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快進撃が続いていた。
宣言を違えず、アカギは蠍以外の《キリングフィールド》のメンバーも一撃で仕留めていく。
『戦士』がビルを倒壊させたのは、注目を集める為だけではない。特定のフィールドを選択するという事は、動きやすい戦場を選定できるという利点がある反面、自分達の戦術的思考を試合前から露呈させることにも繋がる。
相手の狙いが分かっているのに、態々それに乗る必要はない。敵が自分に有利な土俵を用意するなら、その土俵ごと破壊すればいい。事実、蠍以外の三人は、想定していなかった瓦礫が散乱する高低差のない開けた平地の上で正面切っての戦いを強いられ、能力や装備を十分に活かせぬままに敗北した。
爆弾魔、切り裂き魔、遺体収集家、吐き気がするような嗜好を持つ殺人鬼達が砕け散る度に、会場中ではまさかという否定の感情がもしかしてという期待へと変換され、多くの声援を奏でさせる。
ただ一人で五人抜きし、全ての試合を一撃KOで終わらせる。
前例は、ある。
ただし、やはりその数は片手でカウントできる。本戦の出場者はいずれ劣らぬ実力者揃いであり、力の差が大きく開く事は稀。そこへネイキッド状態であるという条件を追加すれば、仮にアカギが宣言を達成した場合、長い無差別争覇杯の歴史の一行に偉業として刻まれるだろう。
「後、一人!後、一人!後、一人!」
コールが鳴り止まぬ中、《キリングフィールド》最後の一人はアウェイ一色の状況を歯牙にもかけず、リングに飛び乗った。
小柄と評するに躊躇を憶える程に小さく、フードで覆われた身体はまるで子供の様だった。
フードを脱ぎ捨てたのは、禿頭の男。
珍しい事に、その身体に義体化の痕跡はなく、一切の武器や防具も帯びていない。対峙するアカギと同じく、身に纏うのはオープンフィンガーグローブに下半身のスパッツのみ。
子供の様に見えても、体つきや頭身は成人男性の規格であり、顔にも加齢による年輪があった。
試合開始のゴングが鳴ると、男はにやけた笑みで言葉を漏らした。
「嬉しいぜ、こんなところで俺と同じ人種に出会えるなんて」
「何の話だ」
警戒しながらアカギが応答すれば、男は更に笑みを深くする。
「やっぱり、殺し合いは素手が一番だよな!?」
禿頭の男、猿の身体が膨張した。
皮膚を膨れ上がった筋肉が突き破り、リングを血液で汚しながら尚も増大。小枝程しかなかった細腕に、何重にも筋繊維が巻き付き極太の丸太クラスにまで変貌する。
膨張が進む度、骨が折れる乾いた音と肉が変形する水気を帯びた音の二重奏が響き渡る。剥き出しになった筋肉の上から体毛を生やした新たな皮膚を被せ終われば、そこに立っていたのは巨躯の大猿だった。
「俺と同じ、身体強化系の越境能力。あっさり他の四人を片付けた能力の高さには驚かされたが、まさかもう限界だなんて言わないでくれよ?」
無限の力が存在しない以上、超常の力を扱う越境者であっても、無制限に力を行使できる訳でない。
越境能力には、身体強化系、超感覚系、力場生成系など、幾つかの系統が存在するが、共通しているのは、越境能力者のみが体内に生成・蓄積できるトランス粒子を消費して発動するという点。反復訓練などで最大内包量を増やすことは出来ても、長時間の連続行使は心身を削り、器の底を露わにする。
試合開始から既に一時間近くが経過し、重ねてアカギは連戦の上にビルの崩落も無傷で凌いで見せた。それが越境能力によるものなら、トランス粒子を使い切っていたとしてもおかしくない。
「俺は、お前の全力を正面から叩き潰し、その上で殺す。大丈夫だ、俺は他の奴らみたいに嬲り殺すなんて不埒な真似はしない。ちゃんと、ちゃんと!息の根を止める!そして・・・・・・っ」
猿の口端から、涎が零れた。
「お前のその身体は、俺が残さずに食ってやる!」
他四人と同じく、猿にも『殺し』には拘りがある。
殺した相手は、骨さえも残さずに食べ尽くす。それが、彼の嗜好。
同物同治という考えがある。
