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世界に一人だけ



「おつかれっしたー」

「おーお疲れー」

 バイト先のコンビニの同僚に手を振って外に出ると、八月のむあっとした空気が身体に纏わりついて、壮一は足を速めた。夕方になっても気温が下がった気がしない。田舎に居たときは昼間でも涼しかった気がするんだけど、などと思いながら、壮一はアパートへ急ぐ。


 大学進学とともに、壮一は大都会に出た。この大都会とはあくまで壮一の主観であって、仙台を大都会と呼ぶのかと問えば諸所議論はあるだろう。

 これだけ高層建築が立ち並び、ビルに反射する夕日と熱を貯め込んだアスファルトに熱されれば、まあコンクリートジャングルとは呼びたくなる。

 一年目は大学のシステムに慣れたり、一人暮らしの生活リズムを作るために様子を見ていたが、二年目ともなればバイトも始める。お金は足りなかった。外食外食外食に家賃払ってテキスト買ってとやっていれば、裕福でもない家庭では仕送りだけでは足りなくなる。絶対買わないといけないテキストが何故万単位もするんだという悪態はたまにする。それが必須の出費だとしても、文系出身の両親は理解がない。学費と生活費を送っていれば息子は安泰に暮らしていると思っているのだ。


 理系なめんな。


 思うだけで言いはしない。仕送りという生命線を握られては、俎板の鯉になるしかない。そもそも自炊すれば余裕は生まれるのだが、全力で目をそらす。何故わざわざまずい飯を時間をかけて作って嫌な顔しながら食わねばならぬのか。真理だ。理系でも哲学はできる。



 車道では車がひっきりなしに行き交い、歩道も通行者が絶えることがない。田舎育ちの壮一は、この都市のそういうところにまだ慣れない。大通りでは前方からの歩行者を避けるのにいっぱいいっぱいになる。だからいつも通り好んで小道に入る。一本ズレると住宅街と雑居ビルが混じるのが不思議なところで、一気に静かになったような気がする。

 ふんふん鼻歌を歌いながら、悠々と道を行く。

 アパートまでは大体二十分ほどの道のりで、大通りを横切るとき以外は大体こういう小道を縫って行くことができる。


 暗くなってきた。夕方と夜の境目はいつもわからなくて、気が付いたら夜としか言いようのない風景になっている。

 一本向こう側を走る大通りからは賑やかな……


 壮一は違和感に襲われる。

 何かがおかしい。だが、何がおかしいのか。

 間違い探しめいた思考は、一つの回答を得る。


 音がない。車の排気音や雑踏の音はいつもなら聞こえてくるはずなのに、いまここにはそれらの音がなかった。

 壮一は角を曲がる。視界の先にはもう大通りが見えている。確認は既に済んでいるが、それでも壮一は駆け足で大通りに躍り出る。視界に広がるのは確認済みの光景だ。だが、壮一は愕然としてしまった。


「どういうことだ?」

 自身の声が大きく響いて聞こえた。


 夜になっても視界に不自由しない明かりが通り全体を照らし、ずっと向こう側まで見える。その視界の中には人が一人もいない。車が一台も走っていない。


 しばし固まっていた壮一は、どうにか再起動をかけると手近なコンビニに向かう。

 コンビニ主催で録音されたラジオが軽快な芸人の声を響かせる。「――じゃねぇわ!」無人の店内には空しい。

 壮一はがっくり肩を落とした。


「なんなんだよ……」


 頭の中は取り留めのない事柄でぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、まともな思考はできそうにない。いつからこうなった? 世界から自分以外の人が消えた? もしくは自分一人が変な空間に迷い込んだ? これからどうなる? 飯どうするんだ? 猫すらいないのか?


 壮一は歩き出す。じっとしているわけにはいかなかった。ただ一つわかっていることは、ここでこうしていても何にもならないということだけだ。どうする手がかりもないが、普段ならばより人が溢れているだろう方向へ足を向ける。

 夜も浅い時間だが、飲み屋街はもう始まっているはずだ。詳しいわけではないが、場所自体は知っている。国分町通はもう少し駅側に戻ったところにある。南北に走るその通には、北は定禅寺通から南は広瀬通まで、飲み屋とキャバクラとラーメン屋とコンビニと花屋しかない。いや、酒屋もあったかもしれない。曖昧な記憶しかないが、あそこに人がいなければ嘘だと言うのは確かだ。




 とぼとぼと、壮一はアパートへ歩いている。

 結局のところ、誰もいない。居酒屋やラーメン屋の中に入って、調理場のほうまで入ったにも関わらず、テーブルの上に食いかけのラーメンや飲みかけのビールしかなかった。使っていただろう箸は宙から落ちたように散らばっていて、人間たちのみが突如として消滅したように感じた。ふと心配になってコンロを見てみたが、見た範囲ではすべて消えていた。火事になることはないようだ。


 認めるほかないようだ。

 少なくともこの都市では人間が消失してしまったのだと。


 ――これからどうすべきか。

 壮一の頭を支配するのはそれだ。

 衣食住に関しては、物自体消失はしていないので、(盗みにはなるが――いや、なるのか? 所有者がいないとみなすべきではないか?)なんとかなるだろう。缶詰のように長期間保存可能な食糧もある。

 電力供給等インフラに関しては懸念がある。火力発電所や原子力発電所が無人で稼働し続けた場合どうなるのか具体的には知らないが、安全装置が働いて止まるのか、どうなのか。灯る街灯からして電力は供給されているようなので、どうにも不安になる。考えたところで、自分ではどうしようもない。

