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黎明歴425年9月11日。
失敗に終わった課題を改めてクリアするため、ケビンは早朝からアカギに投げ飛ばされ、再び森深くに降り立っていた。
太陽が東から登り出した時刻でも、やはり樹海は薄暗い。
本日の課題内容もまた、日没までに湖畔へ戻ってくることだが、昨日とは開始地点が別であり、ゴールまでの距離も長い。地図を確認する限り、時間以内に到着できるかどうかは微妙な塩梅だった。
「焦るな……焦れば、昨日の二の舞だ。一歩一歩、確実に進めばいいだけじゃねえか」
敢えて声に出すことで、ケビンは己を戒めた。初日の勇み足こそが失敗の原因であり、その愚を繰り返すまいと呼吸を整え、少年は歩き出した。
手書きの地図を頼りに、最短ルートではなく危険の少ない最良ルートを選択し進む。自然からすれば、人も獣も虫も等価値であり、配慮する理由もない。天然の峻厳さに対し、人がどれだけ無力かを極寒の地で生活してきたケビンは知っている。
実距離の長短よりも、危険度の少ない道を選択したほうが、結果的に時間の短縮に繋がるのだ。
経験則を元に選択した道は、ケビンに順調な行程を歩ませていた。
周囲の木々が発する《気》と自身の《気》を同調させることで環境に溶け込み、隠形に徹することで、直接戦闘を避けながら進む。
落ち葉や枯れ枝を踏みしめる音とは別の音、空気の弾ける響きをケビンは遠くで聞いた。
音の発生源は一つでない。二つ、三つ、四つ、音のみでは反響し合って正確な数を把握することはできず、《気》の感知を併用することで八つの何かが、包囲するように近づいて来ること少年は察知した。
首狩り兎や、群狼と違うのは、自己の存在を隠すどころか音を立てる事で寧ろ強調している点。おそらくは、高い戦闘能力を持ち獲物が逃げようとも追いつけるだけの走破能力も兼ね備えている大型の獣。
背中から襲撃されるリスクを考え、強引に包囲を突破するよりも腰を据えてこの場で迎撃することを、ケビンは選んだ。
心と体の戦闘態勢が整った時、木々の間からその獣達は姿を現した。
全身で雷光を放電する、眼を強烈に見開いた猛虎。それが八匹。
一見しただけで、その獣が森の生態系の上位層であると、ケビンは確信した。地の利は、向こうにあり受け身は不利。囲みの一角を崩すべく、果敢に若き武芸者は攻勢に出る。
一番最短距離にいた個体へ、高速の踏み込みから、全身の体重を肘先の一点に集約させ、獣の眼球へ突き入れる。
雷光が、走った。
ケビン渾身の肘打ちが、放電を集め形成された防護膜により阻まれていた。外力通の防御により感電こそ免れているが、それも長くはもたない。
切り裂かれれば臓物を撒き散らし肉体を内側から焦がす、紫電を纏った五爪が振り上げられる。
「活路は、前にしかねえ!」
少年は、退くことをしなかった。覇気と共に敵に向かって進み、《気》を更に練り上げ外力通の密度を上げる。
力づくで捻じ込まれた肘が、ついに眼球を押し潰す。
ほぼ同時に、一撃で生物を死体に変える凶悪な爪がケビンを薙ぎ払った。
十歳のケビンは、息も荒く雪原に倒れ伏した。体力が尽きて横になっているのは、ケビンのみならず、山里のコミュニティー内の同年代の子供が全員揃いも揃って白い息を吐きながら、雪に身を埋めていた。
「何じゃ威勢がいいのは最初だけか?」
子供達の中心で呵々と笑うのは、年老いた老人だった。肉体としての最盛期はとうの昔に過ぎ去り、筋肉は衰え視力も霞んでいたが、背筋は真っすぐと伸び僅かな歪みも弛みもない。
オウ・ガシン。コミュニティー内での最年長者であり、惑星ヤコウで伝承されてきた流派:コンゴウの継承者でもある。
師匠の課す修行、繰り返し反復する型稽古を嫌がった弟子側が、どうせやるなら実践形式の修行がいいと反発。
ならばと、ガシンと弟子達全員で組手を行い、弟子側が勝てば修行内容を変更すると老人は、約束した。
子供側が有効打を一回でも当てれば子供側の勝ち、制限時間一杯まで避け切ればガシンの勝ちという明らかに指導者側が不利なルールの元に組手が行われ、結果は弟子側の完全敗北だった。