母星のアジアと呼称される地域で広まった一種の治療法であり、曰く不調の部位を治す為には、同部位のものを食べればいいという。
猿の嗜好は、異常なまでにそれを突き詰めたモノ。
即ち、強者に打ち勝ち、その上で相手の血肉を喰らう事で、より高みへ至れるという発想。
彼に限ってだが、その思想は完全には間違えではない。越境能力の超感覚系が、各々観測できる情報に差異があるように、身体強化系も画一的な能力ではない。
越境能力には、個々人の思想・渇望が反映される。
何を求め、何を望み、何を厭うのか。
それらの本人さえも自覚していない根源が、この世界とは違う場所を観測したことで生まれた変質性と混ざり溶け合い、越境能力は成型される。
《捕食進化》、それが猿の力。
貧困による飢餓から生じた、満たされぬ空洞。食人鬼は、死肉を喰らう事で、肉体を強化する力を増大させる。捕食した死肉の質が高ければ高い程に、その力は大きくなる。大猿の巨躯は、数多くの死体で出来ていた。
「―――――――――――――っっっ!!」
会場のコールをかき消す大音声で、猿が吠えた。肉体が大きい分だけ、声帯もまた大きい。
唸りを上げるのは、人間一人分は優にある剛腕。巨大であるという事は、単純にそれだけで強い。同じ姿勢で拳を振るったとしても、体重のあるほうが高い威力の打撃を生み出せる。防御に於いても、衝撃が全身に分散し殺されるため、軽度の損傷で済む。
頭上から落ちてるく鉄槌の如き拳に、アカギは片手を掲げた。
接触の瞬間、『戦士』の両足がリングに穿たれた。八方に衝撃が走り、生じるのは蜘蛛の巣状の亀裂。拳の威力による風圧で、粉塵が舞い上がった。
されど、その足が折れる事はない。
身じろぎもせず、不動のまま片手はしっかりと大猿の拳を受け止めていた。
攻撃を防がれたことのへ驚きと喜悦を顔面筋で表現しながら、猿は巨体に似合わぬ俊敏さで拳を戻し、引いた腕の対角線上にある足にてローキックを放つ。
体格差から、本来は相手の脚力を削る牽制技が、全身を砕く必殺となっていた。
豪快な風切音を巻き起こしながら足が薙ぎ払われ、そして空を切る。猿が、標的は既にその場にいないことを理解した時、耳のすぐ近くで声を聴いた。
「少し邪魔するぞ」
アカギが、大猿の肩に乗っていいた。
巨体であることの短所を上げれば、投影面積の広さからくる攻撃の避けずらさ、そして動作の読みやすさ。通常サイズなら僅かな動きが、巨大サイズでは拡大され如実な隙となる。振り下ろしとローキックを連動させる際の綻びを見逃す程、『戦士』の眼は盲目ではない。
凄まじい衝撃と共に、猿の顔面に蹴りが炸裂する。
岩石の様な首が、一回転する。それでも回転の勢いは止まる事無く、頸椎と神経を捩じ切りながら首は宙を舞った。
観客の多くが、眼を見開き固まる。頭部がリングに落下し、残された首から下が崩れ落ちた時にその束縛は解け、多くの口からは雄叫びが溢れ出した。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!』
首と胴を分かたれた猿を、これ以上の戦闘続行は不可能と判断し、ロビンソンは勝敗を宣言した。
「勝者!《ウェット・ファイターズ》アカギ!これにより、一回戦第二試合の勝者は、《ウェット・ファイターズ》に決定っ!」
会場中で溢れ出す驚きと興奮。誰もが収まらぬ衝動のままに口を開き、試合の感想や考察を述べあっていた。
「すげぇ!マジですげぇ!アイツ、ホントに一撃KOで五タテしやがった!」
「ウェットの上に、ネイキッド状態で勝つとか、ありえねぇよ!」
「身体強化系の越境能力者なのか?いや、持続時間的に無理がある・・・・・・あれが所謂喪失武術の《気》というやつなのか?」
試合の熱が冷めやらぬ中、ロビンソンは勝利者インタビューを行う為、アカギの傍へと降り立った。浮遊型マイクロフォンがアカギの声を拾いために口元へと寄った。
「ヒュー!ナイスファイト、アカギ選手!試合の感想や大会での目標とか、何かあるカ?」」
頷くとアカギは、マイクロフォンを通し会場中へと声を放った。
「勘違いするな、こんなのはまだ序の口だ」
