最終日
二ヶ月は長いと思っていたが、予想以上に毎日が忙しかったため、実感としては短かったと律子は思った。
一緒に働き始めた野崎と小松とは電話番号を交換し合うまで仲良くなれた。どちらかというと、人見知りな律子にとって、それは非常に喜ばしい事だった。
「今日で終わりですね。早かった気がします」
小松も律子と同じ感想だった。
「そうね。早かったなあ」
体格のわりには、結構機敏だった野崎がしみじみと言う。
後から仕事に加わった人達とも、それなりに親しくなり、会話を交わすようになった。
只一人、唐突に現れて、唐突に辞めてしまった大井玲子とは、会話をする間もなかったし、相手がそれを望んでいないのがはっきりわかったので、それはそれで気持ちがよかった気もした。
「また、どこかの職場でお会いしたですね」
律子が言うと、小松は嬉しそうに、
「そうなると、働きやすい気がします。是非!」
同意してくれたので、ホッとした。すると野崎が、
「私は、母が介護施設に入所する事になったので、派遣の仕事を続けられるかどうか、微妙です。でも、どこかで会ったら、無視しないでくださいね」
冗談ぽく言ってくれた。律子は微笑んで、
「もちろんです。無視なんかしませんよ」
「よかった」
野崎はニコッとして言った。三人はそれをきっかけに笑い出してしまった。
そして、最終日の業務が始まった。スケジュールは、一度は危うい状態になったが、社長の草薙の加入で、一気に盛り返した。
草薙も、律子や野崎、小松が、自分の事を気遣ってくれるのをとても喜んでいた。
(また、この会社で働きたいな)
律子は久しぶりにそう思った。今まで、あまりいい職場に恵まれなかったからだ。
「女はお茶汲みと掃除だけしてくれればいい」
そんな時代がかった経営者のところで働いた事もあった。
また逆に社長夫人が強過ぎて、経営だけではなく、細かい事にまで口を出して来て、ボールペン一本、封筒一つ買うにも許可を取らなければならないところもあった。
どちらも、しばらくすると経営状態が悪化して、倒産したと聞いた。
二代目が会社を食い物にする時もあるが、草薙のように会社を大切にし、社員を大事にし、先頭に立って働く経営者もいる。
それが一概に正しいとは言えないが、少なくとも、今まで律子が働いてきた職場よりはいいところだと思った。
お昼休みになった。律子達は二階の休憩室へ行った。
「最後のランチですね」
小松が寂しそうに呟いた。
「やだ、別に永遠の別れって訳じゃないんだからさ」
そんな雰囲気が苦手なのか、すかさず野崎が突っ込みを入れる。
「仮に仕事で一緒になれなくても、時々顔を合わせて、ランチくらいできるでしょ? ね、神田さん?」
野崎に同意を求められて、律子は、
「もちろんです。図々しく電話しちゃいますよ」
また三人は笑った。最初に会った時、ここまで仲良くなれるとは思いもしなかった、と律子は回想した。
昼食を終え、作業室に戻ると、草薙と関が話をしていた。
「ああ、ちょうどよかった」
関が律子達を見て言った。
「皆さんのお陰で、スケジュールが押す事もなく、完了しそうです。ありがとうございました」
草薙は作業室にいた人全員に言った。皆が一斉に草薙を見た。
「今日で終了の方、あと一日来てくださる方、発送まで残る方、様々でしょうが、全員が揃うのは今日までなので、ここでお礼を言わせていただきました。本当にありがとうございました」
草薙が長い黒髪を大きく揺らせて、頭を深々と下げた。すると、誰ともなく拍手を始めた。
「皆さん……」
草薙は感極まって涙をこぼしていた。律子はもう少しでもらい泣きしてしまうところだったが、まだ仕事は終わっていないので、堪えた。
そして、律子達の業務が全て終わった。私物を片付けて、まだ残る人達に挨拶をすると、作業室を出た。
「お疲れ様でした。社員証を返却していただきますので、ご一緒します」
関が現れて告げた。律子達は社員証を返却し、関の社員証でロックを解除してもらうと、外に出た。
「また機会がありましたら、よろしくお願い致します」
関が言うと、野崎が、
「是非、お願いします」
「私もよろしくお願いします」
「私も是非!」
律子と小松が続いた。
「今日はもう遅いから、またそのうち、会いましょう」
野崎が言った。
「はい」
律子と小松が応じ、野崎と小松は駅へと歩き出した。律子は二人が見えなくなってから、歩き出した。
今日は、夫の陽太と待ち合わせて、しばらくぶりの「デート」なのだ。愛娘の雪は母親がすでに実家に連れて行っている。
「次の仕事は、年明けになりそうかな」
律子は派遣会社のホームページで、条件にあった仕事を確認すると、スマホをバッグにしまった。
「お嬢さん、お一人ですか?」
陽太が後ろから現れた。
「ええ、一人です」
律子は笑顔で夫を見た。
「では、お食事でも一緒に如何ですか?」
「食事だけですよ」
「お酒もどうです?」
「少しだけなら」
二人は腕を組み、すっかり深まった秋の夕暮れを繁華街へと歩き出した。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




