お昼休みだ!
朝、夫と娘の弁当を作るついでに自分のものも用意した律子は担当の長谷部に教えられた二階の休憩室に行った。
そこには、他の部署の人達があちらこちらにまるで離れ小島のように集団を作っていた。
(もしかして、派閥?)
一瞬顔を引きつらせた律子であるが、誰も着いていないテーブルを見つけると、そこに座り、ロッカーから持って来た弁当箱を包んだランチョンマットを広げた。
「派遣の方ですか?」
すると、正社員と思われる、若いロングヘアで黒のスカートスーツの女性が声をかけて来た。
「はい。今日からお世話になっている神田です。よろしくお願いします」
律子は立ち上がって頭を下げた。するとその女性は、
「草薙美由紀です。こちらこそよろしくお願います」
微笑んで応じてくれたので、律子はホッとして微笑み返して、着席した。
「こちら、空いていますか?」
草薙が尋ねた。律子は微笑んだままで、
「はい、空いています」
「では、失礼します」
草薙は手作りの弁当ではなく、仕出しの重箱に入った弁当をテーブルの上に置いた。
「派遣の方は三人と長谷部さんにお聞きしていたのですが、他のお二人はどうされたのですか?」
草薙が声を低くして言った。律子は苦笑いして、
「お二人は外で食べるそうです」
「なるほど。神田さんはここは初めてですよね?」
「はい」
律子はキョトンとした。草薙は律子に重箱のふたを取りながら、
「後のお二人は、昨年もこちらにいらしているんですよ。その時も、毎日外でお食事をされていたみたいです」
どうやら、草薙は律子を気遣ってくれたのだ。貴女と食事をするのが嫌だという訳ではないのですよ、と教えたかったようである。
「そうなんですか」
律子はそう解釈する事にして、弁当箱のふたを取った。
(草薙さんのお弁当、高そうだな)
つい、草薙の弁当の中身を見て思った。幕の内弁当のようだが、コンビニのものと違って、豪華なのだ。
(一緒に食事するのが恥ずかしい)
自分の弁当箱に目を転じると、おかずは全て朝の残り物だ。
夫と娘の弁当には別のおかずを投入しているが、自分のものにはそこまで予算を割いていない。
「あのお二人について、長谷部さんから何か聞いていますか?」
草薙は食事を進めながら尋ねた。律子も崩れた玉子焼きを見られないように素早く口の中に入れると、
「いえ、何も。派遣元の担当さんからは、少しだけお話がありました」
すると、草薙は小さく溜息を吐いて、
「そうですか。では、私の口からあれこれ言うのはまずいですね。タイミングが合えば、長谷部さんから話があると思いますから」
そんな事を言われると、途端に不安全開になってしまうのが、律子の悪いところである。
(どういう事? あの二人に一体何があるの?)
心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
草薙はそこから先は話題を変え、自分の子供の事や夫の事を話し始めた。
小学生の男の子がいて、落ち着きがなくて困っている、と言われ、律子は驚いた。
草薙は大学生の時に結婚出産して、まだ二十代前半だという。
(私の方が年上だけど、草薙さんの方が子育てに関しては先輩なんだ)
そんな中でも、意見が一致したのは、お互いの実家の母親の孫バカぶりだった。
「何か用事を作って、息子の事を見に来るので、息子もお祖母ちゃんを味方にしようとしたりして」
草薙は笑いながら愚痴を言った。律子は自分も似たような立場だと共感を示した。
草薙のお陰で、律子は思った以上にお昼休みを楽しく過ごせた。
「すっかり話し込んでしまって、申し訳ありません。今日は楽しかったです、神田さん」
草薙は重箱のふたを閉じて言った。律子も弁当箱をランチョンマットに包みながら、
「こちらこそ、ためになるお話を聞けて、良かったです」
お世辞ではなく、そう応じた。二人がほぼ同時に立ち上がった時、
「社長、こちらにいらしたのですか」
オールバックにした髪を整髪剤で塗り固めた長身の男性が近づいて来て、草薙に言った。
(えええっ!?)
律子は驚愕の眼差しを草薙に向けた。首から下げている社員証を改めて見ると「代表取締役 草薙美由紀」と表記されていた。
(全然気づかなかったし、全然そんな雰囲気なかった)
少しだけその会社の事をインターネットで調べた律子であったが、代表者の名前を覚えていなかったのだ。
正社員が少ない会社である事は知っていたので、草薙も役付きなのだろうとは思っていたのだが、まさかトップとは想像もできなかった。
(迂闊だったああ!)
後悔で頭の中が埋め尽くされてしまった律子に気づいたのか、
「ごめんなさい、神田さん。名前しか言わなくて。ですが、楽しかったのは本当ですよ」
草薙は会釈をして、重箱を片手に長身の男性と階段を降りていった。
(でも、この会社のスタイルがわかったような気がする)
不安が先行しがちな律子であるが、草薙の人となりには偽りはないと判断し、頭を切り替えて午後の業務に向かった。
弁当箱をロッカーのショルダーバッグに戻して仕事部屋に行くと、二人はまだ戻っていなかった。