その声には、余裕があった。一回戦など準備運動に過ぎないと言わんばかりのふてぶてしさ。事実、堂々と立つ姿には怪我らしい怪我もなく、息は整い汗さえかいていない。
「義体化人だろうと、越境能力者だろうと関係ない、勝つのは常に強者だ。ウェットであるから弱い、ネイキッドは勝てないとなどいうものは、時代遅れの固定観念に過ぎない。真の強者にとって、そんなものは些事!」
大観衆を前に、アカギは見ている者達全てに宣言する。
「俺達《ウェット・ファイターズ》は、真の強者であり破壊者だ。埃の被った古臭いセオリーや常識を全て破壊しに来た。文句があるなら、俺達を潰して見せろ!それが出来なければ、優勝は俺達が掻っ攫う!」
挑戦的な物言いに、会場はどよめく。アカギの発言はある意味で、いままで無差別争覇杯が積み重ねてきた歴史そのものを否定するものともとれる。古参のファンの中には、反感を禁じ得ない者もいた。それでも野次が飛ばないのは、《ウェット・ファイターズ》が試合中に自らの実力を口先だけないと証明してみせたからだ。
「――――――歴史が変わる瞬間を、見せてやる!」
事前情報や大会出場記録の無いルーキー達、《ウェット・ファイターズ》の傲岸不遜な態度は、多くの観客の反感を買ったが、同時に少なく無い数の観客の支持も得た。そして、どちらであってもチームの今後の動向をからは目を離せなくなる。
肯定派は、チームが優勝し、栄えある光を浴びる姿を見たいがために。
否定派は、チームが敗北し、屈辱の泥に塗れる姿を見たいがために。
少なくとも無関心、興味を持っていないという者は少数にまで数を減らす。
注目を集め、監視の目を増やすというアカギの狙いは、派手なマイクパフォーマンスと試合内容でまずまずの成果を収めることとなった。
一回戦第二試合が終了した後のリングでは、瓦礫の撤去作業と次の試合を行うためのフィールドの設置作業が並行して行われていた。アカギ達が試合を行ったスタジアム・Aでは、第一試合から第四試合までを午前と午後に分けて開催しており、昼休憩の現在、スタジアム内には観客の姿は存在せず運営委員会の職員のみが黙々と作業に従事していた。
刺激と興奮に満ちた戦いを支える為、そういったものとは真逆の冷静さと自制心を要求される仕事がある。試合中に死亡した選手の、遺体処理などその最たる例だ。大会参加にあたっては、例え死亡あるいは再起不能になるような重傷を負ったとしても委員会は一切の責任を負わないことを本人の同意の元で誓約書が作成されるため、法的には問題ない。が、現場に慣れていない新人職員などは、処理現場での作業後、嘔吐感で暫く飲食ができなくなることもある。
悪名高い《キリングフィールド》の試合であったため、下手をすると猟奇殺人の現場以上の惨状が展開されることも予想され、事前に決められた担当する職員は皆、経験豊富なベテランばかりだった。
まさか、その殺す側だった者達全員が逆に返り討ちあうとは長年の経験を誇る職員達にとっても予想外であり、妙な気分で蹴り砕かれた遺体を集め、腐敗を防止する専用の死体袋に詰めていく。
遺体は、参加時に本人が死亡した際の受取先を登録していれば遺族や友人の元に送られ、自分が死ぬわけなどないと高を括った、あるいはそんな縁故など無い者達の遺体は、一週間程保存され、その間に引き取り手が出なければ火葬される。
作業中、職員の一人が顔を顰めた。
足りないのだ。どの遺体も大きく欠けている。高価な義体のパーツなら、職員規則や倫理観を無視してでも金に目がくらんだ不心得者が着服する可能性もあるが、欠けているのは全て生身の部分。しかも、欠損部分をよく見ると、そこには異常なほどに強い顎の力で噛み切ったと思わしき、歯型がある。
そして、一番遺体の欠落が多い、というよりも遺体そのものが消え去っているのは、死肉を喰らう事で力を付ける事のできる越境能力の持ち主、猿。
猿は、十人以上の人間を食い殺した犯罪者であり、本来なら極刑のところをその戦闘能力を買われ減刑と引き換えに五帝傘下の商人の所有する奴隷闘士として大会に参加した。
