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 無差別争覇杯の二回戦、午後の部。

 番狂わせの波乱続きだった午前の試合が全て終了し、プログラムは後半へと移行する。午後の部で最も注目度が高い試合と言えば、圧倒的にスタジアム・Dで行われる《BBナイツ》対《グレイブヴァルチャー》の戦いであった。

 大本命中の大本命、前大会の優勝チームであり傭兵団としての実績・実力も折紙付きのG.V.は堂々の優勝候補筆頭。その試合ともなれば、大枚を叩いても観戦したいという人間は掃いて捨てる程いる。

 ただ、五帝の一人で女怪・女傑と呼ばれるエリザベス・スチュアートは特段試合内容に関して興味があるわけではない。彼女が貴賓室で試合を観戦するのは様々な理由があるが、大目的として大会の興行的成功を助長するため。

 普段は直接お目にかかる事のない人物、五帝が出席することで試合の特別性を演出し、五帝達が資金を注いで運営している大会がより価値のあるコンテンツであると内外に広めるためだ。言ってしまえば、この場に於いては五帝と言えども試合を彩る飾りの一つに過ぎない。

 最低限の挨拶や差配を粛々とこなし、さっさと本分であるビジネスに戻ろうと考えていたエリザベスであるが、大樽のような肉厚の身体を揺らし貴賓室に辿り着いた彼女は、先客に出迎えられていた。

 深い知性を思わせる翠の瞳の少女と、片目義眼片目眼帯の少女。エマ・フラメルとシュン・レイホウである。本来この場に代理として呼ばれたはずの五帝の孫は従者として黙して後ろに控え、付属であるはずのフラメル王国の王女が前に出て会釈する。

 服飾は式典用の豪奢なものでは無く、しかし貴賓室の品位を落とさぬよう指輪などの最低限装飾品のみで纏められたセミフォーマルスタイルでそれがよく似合っていた。

「ごきげんよう、エリザベス様。先日の会談では私のプランに耳を傾けていただき、ありがとうございました」

 如才のない礼儀作法で、エマは五帝に優雅に一礼をする。生まれは資金に乏しい弱小国と言えども、そこは王族。世間体や威厳を維持する為、幼少期から習い覚えた公用の場での作法は血肉となっていた。

「蓮っ葉な小娘とお笑いください。五帝の皆様が催されている大会に興味がありまして、無理を言ってレイホウの随伴にしてもらいました」

 五帝全員を相手取り自在に立ち回った会談での毅然とした態度とは打って変わり、良家の子女めいた朗らかな笑み。初めての夜遊びに緊張と興奮を隠しきれていない少女といった(てい)で、そこからは無邪気さすら感じさせられた。

 半世紀前はトップスターとして銀河中を虜にしたエリザベスは、顔面筋の張り具合や手足の緊張からエマの青く若い演技を見抜いた。

 全てが嘘である、と言う訳ではない。言葉や仕草には幾つかの真実も混じっている。王国側の事情を鑑みれば、地位売却の決を採る前の根回しによる意見の擦り合わせは、是非ともしておきたいはず。

 つまり、これは体裁を繕っているのだ。

 試合に興味があり、実際に赴いてみれば偶々隣席のエリザベスと話が弾んだ、という筋書きで交渉を行い他の五帝に過密スケジュールに無理矢理会談を捻じ込んだ無礼者という悪印象を抱かせぬよう立ち回っている。他四人も、当然エマの思惑は見抜くだろうが、そこにあからさまに不自然な点が無ければ表立って非を鳴らすこともない。

 五帝エリザベスは、王女エマに対する評価と警戒心を一段上に再設定した。

「別にアンタを非難するつもりはないよ。欲しいものがあるなら、手段は選ぶべきじゃないからね」

 自重が100キロを超える女怪の巨体が、貴賓室の豪奢な椅子に沈み込む。ゲストである彼女の為に特注された椅子は、容易に全重量を受け止めて見せた。

「横、失礼しますね」

 軽やかに、エマも隣の席に着く。

 派手なBGMが鳴り響き、対戦チーム同士の紹介から入場。五帝の挨拶が終わり、リングの上では、司会の進行で試合が開始される。試合形式は、両チームの全員がリングにあがり群対群でぶつかり合う『総力戦』。メンバー全員が血液を媒介に能力を行使する越境者である《BBナイツ》が怒涛の如く攻め込み、それを巧みな連携で《グレイブヴァルチャー》が捌いていく。

