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RE/INCARNATER  作者: クロウ
第三幕 泥だらけの直感勇者
83/84

第080話 天と地



 ありがちな不幸だと、適当な憐憫を向けられるのが何よりも嫌いだった。

 可愛そうだねと、愛想ばかりの同情を向けられるのが嫌いで仕方なかった。

 親を失って一人で生きていく。ああ、可哀想に。さぞかし辛かったことでしょう。でももう大丈夫、これからは私たちがあなたの家族になりますからね。何も心配はいりません。


 ──ふざけるなよ、と。


 男は、そうして差し伸べられた手を全て振り払ってきた。

 ぬくぬくと育ってきたくせに、オレの何が分かるっていうんだ。誰も何も理解しちゃいない。上から目線で守るだの、心配はいらないだの、ふざけたことを抜かしやがって。

 他人は弱い。オレは強い。

 オレの方が強いのに、弱いヤツらに守られる道理がない。

 誰かの庇護下に入りたいわけじゃない。守られるなんて、こっちから願い下げだ。



 オレが、本当に欲しいのは。






 欲しいのは────。







☆★☆



『あいにくの天気ではありますが、本日もここ闘技場は変わらず熱気十分でお送りしております! 一回戦が終了し、さらに白熱すること間違いなしの準決勝! 実況解説はあいも変わらず我々が担当させていただきます!』

『そろそろ飽きてきたんじゃねえか?』

『何を仰いますか! まだまだやれますよ! ねえ、みなさん!』


 オオオオオオオオオオオオ、と歓声が上がる。上昇していくボルテージ。闘技場の熱気も高まっていく。

 ぐずついた空模様に、淀んだ空気。太陽が見えない分気温はいくらかマシだが、連日の雨で湿気が多く、不快指数はうなぎのぼりだ。

 そんな状態でも変わらず、この闘技場は人でごった返している。


『一回戦では激闘を繰り広げ、闘技場を白熱させました! その類まれなる直感は、勝利までの道筋を描き出すのか! 「泥だらけの直感勇者(アブノーマルセンス)」、ジンシュナイダー!!』


 盛り上がりの中心地点。人々の視線が注がれる、その場所。

 立つのは、二組四人の闘士。


『花の魔女、その異名にふさわしいハイレベルな魔法で闘技場を包み込んだのはこの人! 可憐さと実力を兼ね備えた少女! ユリス・ユースティア!!』


 ジン・シュナイダーは、かつてに比べれば幾分か堂々とした姿勢で中心へ向かっていく。そのすぐ後ろに続くのはユリス・ユースティア。半歩後ろで彼を見ているからこそ分かるその変化に少しだけ頬を緩めながら、漲るマナを身体中に巡らせて、士気を高めている。

 その装いに、一回戦とは異なる点があった。

 ジンの腰に、得物が存在しないのだ。

 まさか徒手空拳? そのことに気がついた観客たちがどよめき始める。

 同じく敵情視察に来ていたエイジやアトラも、その変化に気がついていた。何をしてくるのか──彼らも新しい戦い方を見つけたということだろう。


 そして。

 それに対する相手、向かいの扉からやってきたのは──長身の男性と、おそらく大会最小と思われる小柄な少女だった。

 あの男が、一回戦を単騎突破したという噂の選手。

 パーマ気味の黒髪に一部白いメッシュの入ったいかめしい髪型。服装も威圧的で、髑髏やチェーンのメタルアクセサリーを身に纏い、他者を寄せ付けないような雰囲気を醸し出している。ダボっとした漆黒の服装とその猫背な立ち姿からは、言うなれば『幽鬼』か。男は、掴み所のない不気味さを持っていた。

 その背後に続く少女の印象は、一回戦でも何もしなかったというだけあって限りなく『薄い』ものだった。

 青年と同じ黒髪。前髪が異常に長く、目元が完全に覆われてしまっている。まるでハサミでそのままざっくりと切ったかのように適当な髪先。せっかくの長髪も台無しだ。服装も適当で、もう何年着ているのか分からないレベルで擦り切れたボロボロのセーターを着ている。サイズも全くあっておらず、手元は完全に袖で隠れてしまっている。とても戦闘向きとは思えない服装で、いうなれば「そこらへんにいた少女を強引に連れてきた」かのような印象を受ける。