 電気供給はいずれ止まるとして、その場合は朝起きて日暮れに寝る生活になるだろう。

 ガスも勿論補充されないので使用できなくなる。こちらは火を点けるだけであれば、そこらの店からライターなんかを持ち出せば可能だろう。


「都会でロビンソン・クルーソーか。物資が潤沢なだけイージーではあるけど」


 壮一は独り言ちる。

 だが、最大の懸念は自分が孤独に耐えられるかだ。もともと独り自体はあまり苦ではなく、人付き合いはやや面倒だと思うこともある。孤独よりの人格をしていると壮一は自身を評価しているが、ずっと一人で、誰ともどうしても会えない状況はそれとは別だ。他人と会う時間が少なくても構わないというのと、なくても良いというのは0と1ほども違う。

 現代社会の日本で「どうやっても誰とも会えない」という状況は、まずない。未経験の領域だ。耐えると無邪気に信じるには、最低でも中学生くらいに遡る必要がある。


 だから、希望が必要だ。


 人が乗っていた車は一つ残らず存在しないだろうが、駐車されている車は数多い。キーさえあれば貰って、日本中を回るのだ。そこに取り残された誰かを探して。

 無人給油所は利用可能だろうし、別の車に乗り換えることもできるだろう。免許はまだ持っていないが、今更咎められることもない。電車も動いていないだろう現在、長距離を移動するには車を運転することが最低限必要だ。




 細かい路地に入り、一軒家の角を曲がるとアパートが見える。202号室のワンルーム。カンカンと甲高い音を立てて階段を上りながらポケットから鍵を取り出す。手すりに触ると手に錆がついて臭くなるのでフリーハンドで上る癖がついた。

 鍵を差し込み、扉を開く。踵で靴を脱いでフローリングの床に足をつくと、靴下がひどく邪魔くさく思えて、脱ぎながらケンケンの要領で部屋に向かう。もう何もしたくなかった。このままベッドに倒れ込みたい。短い廊下と部屋を遮る戸を開けて、閉める。


 壮一はばくばくと暴れる鼓動を感じる。


 何かいる。


 一瞬で、暗がりで、よく見えなかったが、ベッドの上に座るような形で黒い影があった。

 じっと扉を見つめる。異常が起こりすぎて、頭がどうにかなりそうだ。


 室内から、ぺた、ぺたと音がする。


 歩いてこっちに向かってきている!

 壮一は跳ねるように振り返ると、玄関へ急ぐ。外へ出ようとノブを掴み捻るが「固っ!?」ノブは扉と一体化したかのようにピクリとも動かない。

 パッと背後が光る。あの何かが電気を点けたのだろう。スイッチは入ってすぐの壁面に存在する。もう猶予はない。

 壮一は玄関を背に、戸を見据え、身構える。


 カラカラと軽い音を立てて、戸が開く。

 蛍光灯の光が逆光になってその容貌は見えない。人型のそれは、目が慣れるにつれてはっきりと見えてくる。ぐ、と壮一は息をのみ込む。


「おー、お帰り兄貴」


 はっきり見えたのは、十数年共に過ごした弟だった。姿かたちを見間違えるはずがない。


 もう全日本を旅する必要はない。ここに人がいるのだから。


「どういうことなんだよ……」


 壮一の口から吐息がこぼれ、身体から力が抜け、へたりこんだ。


 壮一が身体を起こすのにはしばらく時間がかかった。随分疲労がたまっていたらしく、身体が重く、気力を出すのも億劫だった。

 その間、弟、耕生は気にもせず気楽な様子で勝手に冷蔵庫からアイスを取って食べたり、本棚から漫画を取って読んだりしていた。


 耕生は現在中学二年で、壮一とは六歳差がある。これだけ年齢差があるとジェネレーション・ギャップもそれなりにあり、家族としてはなんとなく距離があった。嫌い合うわけでもないし、家族なりの好意はあるものの、ちらっと話す程度であまり踏み込まない。

 耕生がこのアパートに来たのも、引っ越し手伝い(という名のちょっとした旅行)で一度切りだ。確かに中学生一人で来るには距離がある。鈍行電車で片道二千円はなかなかの出費だろう。来る機会はそれでも何度かあった。両親が車を出してここまで来たのは、四、五回あって、「耕生も誘ったんだけどねえ」なんて母が言っていた。壮一もまあ来ないだろうな、と納得していた。


 そんな耕生がいまここにいるのは何故か。人が消失して兄弟二人だけという現状と何らかの関りがありそうだと壮一は思うも、疲労からか考えがまとまらないし、何だか投げやりな気分だ。


「寝る」


 なんとか立ち上がった壮一はそう呟いて、ベッドに身を任せた。意識はすぐに沈んだ。


   □■□


 そして浮上。

 目を開いて、しばらくぼうっとして、上体を上げる。

 窓の外はまだ暗い。あまり長い時間寝ていなかったのか、それとも一日寝たままだったのか。


「おはよう」


 耕生が声をかけてくるのに、おう、と返事をする。一つ伸びをして、ちゃぶ台に向かう。座椅子は耕生に占領されているので、その向かい側に腰を下ろす。


「さて、話を聞かせてもらおうじゃないか」


 壮一は精一杯ドスを効かせてみたが、耕生は飄々と笑顔だ。


「話って、まあ、色々あるんだけど、どっから話したら良いのかなあ」

「とりあえずお前がなんか知っているのはわかった。現状の説明をしろ。なんで人がいなくなってんだよ」


「それ」耕生は人差し指を壮一に向ける。「それは違うよ。人がいなくなったんじゃなくて、兄貴がいなくなったの」

「はあ?」


「兄貴は異次元に攫われました。攫ったの僕だけど」

「はあ?」


「僕、魔法使いになったんだ。多分、今は世界に一人だけの超レアだよ」

「はあ?」

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