「少し、雑談に付き合ってもらってもよろしいでしょうか?」

「好きにしな。内容にもよるがね」

 女傑エリザベスの万事に通じる一貫した流儀。それは例え相手が何処の誰であろうともまずは話を聞いてから全てを判断するという事。言葉や仕草には本人が思っている以上の情報が潜んでいる。発声の抑揚に現れる心中の揺らぎ、指先の伸び具合から観測する緊張の度合い。それらを読み解く事で、エリザベスは交渉事を有利に運ぶことが出来る。

 また、莫大な富を生み出す商機というものは、案外身近にある。ただ、それらを一個人で全て拾い上げるのは到底不可能な所業であり、だからこそ女傑は有限である時間を削ってでも多角的な意見に耳を傾け、脳内で吟味することで指の隙間から零れ落ちる金の種を最小限にとどめてきた。

 少なくともエリザベスの目利きに於いては、目の前で繰り広げられる試合よりも、横に座る王女の雑談に意識を裂く方が時間の使い方としては有意義であった。

 同意が得られたことで、エマはゆっくりと語り出した。

「無差別争覇杯は栄光や富を目当てに圏外中から数多くの猛者が集まりますが……エリザベス様、そもそも『力』とは何だと思いますか?」

 ある種、哲学的な問いかけにエリザベスは眉を(ひそ)めた。

「なんだい、金に汚い商人の私相手に、禅問答でも始めるつもりかい?」

「そこまで大した話ではないですよ。若輩の小娘が、単に所感を述べているだけとお考えください」

 苦笑しつつエマは視線をリングへと向ける。少女の翠の瞳が、越境能力を行使する《BBナイツ》と銃火器類で武装した《グレイブヴァルチャー》を映し出す。

「個人が行使できる武力、国家が保持する軍事力。世俗的な力で言えば財力や権力。方向性や規模はそれぞれ違いますが、私は結局のところ『力』とは目的を達成するための手段、道具の様な物でしかないと思っています」

 必要になれば躊躇なく求めるが、用が済めば未練もなく簡単に捨て去る。エマ・フラメルという少女は、『力』に対する執着が非常に薄い。それは、幼少期から『力』だけ(・・)しかない連盟の権力者が故郷であるマーズマを虐げる光景を見てきたからであり、とある赤毛の男がエマの内に眠っていた強大な『力』をただの路傍の小石だとあっけらかんと笑ったからだ。

 その大きさに目を曇らせ『力』に拘泥する愚かさを、エマは身を以って知っていた。

「『力』に価値を付属させるのは、環境や目的です。需要と供給、と言い換えてもいいかもしれません」

「まあ、理解できない話じゃないね」

 超大国の国家指導者が、軍事力の象徴である兵器や、財力の象徴の金銭を山の様に所持していたとしても、周囲に生物のまったく存在しない砂漠のど真ん中では干乾びて餓死するしかない。

 環境や状況が変われば、『力』の価値は激変する。それは、市場の動向を計り、値付けを行う商人達にも通じる話だ。

「それで、訳知り顔で語るからには五帝やギルドという目に見えて分かりやすい『力』を求めている王女様は、さぞ御大層な目的を掲げているんだろうね?」

 少々意地の悪い軽い牽制を、エマは恥じらいながら笑顔で受け止める。

「ご期待に沿えず申し訳ありませんが、小国の王女の目的など大したモノではありませんよ」

 特に緊張もなく、エマは胸の内に抱く思いを語った。

「私は、銀河連盟を崩壊させようと思っています」

 休暇中の旅行先でも語るような気軽さで、銀河の半分を叩き潰すと少女は宣言した。

 寄る辺なき一国家の王族が吐くには荒唐無稽にして大言壮語な内容。一瞬、エリザベスはエマの正気を疑った。

「……アンタ、本気かい?」

「ええ、フラメル王国の未来を考えた時、連盟の存在は邪魔でしかありません。少なくとも十年以内には基盤ごと粉々にするつもりです」

 表情や仕草、声色には僅かの乱れや澱みなく、エマは本心を語っているとエリザベスは判断する。これが演技であるなら、彼女は政治ではなく芸能に携わるべきだろう。

 圏外という領域は事情こそ様々だが、例えどんな苦難の道を進むことになったとしても、銀河連盟加盟国に課せられる条約という名の首輪を嵌めることを是としなかった者達が集まって出来た地域であり、風土柄反骨精神が深く根付いている。