直接的な攻撃を、ガシンは一切してない。ただ、何故か弟子達は攻める度に体勢を崩され自分から転び、投げられていた。
「畜生、妖怪じじい。アイツ背中に目でもついてるのか」
「何で、四方八方から攻めてるのに避けられるんだよ」
「絶対おかしい、なにかズルしてる」
負けたことに納得がいっていないのか、多くの弟子は不満顔であった。
「どうしたどうした、若いもんがそんな為体でどうする。それ、今度はお前達が約束を果たす番じゃぞ」
弟子側が負けた場合は、文句を言わずに険しい山々を一周してくることが条件になっていた。渋々と一人また一人と少年少女は立ち上がり、その場から走り去っていく。
最後に残ったのは、一番激しく攻め立て、結果一番手酷くやられたケビンだけだった。
「なあ、じじい」
「師匠と呼べ、師匠と」
少年は、呆れた顔をしている老人に言った。
「俺は、レイラを守るために強く成りてえんだよ」
同世代の中で、ケビンは頭一つ分抜きんでていた。目が良く、攻撃の見切りから、教えられていない技も数度見れば自分の物に出来ていた。特に、内力通に関しては大人顔負けであり、殆どの傷は忽ち治してしまう。
本人の才能もあるが、それを成しているのはコミュニティー内の決まり事だからと受動的に喪失武術を習っているのではなく、高い目的意識を持ち能動的に自ら吸収していっているからだ。
「どうやったら、じじ・・・・・・師匠みたいに強くなれるんだ?」
「そうさな・・・・・・」
長い顎髭を撫でながら、ガシンは此処ではない遠くを見るように視線を空へとやる。釣られてケビンも同じ方向を見るが、いつも通りの雪雲が太陽を覆い隠す曇天が瞳に映り込んでくるだけたった。
「ケビン、お前は目がいい。見る事に於いて、お前程の天賦はそうはいない。だがな、それ故目先の事に容易く捕らわれる」
枯れた細い指先が、空の一点を指し示した。
「中天は、万象の全てに通じる。一度、その両の眼を閉じ空の心で観てみよ。さすれば、お前はもっと高みへ上ることができる」
「意味が分からねえ、師匠ならもっと分かりやすく言えよ」
悪態をつく弟子に、また師匠は呵々と笑った。
「よいよい、今は言葉だけ覚えておけ。いつか、理解できる日がくる」
一秒未満の時間意識を喪失していたケビンは、左肩に走る激痛に耐え立ち上がった。
強引にでも前に進み続けた事が功を奏し、眼を潰された激痛で雷の獣の力が弱まり、更にほぼ密着状態であったため、爪の薙ぎ払う軌道の内側に身体が入り込んだことにより、前肢による殴打で吹き飛ばされるのみに被害は留まった。
だがそれでも、一撃を受けた左肩は赤黒く変色し、骨には罅が入り少し動かすだけでも痛覚を過敏に刺激する。内力通で治癒可能なレベルだが、それを行うには回復のみに集中する必要があり、少なくとも戦闘が続く限り左腕は使い物にならない。
太陽光の注がぬ深い樹林の中、全身に紫電を纏う大型の肉食獣に周囲を囲まれ、痛痒に嬲られながらも、ケビンの心は静かに凪いでいた。
過去体験の反芻。走馬灯。
死が目前に迫った人間の脳は、生存の道を模索しようと普段は記憶の奥底に収納されている経験から現状に即したものを抽出する。
死の淵で得た感覚、集団に囲まれ追い詰められた状況が切っ掛けとなり、水滴が大地に染み入るように、ゆっくりとただの知識だったものが実感となって腑に落ちていく。
喪失武術の師匠ガシンは、ケビンが十二歳の頃に亡くなった。
流派:コンゴウの技術体系に関する知識は里のデータベースに記録として残されており、指導役も別の人物が引き継いだため、それ以降も喪失武術を学ぶ事に苦労はなかった。
だが、ケビンは今まで亡き師の言葉を理解していなかった。
表面上の技術や知識を習得し、理解したと己惚れていただけだった。
有形無形で、ガシンは多くものをケビンに遺していたのだ。教えが難解で抽象的なのは、直接言葉で伝えても体感的な感覚は全てを伝えきること不可能であり、弟子に意味を考えさせ、試行錯誤の中から自ら体得させるため。
それに気付かず、出来る事は全部やったとほざいた自分を少年は殴りつけたくなった。
答えは、いつでも自らの内にあったのだ。