 とはいえ少女は、別段抵抗している気配もない。ただ静かに、おずおずと、男の後ろにくっついて歩いている。それだけだ。

 エイジが見ればあるいは「日本人形みたいだ」と言ったかもしれない。それくらい、陰の雰囲気を纏っている少女だった。


『一回戦を、なんと単独で勝ち上がったという、この武闘大会のルールに真っ向から喧嘩を挑む男。西門からの登場──ヴィント・ボレアス!』


 会場が歓声で包まれる。その劇的な勝利姿に、観客たちも魅了されたのだろう。一回戦とは比にならない人気っぷりだ。


「──、うるせェ……。勝手に人の名前をベラベラと喋りやがって、クソが。見世物じゃねえぞ」

「……」


 この武闘大会という興行そのものを否定するかのような発言。彼にとって舞台と観客はどうでもいいことらしい。


『そして、一回戦ではその実力を見せなかった……というか、本当に戦場に出て大丈夫なの? おそらく歴代最年少と思われる正体不明のちびっこ! シオリ・クロスフィールド!』


 ビクッと跳ねて、ヴィントの背中に隠れる。そんな様子に、観客からも励ましの声がかかった。

 頑張れー、だとか。応援してるぞー、だとか。

 そういう『弱そうな人』に向けられるお情けの応援だ。大方、あの横暴そうな()()に連れられて、人数合わせのために参加させられたのだろう。ひどい話だが、この大会の仕組み上は女性であれば名前だけ参加ということはできる。観客たちはそう想像したのだ。


「チッ……おい寄るなチビ。ブチ殺されてえか」

「っ……」


 そんな観客たちの見え透いた感情を読み取り、苛立ちを募らせるものが一人。他でもない、ヴィントだ。

 彼にとって最も癇に障るもの、それは同情、あるいは憐憫。試合開始前から感情を逆なでされ、男の中の黒い感情は膨れ上がっていく。

 シオリはヴィントが最も嫌いとする人種だ。二人の関係性は歪で、一目見ただけでは分からぬ何かを秘めている。


 ザッ、と二組が位置につく。少しは自身をつけたはずのジンだったが、あまりに威圧的なその男を前にして、かつてのような弱気な一面が顔をのぞかせてしまう。


「ジン・シュナイダー、ねぇ……はあ」


 ヴィントは、落胆を絵に描いたような盛大なため息をつく。


「ノらねえ」


 そして吐き出したのは、そんな言葉だった。

 いきなり何を言い出すのか。失礼、などと思う前にジンには困惑があった。


「……でもまあ、せいぜい良い具合に鳴いてくれや。その手助けくらいはしてやる」


 初対面で言うことではない。それは容易に分かるが、それにしてもヴィント・ボレアスという男の考えが見通せない。

 一体こいつは何だ……? 何を考えている……?

 そう思ったときだった。

 ポツ────と、鼻先に冷たい感覚。

 にわかに湿り気を帯びていく空気。

 暗雲立ち込める闘技場の空。

 鼓膜を揺らす遠雷は不吉の前兆か、あるいは。


『第258回ユースティア自治領武闘大会、20歳以下の部。準決勝第一試合。ジン・ユリス組VSヴィント・シオリ組──』


 そして直感が捉える──じきにここも、嵐になるだろうと。


『──試合開始!』


 しかし、どんな状況であろうと変わらない。自分たちは、これまでやってきたことを発揮するだけだ。

 一回戦からどれだけ進化したのか──それを見せつける!


