どうすればいい?
「あんた、ウチの総務に告げ口しただろ? 呼び出されて、こってり説教されたよ、ありがとう」
律子は無感情なトーンで告げた声に身震いしてしまった。
(どうしよう? 関さんに代わってもらってもまたかけて来たら……)
律子が忙しなく目を動かしているのを見て野崎が気づいた。
「また例の人?」
小声で律子に確認した。律子は相手の話を聞きながら、小さく頷いた。
小松がそれに応じて頷き、作業室を飛び出して行く。野崎はそれを見届けてから、もう一度律子を見た。
「あんた、どういうつもりなんだよ? 俺の事を告げ口して逃げ切れると思ったのか? そうはいかねえぞ。あんたがその職場にいられなくなるまで、電話し続けてやるからな」
律子は対処法を間違えたと思った。最初に話した時にこの人物の性格を見抜くべきだったと反省した。
(関さんに代わってもらっても、何も解決しない、進展しない。どうしたらいいの?)
律子がおろおろしていると、小松が関と戻って来た。関は律子に頷くと、
「録音してください。先方の総務に送って、対応してもらいます」
律子は黙って頷き返すと、電話機の録音機能をオンにした。
「大変申し訳ありません。至らないところは直しますので、お教え願えますか?」
律子はクレーマーからできるだけ言葉を引き出そうと思って促すような言葉をかけた。
「そうだよ。それでいいんだよ。もう上司に代わったり、総務に告げ口したりするんじゃねえぞ」
「はい、わかりました。絶対に致しません」
律子は関に目配せして続けた。
クレーマーは上機嫌で延々と律子に理不尽な事を言い続けた。録音されていた事を知れば、また激怒するかも知れないが、クライアントの総務としても、このクレーマーには手を焼いていて、黙らせる証拠が欲しいのだろう。
「今日はこれくらいでやめてやるよ。俺も仕事をしなくちゃならないからな。また明日かけるよ、神田さん」
クレーマーは話が尽きたのか、そう言って通話を終えた。律子はホッとして受話器を戻した。
「お疲れ様でした、神田さん。相手が話したことは全てクライアントの総務部に送って、厳しい処置をお願いします。申し訳なかったですね」
関が労ってくれたので、律子の両目からポロポロと涙が溢れ出た。
「本当に申し訳なかったです、神田さん」
関は慌てた様子で頭を下げた。律子は涙を右手の人差し指でぬぐいながら、
「すみません、泣いたりして……。これ、嬉し涙ですから、気にしないでください」
野崎と小松がもらい泣きをしたので、関はいたたまれなくなったのか、
「先方には、一時電話の相談を休止する旨を伝えます。この電話、しばらく借りますね」
ジャックを抜き、電話機本体を持って作業室を出て行った。
「神田さん、よく頑張りましたね」
野崎が言った。小松は涙を拭いながら頷く。
「ご心配をおかけしました」
律子は立ち上がって頭を下げた。野崎も涙を拭いながら、
「全然、そんな事ないですよ。私が出ていたら、あそこまで冷静に対応できたかと思うと……」
「そうですね。私だったら、切れてしまったかも」
小松がティッシュを取って、二人に渡した。
「相手は、私達が女だから、嵩にかかって強く出るんですよ。相手が男だったら、絶対にあんな事言わないと思いますから」
野崎がムッとしながら言うと、小松が、
「関さんが話した時は、おとなしく話を聞いたらしいですからね。ホント、一番嫌な男の典型ですね」
「まあ、年が下だとわかると、女でも嵩にかかる人っているけどね」
野崎は肩をすくめて言った。
「ああ、いますね。男女関係なく、嫌な人っているんですよね」
小松はプッと吹き出して同意した。三人は顔を見合わせて笑い、ホッとした表情になった。
しばらくして、退社時間になったので、三人は片付けをして作業室を出た。
タイムカードに打刻して会社を出ると、律子はどっと疲れてしまった。
(今夜は、陽太に愚痴ってストレス発散しようかな)
そう思うと、少しだけ気分が晴れた。
家に帰ると、母親が夕食の支度をすませていて、雪はリヴィングのソファでうたた寝をしていた。
今日の一件を母親に話そうかと思ったが、心配性なので、仕事を辞めなさいとか言い出すと思い、言うのを我慢した。
母親が帰ってからまもなく、夫の陽太が帰ってきた。
「今日は参ったよ、本当にさ」
律子が話すより早く、夫が愚痴を言い出してしまった。
「取引先の担当が自分で発注ミスしたのにとぼけちゃってさ、結局俺が菓子折り持って謝りに行ったんだぜ」
「そうなんだ」
話を聞いてみると、陽太の方がずっと大変だったのがわかったので、律子は自分の愚痴を言うのを諦めた。
「そういう時はパアッと飲んで、忘れちゃおう!」
律子が缶ビールを出して言うと、
「あれ、珍しいね? いつもなら早く食べちゃってよ、片付かないから、とか言うのにさ」
勘の鋭い陽太が目を細めて律子を見た。律子は苦笑いをして、
「たまにはいいかなって思ったのよ」
口を開けた缶を陽太に手渡した。
そして二人はしたたかに酔った。