包囲を完成させ高速で四方八方から飛び掛かってくる雷の獣達に反応し、ケビンは、努力呼吸により再度肺を能動的に動かし、連動して胸中奥の《仙丹》を稼働させる。湧き出した《気》が《経絡》を通し全身を循環し、肉体を強化していく。
迫り来る無数の稲光を、ケビンは避けなかった。
地から天へと昇る、掬い上げるような動作で放たれる外力通による《気》の防護膜で強化された掌底の連打。足を軸にその場で回転、無事な右手の射程圏内に侵入してきた雷の獣達の顎を、雷光の防壁ごと正確無比な掌底で次々に打ち抜いていく。顎を揺らせば、その衝撃は脳へ伝導し、どれだけの巨体を誇ろうと防御を厚くしようとも行動不能に陥る。
泡を吹いて倒れていく同族に、敵の脅威度を悟った獣達は神経伝達の電気信号を加速させ攻撃の密度を更に増やした。視界を埋め尽くす程の、数の暴力が少年を呑み込む。
「中天は、万象全てに通じる」
俯瞰視点。
亡き師が伝えようとしたもの。流派での名は、天通眼。
観の目とも称されるそれは、眼の視覚のみならず五感全てを駆使することで外界の情報を収集し、その情報を元に心中に自己を基点とした演算仮想世界を作り出す技術。
事が起こるよりも先に予め事態を試算しておき、天からの視野にて場を俯瞰することにより戦闘に於いては値千金の数秒の時間的余裕を生み出す。情報を収集する器官を視覚に限定しないことにより、空気の振動や地面の揺れなど多角的に計測を行い、背後からの攻撃などの奇襲にも効果を発揮する。
流派の奥伝記載の技の一つではあるが、殊更特殊な才覚を必要とする技術でない。
必要なのは、首筋に冷たい殺意の刃が押し当てられていようとも、自然体で事象を観測し仮想世界を構築し続ける揺るがぬ心。そして、未来を予想する為に必要な、過去の戦闘経験値。
闘技場で負けに負け続けた五年の経験は、図らずも若き武芸者に天通眼を運用するに足る蓄積をもたらしていた。
「空の心にて、観ずれば――――我、ここに界を結ぶ」
ケビンは、その空間を掌握した。
怒涛の勢いで獣の波が押し寄せるも、実体の無い虚像を攻撃してるかのように目の前にいるはずの少年を雷光が素通りする。
どれだけ包囲が狭まっていようとも、動的物体が運動している以上、そこには一定の隙間が存在する。一秒後には消える小さなエアポケットを経由し続けることで、ケビンは波濤から身を躱していた。時に自ら攻める事で人間一人分の空間を作りだし、時に攻撃を誘導し同士討ちを狙う。
その場は最早獣達の狩場ではなく、少年の独壇場だった。
攻撃は容易く受け流され、防御しようにも守るより早く手刀が突き刺さり、回避した先には待ち構えていた蹴りが脳天を潰す。全てが、掌の上。
唯一の生存の道は、逃走。
僅かに生き残った雷の獣たちは、森の奥へと四散し逃げていった。
周囲に敵が居ないことを確認したケビンは、構えを解き静かに瞑目した。
「師匠、アンタの言っていた意味が、ようやく少しだけ分かった。あの世で観ていてくれ、コンゴウの教えは俺が継いでいく」
暗い森を抜け日没よりも早く湖畔に到着した、即ち課題を達成したケビンを出迎えたのは、肌を焼く熱波だった。
夕焼けの湖畔に、空の色より赤い火柱が映り込む。響く音は、硬く重い。
何事かとケビンが視線をやれば、どこから持ってきたのか巨大な炎を噴き出す八角柱の炉とその傍の作業台で、アカギが一人、一心に鎚を振るっていた。
熱の中心地である炉からはある程度離れた野営地からでも、熱風が肌を嬲る。その間近にいるアカギは、正に灼熱地獄を味わっているだろう。
「あの馬鹿、何やってるんだよ!」
その自殺紛いの危険な作業に、咄嗟に止めに入ろうと走り出したケビンの進路を、上空から急降下してきた球体が塞ぐ。
《痴れ者が、見てわからんのか》
「うぉ!?」
突然発せられた機械的な合成音声に、ケビンは驚く。
音響装置から無機質な音声を発生させているのは、自立飛行機能を有した球形ドローンだった。
《担い手様は今、汝の為の防具を作っておられるのだ。寛大なる御心に感謝し、咽び泣くがよい》
「はあぁ?」