「ジンっ!」


 ユリスが魔法を編み上げ、地面に両手をつく。大円環の魔法陣が形成され、収束。ジンの両脇、地面が揺れる──。


「ありがとうっ!」


 ジンが両手を左右に突き出すと、地面から突き出た何かが、まさにその手のひらに吸い込まれていくようにして収まった。

 生み出された何か。それは──


『剣? 剣です! 手ぶらで現れたと思われたジン選手ですが、なんとユリス選手が魔法で武器を作りだしました!』

『なるほど、そういうことか……』

『これはエンターテイナーですね! まるで手品のようです!』


 ジンが新たに得た力。ゲーム風に名付けるならば、【全武器習熟(オールアバウト)】。

 名の通り、それは全武器種に対応できるアビリティだ。つまり、剣、弓、槍、斧、その他──物理系に属する武器であれば全て片手剣と同じ習熟度で扱えるようになるというもの。

 それを可能にしているのは、やはり『直感』だ。ジンは、武器の扱い方を直感的に把握しているのである。


 ──こんな考え方、今までの僕にはなかった。オルランドとセリカに感謝しなきゃだな……。


 その戦闘スタイルを確立させるのに大きく関わったのが、他でもないオルランド・セリカペアだった。

 セリカが生み出した金属をオルランドが武器として扱う──その戦い方を継承し、ジンとユリスにできる形で表現したのがこれだった。


「行くぞ────ッッ!!!!」


 そして、駆け出したジン。

 剣は両手に握っている。二刀流スタイル──これまでより、さらに速く。手数とスピード、長所をより強化していく。

 ユリスの生み出す木製武器は、高密度の魔力で編まれた特別製だ。従来の剣よりも軽くて丈夫。ろくに魔法を使わないジンでも、それがどれだけハイレベルな技術によって作り出されているのか分かる。


「──────」


 対するヴィントは、眉一つ動かさず。

 バキバキバキ、と盛大に指を鳴らし、そして悠然と構える。


「──()ッ」


 短い吐息とともに神速の拳が放たれる。しかし、ジンとの距離はまだ数メートル開いている。つまりそれは──物理攻撃ではない。


 来た────!


 ジンはその攻撃を知っていた。

 正体は、風。ヴィントの拳圧が空気を最大圧縮し、一気に解き放つことで不可視の弾丸と化して襲ってくるのだ。

 直感的に回避の軌道を読み、身体を思いっきり傾ける。キィィィィイイイイ、という高周波のような高鳴りが耳元を過ぎ去っていく──どうやら、すんでのところで回避に成功したようだった。

 しかし、その一撃は直線状にいたユリスにそのまま向かっていく。少女は大木を生み出し、壁とするが──


「ぐっ……!」


 ドゴォッ! と破砕音を撒き散らして着弾した圧撃弾は、太い木の幹をいくらか抉り飛ばしていった。


(重い……! あんな簡単な予備動作で、ここまで……!)


 ヴィントはただ、拳を突き出しただけ。単なる空気圧による破壊の力――にも関わらずこの威力だ。

 一撃も食らえない──ユリスは警戒の度合いを高め、全身にマナを漲らせる。


「おいおい、こんなのただの牽制(ジャブ)だぜ? なァにをビビってんだか。頼むぜ……せめて雑魚なら雑魚なりによお――」


 にわかに緊張感を高めていく二人。しかしそれを見て嘲り笑う敵対者――


「楽しませてくれやァッッ!!!!」


 ヴィントが腕を曇天から大地に向けて振り下ろした、その刹那。

 大音声を轟き渡らせて降り落ちる、一条の稲光。


「、ぁ……ぐ……ぅっ!?」


 莫大な圧が総身を駆け抜け、着弾地点の近くにジンが吹き飛ばされる。

 落雷。

 これは直感で避けられるものではない。ジン――あるいは同類たるエイジも苦手とする、一定範囲に作用する攻撃。

 

「ジンっ!」


 背後に控えたユリスが、柔らかい木の葉を生み出してジンを受け止めてくれる。直撃こそ免れたものの、地面が破壊された際に発生した破片が額を掠めて、わずかながら流血が伝っていた。


『リング中央に強烈な一撃――っ! 流星の如き落雷が突き刺さる! これは……ヴィント選手が引き起こした天災なのか!?』

『だろうな。一回戦で見せた火球は太陽を模したものだったわけだし、こりゃあおそらく「天気」にまつわる魔法を扱うってところか』


「大丈夫?」

「う、うん……」


 軽い治癒を施してもらうが、ダメージはやはり大きい。

 今も闘技場のあちこちに無数の落雷が落ちる。暗黒に包まれるリング、その様子はさながら魔王城のようで。


「はぁぁあああ…………。ダセえ、弱え、情けねえ、気に入らねえ。何の魅力も感じねえッ」


 その中心に位置する彼もまた、魔王と呼ぶにふさわしい威容を持っていて。


「なああああああああ!!!! そんなもんかよ!? 仮にも一回勝ってんだろ!? ありゃまぐれか? 偶然か? 土壇場で実力以上の力が出ましたとか抜かす気か? あんまヌルいことペラついてんじゃねえぞおい。これならあのでけえ男と金属の女が勝ち上がってきたほうがまだマシだったんじゃねえのか? アァおいどうなんだよッ!」