 ギルド・アライアンス自体が反連盟を標榜する組織であり、その象徴と言える。

 ただ、ギルドも設立してから長い月日が経っている。反連盟というお題目は時間と共に形骸化し、声を大にして主張する者も少なくなった。

「最近は、アンタみたいな過激派も珍しくなったよ。皆、微温湯(ぬるまゆ)の現状に満足しちまってる……何か、具体的なプランでもあるのかい?」

 朗らかに、秘め事を楽しむ淑女のようにエマは口元を袖で隠した。血統と受けた教育に関しては間違いなく王族であり、探りの手合いを躱す方法も少女は心得ている。

「ふふ、私が直接語らずとも聡明な頭脳と独自の情報ネットワークをお持ちの貴方様なら、『フラメル王国は連盟の崩壊を画策している』という前提に私達王国の動きを照らし合わせれば、おのずと答えは見えてくるはずですよ」

 エマは情報を全て伏せるのではなく、はぐらかすように僅かながらに尾ひれのみを見せ、相手の興味を引くように誘導する。

 事実として、その言葉に嘘偽りは一つしてなく、隕石衝突未遂事件から始まる一連の流れを注意深く精査すれば、王国の狙いを焙りだすことは可能だ。

 海千山千の五帝の脳髄が答えを導き出そうと演算思考を繰り返しているのを見計らい、今度はエマから探りを入れる。

「それに、過激派というのなら私などよりもエリザベス様の方がよっぽど過激派では?なんせ、私が生まれるより前からずっと連盟に対しての攻撃を止めたことがないではないですか」

「私が?何の冗談だい?これでも、金儲けの為に向こうさんとは長く付き合ってきたつもりなんだがね」

 エリザベス・スチュアートが取り仕切るのは、食品生産部門。流通ルートの安全確保のために自前の武装商船などの自衛手段こそ有しているが、過去女怪が連盟に対して武力による攻撃を行った例はない。

 寧ろ彼女は圏内に対して、自ら運営する企業や組織で開発した食品や嗜好品を積極的に売り込み、経済交流を行っている。

「はい、エリザベス様がプロデュースされ連盟内に出店されている御菓子ブランドの《グロリアーナ》の評判は私も《スクール》時代に何度も耳にしました。ですが、何も兵器によって干戈(かんか)を交えるだけが攻撃ではありませんよ」

 三十年程前、エリザベスは圏内用のブランドとして《グロリアーナ》を立ち上げた。

 金に物を言わせることで多くの美味・珍味を味わってきたエリザベスの知識と味覚、独自の生産ルートで製造され提供される菓子は、圏内の他社に対して非常に安価であるのに味のクオリティは高品質。また、高級志向顧客用へ数量限定商品なども販売しており、低所得層から上流階級にまで長年に渡り幅広く愛されている。

「人間は、自分の欲望に嘘をつくことは出来ません。三大欲求に関わり、大局の趨勢にほぼ無関係の嗜好品ともなれば、多くの民衆は飛びつきます」

 結果、血統主義に傾倒し碌な市場競争をしてこなかった圏内の菓子産業の他社はここ三十年の間に次々と《グロリアーナ》に駆逐されていき、今では数社のみが細々存在しているのみとなっている。

 そして、エリザベスは製菓で得た信用を担保に、高品質安価で食料品販売を行う複数のブランドを立ち上げ、現在に至るまで日々商売に邁進し続けている。

「流通の循環性や軍事力で圏内に劣る圏外が、勝る点があるとすれば、それは食料自給率と生産能力の高さ、そして食文化そのものの豊富さ」

 連盟の勢力圏内は、高濃度の《惑星流》が常時渦巻いている宙域でありエーテルの《波》を利用して推進力を得るエーテル航行が主流の現在、圏外は圏内に対して経済の流動性に於いて劣る。しかし、別の視点で見れば評価はガラリと変わる。