熱した金属を手に持った鎚で直接叩くような原始的な方法で作成したものが、レーザーが飛び交い、分厚い金属の壁を容易に破壊する義体化人達が潰し合う闘技場で通用するのか眉唾だったが、アカギのやり方をとことん信じ抜くと決めた少年は、首を横に振ることで疑いを捨て、それ以上口を挟むことを止めた。
「あ~ところで・・・・・・」
少年は、視線を鍛冶場からドローンへ向けた。
「お前は、アレか、アカギさんのアシスタントAIとかか?」
富裕層の中には、自身のスケジュール管理を人工知能、AIに担当させ秘書の様に使用している者も多い。より高性能なものになれば、所有者の仕事を手伝うといった働きをこなすことも可能だ。
ただ、やはりAIの反応や挙動は画一的なものが多く、ケビンもドローンを操作しているであろうAIの返答に、大して期待はしていなかった。
《あんな無味乾燥で、表面だけを取り繕った張子と一緒にするな。我が名は鋼の精霊『カネツグ』。担い手様の剣にして、唯一無二の相棒である》
無機質な合成音声でありながら、その言葉には不機嫌さと尊大さが滲み出ていた。まるで、人間が直接操作しているような、滑らかな受け答え。
「お、おう、そうかよ」
予想外の反応に面食らった少年は、思わずどちらが人間なのか分からなくなってしまうような生返事を返してしまった。
AIなどと勘違いされ反射的に否定した『カネツグ』だが、基本的にはその他大勢の人間にどう思われていようとも、精霊は気にしない。
だが、相手は今回のクエストで指定された護衛対象であり、今後意思疎通や連携が取れているか否かが、クエスト達成の成否に関わる事は容易に予想でき、渋々と精霊は少しばかり手を貸すことにした。
《本来ならば、教えてやる義理はないが、今後の為にも最低限の情報共有はしてやる。ありがたく思えよ、小僧》
『カネツグ』が教授したのは、自己を含めた精霊に関して。
大まかな精霊の階級や、誕生の仕方。そして、その性質。
話を聞き終えたケビンは、しばらく考え込むように沈黙すると、ポツリと言葉を漏らした。
「なんか、昔師匠が言ってたアニミズムだか、ヤオヨロズだかの考え方に似てるな」
武術とは、単なる戦闘技術の総称ではない。無形文化財として保護された過去からも分かるように、その内には学問、宗教、思想などの文化を内包する。
座学に関しては、殆ど寝て過ごしたケビンだが、辛うじて脳の海馬に朧げな印象と単語が残留していた。
《万物万象には魂が宿り、大小を問わなければ全ては神に至ると言う思想か》
「あー、多分それだ。『カネツグ』さんって、要するに人を切りまくって妖刀になった刀の妖怪みたいな存在ってことでいいのか?」
《その呼び名は気に食わんが、幾多の敵の血を飲み干して力を得たのは事実だ。尤も、我が担い手様に奉じるのは呪いではなく加護だが》
精霊の操るドローンが、ケビンの前からテント近くに設置されていた丸机の上へ移動する。卓上には、予め焼き魚や果実などの食糧が用意されていた。
《担い手様からの伝言だ。「明日の課題は、今日より更に難度が高い。お前は、飯を食ったらさっさと寝ていろ」だそうだ》
「なんだよ、もう寝るのかよ。俺は、まだまだ余裕だぜ?」
天通眼を見いだせた高揚感が、少年の内には満ちていた。軽い全能感に酔っているとも言う。冷や水を被せるように、『カネツグ』は言った。
《己惚れるな、馬鹿者が。今汝が立っている場所など、頂へ至る道の一合目に過ぎんわ。我が、その無理矢理治癒した左肩を見抜けていないとでも思ったか。骨を歪な形にしたくなければ、さっさと休め》
「ぐっ・・・・・・それは、確かに」
内力通で回復させはしたが、骨の修復は完全には終わっていないことを少年は失念していた。図星を指されたケビンは、知らぬうちに昂っていた自分を戒める。
「分かった、なら『カネツグ』さん後は頼むぜ」
《汝の頼みを聞く気はない。が、担い手様の主命として、身の安全は保障してやろう、安心して寝ていろ》
あっと言う間に食事を終えたケビンが、テントで寝息を立てるのを確認すると、『カネツグ』はドローンを操り己の仕事に戻った。
《嗚呼、やはり担い手の身体は何時見ても何度見ても素晴らしい!ご尊顔を含めた、肉体美をじっくりと鑑賞する喜びこそ、悦楽の海!ふははは、邪魔者のいない今が、我が世の春よ!》