「づ、ぐ……っ」

「……チッ、情けねえツラしやがって。てめえみてえな及び腰野郎にゃ興味ねえんだ。早々に消えろよ」


 落雷、拳撃、まるで精神を削り取るような嵐、暴風雨。

 大仰に両手を広げ、男は物足りないと嘆きを顕にする。

 感情を荒ぶらせるヴィントに、ジンは硬直を禁じない。


「なあ頼むぜ……一回戦は退屈で仕方なかったんだ。今度こそ見せてくれよ、楽しませてくれよ。オレに本当の闘争を味わわせてくれよじゃねえと満たされねえんだ。このままだと飢えて死んじまう」


 ヴィント・ボレアス。野獣の如き闘争心と、天を割るほどの力を兼ね備えた者。

 これほどとは。

 事前に準備をしてきたにも関わらず、圧倒的と言わざるを得ない力。

 生きる天災の前に、ジンはただ雨に濡れ、泥にまみれることしかできないでいた――。




☆★☆




「天候、操作……?」

「そう〜」


 ユリスのはてなマークに、ほよよんと返事を返すセリカ。

 それは広場――特訓一日目のことだった。


「一回戦の様子は見てたんだけどな。ありゃあすげえよ。言うなれば、操る魔法は『災害』そのものだ」


 オルランドが語るには、その男は天を操るという。

 風は哭き、太陽を模した極熱の火球が地に堕ちる。曇り始めたと思ったら闘技場に霧がかかり、雨が降れば嵐が巻き起こる。


「そうだな……ユリスが『地』を司るとすれば、奴は『天』だ。天災によって大地は割れ、崩壊する。自然の摂理に照らし合わせれば――食われるだろうよ」


 ユリスの植物操作と、ヴィントの天候操作。

 植物は天気によってその命を左右される。それこそ、落雷が落ちれば一網打尽だ。


「…………」


 ユリスは口元に手を当て、難しい顔をしている。

 考える。

 自分の操る植物たちが勝利するビジョンはどこにあるのか。敵が操るのは天の理だ。そもそも地に縛られた植物たちに、対抗するすべはあるのか? 単純な相性の問題。一回り上から襲いかかってくる敵に対して、どう戦っていくのか。


「大丈夫だよ〜。そのために、私たちがいるんだから〜」


 悩むユリスだったが、突然セリカに後ろからギュッと抱きつかれて、ビクッ!と跳ねる。


「な、なにっ?」

「ユリスちゃん、いいにおいする〜」

「や、やめて! 嗅がないで!」

「お花の匂い〜」

「ひゃんっ」


 首元に鼻を近づけられて思いっきり深呼吸されたら、そりゃあ鳥肌が立ってしまうだろう。

 自由奔放な相棒を指して、オルランドはヤレヤレとため息をつく。


「悪いな。セリカは気に入ったやつがいるとすぐに抱きつこうとするんだ」


「ってことは……オルランドも?」

「それは、まあ……いや、今はいいだろ!」


 単純な興味から出てきたと思われるジンの問いかけにはそれとなくお茶を濁したものの、オルランドはどこか楽しげだ。


「なあ、ジン」


 そんな女子二人を見ながら、オルランドは語る。


「ユリス……あのお嬢さん、一見しっかりしているように見えるが、実は危ういところがあるよな」

「……うん」


 それほど長い間接しているわけではないオルランドだったが、それはジンから見ても的を射た発言だった。


「俺たち二人は、表面上仲良くやっていたように見えて、その実、最後までお互いが抱えていた思いを交わすには至らなかったんだ。喧嘩すらろくにしたことがない。そんなことだから、あいつの気持ちに気づけないんだ」