 農耕や畜産などに適した惑星の数、食料の生産性の面になれば圏外は圏内に勝るのだ。

 圏外は《惑星流》の復活による惑星間の再交流が圏内よりも遅れ、今でも行き来が容易ではない環境故、暗黒期に(はぐく)まれた居住している一つの惑星内にて循環し自己完結する仕組み、文化や風習が多くの星で途絶える事無く続いており、仮に惑星間の流通がいきなり止まったとしてもそこに住む人々の生活が大きく揺らぐことはない。

 更に、圏内では効率面から無駄・不要と切り捨てられた文化や風習の生み出す食文化の豊かさは圏内を圧倒する。

 また、圏外の過酷さ故に手付かずの土壌も多くが残されており、手間と資金を惜しまず、なによりも忍耐を有するならば未開の地を切り開きそこで惑星を丸ごと超大規模農場へと開拓することも出来る。

 そうして財を成した人物の一人こそ、エリザベス・スチュアートその人である。

「エリザベス様は、相手の土俵に乗るではなく、圏外の持つ優位性を以って圏内と相対しているのです。なくても困らない重要度の低い嗜好品の類から始め、バリエーションに富んだ魅力的で安価な食品を提供することで民衆を虜にしていき、時間を掛け徐々に圏内に於ける食の実権を奪っていく」

 それは、真綿で首を締める様なものだ。

 もし仮に、圏内の食糧事情をエリザベスが握ることになれば、それは命を握るも同然となる。実際は、連盟が十重二十重に施行している条例や規約が壁となって実現することは難しく、そこまでギルドの五帝の専横を最高評議会が許すはずもない。

 が、逆に言えば数十年を掛けてエリザベスは評議会が危険視するレベルで圏内に対しての影響力を握るに至っているのだ。

 今、女怪は捨て身で挑めば連盟という銀河規模の組織に対して少なくない痛痒を与えることの出来る立場にある。

「自己の時間と財産・・・・・・いいえ、人生を賭けて連盟に対して用意周到に罠を仕掛け、虎視眈々と機会を伺い続ける。これを過激派と言わずして何と言いましょう」

 五帝との会談前の徹底的に調べた情報から導き出したエマの推論を聞いても分厚い面の皮は一向に変化することなく、エリザベスは悠々とした態度を崩さない。展開された話は、あくまでもそういった見方が出来るというだけで、何か決定的な物証があるわけではないのだ。

「私を過激派に仕立てあげて、お嬢ちゃんの目的とやらに巻き込むつもりなら、諦めな。私は別に、連盟を崩壊させたいだなんて思っちゃいない」

「巻き込むつもりなんて、毛頭ありませんよ。私はただ、この胸に抱いている欲望(おもい)をエリザベス様に聞いてほしかっただけです」

 言葉を飾る事なくエマは、本心を口にした。

「クリシュトフ・メルキース。私は、この男を地獄に突き落とすつもりです」

 その名は、圏の内外両方で知らぬ者はいない程に有名だ。

 銀河連盟最高評議会副議長。連盟設立当初から、議長の席が神聖にして侵すべからざると規定され連盟の創設者の名で埋まっている以上、事実上の連盟の最高指導者。銀河の半分を統べる帝王。

 フラメル王国第一王女、エマ・フラメルは知っている。

 クリシュトフこそ、半年前に起こった隕石衝突未遂事件を引き起こした黒幕。《黒の王》で、連盟に回収される前にマーズマに設置されていた防衛衛星から観測記録やデータの送受信などの情報を抜き取ったところ、計器自体は正常に稼働しており隕石の接近を公表されるよりも一週間以上前に観測していたことが分かった。

 連盟の本星アーバロンとのデータの送受信も滞りなく行われおり、情報を握りつぶした者がいることは明白。如何に正確な惑星流海図を更新し続けるかは国家の命運にも直結し、勢力圏内の至る所に設置されたエーテル・ストリームを観測する防衛衛星から送られてくる情報は、正に命綱。公表前にこの情報にアクセスすることができ、内容を捻じ曲げることのできる人物は、最高評議会副議長のクリシュトフのみである。

