第081話 誰が為に
オレの女になれ。
ヴィントの発言にジンが、ユリスが──そして観客が驚愕をあらわにした。後ろで見ているだけだったシオリすらもピクリと反応をするほどだ。衝撃の程を知れるというものだろう。
「ああ勘違いすんじゃねえぞ、戦場に色恋云々を持ち出す気はさらっさらねえ。このクソの役にも立たねえチビの代わりに、オレと組まねえかってだけの話だ」
しかしそれは、不特定多数の人間が思ったようなニュアンスではなかった。
ゆえに。
ヴィントの提案とはつまり──
「私とあなたで、ペアを組み直そうってこと?」
「そうだ。悪い提案じゃねえだろう? 強え奴は強え奴と組むべきだ。合理的な考え方だと思わねえか?」
闘技場全体がどよめきに包まれる。この男は最初から破天荒であったが、ここまでとは。もはや制御不能、誰にも止めることはできない暴れ馬か。
「あなたは一人で戦うことが誇りだったんじゃないの?」
「ああ? 誰もそんなこたぁ言ってねえだろうがよ。オレは単に、オレについて来れるだけの人間がいねえから一人でやってただけだ。だがてめえならついて来れる。そうだろ?」
それがまさか領主の娘たぁ思わなかったがな、とヴィントは凶悪な笑みを浮かべる。
やはり、シオリという少女は数合わせでしかないと。そういうことらしい。
ユリスは瞑目する。静かに、戦闘で乱れた呼吸を整えていく。
「てめえと組めばより強え敵と戦える。どんな野郎だろうとブチのめせる。それこそグリムガルドとかいう寝惚けたタコだろうがブチ殺しに行けるさ。大会なんて小さな箱に収まるタマじゃねえだろ、てめえもよ」
あるいは彼は、彼に耐えうるだけの強度を持った人間を探しにこの大会へ出場したのかもしれない。
「……なるほど」
あくまで平坦な声色。そこに感情は込められていない。ユリスの応答は、非常に静かなものだった。
「確かにあなたは強い。二対一だろうが、その不利を覆せるぐらいの力を持っているのでしょう。今の戦闘でそれくらいのことは十分伝わってくる」
薄い微笑みを浮かべて、腕を組む。
「そうね。天と地の魔法を操るペア。ふむ、なかなかサマになるじゃない。戦闘も派手でいいかもしれないわ。あなたと組めば、簡単に優勝できるかもしれない」
少女はニコリと笑っている。
「ねえ、ジンはどう思う?」
そこで突然振られて、ジンは戸惑いを隠せなかった。この少女は一体何を考えているのか。いや、そもそもペア組み直しなんて大会のルール上ありなのか。何と答えればいい? 分からない、どうすれば──ジンは混乱に混乱を重ねる。あちこち目をさまよわせるが、答えが書いてあるわけじゃない。少女が答えを待ち続けている以上、何かを言わないといけない。
そしてついに耐えきれなくなったジンは、か細い声で一つの解答を出した。
「い、いいと思うよ。その…………僕より、彼と組んで……先に進んだほうが……勝ち目がある。……そうでしょ?」
自分なんかじゃ役目不足なんだ。
「だから……頑張ってね」
「…………………………………………」
それを聞いたユリスは、やはり笑みを崩さない。
「ジン」
笑っている。
笑っている、はずなのに──
バチン、と。
強かに頬を叩く平手打ちの音が、闘技場に響き渡った。
「いい? この戦いが終わって。私たちが勝った後、もう一回思いっきりほっぺた引っ叩きに行くから、そのつもりでいてね?」
呆けるジンをよそに、恐ろしいほどの冷気を感じさせる氷の微笑を見せつけたのち、ユリスはヴィントに向き直る。
そして腕を組んだまま声高らかに、威風堂々と少女は宣言した。
「淑女を舞踏会に誘うときは、もう少し礼節を弁えてほしいものね。まずはその不躾な口調を直したらどうかしら?」
その背中は、あまりに勇ましく。
「あなたね、ジンのこと好き勝手言ってくれたけど。何も分かってないくせに、何も知らないくせによくもまあそんなに口が回ったものよ。ペラついてんのはあなたの方でしょうが」
その立ち振る舞いは、あまりに猛々しく。
「そんなに力を誇示したいのならどうぞ一人でご勝手に。そこに私を巻き込まないでちょうだい。私たちはあなたみたいな独りよがりな理由で戦ってるんじゃない。そんな戦い方しかできないあなたに、私たちは決して負けない」
ジンにとって、あまりに眩しく見えたから。
「己の才能に胡座をかき、尊大な態度で人を従わせようとするその姿勢! 人間性! 全てが腹立たしい! 全くもって尊敬に値しないわ! そんな人間と組もうなんて、一寸たりとも思わないッ!」
未だかつて見たことのないような激情に喉を震わせる。感情の迸りはマナすらも溢れ出させ、少女の美しいツーサイドアップの長髪が淡く発光し、重力に反して左右に広がっていく。
そんな彼女の強い激昂を宿す瞳は――涙で、濡れていた。
「そして、彼を侮辱したことを詫びなさい! 地面に頭を擦り付けて! 泣きながらッ! 何度も何度も何度も何度も何度も謝り続けなさいッッ!!!!」
