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ねぇ、知ってる?



「ねぇ、知ってる? わたしを本当に愛してくれる人はいないんだ。何度生まれ変わっても変わらない」


 目の前の彼女はそう言って、長い睫毛を伏せた。

 お天道様のような笑顔しか見せたことがない彼女のその憂いた表情は、恐いくらいに儚く整って見えた。


「一時的に好きになってくれる人はたくさんいる。だって、この顔でこの身体だからね。外見が良いと人はそれだけで寄ってきてくれる。そして中身のない愛を叫ぶんだ。俺のアクセサリーになってくれって」


 神様に愛された彼女は、細くて綺麗で指輪が似合う指で、私を掴んでいる。

 その手は冷たくて熱くて恐ろしささえ感じさせた。


「ちゃんとわかっている。ずぅっと前からね。みんな、わたしを置いていってしまうってことを。知っているんだ」


 普段は皆を魅了する魅惑の声を出す喉は、今は感情を押し潰した叫びをあげている。

 私にそんな声を聞かせてどうしろというのだろう。


「人間はどれだけ外見を重視しても、最後には中身で判断するんだね。わたしに近寄る人は気がつくんだ、わたしに心がないってことを。わたしは空っぽだということを。わたしよりも愛すべき人が他にいるということを。ねぇ」


 いいや、私に聞かせたいわけではないのだろう。

 壁に聞かせたいわけでも、床に聞かせたいわけでも、空気に聞かせたいわけでもない。

 ただただ言葉を吐きたいだけなのだろう。


「わたしはどうすれば愛されると思う? どうやったらずっと一緒にいてくれる人に逢えると思う? わたしはどんな声で愛を乞えばいい? どんな形で愛を捧げればいい? わたしは、わたしを置いていかない人のためならばなんでもやるよ。なんでも、やってしまうんだよ。たとえ、それが周りから見て、歪で、狡くて、可笑しくて、酷くて、悪いことだろうとも。精一杯、愛想を振りまいて、周りを巻き込んで、たくさんの人を傷つけて。そしてわたしが得られるものは、いつもなにも残っていない」


 そうだよね?

 そうだね


 彼女はわかっていたのか。彼女はわかってやっていたのか。

 自分がやっていた愚かな喜劇を。

 私にとっても彼女にとっても悲劇を。

 わかっていた。わかっていなかった。


「何度生まれ変わっても、こうなってしまうんだ。何年生きても、何度も何度も同じようなことを繰り返す。醜くて、どうしようもないおままごとを。ねぇ、本当の愛って何なのかな。誓われる愛って何なのかな。どうしたらわたしにも手に入れられるのかな」


 人を惹きつけてやまない愛されフェイスは彼女にとって呪いのようなものなのかもしれない。人を惹きつけるだけ惹きつけておいて、場を乱すだけ乱しておいて、その先がない。

 知らなかった。

 彼女は幼い子どものように喚いていたのか、愛が欲しいと。愛もわからずに。


「ねぇ、お願いだから、わたしを愛してよ。わたしを置いていかないでよ。わたしを愛してわたしと一緒に歩いてよ」


 それを私しかいない今ここで言ったところで意味はない。

 私は彼女が嫌いだから。いいえ、嫌いだったから。

 嫌悪していた。憎んでいた。

 私から愛を盗んだから。私の未来を踏みにじったから。

 他のたくさんの人からも、彼女は憎まれている。彼女が本物の愛を欲しているとも知られずに。


「ねぇ、わたしを、ねぇ、お願いだから」


 彼女の掠れ声は悲痛に満ちていて、人の心をかき乱す。


「あのさ、私じゃない人に言いなさい。あなたは私と違って、かわいくてきれいでうつくしくて、明るくて豊かで素敵で、良いところしかない。話は面白くて魅力的で他人を気遣えて嫌味がなくて完璧で。そんなあなたは、でも実はさみしがり屋、だなんて知ったら、愛してそばにいてくれる人なんて掃き捨てるほど大量に出てくるよ。独白するタイミングを間違えているわ」


 彼女の手に私の手を重ねてみる。やはり冷たくて熱い。

 この手は生きている手だ。この狭い世の中を踠いて生きている手。

 私が答えてくれるとは思わなかったのか、彼女は目を見開いている。

 大きく意思のある瞳は、何百何千の人を見惚れさせたのだろう。

 彼女くらいなら目線ひとつで堕とせるだろう。虜になった人は、最後は彼女の言うように去ってしまうのか。


「そう、ね」


 なにに納得したのだろう。


「わたしはあなたに悪いことをした」


 知っている。


「謝罪はすでにもらっているわ」


 私の彼を奪っておきながら、彼は彼女でもなく、私でもなく、どこかへ行ってしまった。

 そのときに充分に謝罪されまくった。


「赦してもらえるなんて思っていない。償っても償えきれない罪が、わたしには山ほどある。だからなのかな。わたしは罪を償わないと愛を知ることができないかもしれない。でも、もう償えないんだ。わたしの罪は数えきれないほどの数なんだ。ねぇ、どうしたらいいんだろう」


