次は難問そして……
律子達は昼食を済ませ、午後の休憩時間になるまでクレーマーの再登場がなかったので、ホッとしていた。
休憩を終え、トイレから戻ると電話が鳴り出した。律子の番だった。
クレーマーが今度こそ降臨するのではないかと嫌な予感に囚われつつ、そっと受話器を取った。
しかし、相手はクレーマーではなく別人であった。しかし、その相談内容が難問であった。
「長男が住所は実家に残したままで地方へ引っ越し、地元の大学に通学しているのですが、どうやらアルバイトをしているらしいのです。ところが、一体いくら稼いでいるのか、全く教えてくれません。どうしたらいいですか?」
ごく稀にあるケースなのだが、厄介なのだ。
「お子さんのアルバイト先にお問い合わせはされましたか?」
律子が尋ねると、相談者は、
「個人情報になるので教えられないと言われました。確かにそうだと思ってもう一度長男に連絡したのですが、今度は電話にも出なくなってしまって」
「学費の負担はどうなっているのですか?」
律子は周辺事情から解決策を探ろうと思った。
「学費は自分で払うという約束で遠方の大学への進学を許したんです。ですから、全部長男が払っています」
「失礼ですが、おいくらかご存知ですか?」
律子は更に訊いた。
「入学金やら授業料、諸会費などで、百二十万円以上になると思います」
律子は自分の娘が将来大学に行きたいと言い出した時の事を妄想し、身震いしそうになった。
「お子さんはアパート住まいですか?」
「学生寮に入れたので、月々の家賃は六万円弱です。流石に大変だろうと思い、米とか野菜とか、食事に関しては、仕送りをしています」
それでも、どう少なく見積もっても、年収が二百万円では足りないくらいだ。
「だとすると、お子さんの年収は扶養親族の枠から外れると思われます。もちろん、正確な金額が分かった方がいいと思いますが」
律子は長男と連絡を取り、実情を聞き出して欲しいと言い添えて、通話を終えた。
「大変でしたね」
小松が労ってくれた。律子は苦笑いして、
「自分の娘の将来を想像して、怖くなりました」
「なるほど」
小松は微笑んで応じ、
「相談者の方も特定扶養親族に該当する子が扶養から外れると、痛いですよね」
「そうですね。一般の扶養親族だと、控除額は三十八万円ですが、特定扶養親族だと、六十三万円ですからね。課税所得金額にもよりますが、税金の差が大きくなりますね」
律子はまた自分の娘の雪と重ねて考えてしまったので、溜息が出た。
「でも、どうして自分の稼ぎを頑なに隠そうとするのでしょうね?」
野崎が疑問を呈した。小松が、
「そんなに稼いでいるのなら、仕送りは要らないだろうとか言われると思っているのではないですか? それか、逆算されて、結構遊んでいると見抜かれるのが嫌だとか?」
「いずれにしても、それくらいの年頃の男の子が一番難しいですよ。ウチはもう社会人になって、独立してくれたから、ホッとしています」
野崎が律子を見て言った。律子は野崎を見て、
「そうなんですか。娘でよかったですかね?」
「男の子よりは手がかからないだろうけど、女の子だと、親元を離れると心配になりますから、どっちがいいとは言えないですかね」
「そうですねえ」
雪が実家を離れるなんて言い出したら、夫の陽太は泣いて反対するのではないかと思えるくらい、子煩悩だ。
(今から、そんな心配しても仕方ないか)
律子がまた溜息を吐いた時、
「私、子供がまだいないからよくわからないんですけど、そんなにアルバイトで稼げるって、授業とかきちんと出ているんですかね?」
小松が言った。野崎ははっとしたようで、
「そうね。考えてみれば、相当な労働量をこなさないと、稼げないね」
「確かに。どんな仕事をしているのかも心配になりますね」
律子はあらぬ妄想を仕掛けた。
「ブラック企業とか?」
小松が身震いしながら言う。野崎はプッと吹き出して、
「まさかね。親御さんが勤務先に連絡しているのだから、それはないでしょ? でも、収入を親にも教えられないって、個人情報関係を厳守しているとも思えるけど、別の事を勘ぐっちゃいますよね」
「そうですね」
律子は親はどこまでいっても親なのだとつくづく思った。そして、ふと自分の母親の事を思い出す。
一人っ子の律子は、随分と甘やかされて育った気がしている。だが、大人になるとそれが逆に効いてきて、何事にも慎重に動くようになった。
だから、陽太との結婚を両親に報告した時、
「やっと決まったか」
半ば諦められていたのを知り、ショックだったのを思い出した。
また電話が鳴り、野崎が出た。扶養親族の記入欄についての質問だったのであっさりと解決した。
次に電話が鳴り、小松が出た。今まで別々に暮らしていた母親を呼びせて同居を始めたという人からで、これも難なく解決した。
しばらく間が空き、電話が鳴った。
(今日はこれで私の番は終わりかな?)
陽気な思いで受話器を取ると、
「よう、その声は神田さんだよな?」
またクレーマーがかけてきた。




