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派遣の人格  作者: 神村 律子
初日
4/37

理想と実務

 野崎の指摘を聞いていて、律子は、


(この人、細かい人なんだなあ)


 半ば感心、半ば呆れてしまった。


(そこまで気にしても、実際にやってみないとわからない部分もあるだろうし)


 そうは思うが、意見を言えない。何しろ、この派遣先に関しては、野崎の方が先輩だし、実際、昨年も業務に携わっているからだ。無用な揉め事は避けたいのが律子の本心である。


「野崎さんの指摘は、今回から導入されるシステムを使う事によって、あらかた解決できると思います」


 顔に感情がほとんど出ない感じがする長谷部であるが、ほんの一瞬だけ、あまりにも細かい野崎にうんざりしたような表情になったのを律子は見た気がした。


(私がそう思っているからかな?)


 人間は、自分の都合の良いように物事を見てしまう傾向がある。何かの本か、あるいはテレビで知った知識だ。


 作業工程ややり方に関しては、律子が口を挟める場面はなかった。


「進行状況に関しては、そのくらいでしょうか。次に送られて来た申告書の中身のチェックですが」


 長谷部が告げると、律子達はほぼ同時に渡されたプリントの二枚目を見た。


 年末調整をする人が全員提出する「給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」の記載例が印刷されたものだ。


 年末調整を初めてする人だけではなく、多くの人が思い違いをしているのであるが、これは全員が提出する必須アイテムだ。扶養親族がいない人、あるいは確定申告をする人は提出する必要がないと思っている人が多いが、間違いである。


(申告書の名称が悪いのかもね)


 律子は常々そう思っている。「扶養控除」と書いてあるから、扶養家族がいない人には、まさに「不要」と思われてしまうのも仕方がないのだ。


 それくらいの知識の人であれば、説明をすればわかってくれるが、中途半端に知識がある人は、


「私は確定申告をするので、年末調整をする必要がないから、提出の必要もない」


 そんな根拠がない主張をしてくる人もいたりする。確定申告をする人も、給与所得がある場合には、年末調整が必要である。但し、一部例外があり、給与の総額が二千万円を超える場合には、年末調整はできない。また特別な法律で源泉徴収の猶予や還付を受けた人は、年末調整をする必要がない。


「クライアントの会社では、人事情報として、社員の家族構成は全て把握していますので、事前に扶養親族に該当する方の登録が済んでいます。こちらの申告書で問題になるのは、申告者の奥さんや扶養親族に年内に異動があった場合ですね」


 長谷部は、クライアントから提供された人事情報に基づくある社員の扶養控除等申告書をノートパソコンに表示して、律子達三人に見せた。


(なるほど、ここまですでに入力されているのであれば、一万人いても、何とかなりそうね)


 律子は少しだけ安心した。しかし、現実はそこまで甘くはないのをしばらくして思い知る事になる。


「今回は、この情報をクラウドを通じて、クライアントと共有できるのですね?」


 三人の中で最年少の小松が尋ねた。長谷部は小松を見て、


「そうなると思います。只今、先方とウチの担当が最終的なすり合わせをしていますので」


 何故か、苦笑いしての返答だったので、律子は不審に思った。


(あの顔はどういう意味だろう?)


 また不安の虫が鳴き出す律子である。


「それでは、申告書に添付する必要がある障害者手帳のコピーとか、勤労学生の証明に必要な学生証のコピーとかは、共有ファイルからダウンロードして印刷する事になりますね」


 野崎の言い方には若干棘があるように思えた。


「はい、その予定でいます」


 また長谷部は苦笑いして応じた。


(何だろう?)


 律子の不安の虫が声高に鳴き始めた。


「では、申告書に押印する印鑑はどうなりますか?」


 ようやく質問できそうだったので、律子は尋ねた。野崎と小松が同時に自分を見たのを感じ、律子は緊張した。


「ああ、そこなんですよね。最初にこちらに送られてくる書類には印鑑は押されていますが、出し直しになると、こちらで印刷したものには押印できませんからね」


 長谷部はまるで承知していたかのように答えた。すると野崎が、


「年末調整の書類は、税務署に提出するものではありませんから、押印がなくても問題はないと思います」


 何故か、質問者の律子ではなく、長谷部を見て言った。


「問題がないのではなく、取り敢えずはそれでもいいという事だと思うのですが」


 律子はそれでも、指摘しておかなければと思い、言ってみた。野崎は怒り出すかと思ったが、


「もちろん、そうです。押印がなくても問題はその時点ではないという事です。税務調査に入られて、申告書の誤りを指摘された時、それがどちらの手によって作成されたものであるのか明確にできないという問題が起こる可能性があるので、放置する事はできません。後で本人が押印するべきなのは、言うまでもない事です」


 律子をチラッと見てから、長谷部に視線を移して述べた。


(この人、もしかして、税務署か会計事務所にいた人?)


 律子は戦慄した。

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