その食人鬼が、何の束縛も無しに野に解き放たれた可能性がある。
符合する状況に、ベテラン職員は上へ詳細な情報とまとめた報告書を急いで提出することを決めた。
適温に調整された緑茶を味わい、冥途喫茶ヴァルハラの座敷型の個室にてアカギは胡坐をかきながら長く深い息を吐いた。
「何とかなった・・・・・・・・・か」
その声には、疲労が色濃く滲んでいた。
試合に関しては、特段苦戦もなく快勝。同程度の敵ならば、百回戦おうともその全てに勝利し、弱音など一言も漏らさない自信がアカギにはある。
ただ、マイクパフォーマンスなどに関しては話が違ってくる。闘技場の観客達が何を求めているかを理解している事と、それを何の苦も無く体現できるかどうかは別問題だ。言葉や動作一つ一つに気を使い、会場の空気を読み、戦い方すらも理と利を排してでも見栄えを取らなければならない。
全身を拘束具で縛りつけられているようなもので、精神的疲労は相当なものがあった。
二回戦のオークション開始までの時間、アカギは《シルバー・セブン》で休憩を取ろうとしたが、船の周辺には耳ざといマスコミなどの報道関係者が集まっており、疲労から大会でのイメージを壊すような発言や行動をする可能性もあり、急遽ヴァルハラまで退避し身を隠していた。
失礼しますと襖の向こうから声が掛かる。
「お待たせしました、特製愛情たっぷりふんわりオムレツで~す。オプションでボクが手づからあ~んして食べさせてあげるサービスもありますが、い・か・が?」
営業スマイル満載で配膳してきたのは、ハクアだった。店の拘りなのか、部屋の雰囲気に合わせてメイド服が袴の上からエプロンを身に着けた女給のような服装に変化していた。
「何故態々金を払ってまでそんな食べにくい方法で、食事をしなければならないんだ?」
「そこは需要と供給だよ、アカギさん。世の中には色んな趣味の人がいるんだよ」
「そうか、趣味か・・・・・・俺には理解できない世界だ」
基本的に趣味とは、生産性や共感性を求めるようなものではなく、時間と金を気の向くままに浪費し続ける事に悦があると、『勇者』が言っていたことアカギは思い出した。
配膳を終えたハクアは、部屋の隅に正座した。他の個室が満室であったため、アカギは唯一空いていた一番高い松の間を選択していた。松の間では、給仕役としてメイドが一人随伴し、時間内でなら会話やゲームを楽しむこともできる。
「ちなみに、今なら無料で可愛いメイドさんと死合える素敵なサービスも実施していますが、いかがです?」
「結構だ」
押しつけがましいサービスの提供を断り、アカギは机に配されたオムレツに手を付けた。ふんわりの冠に偽りなく、卵が口の中で軽やかに転がり、半熟の卵黄の絡んだ野菜の甘味が舌の上で広がっていく。挽肉も勿論上質で、噛めば旨味と隠し味の香辛料がアクセントして味全体に花を添える。
「……美味い。味もそうだが、仕事がすごく丁寧だ」
未だに調理技術については成長の見込みのないアカギには、感心する他ない。その率直な感想にハクアが嬉しそう笑った。
「褒めてくれるんだ。ありがとうね、アカギさん」
「……これは、君が作ったのか?」
「そうだよ」
アカギの中でハクアは戦う事以外には興味のない人種だと認識されていた。戦闘狂と呼ばれる、生死の境目を行き来するスリルに快感を憶え、それ以外物事には自分の命にさえ極めて無頓着な者の傾向と彼女はあまりにも類似点が多かった。知らず知らずの内に、料理など出来るはずがないと偏見を抱いていた自分を、アカギは恥じた。
「すまない、君に失礼な思い違いをしていた」
オムレツは、本当に愛情と言う言葉がよく似合っていた。食べる者の事を考えた、技術や才能だけでは埋める事のできない心尽くし。こんなに温かい料理はいつ以来かとアカギは軽く感動してしまった。
「ん、別にいいよ、意外だとかよく言われるし。総代に仕込まれたってのもあるけど、食事も高みに至るための必要不可欠な過程の一つ。手は抜けないよ。まあ、こっち方面はみっちゃんの方が全然上手いから、自慢にもならないけど」
