を整え敵に対処するかを突き詰めた迎撃術だ。
戦闘継続中であり、敵がまだ無力化できていない状況下で態々刀を鞘に納めてまで使用するメリットはほぼ無いに等しいが、航海期に《気》という要素が加味されたことで、抜刀術は創世期のものと比べその性質を大きく変化させていた。
《気》を自在に操る武芸者であっても、己の体外、器物に対し《気》を伝導させ性能や性質を強化するのは高度な技であり会得するには厳しい修練を要する。それも、《気》を伝導させることが可能なのは己の一部であると認識するまでに至った常日頃から愛用している武器か、あるいは武器自体が主の《気》を受容してくれる三昧至宝のような特例のみ。
本来、それらの武器以外に《気》を伝導させるのは事実上不可能であるが、刀剣類には武器本体以外にも、同じく武芸者の肌身に常に触れている鞘という構成部品があった。
武器と同様に《気》の伝導が可能な鞘を活用することで抜刀術は、単なる迎撃術ではなくなる。
感情の昂りさえも推進力に変え、ハクアは踏み込みからアカギとの距離を一瞬で詰める。
肉体の各部を連動させ繋げたその動作は、試合中に見せたどの動きよりも速く滑らかで鋭い。流派:ムラクモに於ける基本の足運びであり、少女が最も修練を重ねた一連の動き、努力の結実。
粘りのある腰の捩じり回転、鞘走りにより《気》を纏い煌めく刀身が爆発的な速度で射出される。
「っ!」
その斬撃というにはあまりにも逸脱した速さの一閃に、『戦士』アカギは眼を見開き驚愕する。
《気》の超圧縮。
鞘という密閉空間に限界寸前まで《気》を蓄積、一気に爆発させ刀身を撃ちだすことで神速領域の抜刀を可能とする。それが、百八門派最速と謳われる流派:ムラクモの業である。
アカギは即座に楯無しで刃を捕捉しようとするが、その刹那に限っては生きる戦術兵器である『使徒』の速度を、鍛え上げた武芸者が上回っていた。
流派:ムラクモ初伝《東雲》。
指と指の間を抜け、《沙羅双樹》がアカギの胸に一文字を刻んだ。