ユリスは、わずかにきらめく涙の雫をごしごしと拭い、力強く眦を決して吠える。
その背中は雄弁に語っていた。
──悔しいのだと。
自分の信じる男があれほどまでに虚仮にされて、女として黙っていられるはずがない。
だって、ユリスは知っているのだ。
彼が雨の中、誰に見られているわけでもないのに一人黙々と剣を振るあの姿を。
行動力のある人間に憧れると、慕ってくれたあの日のことを。
それだけじゃない。オルランドとの特訓で立てなくなるほどに辛い思いをしているのも、家に戻った後もずっと作戦や対策のことを考えていたのも、全部ユリスは隣で見てきた。
だから、悔しい。悔しくてたまらない。だって本当はもっとすごいのに、彼がちょっと不器用なせいで、それが理解されない。
ジンがこういう時言い返せない性格なのは知っている。彼は自分で言っていた。勇気がないから黙り込んでしまうのだと。本当の思いを口にすることが苦手なのだと。
ならば、それは自分の役割だ。
足りないところは補ってやる。困ることがあれば助けてやる。それがペアというもので、それが相棒の仕事だと、ユリスは認識していた。
そして同時に、少女はジンが初戦で伝えてくれたあの思いの丈をいつまでも、いつまでも覚えているのだ。
──『醜くったって! 情けなくったって! 自分を守りながら、諦めずに足掻き続けるしかないじゃないかッ!!』
きっとそれは、咄嗟に出てしまっただけの言葉。でもそれが、ユリスの心の中に残り続けていて。
あの日の言葉が、自分に足りないものを補ってくれた。そう思うから。
そう、まさにあの日からだ。ちょっと情けない彼を、隣で支えてあげたい──そんな思いが芽生えたのは。
確かに、「頑張ってね」なんて思ってもいないことを抜かすのはちょっと……いやかなりムカつくけど。
私と離れ離れになってもいいと、ペア解散でいいと、そんな風に思われているのは、乙女心的にも相当腹立たしいけれど。
ちょっと引っ叩きたくなるくらいには、情けなくてダサくてどうしようもないのが彼だけど。
だけどそれが、彼だから。
それこそが、ジン・シュナイダーだから。
「ねえ、ジン」
ユリスは再びジンに向き直る。今度は本物の笑みだ。温かくて、優しい……彼女が本来持つ笑み。
「あなたは才能がないと、よく嘆いているけれど。違うわ。才能を殺しているのはあなたなの。よく思い出して? あなたは誰よりも頑張ってきたじゃない。誰にも負けないくらい努力してきたじゃない。それだって、立派な才能でしょ?」
ユリスの声が、氷河の如く固まりきった心を、包み込むようにして溶かしていく。
「あなたはよく、変われない自分を嘆いているけれど。そもそも、そう簡単に変われる人間なんていないのよ。私だってそう。人にはできることと、できないことがある。だから、誰かの手を借りたり、助けてもらったりしながら進む」
私もあなたに助けられたのよ、と少女は語りかける。
「剣なら創る! 道なら切り開く! 何も恥ずかしくないわ、だから私の手を借りて進みなさい。そうして掴み取った勝利は紛れもなくあなたの勝利であり、そして私の勝利でもある」
君の勝利は自分の勝利だから、迷わずに進めと。
「まあどうせ、あなたのことだから、最初は自信なんて持てないだろうけど。それなら、代わりにあなたに救われた私を信じて────」
そしてユリスは、まっすぐ僕を見つめながら言った。
「あなたは間違っていない」
「──」
その瞳は、燃え上がるような激情を秘めていて。
包み込むような温かさでもあって。
「……」
胸の中を、爽やかな一陣の風が吹き抜けていった。
同時に、一気に広がる視界。ユリスだけじゃない。この闘技場全体が、色彩豊かに描き出される。
歓声が、声援が、視界が、音が、戦場の香りが――ありとあらゆる感覚が蘇っていく。
あの時とは種類の違う震え。人はそれを――武者震いと呼ぶ。
「ああ……」
自分の胸の中に、どうしようもなく情けないもう一人の自分がいる。そんな心象風景があった。
そこに、一人の少女が現れる。彼女は泣き腫らす少年を見ると、情けないと腕を組んで彼を叱った。
その直後……彼女はふっと笑みを零して肩をすくめるのだ。
しょうがないな、と。
私がいないとどうしようもないんだから、と。
そうして彼女は――――ユリスは、手を差し伸べてくれる。
「君は……やっぱり優しいよ」
「あなたは特別甘やかしたくなっちゃうの」
彼女を支えられるような自分になりたいと、考えていたばかりなのに――情けない。自分が支えられてしまっている始末だ。
しかし、どうも自分は本質的にそういう人間らしくて。簡単に変わることはできなくて。
でも。彼女はそういうジン・シュナイダーを肯定してくれる。
間違っていないと。そのままの君でいいから、と。
優しく、そっと背中を押してくれるのだ。
――そんな彼女のために、何ができるだろう?