 オルランドは、実感のこもる瞳でジンを見下ろした。


「あの戦いの時、突然喧嘩し始めたお前らみたいに……もっと、本音をぶつけ合うべきだったのかもしれねえ。そう思うんだ。だからさ――」


 支えてやれよ、と彼は言う。


「お前があの子を支えてやるんだ。他でもないお前が、彼女の寄りかかれる柱になるんだ」

「僕が……」

「そうだ。お前がだ。これは、お前にしかできないことだ」


 自分にそんなことができるのか。ジンの中にあるのは、不安だった。

 ユリスは強い。正直、自分では支えきれないくらい彼女は強くて、器の大きな女性だ。

 確かに彼女は年相応の脆さや、不安定さのようなものも兼ね備えているが……それを自分が支えられるかと聞かれれば、ジンはすぐに頷くことができない。

 それでも、戦わなければならない。

 彼女の相棒(パートナー)として。並び立つものとして。


 ──ならば。


 今の自分にできること。

 それは一体何なのだろう──?


☆★☆


 範囲と手数。

 ユリスは自分の魔法にそれなりの自信を持っていた。その根拠が、範囲と手数だ。

 地上の戦闘領域ほぼすべてを網羅し、絶え間なく攻撃を打ち込み続けることができる魔法。大会参加者の中でもトップクラスと思われる魔力保有量と、それを活かした魔法の応用性。「一人で何でもできる」──それが彼女の強みだった。

 しかし。


「っ、づぅ……っ」


『天災』ヴィント・ボレアスとの間には、文字通り天と地ほどの差があった。

 奴の天候操作能力による攻撃パターン自体はさほど多くない。例えば先ほどの落雷。あるいは空気圧による遠隔攻撃。敵に向かおうとすれば必ず向かい風が吹き、勢いが減衰される。そういった天気・気象にまつわる力を操るが、ユリスほどバリエーションが豊富というわけではなかった。

 だが、一つ一つの規模が違いすぎるのだ。

 すべてが天災級、総じて必殺の一撃。ユリスが丹精込めて育て上げた大木を刹那の内に炭の塊に変えていく落雷は、あまりに相性が悪いという他なかった。

 風に特化したルインフォード・ヴァナルガンドと比べると、能力の精密なコントロールは行えないようだった。しかし、その分スケールが大きい。コントロールなどしなくても力で押し切れる。実際それで、闘技場の地面は所構わず破壊されている。その様は、もはや無差別爆撃に等しい。


 しかも恐ろしいことに、その範囲内にあの少女――シオリと言ったか――まで入っている。

 そう、あの男は自分の相棒のことなんて一切眼中になく、ただ独善的に戦っているのだ。

 では、落雷や瓦礫といった流れ弾が彼女を直撃しないのか? あんなか弱そうな少女が、そんな天災に耐えられるとは思えない。


 ――しかし、答えは否だった。


 少女は、落雷が落ちるたびに身震いして、瓦礫が飛んでくるたびにしゃがみ込んで頭を抱み、情けなく涙目になっている。しかし()()()()()()

 何が起きているのかはユリスやジンからでは見て取ることができなかったが、彼女に危険が降り掛かってもその身に触れる直前で止まるのだ。彼女の持つ魔法なのか、何なのか……とにかく、少女は攻撃にこそ参加しないものの、その身を守り続けることだけはできるようだった。


