カオリ2
あっついわねぇ。
ゴローの背中に舞い降りたカオリは、からだ全体でゴローの体温を感じました。
この夏は暑いとはいえ、ゴローの体は日に蒸されたカタクリの葉の上のように息苦しい。
若く大きなツキノワグマという、美味しそうな獲物のわりに、ノミやら、蚊やらが少ない気がしました。
私も長くは関わりたくないわね。
カオリは、全開の山ユリほどに足を広げ、わっさ、わっさとゴローの耳元に向かいました。
長く、しなやかなカオリの八本の足は、動く度にゴローの背中の毛をかきあげてマッサージでもされてるように素敵な夢にゴローを誘いました。
「ちょっと、主さん、主さん?」
はじめ、カオリはゴローの耳元で囁きましたが、あまりにも起きないので、自慢の鋏角(口の前にある鎌のようなもの。クワガタの角の小さいやつ)で噛みついてみました。
「あっっー。痛ってぇーなぁ。」
さすがにゴローは目が覚めました。
「主さん、こんばんは。」
カオリは、よそゆきの甘い声でゴローの耳元で囁きました。
「こんばんは。」
闇夜のなか、寝ぼけたゴローは誰もいない林に頭を下げ、しばらくして、周りに誰もいない事に気がつきました。
夜風が、林を駆けめぐる音がしました。
「あなた様が、土地神様の末裔ですか。初めてのお目にかかります。私が蜘蛛のカオリでございます。」
カオリは丁寧に挨拶をし、黒く長い前足をゴローの耳の前に出して挨拶をした。
「う、うぁぁぁー。」
右目の直ぐ近くで、カオリの八つの目を見てしまい、ゴローはビックリして駆け出しました。
「く、くもだぁ。くもだよぉ…。」
ゴローはやたらめったら走り回り、カオリはゴローの耳に引っ掻けたしおり糸に引かれなから、凧のように宙を飛びました。
「ほほほっ。ほほほっ。なんて早く走るのかしら?これなら、銀ヤンマの旦那だって、かなわないに違いない。ああっ、楽しい。」
カオリは幼虫時代を思いだし、ふわりふわりとしおり糸を操りながら器用に飛び回りました。
体が大きく育つにつれて、こんな風に風に舞うことは、出来なくなっていたので、この珍しい客人のハプニングは新鮮で、楽しいことでした。林をぐるりと回りきる頃には、カオリはゴローの事がなんだか好きになってきました。
ゴローさんの名誉のために付け加えますが、ツキノワグマは雑食で、蜜蜂の他に、あの、スズメバチの巣を襲う事すらあるのです。小さな蜘蛛が頭に乗ったくらいで、ビビって走り回ったりはしません。
カオリは、異界の生物で、南の島に住んでいるオオジョロウグモほどの大きさがあるのです。
誰にとっても、カオリの不意打ちは、心臓によくありません。