すれ違う話
突然辞表を提出して会社を去ってしまった長谷部に代わって、彼の上司だった関が業務を引き継ぐ事になった。
律子達は長谷部から聞いていた事を関に話した。すると関の顔が硬直してしまった。
「あり得ない。それは間違いないのですか?」
関は困惑の表情を浮かべて、律子達に尋ねた。
「あり得ないも何も、今話したのは、全部長谷部さんから聞いた事ですよ」
野崎が怪訝そうな顔をして関に告げた。律子は小松と顔を見合わせて、お互いに首を傾げ合った。
「そうですか。だとすると、これは長谷部の計画的な辞職としか考えられませんね」
関の発言は、律子達を驚愕させるに十分な程の威力があった。
「計画的な辞職って、どういう事ですか?」
小松が尋ねる。関は弱々しい笑みを浮かべて、
「長谷部は、この業務を昨年担当して、次回は絶対に関わりたくないと言っていたらしいのです」
「ええ!?」
律子と野崎と小松が、異口同音に声を発した。
「それなら、何故今年度も長谷部さんが担当したのですか?」
野崎が語気を強めて関に訊いた。関は野崎を見て、
「もちろん、長谷部がそういう事を言っていたらしいのを把握していましたが、直接彼自身を問い質すと、そんな事はありません、今年度もやらせてくださいと返事をされたんです」
関の言葉を全て鵜呑みにする事はできないが、長谷部が土壇場で仕事を投げ出してしまったのは事実なので、嘘を吐いて仕事を引き受けるのも考えられない事ではないと律子は思った。
「あの、あり得ないって、どの部分がそうなのでしょうか?」
律子は不安の虫が更に大きな声で鳴き出したので、思い切って尋ねた。
「クライアントのシステムとウチのシステムが違っていて、データの共有が難しいという話をしたという事ですが、まだクライアントのシステムとウチのシステムのすり合わせをしていないのです」
更に驚くべき事を言われ、律子はもちろんの事、野崎も小松も唖然としてしまった。
「それから、パソコンの準備ですが、まだ長谷部はその計画書を上げてきていません。ですから、パソコンの借り受けに関しても、何も進められてはいないのです」
関の口から出た言葉を、律子は受け入れきれずにいた。もし、それが本当だとしたら、長谷部は酷い人間である。
人は見た目で判断してはいけない、と言われた事があるが、それにしても、あまりにも酷いやりようだと思った。
「前年度の業務にあれこれと支障が出て、長谷部がクライアントからきつい事を言われていたと後で聞いた事があります。ですから、彼がやりたいくないと言っているという噂も、ある意味真実味があったので、本人に確認したんです。でもまさか、やらせてくれと言っておいて、全く自分の仕事を進めていないばかりか、皆さんに嘘の情報を話しているとは……」
関は額を拳で何度も叩いた。
「私達はどうすればいいのですか?」
野崎が絞り出すような声で関に言った。関は野崎を見て、
「まずは皆さんからお聞きした話を草薙に上げて、今後の事を詰めなくてはなりません。長谷部がどこまで仕事を放置していたのか、彼のパソコンも調べて、解明しないといけませんし……」
律子はもっと関に尋ねたい事があったのだが、あまりにも消沈している関を見ると、何も言えなくなった。
「取り敢えず、待機していてください。草薙と話してきますので」
関は作業室を出て行った。
「どうなってしまうんでしょうか?」
小松が誰にともなく言った。すると野崎が、
「私達は与えられた仕事をこなすしかないと思う。逃げ出す訳にもいかないし」
「そうですね」
小松は苦笑いして野崎を見た。
(よかった、この二人、仲違いはしていないんだ)
律子は妙な事でホッとする自分に驚いた。
「神田さんもそうですよね?」
野崎が同意を求めるように律子を見た。
「はい。まだ、十月も始まったばかりですし」
今年度始めて参加する律子には、それくらいしか言えない。
律子達は待機を続けたが、昼休みになっても関も草薙も来ないので、仕方なく作業室を出た。
「今日はお弁当を持ってきたので、一緒に食べましょう」
野崎が言った。
「はい」
律子と小松が応じた。
(せっかく、私達は意思疎通が取れたのに、もっと大変な事になってしまって、どうなっちゃうのかな?)
律子の不安の虫は泣き止もうとしなかった。
三人は二階の休憩室で、他の部署の派閥の塊を避けて、離れたテーブルで食事をした。
申し合わせたように、三人は何も話さなかった。口を開けば、不安しか出て来ない気がしたからなのかもしれない、と律子は勝手に解釈した。
「貴女達、長谷部さんに何をしたの? 彼、辞めたそうじゃないの?」
昨日、律子に詰め寄ってきた別の部署の年配の女性がまた突っかかってきた。
「何もしていませんよ。私達だって、これからどうなるのか、全くわからなくて困っているんですよ!」
一番若い小松が、その女性がたじろぐくらいの迫力で言い返した。女性は、聞こえないくらい小さい声で何か言いながら、自分のテーブルに戻って行った。