 フラメル王国が、エマの父オーギュスト・フラメル達歴代の国王達が、首輪を自ら身に着け宗主国の家畜と成り果てたのは、国に住まう民の安寧を願っての事。例え今が苦しくとも、民の命を未来に繋げる事さえ出来れば、希望はあると信じたから。

 誇りや繁栄を捨てようも、これだけはと血を流しながら守り続け来た民の命でさえ自己の都合で切り捨てる連盟を、王国は完全に見限った。

 今、フラメル王国は官民を問わず王国に生きる人々の総意を以って、生き残る道を模索し、怨敵クリシュトフに落とし前をつけさせるために動いている。

「奴に対して、怨嗟を(たぎ)らせているのはエリザベス様とて同じはずです」

 『魔王』エマは、女怪の心の最も脆い部分に劇薬を投下した。

「確か、子供の名前はマイルズでしたか」

 先に限界を迎えたのは、エリザベスの自制心か、それとも腰かけていた椅子の方だったのか。特注された豪奢な椅子は、叩きつけられた女怪の両の腕によって見るも無残な残骸へと変貌した。

 大樽の如き肥満体形、それは偽装である。その実態は着ぐるみのように全身の皮膚を覆いつくす、エリザベスが自分の為だけに作らせた弾性防護服。Lスーツと同じく外付け筋肉として使用者の動作を補助・補正し、その身を守る科学の鎧。

 ただし、連盟との技術力との差でLスーツの様に小型化することはできず、着脱にも手間がかかり日常生活にも支障をきたす部分も多い。

 そんな防護服を四六時中身に着けているのは、何としてもでも果たさねばならない目的のため。

「小娘がっ!知った風な口を利くんじゃないよぉ!」

 腹底から昇る声だけ部屋全体を揺らす様は、まるで咆哮する巨竜。爆発の前兆を感じ取ったレイホウがいち早く手元の端末で貴賓室の内外を隔てなければ、その音はリングさえ震わしただろう。

 エマが触れたそこは、正しく逆鱗であった。




 半世紀前、エリザベスの女優としての絶頂期。

 天然由来の美貌、卓越した演技力にジャンルを問わずに活躍する多様性。自らのみが輝くのではなく、共演する演者達の魅力をも自在に引き出し、彼女が出演するかしないかで数字の桁が変わるとまで称された。

 トロフィーや楯の山を幾つも築き、映画や劇場、CMなどに引っ張りだこになり、銀河を飛び交うエーテル通信の信号はエリザベスの名で埋められていた。

 そんな彼女の燦然と輝きを放つ美貌に、クリシュトフ・メルキースは眼を付けた。

 当時は連盟政府の高官であった男は、彼女を自分の物にしようと強引に愛人になるよう関係を迫った。

 その時既にエリザベスはデビュー前から自分を支えてくれた若いプロデューサーと恋仲であり、(はら)には小さな命を宿していた。要求を断るも所属事務所ごと買収されそうになったため、辞表を出し泣く泣く女優を引退。大衆の憧憬ではなく一児の母として、夫と共に辺境の惑星で静かに暮らすことを決めた。

 しかし、手筈を整え新しい人生を歩もうと踏み出す直前に、事故が起きた。

 否、世間一般には不幸な事故として報道され認知されているが、意図的に仕組まれ画策された事柄は偶発的なものなどではなく、人間の思惑によって発生した事件だ。

 宇宙港に向かうエリザベスと夫の乗っていた車両が、後方から大型車両に追突され周囲の車を巻き込んだ大事故を引き起こした。

 夫は即死。エリザベスも重傷を負い、病院へと搬送された。

 神経質な程に白く清潔なベッドで意識を取り戻した彼女が一番最初に意識を向けたのは、子供の安否の確認だった。夫は、激突の瞬間にエリザベスを抱きしめる事で必死に守り、最期を遂げた。その事を理解していたエリザベスは、折れそうになる心を繋ぎ留めせめて夫の生きた証である我が子だけは無事であってくれと、祈る様な気持ちで自分の腹を撫でた。

