不安要素解消
しばらくして、関より先に草薙が戻ってきた。
「できるだけ早く解決しますので」
草薙は申し訳なさそうに席に着くと、パソコンに向かい合った。
律子達は作業を続けた。やがて、関が戻ってきた。
「電話応対のマニュアルは長谷部は作っていなかったようです。別の部署のマニュアルが流用できそうなので、それを持ってきました」
関はそのマニュアルを三人に渡した。
「電話をしてくる方は不安に駆られているので、できるだけそれを和らげる話し方で応対してくれれば、後はあまり細かい事を気にしなくても大丈夫だと思います。言葉遣いは、一般常識をはみ出さなければ、差し支えありません。過度な敬語は、むしろバカにしていると思われる可能性もありますから」
関は三人を順番に見ながら説明した。
「もちろん、個人差がある事ですから、臨機応変に対応してください。中には最初から喧嘩腰の方もいらっしゃるかも知れませんが、決して感情的にならないように注意してください」
「わかりました」
律子達は異口同音に応じた。
「それから、ここはおかしいとか、こういう風にした方がいいと思った時は、気兼ねなく言ってくださいね」
関は草薙を見て、
「社長、会議がありますので、お願いします」
「わかりました。キリがついたらすぐに行きます」
草薙はチラッと関を見て言い、作業を続けた。関は律子達に会釈して、作業室を出て行った。
「電話の応対、去年もしたけど、緊張します」
小松がマニュアルを読みながら言う。野崎は頷いて、
「相手が何を聞いてくるのかわからないから、ドキドキしちゃうよね」
「そうなんですか」
律子はその話を聞き、すでに緊張している。
「取り敢えず、さっき、関さんが言ってくれた事、そして、わからない事はわからないと伝えて、調べてお返事するのを徹底すれば、問題はないと思いますから、神田さん、あまり深刻にならないでください」
野崎が言ったので、律子はギクッとして、
「私、そんなに追い詰められた顔していましたか?」
すると野崎は笑って、
「そんな事はありませんけど、考え過ぎると、返って失敗しますから」
「そうですね」
律子は苦笑いして応じた。
「皆さん、申し訳ありませんが、少し失礼します」
キリがついたのか、草薙が言った。
「わかりました」
野崎が代表する形で応じ、律子と小松は会釈をした。草薙は微笑んで作業室を出て行った。
「そう言えば、電話がないですね」
律子が作業室全体を見渡して言った。小松が、
「そうですね。以前は最初に来た時から電話があったのですけど」
首をかしげる。野崎が壁の配線を見て、
「ここに電話機を持ってくれば、すぐにつながる状態だとは思うんだけど。関さん、気づいていないのかな?」
「関さんが来たら、訊いてみましょう」
小松が言った。
律子達がマニュアルの吟味を続けていると、草薙と関が一緒に戻って来た。
「遅くなりました」
草薙はそれだけ言うと、またパソコンに向かった。
「マニュアルはどうですか?」
関が尋ねたので、律子達は修正してほしい箇所と追加してほしい箇所を述べた。そして、
「電話機はいつ来るのでしょうか?」
小松が尋ねた。関はハッとして中を見回し、
「そうですね、電話がないですね。すぐに手配させます。それから、マニュアルも修正しますね」
作業室を出て行った。律子達はまた手持ち無沙汰になってしまった。
「ごめんなさいね。私が仕事が遅いせいで、皆さんにご迷惑をおかけしてしまって」
草薙が申し訳なさそうに言ったので、
「そんな事はありませんよ。むしろ、社長の仕事が早いので、私達、びっくりしているのですから」
野崎が微笑んで告げた。
「ありがとう、野崎さん」
草薙はホッとした表情で応じると、また作業を開始した。
それからしばらくして、
「終わりました。これで大丈夫だと思います」
草薙が言ったので、律子達は一斉に彼女を見た。
「原因を特定するのに時間がかかってしまいました。修正しましたので、更新に時間がかかる事はもうないと思います。ご迷惑をおかけしました」
草薙は立ち上がって頭を下げた。
「いえ、とんでもないです。ありがとうございました」
野崎が言った。
「お疲れ様でした」
律子と小松が同時に言った。
「では、よろしくお願いします」
草薙は心なしか涙ぐんでいるようだった。もう一度頭を下げると、作業室を出て行った。
「よし、これで本格的に仕事ができる」
野崎が言い、パソコンに向かう。律子と小松は目配せして、それぞれパソコンの前に座った。
「作業マニュアルを出しましょう」
野崎が言い、プリントをしようとして、
「取り敢えず、私たちの分だけでいいですよね?」
「そうですね」
律子が応じた。野崎は複合機へデータを送った。複合機は少しの間を置いてから動き出し、マニュアルをプリントした。
これで本来の業務が進められる。律子の不安の虫は鳴かなくなっていた。
その日は作業マニュアルのプリントを出して、入力ミスがないか検討し合ったところで時間になった。
「お疲れ様でした」
律子達は退社した。