 しかし、そうなるとここで新たな問題が見えてくる。


 すなわち――ヴィント・ボレアスは、シオリが死なないことを理解した上でこの場に連れてきているということだ。


 つまり、端から彼女は木偶人形で。

 ただただ観客に自分の威容を見せつけるためだけに、この大会のルールを体裁上守るためだけに連れて来れられた人数合わせで。

 死なない――自分にとって都合のいい存在だから、少女の人生も考えずに身勝手に連れ回しているのがあの男、ということで。


 ゆえに、それはユリスにとって怒りの対象だ。

 女をただの道具としか思っていないようなあの性格。曲がったことが大嫌いなユリスにとっては紛れもない『敵』だ。

 あのヴィントとかいう男、一泡吹かせてやる――そう魂を滾らせるに足る燃料となった。


 だが、だからといって力量差が埋まるわけではない。

 奴は顔色一つ変えずに災害クラスの魔法を解き放つ。こっちが魔力全開で対抗しているっていうのに、向こうは指を一つ鳴らすだけで終わりだ。

 何たる理不尽。あまりに不合理。ユリスはいたずらに魔力を消費していくだけ──このままではジリ貧だと、他ならぬ彼女が最もよく理解していた。

 前回ユリスはマインドダウンを起こし、最後は気絶してしまっている。それが彼女にとってちょっとした屈辱で――


「くっそ……っ!」


 だから、今回こそは見届ける。そのつもりで気合を入れてきた。作戦も練ってきた。

 それなのに。



「つまらねえ」



 一刀両断。



「ああつまらねえ。ノらねえ。実に退屈だ。オレはよお、てめえみたいな(ごみ)と戯れるためにここに来たんじゃねえんだ」


 先ほどから彼が繰り返し訴える退屈さ。そうか、これだけ撃ち込んでもまだ退屈か――と、ユリスはさらに魔法の出力を上げようとするが、


「――なあ、ジン・シュナイダー」


 名指しされたのは、ユリスではなくジンだった。


「………………っ」


 肩で息をするジン。既に彼は何度も地面を這っていて、体中が泥だらけだ。あちこちに擦り傷が生まれ、額から流れる血が雨とともに滴っている。

 そしてヴィント・ボレアスは核心を突く。

 いや──貫き、壊す。



「後ろの木飛ばしてくる女……ありゃあてめえの身の丈に合ってねえよ。てめえ自身も理解してんだろそれくらいよ」



 嵐の中、ヴィントが語る言葉に少年の背筋が寒くなっていく。



()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。違うかよ?」



 そう。ジンにとってそれはまさしく、図星だった。


「一回戦もそうだ。てめえはてめえだけの力じゃ勝てねえ、だから女に頼った。後ろからあれこれ手厚く介護してもらって、そんで最後の最後だけ勝ち誇ったようなツラしやがって。ありゃお前の力じゃねえ、女の力だろうが。今もそうだ、いや前より酷い。武器を作ってもらってそれを使いますだあ? おいおい正気か? マジで言ってんのか? 男のくせして女の力頼りっきりで、自分じゃ何一つやらねえできねえ無理です助けてくださいってか? 単なるヒモと変わんねえよてめえは。オレなら恥ずかしすぎて闘技場に出てくることすらできねえがなあ?」


 ジンは俯くばかりで、何も言い返さない。ただ無言で、地面と向き合っているのみ。


「っ、それはちが――」


 なぜ何も言わない?と苛立ちを覚えたユリスが、代わりに自ら反論に出ようとするが――


「何も違わねえだろう? それに、どうせてめえだって薄々感じてるんだろうが」


 しかし、ヴィントの追及は止まらない。


「前衛がもっとしっかりしていれば楽なのに。ジン・シュナイダーがもっと強くて、頼りになる存在なら――そう考えたことがないとは言わせねえぜ? なあ?」


 その言葉に、ユリスすらも一瞬押し黙ってしまう。自分が直前、何をしようとしていたのかを思い出したのだ。

 さらに魔法の出力を上げる――それはつまり、魔力の消費がさらに加速するということ。

 前回はそうして無計画に消費して、魔力量では勝っていたはずのセリカ相手にマインドダウンまで競り合う結果になってしまったのではないか。

 ジンがもっと強ければ、頼りになれば――そう思わなかった日がないと言ったらきっと、嘘になる。

 否、彼女は最初からずっとその思いを抱えていたはずだ。

 弱い。邪魔だ。情けない――ジンに向けるその感情自体は、初戦の頃から存在した。


「かわいそうになあ。初出場の領主の娘、本人には才能も力もあったのに相棒が()()で敗退。足引っ張られて終わりだ」

「な、何が言いたいのっ? そんなことを言っても仕方ないでしょ! 人にはできることとできないことがある!」

「ああその通りだ。世の中にはできる奴と、できない奴がいる。できない奴はできる奴の足を引っ張るだけだ。そういう傍迷惑な輩は、さっさと視界から消すに限る。記憶にすら残しておく必要はねえ」