 ありえない程の喪失感を、エリザベスは覚えた。

 無い。消えている。常に感じていた鼓動が、熱が、膨らみが、空虚になっている。

 頭の中が真っ白になりそうなエリザベスの病室に現れたのは、訳知り顔のクリシュトフ・メルキースであった。

 男の口上は、自分は忙しい身の上で見舞いの為に態々時間を割いたなどの恩着せがましい話から始まり、病院自体が男の傘下の組織のものであること、エリザベスの身体を政府関係者しか受ける事のできない最先端の医療で傷一つない元の状態にまで回復させたことなどを語った。

 そう、元の状態に戻したと語ったのだ。

『他の男の手垢の付いた体は、これで元通りになった。安心して、僕の元に来るといい』

 エリザベスは、震える唇で問うた。

 胎の子供はどうなったのかと。

『ああ、それ(・・)なら廃棄したよ。大丈夫、子供が欲しいなら僕とまた作ればいいさ』

 その声を、言葉を、音を聞いて、エリザベスは正気を失った。

 奇声を発し、人間性をかなぐり捨て、諸悪の根源へと掴みかかった。首の肉に爪を立て咽喉を潰そうとしたところで、傍にいた護衛に押さえつけられ、そのまま拘束される。

 以降、精神疾患と判断されたエリザベスは隔離病棟へと移され治療の名目で監禁された。

 最初こそ足繁く通っていたクリシュトフであったが、日に日に(やつ)れ、眼の焦点が定まらず、意味不明な音の羅列を涎と共に口から零し、所かまわず糞尿を垂れ流しにして暴れるエリザベスに対して情欲は冷め、足は遠のき、次第に欠片も興味を抱かなくなっていった。

 年月が流れ七年後ある日、隔離病棟から病人が一人脱走した。

 エリザベス・スチュアートは、自己を喪ってなどいなかった。あのままではクリシュトフの愛玩動物として飼い殺しにされ飽きれば殺されるのは眼に見えていた。故に、彼女は名を馳せた大女優として、演じる者として培ってきた技術の粋を集めて、全てを欺いた。恥を捨て、外聞を捨て、尊厳を捨て、ただただ復讐心のみを残してクリシュトフが彼女に興味を失せるその日を待った。

 あるいは、本当に心が壊れてしまっていたからこそ、誰も彼もがエリザベスを疑わなかったのかもしれない。

 心身喪失の病人の皮を被り、露見せぬよう少しづつ準備を整えたルートにて病棟から脱出。女優時代に稼いだ資金を回収し、ギルドへと亡命した。

 そこから先の人生を全て、エリザベスは復讐に捧げた。

 どんな手を使っても、必ず殺すと決めたのだ。

 連盟の中枢にて守られているクリシュトフを殺すには、まずは組織そのものをどうにかする必要がある。だが、個人が銀河を二分する勢力と正面からぶつかってはまず勝ち目はない。

 行うべきは搦め手、そうエリザベスは判断した。

 以降は、エマが推論と大した相違はない。

 回収した資金を元手に、手付かずの惑星の開拓を行い資金を更に増やす。女優時代に磨かれた味覚と知識で売れる商品を開発し、人を見る力と人に魅せる力で圏外の大物達と繋がりコミュニティーを形成。連盟の喉元へ突き立てる武器となる企業を幾つも立ち上げ、手腕を振るい成長させる。連盟の脆弱だった食文化に、侵略を行う。

 言うのは容易だが、決して楽な道ではない。人生に於ける、誰しもが享受できるごくありふれた幸福の全てを投げ捨てたからこそできる、所業。

 過去にあった何もかもを忘れ、静かに心の傷を癒しながら暮らす道もあっただろう。

 だが、無理だった。心から愛した夫を、産んでやることすら出来なかった我が子を奪った相手が、のうのうと生きて動いている。そう考えただけで、エリザベスは気が狂いそうになった。泣き叫びながら、喉を掻っ切りそうになったことは一度や二度ではない。常に身に纏っている弾性防護服は、他でもない自身の自傷行為から身を守るためだ。

 半世紀の時間を経て、輝ける女優は狂える女怪と成り果てていた。

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