 堂々巡りの思考。

 彼女がいるだけでそこはステージになる。

 彼女にスポットライトが当たっているかのよう。

 何度もそう感じた。いつだって、彼女はそこにただ有るだけで人の視線を奪う。まるで舞台の上の女優のように。彼女だけが光り輝く。

 同じ空間にいるだけで、ハッとさせられる。

 彼女はいつだってステージの上だ。

 こんな埃まみれの教室にいても。

 醜い私しかいないこんなところでも。


「愛なんてない」


 戯れだ。


「え?」


 舞台の上はそんなにいいものじゃないのだろうか。


「愛なんて、ないとすれば、あなたの言っていることはすべて意味のないもの。愛なんて存在しない。人生に意味はない。生きることに意義はない。なんとなく生まれてなんとなく死ぬ。それだけのこと」


 別に彼女を慰めようとしているわけではない。ただの持論だ。


「愛なんて勘違いなのよ。なんとなく子孫繁栄のために私たちはペアになるようにできているだけで」


 私を見つめる彼女の瞳は、きれいに澄んでいる。激情を抱えていても、一欠片も損なわれない美貌。誰もが手にしたいと願う姿。手にできないからこそ人は幸福でいられる。手にしてしまったらきっと彼女のように不幸になる。


「でもね。でも、あなたのしたことは私も赦さない。思うの、愛なんてまやかしだろうとなんだろうと、それは人と人が関わって愉しく生きていくために必要なものだって。私が手に入れかけていたその関係を、あなたは踏みにじった。破壊して粉々にして元に戻せなくした。私はそれを赦さない。あなたはあなたと一緒にずっと居てくれる人がいないって嘆くけど、そんなの当たり前のこと。誰だってそうなの。死は平等に訪れるし、それ以上に人間ってつまらない色々な事情に振り回される。些細で意味のないものに悩んで勝手に自滅する愉快な生き物なのが人間って生き物でしょ」


 だからさ、


「愛は愛でも恋愛じゃなくて他の愛を求めてみたらどう」


 きっと、


「一緒にいてくれる人がひとりくらい見つかるかもね」


 ねぇ、


「他の愛?」


 気づいて、


「あなたが、何度生まれ変わっても、と断言する理由はわからないけれど、何度生まれ変わってもあなたと友達になってくれたり、あなたを気遣ってくれたり、あなたを心配してくれたり、あなたと関係を結ぼうとしてくれる人がひとりは居たんじゃないかしら」


「……………………ああ」


 何かに気がついたように彼女は息を吐く。

 ねぇ、知ってる?


「恋愛関係と違って、離れていても成り立つ関係があるのよ。それはあなたの言う置いていかないでくれる存在とは異なるのかな」


 彼女は目を閉じて瞼の裏に映る何かを見ている。そこに映る誰かなんて私は知らない。

 彼女にも恋愛関係を抜きに親しい人がいたはずだ。

 ひまわりのような笑顔を振りまく彼女のことだ。利害関係抜きに親しくしようとしてくれた人は多いだろう。

 友達なんていたことない、なあんて否定でもされたらどうしようかと思ったが、無事になんとか丸め込めそうだ。


「じゃあ、」


「私はあなたと親しくはない。友達でもない。だって、私はあなたが嫌いだから」


 やっと私を見た。

 彼女の瞳に私の姿が映った。

 今までは私を見ているようでどこか違う遠くを見つめながら独白していたから、とても怖かった。

 彼女は笑う。

 いつもとは違う、少し哀しげで、安心した笑顔で。


「わたしを嫌いでいてくれる?」


「ええ、一生」


「生まれ変わっても?」


「そうね、生まれ変わったらそんなの忘れておきたいわ」


「いぢわるだね」


「そうよ? 知らなかったの?」


「知らなかった。君はいつも真っ直ぐにわたしにぶつかってきたから」


「物理的にね」


「当たり屋みたいに」


「「ふふふ」」


 私たちはきっと似ている。根本的に同じなのだ。

 なにもかも諦めていて、なにもかもを手にしようともがき続ける。


 彼女は去った。

 愛を求めて次の場所へと。


 彼女はまた再びドロドロの愛憎劇を繰り広げるだろう。

 そこで今度こそ見つけるのだ、親愛という名の愛を。

 もしかしたら恋愛も見つけられるかもしれないが、その可能性は低いだろう。だって、彼女は運が悪いから。おかしなくらいにね。


 私? 私はそうね、失ってしまった愛はもういらない。恋愛もこりごりだわ。次は夢でも追いかけてみようかしら。

 人と人との縁は切れて仕舞えばどうしようもないけれど、行動次第で縁を結びにいくことはできる。

 次に逢うときは、もっと愉しい話をしてみたいものね。



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