 皮肉なことに、一人で二人を相手にするヴィントの言葉だから無視ができない。彼はその考えを自ら体現している。相棒(パートナー)たる少女のことなど、微塵も気にしていない。

 ヴィントは強い。相棒(パートナー)なしにここまでやるのは、並大抵の強者ではない。そして、そんな彼が言う主張はなるほど確かに理に適っている。筋は通っているかもしれない。

 それでも、否定しないといけない。

 否定しなきゃいけないんじゃないのか、ジン・シュナイダー。

 泥だらけになってもやっていくと言ったのはあんたじゃない――と、ユリスはヴィントに向けていたものとは別種の怒りを募らせていく──。



☆★☆



 その時、ジンの胸の中に渦巻いていたのは。


 ――『僕は……僕が辛い目に合うのはいくらだって耐えられる。でも、僕のせいで誰かが苦しむのだけは、どうしても、我慢できない』


 ある時、ジンはユリスにこう言ったことがある。

 自分が辛いのはいい。でもそれで他人に迷惑をかけることはしたくないと。

 憧れの存在である父親の名前に傷がつくのが嫌で、心から耐えられなくて――それだけが、その心こそが彼の『軸』だった。偉大な存在に憧れる気持ちこそが、ジン・シュナイダーを形作っていたのだ。そしてその気持ちは、そのままユリスに向けても当てはまる。

 憧れを汚したくない――そんな気性を持つジンだから、ユリスと心を交わすうちに胸の中で彼女の存在が大きくなりすぎてしまったのだ。今や、ジンの中でユリスは両親に次ぐ立ち位置にいるだろう。

 少女は加速度的に成長していく。そんな彼女の背中を、ただただ見送っている自分がいる。色のない心象風景が、彼の心を染め上げた。


 ジンとユリスは似ている。それが分かってしまったからこそ逆に浮き彫りになる。自分と彼女の、明確な違い。

 言ってみれば、ある種の同族嫌悪。似ている人間が先に行った――それはつまり、逆説的に自分が劣っていることを指摘されたようなものだから。

 その事実が重く、苦しく、心にのしかかる。




 ――自分に、彼女と一緒に泥だらけになる資格はあるのか?




 それは、特訓の中でオルランドに「彼女の支えになれ」と激励されたときから思っていたことだった。

 自分は、彼女をいたずらに(よご)して、(けが)すだけ(けが)して終わりなのではないか。


「ジンは頑張ってる! あなたにどうこう言われす筋合いはない!」

「おいおい、感情論か? これは戦いなんだぜ? 結果を出さなきゃ負ける。頑張っていようが負ければそれで終わりだ。違うかよ? なあどうなんだおい――ッ!」

「ぐ……ぅっ」


 人々の想い? 気持ちで負けない? ああ、()()()()()()()()()。オレはそんな次元の話をしているんじゃない。勝負とは強き者だけが勝つ――それだけなのだと。ヴィントの主張は過激ながらも確実にジンの胸を打ち貫いていく。

 それでもめげずに、今も彼女は必死に反論している。苦しみながら、抗いながら――役立たずのジン・シュナイダーの代わりに、一人で戦っている。


「な、んで……」


 ――なんで、僕をかばうんだ。


 ユリスの行動は無駄だらけだ。試合前、彼女はなるべく魔力を温存できるような戦闘をしたいとたしかに語っていた。それなのに今や全力だ。とてもセーブしているようには思えない。


「負けない……こんなところで! こんな奴に! 負けられるはずがないっ!」


 そう言って戦う彼女は、ヴィントが突きつけてくる理屈を跳ね返すべく意地になっているようにしか見えなかった。

 やめてくれ、無駄だ。そんなことに意味はない。

 ジンは違う、彼は頑張ってる――そんな彼女の言葉の一つ一つが、逆に少年の心を締め上げていく。


 突然、全身に震えが走った。

 今、この姿は何万という人々に見られている。観客たちはこんな情けない姿の自分を見て、一体何を思うのだろう――そう考えた途端、まるで目の前が真っ暗になったような錯覚に陥った。