アマギ・ハクアの戦技の冴えには、狂気めいたものが見え隠れする。彼女の若さでその領域に到達するには、数多くの屍を積み上げ踏み越えていく必要があり、ともすれば殺人の快楽に溺れ悪鬼羅刹に堕ちていたかもれない。
だが、その強さの根底にあるのはひた向きで真摯な努力。食生活の改善による優れた身体の構築など、それがどんなに地道で成果が表れにくい修練であっても、彼女はそれを投げ出さず、怠けず、諦めず、何千何万何億と試行錯誤を積み重ねること出来る。それこそが、ハクアの真の力。
揺るがぬ確たるものが芯にあるからこそ、狂気に酔う事はあっても、溺れる事は決してない。
少女の強さを垣間見たアカギは、ふと疑問を憶えた。
出会い頭のハクアの言動や行動から際限なく無秩序に強さを求め、より瀬戸際の戦いを体験するために自身との殺し合いを求めているのではとアカギは考えていたが、料理の出来栄えから受けた印象とは大きく乖離がある。
生じた疑問を解消するため、あるいは少女への興味からアカギは質問を口にする。
「何故、君はそんなに強さを求めるんだ?武芸者の普遍的な目標である、最強とやらを目指しているのか?」
「最強・・・・・・まあ、強いて言えば目指してるけど、ボクにとってそれはあくまで手段であって、目標ではないかな」
特に隠す事でもないしいいかと呟き、少女は語った。
「流派の再興!それが、ボクの宿願」
それは、銀河の何処にでもあるようなありふれた話だった。
とあるコロニーの貧民街に、家無し金無し親無し、不法滞在者の孤児がいた。
飢えをしのぐため孤児は、生まれついての能力を活かしスリをしていた。少々尖ったガラス片やゴミがあれば十分。透視の能力で物体の脆弱な部分を見極め、通行人のポケットやコートを切り裂き、一瞬の早業で高値で売れる情報端末や貴金属などを盗む。
生まれついての越境能力と刃物を扱う武の才が、身よりの無い孤児を生かしていた。
その生活の終わりは、唐突だった。
使い古された粗末な服装の旅の老人。その腰の長くて珍しい装飾が施された反り返った棒、刀に手を出したのがスリ生活の幕引き。盗もうと伸ばした手を掴まれ、脳天に硬い拳骨を落とされた。
孤児は、自分の死を覚悟した。
スリで捕まった孤児の運命など決まっている。痛めつけられて死ぬか、もっと酷い目にあって死ぬ。それでも、孤児はもうひもじい思いで震えずに済むと、ある種安心もしていた。
その小さな体に秘める才を見抜いた老人、アマギ・ビャクヤは、孤児を生かした。
食事を与え、身なりを整えさえ、読み書きや算術の他に道徳・倫理など教育を施し、己の人生そのものと言って過言でない武術、流派:ムラクモを伝承させた。
ビャクヤは、孤児が出会ってきた人間の中で一番厳しかったが、同時に一番優しかった。叱りつける言葉の裏には愛があり、過酷な指導の影には慈しみがあった。最初は警戒していた孤児も、ビャクヤの人柄に触れ心からの信を寄せるようになった。
武門の弟子となった孤児は、その時からアマギ・ハクアと成った。
「師匠と二人で旅してた頃は、楽しかったな。明日はどんな技を教えてくれるんだろうって毎日ワクワクしてた」
並々ならぬ才気もあり、ハクアは恐るべき速度で師であり養父であるビャクヤの武術を吸収していった。順調にいけば、秘奥の術理さえも体得する日は遠くなかった。
しかし、ハクアがムラクモを極めるより先に老人の寿命が尽きた。
眠るような、穏やかな死だった。出会った時と同じく、前兆も何もなく前日まで怒鳴り散らしていたビャクヤは、別れの言葉を交わす事もなく朝早く旅立って逝った。
ハクアは、泣かなかった。
涙を流す時間さえ惜しみ、刀を振った。
少女が、体得することが出来たのは流派の初伝と中伝のみ。奥伝、皆伝の技を、ハクアは学ぶことができなかった。つまり、流派:ムラクモは秘奥の術理を喪失したのだ。
ハクアは、決意した。
ビャクヤが遺した流派は途絶えさせない。自分が、新しくムラクモを作り直し、再興する。それが、少女の人生を賭けた目標となった。
「だから、アカギさん。ボクと死合って、ムラクモの再編の糧になってね」
宿願成就の為にお前を殺すと、ハクアは平然と言った。




