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派遣の人格  作者: 神村 律子
三日目
14/37

愚痴も言えない

 神田律子がしばらくぶり就いた仕事は、年末調整の下準備をする業務であったが、予想以上に難航しそうな状況に、律子は精神的にかなり参っていた。


 担当者であった長谷部の無責任な辞職により、律子達派遣社員の業務は大幅な変更を余儀なくされてしまった。


 フルタイムで頑張ろうと思い、意気込んで仕事を再開した律子であったが、就業三日目にして、心が折れそうになっていた。


「只今」


 その日も、どこにも寄らずに帰宅した律子は、愛娘の雪を保育所に迎えに行ってくれた母親に出迎えられた。


「どうしたの、顔色悪いね?」


 母親が、脚にまとわりつく雪を気にしながら尋ねる。


「うん、ちょっといろいろあってね」


 律子は苦笑いをして、抱きついてきた雪をしゃがんで受け止めた。


「でも、愚痴は陽太に聞いてもらうから」


 興味津々の顔でこちらを見ている母親をあしらって、雪を抱き上げると、寝室に向かった。


「陽太さんも疲れて帰ってくるんだから、あんたの愚痴なんて聞きたくないと思うよ。私に言いなよ」


 如何にも夫を気遣うような発言をする母であるが、律子はその本音を知っている。


 自分が聞きたいだけなのだ。


「夫婦の会話を妨げるような事を言わないでよね」


 律子は雪をベッドに下ろして、ショルダーバッグを脇のワゴンに置いた。


「別にそんなつもりはないよ。じゃあ、邪魔者はそろそろ退散するね」


 口を尖らせた母親がキッチンに戻り、椅子に引っ掛けていたトートバッグを手にした。


「ばあばにバイバイしなさい、雪」


 律子はショルダーバッグの中身が気になっている雪の気を逸らせようと声をかけた。


「ばあば!」


 雪は泣きべそを掻いて祖母に駆け寄った。


「雪、ばあばとバイバイするのが寂しいんだね。いい子だねえ。あんたのママはさっさと帰れって言ってるのに」 


 母親が皮肉を言ったので、律子は溜息を吐いて、


「帰れなんて言ってないでしょ! 陽太が戻るまでいてよ。陽太もお母さんに会いたがっていたから」


 つい嘘を吐いてしまった。陽太はそんな事は言ってはいない。


(メールで教えとかないと)


 律子は母親が雪に気を取られているうちにスマホを操作した。


「そうなんだ。なあんだ、ばあばは人気者なんですって、雪」


 あまりにも上機嫌になった母親を見て、律子の顔が引きつった。


 


 しばらくして、夫が帰宅した。律子は母親より先に玄関へと走った。


「お義母さん、遅くなりました」


 律子からのメールを読んだ陽太は、気を利かせて義母の大好物のロールケーキを手土産にするというファインプレーを演じた。


(ナイス陽太!)


 アイコンタクトで夫の機転を讃える。夫も母親に見られないようにウィンクで応じた。


「あら、ありがとう、陽太さん」


 母親はニコニコして土産を受け取ると、


「雪、ばあばとケーキ食べよっか」


 律子が雪に甘いものをあまり食べさせたくない事を知っていながら、さっさと雪の手を引いてキッチンへ行く。


「勘弁してくれよ、もう。今日は会議会議でヘトヘトだったんだぞ」


 陽太が小声で文句を言ってきたので、


「ごめんごめん。お母さんが機嫌悪くなっちゃってさ。仕方なかったのよ」


 律子も小声で詫びた。


「陽太さんはビール飲むから、ケーキはすぐには食べないわよね?」


 母親の声がキッチンから聞こえる。陽太は鞄とジャケットを律子に渡して、


「いや、僕はいいですから、お義母さんがお好きなだけ食べてください」


「あら、そうなの? じゃあ、ご遠慮なくいただきますね」


 嬉しそうな母親の声を聞き、律子は項垂れてしまった。


(お母さん、いつまでいるつもりなの?)


 本気で早く帰ってくれないかと願う律子である。


 


 先に母親と夕飯をすませていた雪は、出されたケーキを半分食べたところで睡魔に襲われ、眠ってしまった。


「ご馳走様、陽太さん」


 ケーキを二切れ平らげた母親は、超が付く程の上機嫌で帰って行った。


「ビールはいいや。飯にしてくれる?」


 陽太は余程疲れているのか、そう言った。


 律子は陽太としばらくぶりに一緒に夕食を摂り、愚痴を聞いてもらおうかと思ったのだが、


「風呂入って寝るわ」


 陽太にやんわりと拒絶された形となり、大きな溜息を吐いた。


 そして、寝落ちしている雪を抱き上げると子供部屋に連れて行き、ベッドに寝かしつけ、洗い物をすませると、陽太の着替えを用意して浴室に持って行った。


(あの様子じゃ、愚痴なんてとても聞いてもらえないよね。仕方ないか)


 今更ながら母親に話すべきだったと思ったが、母親に言ったら、確実に父親に伝わる。そうすると、父親から電話がかかってきて、また同じ事を話さなければならない。


 そう思うと、やはり母親には話さなくて正解だったと結論づけた。


(ウチの両親、どっちも面倒臭いからなあ)


 とても愚痴を聞いてもらって、相談に乗ってもらうような人間ではないのだ。


(明日はもっと進展してくれているといいな)


 律子は夫が寝室に行ったのを確認してから、浴室に向かった。


(これだから、後から入らないとダメなのよね)


 夫が入った後の風呂場は惨劇の館のように散らかっていた。

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