今の自分のまま、彼女のためにできることはないだろうか?
簡単だ。明確な、一つの答えがある。
勝つこと。
ジンなんかを強いと言ってくれるユリス・ユースティアのために、彼女のためだけに、この戦いに勝利する。
――僕は、君が笑っている姿が好きだから。
泣いている君は、もう見たくないから。
だから、心は決まった。これ以上情けない姿を見せられたら、本当に失望されてしまう。
ジンは一度大きく深呼吸した。すると、その隣に立ったユリスが並び立つ。いつだって彼女は、歩みの遅いジンに歩幅を合わせてくれる。
「遅い」
「ごめん」
ジンは、一泊置いて。
「でも、もう大丈夫」
「そ」
短く、そうやり取りを交わす。
この世界に来て、一人になった。友人なんて誰もいない。自分を知る人物は、どこにもいない。
だけど、ユリスが見つけてくれた。明日さえも分からぬ暗闇の中から、ジン・シュナイダーという存在を見つけ出してくれたのだ。
「私が何を言おうと、最後に一歩踏み出すのはあなた自身よ。大丈夫。私が見ていてあげるから」
そう。
一人じゃない。それを強く実感したから。
ジン・シュナイダーは、新たな物語へと踏み出せる。
新生せよ、弱き少年。
悔しさも、情けなさも飲み込んで。
他の誰のためでもない、大切な少女のために――――
自分らしく、泥臭く、英雄譚の一ページ目を飾るのだ。
「僕の全ては、君に捧げる」
唐突だった。
それは、思いの発露。昂ぶった感情の示すまま、言葉にしただけ。
図らずもそれは彼らしくもない大胆な発言になってしまい、ユリスは面食らう。かぁーと顔が熱くなるのを感じる。
何を言ってるんだろうこいつは。それってつまり、ええと、そういうことで……云々。戦いの真っ只中だというのに、全く関係ない思考が脳裏をよぎっては消えていく。
でも。
それでも――大真面目にそんなことを言い出した彼の背中が、いつにも増して頼もしくて。
さっきまでの彼とは、見違えるようで。
その言葉も、本心から出たものだということが分かったから――
「うんっ」
年頃の乙女としては破顔して、そう返事をするしかないのだ。
☆★☆
男には、絶対に負けたくない誰かがいる。
男には、絶対に逃げたくない時がある。
男には、絶対に守りたい何かがある。
たとえ弱くても、立ち向かわなければならない。
そのための勇気なら、彼女にもらったから。
「さあ――」
ユリスが剣を生み出す。二振りの、凛とした直剣。
「行ってらっしゃい」
少女の声に背中を押されるようにして、ジンは力強く剣を取り、そして踏み出す。
「行ってきます」
その視線の先。ユリスの怒号に硬直していた青年――宿敵、ヴィント・ボレアス。
「クク……」
彼が、静かに笑い出す。
「クク、クハハハハハハハハハハ! そうかいそうかいそうかい! オレとは組まねえか! 結構結構!」
何がおかしいのか、彼は腹を抱えて身を捩りながら笑う。
そして――
「なら邪魔だ。消え果てろよ――弱者は弱者らしく、オレの覇道を汚す染みとなれ」
爆音を響き渡らせ、闘技場の中心に降り落ちたのはかつてない規模の落雷。同時に再び暴風が吹き荒れ始める。その勢いも、先ほどまでの比ではない。
その様子は、彼自身の赫怒が大嵐に反映されているかのようだ。
それでも、ジンは目を背けない。ただその宿敵を、正面に捉え続ける。
右手の剣を、暴風纏う魔王城の主に向ける。
さあ、再開だ。
その魂滾らせて。
彼女にもらった勇気を胸に。
勝利こそが、何よりの恩返しになると信じて。
「いくぞ格上。その余裕、粉微塵に破壊してやる」
「こいよ格下。その自信、徹底的に叩き潰してやる」
ジンはずっと考えていた。自分がこの世界にやってきた理由、その意味。
理想の英雄にはなれない。父のように光り輝く人生は歩めないかもしれない。
彼は知るよしもないが――その感情は、かつて父親も経験した道だった。
今の自分にしかできないことがある。弱い自分も変わらず自分なのだと、彼女が認めてくれる。全てをなくした主人公に寄り添ってくれるのは、いつだってヒロインなのだと。
その構図は、まさにあの時の安藤影次と同じで。今彼は、父親と同じ道を辿ろうとしているのだ。
だから、そう――
締めくくるならば、これがいい。
さあ、始めよう。再び生まれ出づる者として。
第081話『誰が為に』
勇気の在り処は、この胸に。