「本当だ、頼りっぱなしじゃねえか」「あいつ、何もしてないよな」「ちょっと恥ずかしいわね」「男なら意地見せろよ!」――と。あるわけでもない言葉が勝手に脳内に生み出されていく。

 そして、そんな観客達の中には……(エイジ)もいる。


 ――そうか。僕はこんな醜態を晒していたのか。


 恥ずかしくて闘技場に出てくることすらできないと言った彼の言葉が、今になって効いてきたようだった。

 もっと強ければ。勇ましく戦えれば――それこそ、一回戦でハザマ団長が見せたような気合があれば。

 自分にだって何かできたかもしれないのに。


「ぅ……ぐ……あああああああああああああああああああああああっっ!!!!」


 ジンは、何かに駆り立てられるように悲鳴にも似た叫び声を上げながら無理な突貫をする。


自棄ヤケ、か。まあ、お似合いの末路だな」


 女に守ってもらって、かばってもらって、恥ずかしくないかだって?


 ――恥ずかしいに決まってるだろ。分かってるんだ、そんなことは。それでもどうにもならないから、僕はこうして新たな世界に来てもズルズルやってるんじゃないか。今更指摘されたって、すぐに変わるもんじゃない。そんなことは、分かってるんだよ……。


 一緒に進んでいこうと、泥だらけになりながら進んでいこうと、そう決めたのに。結局自分だけが取り残されて、彼女は先に行ってしまった。

 少しは自信がついたと思ったが、どうやら一時のまやかしだったようだ。勝利の美酒に酔っていただけだったらしい。

 結局ジン・シュナイダーの本質は常に変わっていない。あれこれ考えて、こうなりたいという自分を持っていても……それになるための力が足りない。

 行動力を持っているユリスに頼ることしかできない、哀れな存在なのだと。


 ――きっと今の僕を見たら、彼女はあの頃のように怒るのだろうな。


 ウジウジしている男が嫌いだと彼女は公言していた。それってまさに今の自分のことじゃないかと、ジンは乾いた笑いを漏らした。

 でも、ジンは本質的にそういう人間だから、変えることなんてできないのだ。


「ああ……だがそれに比べて! やっぱりてめえは面白い、ユリス・ユースティア! もちろんオレほどじゃあないが実力もある!」


 もはやジンのことは眼中にないらしいヴィントは、ユリスに向き直り暴風雨を叩きつける。


「いいぜ、強い奴は好きだ……見せてくれ、感じさせてくれよ。なあ、まだやれるだろう? これで終わりじゃないよなあッ」


 苛烈さを増していくヴィントの天災。

 天の理を持つ男と、地の理を持つ少女。ぶつかりあうさまは、まるで神話の大戦のようで。

 大嵐。霞む視界。それでも強い意志を感じさせる彼女の横顔だけは、鮮明に描き出されていて。

 雨の雫か、それとも別の何かか……目尻に溜まっていたそれが一筋頬を伝っていくのを、ジンは実感した。


「ククク…………クハハハハハハハハハハハッ!」


 その時。


「やはり。やはりな。オレの見立ては間違ってなかった。てめえはこの大会に出てる女の中でも最上位だ。クク、ヒハハハ……ああ、ノるぜ。最高にノれる」


 突然ヴィントが高笑いを始めた。

 防戦一方だったユリスは、突然攻撃の手が緩まって何事かと訝しげな視線を向ける。


「意志も! 才能も! 力も! 全てがオレの基準を満たしている! オレの腹を満たしてくれるッ! そうだ、てめえみたいな奴に会いたかったんだよオレはァッ!」


 そして突然ピタリ、と動きを止める。

 それに合わせて雨すらも止み、完全なる静寂が訪れる。


「はあァ…………ァ」


 カクン、と上半身を前に倒したヴィント。その不気味な立ち姿に、言いようのない不安と霧のようにぼやけた焦燥感が募っていく。

 何を言い出すのか、何をする気なのか。

 この場にいる全ての人間の視線が、彼に集っている。


 そして。


 そして放たれた、その言葉は。


 ジンの抱えていたちっぽけな誇りを粉々に打ち砕くに足る力を持っていた。


















「オレの女になれよ」










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