助っ人登場
その日は朝から雨で律子は何となく憂鬱な気分で出勤した。玄関の傘立てには色とりどりの傘が入れられており、自分の傘を間違えてしまうのではないかというくらいの混雑ぶりだった。
(おば様方の傘を間違えて持って帰ったりしたら、大変な事になりそうだ)
律子は退勤時に注意しようと思った。
「今日から、皆さんの仕事の直接のお手伝いをする事になった大井玲子さんです」
朝、助っ人の人を関に紹介された。四十代くらいのショットカットの女性だ。楕円形の黒縁眼鏡をかけており、理知的な印象を受けた。
「年末調整は、以前の職場でたくさんこなした事がありますので、皆さんのお力になれれば嬉しいです。よろしくお願いします」
第一印象はいい人だった。そう、第一印象は。
確かに仕事はそつなくこなすし、パソコンの打ち込みもブラインドタッチで速い。小松の次くらいに速いので、律子は仕事を代わって欲しくなった。
しかし、そうではなかった。
「私、お昼休みは外で食事をしますので」
昼食に誘った時、関が紹介した時とは別人のような表情で応じた。そしてツンと背中を向けると、サッサと作業室を出て行ってしまった。
「感じ悪いな」
野崎が呟いた。小松は席を立ちながら、
「ホントですね。って、私達も同じ事をしていましたっけ?」
苦笑いして律子を見た。野崎も舌を出して、
「確かにね。馴染んでいないだけかも知れないから、あまり目くじら立てない方がいいね」
「それにここは仕事場だから、割り切って接した方がお互い楽ですしね」
小松が言った。律子もその意見に賛成だった。そして、作業室を出た時、衝撃の光景を目にしてしまった。
大井がおば様達と楽しそうに立ち話をしていたのだ。
律子達は一瞬唖然としてしまったが、
「まあ、気にしない事にしましょう。仕事の仲間と考えるしかないです。仕事で支障があったら、関さんに言えばいい事だし」
野崎は肩をすくめて言った。
「そうですね」
律子と小松は異口同音に応じ、ロッカーへと歩き出した。
昼食をすませて、昼休みが終了する五分前に作業室に戻った。大井以外の同じ休憩時間の人達は皆戻っていたが、彼女はいなかった。
「誰よりも早く出て、誰よりも遅く戻ってくるのか」
野崎がムッとした顔で言う。小松は苦笑いしただけで何も言わず、律子も聞こえないふりをした。
大井がしている事は、別に悪い事ではない。時間になったら、休憩し、終了まで休むのはある意味働く者の権利なのだ。非難する事ではない。
案の定、大井は休憩時間間際に戻ってきて、席に着いた。もちろん、会釈もしない。仕事をすれば文句ないでしょと言うような態度だった。
野崎や小松だけではなく、他の作業者達も大井の態度を不快に思っているのが律子にはわかった。
(作業室の空気がどんどん悪くなっていく……)
心配性の律子は気が気ではなかった。
仕事が始まると、そんな不安は消し飛んでしまった。大井は誰よりも早く入力をすませ、誰よりも早く作業を進めた。小松もその早さに刺激されたのか、今まで以上に速く打ち込み始めた。
(何だかいい影響が出てきている感じだ)
律子はホッとして自分の仕事に集中した。
しばらくして、小休憩の時間になった。大井は何も言わずに立ち上がり、作業室を出て行った。
「すごい速さでしたね。びっくりしました」
小松が言った。野崎も、
「あれを見せられたら、何も言えなくなるよね」
律子は何か言うつもりはなかったが、大井の割り切りぶりには驚いていた。
『派遣社員は、所詮その時だけの業務請負人だから、あまり仕事に情熱注ぐと心を病むよ』
以前の職場で、同じ派遣会社のベテランの女性に言われた事を思い出した。律子が終業時間になってもキリのいいところまで進めようとしていた時、言われたのだ。その時は、そんなものかと思ったが、この職場に来て、社長の草薙や担当に急遽なった関の言動を見ていると、その言葉が完全に正しいとは思えなくなっていた。
(ネットでも、派遣社員に対して酷い偏見や差別的な発言をしている人を見かけるし、その逆も見かけるけど、現実はそこまで単純じゃないよなあ)
正社員として働いていた会社の事を思い出してみても、人は千差万別で、二極化などでは片づけられないのだ。
(派遣社員にも、派遣先にも、好い人もいれば、悪いまではいかなくても、面倒臭い人はいる)
律子はロッカーへ行き、出し忘れていたメントールキャンディを出して、一粒頬張った。
「舐めます?」
そこへ大井が現れたので、ダメ元で言ってみた。すると、
「結構です。持っていますので」
別のメーカーの飴を見せた。
「そうですか」
律子は深く考えずに返事をして、作業室へ向かった。
「驚く程混雑しなくなりましたね」
野崎と小松がトイレから出て来た。結局、トイレの一件は野崎が関に報告した。おば様達の仕返しが怖い事も言い添えて。関は、トイレを二つに分けて、律子達のグループとおば様達のグループで使える個室を限定した。するとたちまちおば様達の嫌がらせが終わった。




