第073話 回想/目立ちたがり屋と天才少年
これはハザマの少年時代。彼のもとにアトラが訪れるという事件が起きる、ほんの少し前のお話だ。
ハザマ・アルゴノートは喧嘩っ早い少年だった。
エストランティア城下町の治安は非常に良かったが、今とはまるっきり正反対だったハザマは、何かとイチャモンをつけて誰かを攻撃したり、仲間内での上下関係をはっきりさせるために拳を振るったりと、かなり荒れていた。
ハザマ生来の気質がそうさせるものであって、そこに特別な理由はなかった。強いて言うならば、彼は目立ちたがりだった。
強く在ればみんなは注目してくれる。羨望の眼差しでこちらを見てくれる。その瞬間が、たまらなく心地よかった。
ハザマは安定した地位を築いていた。子供達のグループでハザマに敵う者はおらず、必ず物事の中心にハザマ・アルゴノートの名があった。
しかし、そんな地位が脅かされる事件が起きた。
ある日。子供達の前に、一人の『少年』が現れた。
「初めまして。ボクの名はアザミ。アザミ・フィーレンナイト。つい最近、ここに引っ越してきたんだ」
アザミと名乗った少年は、奇しくもハザマと同じ赤髪で、しかし彼とは対照的にとても艶のある指通りの良さそうな長髪を後ろで一つに束ねていた。
身なりも一目で裕福な家庭だと分かる高級そうな衣服で、『お坊っちゃま』という言葉が似合う中性的な美少年だった。
優しげで人の良さそうな笑みを浮かべる少年は、まだ幼さやあどけなさを残しつつも、既に完成された造形と言っても過言ではなかった。傷の多いハザマの顔よりも、彼の方が異性からの受けがいいだろうと容易に想像ができる。
「……?」
初めて見る顔だった。
子供たちはそんな少年を見て、訝しげな表情を浮かべるばかりだった。この溜まり場は、こんな金持ちの息子が来るような場所じゃない。大方、いじめられないように前もって仲間に入れて欲しいとでも言いに来たのだろうと、皆がそう考えた。
だが、そんな彼から放たれた挨拶代わりの一言は、そこにいた子供たちの誰もが想像だにしなかったものだった。
「この中で、一番強いのは誰かな?」
最初、その単純な言葉の意味を理解できるものは一人もいなかった。
なぜこんな線の細い少年からその言葉が出てきたのか、ギャップが大きすぎて理解が及ばなかったのだ。
しかし、アザミの表情を見る限り冗談を言っているわけでもなさそうだ。子供たちは次第に冷静さを取り戻して、自分たちのボスに目を向けた。
「────何の用だ、てめェ」
ハザマは、突然の無遠慮な来客相手にわずかな苛立ちを見せながら歩み出た。誰もそれに文句を言うことはない。ここにいる子供たち全員が認めるリーダーだった。
そんなハザマ相手に、しかし少年は物怖じすることもなく笑顔でさらなる爆弾を投じた。
「ボクと戦ってくれないかな? 方法は任せるよ。運が絡まず、白黒はっきりする勝負ならなんでもいいからさ」
挑発するようなその態度に、ハザマはもはや躊躇うこともなく拳を握りしめた。そして、何の予告もなくいきなり殴りかかった。
「お、喧嘩かい? ──ボクとしてもそれがいい。一番分かりやすいからね」
その拳を、少年はまるで風に揺れる柳のように避けた。
「──っ!?」
子供たちの間にわずかな戦慄が走った。
あんな不意を突くような一撃で、全く身構えていなかったアザミが、なぜ拳を避けられたのか。それが全く分からなかったからだ。
とは言うものの、実際はフラついたと言った方が正しいような動き方だった。もしかしたらまぐれか、と誰もが思った。完全に当たると思って振った拳が空を切って、たたらを踏んでいたハザマも同じくそう思った。
「ゴホッ、ゲホッ……ごめんごめん。ボク、体が弱くてね。でも気にしないでくれ。それを言い訳にしたりしないから」
ようやく身構えたものの、その少年の立ち姿はあまりにも貧弱だった。小枝のように折れそうな細い腕といい、殴ればどこまでも吹っ飛んでいきそうな体といい、子供達にはどこにもハザマに勝てる要素は見当たらなかった。
ただ唯一、『眼』だけは──獲物を捕らえる肉食動物のように爛々と輝いていた。
☆★☆
惨敗だった。
地面に転がったハザマは、なぜ自分が青空を見上げているのかも理解できないまま呆然としていた。
「ありがとう。君と戦ったことで、ボクはまた一つ自分の強さを再確認できた。ボクは弱くない。ここにいる誰よりも強い。嬉しいな、また一つ証明ができた。これでお母様も納得してくれるかな」
何やら奴が訳の分からないことを喚いているが、今のハザマには何も理解できなかった。
「ゴホッ……っ、とりあえず今日は帰るよ。でもまた来るから、その時は是非また『遊んで』ね」
口元を押さえながら、しかし笑みを浮かべて去っていく少年。子供たちはまるで狐につままれたような表情を浮かべて、その背中を目で追っていた。
そして、ハザマは。
「……──」
突如として現れた嵐のような少年、アザミ・フィーレンナイト。
「……ンの野郎」
ハザマにとって、その敗北は最も屈辱的なもので。
「ぶっ殺してやるッッッッ!!!!!!!!」
これまで築き上げた地位を一瞬にして壊される、最悪の負け方だった。
「「「こ、殺すって…………」」」
未だかつてない荒れ具合に、仲間たちは戦々恐々としながら、ぶっ倒れたハザマから一歩身を引いた。
☆★☆
次の日も、その次の日も、アザミは同じ時間同じ場所に現れた。そして、『勝負』を行なっていった。
種目はステゴロだけでなく、鬼ごっこやかくれんぼ、チャンバラにだるまさんがころんだといった定番ジャンルから、果ては河原での魚釣りや四葉のクローバー探しまで、とにかくなんでも行った。しかし、アザミにそれらの勝負で勝てるものはいなかった。少年は、異常とも言えるほどの強さを誇っていた。
最初は謎めいているアザミを警戒していた子供たちだったが、彼の人の良さも相まってすぐに打ち解けた。アザミはとにかく強くて優しい。みんなからの人気者になる条件を完全に満たしていた彼は、『ハザマの部下』を次々と傘下に収めた。それほどの時をかけずに、この一帯のリーダーはアザミに変わった、という共通認識が生まれていった。
「んぎぎぎぎ……ぎぎぎぎぎぎぎががががががぎ!!!!」
もちろん、それをよく思わないのはハザマだ。
ハザマは居場所を奪われた。もちろんだからといっていじめられるわけではない。ハザマは、アザミを除けば誰よりも強い。そこは変わっていないのだ。
ただ、一位ではなくなっただけ。
子供にとって、一位かどうかは重要だ。『最強』だとか『無敵』だとか、そんな言葉が大好きなお年頃である少年たちにとって、二番目に強い男に興味はない。
「もっぺん戦えェッ!! この野郎!!」
ハザマは何度だって戦いを挑んだ。アザミはそれを全て受けた。しかし、どれだけやっても勝てないのだ。まるで魔法でも使っているかのようにアザミが勝利を掴んでいく。
周りの子供たちも、あまりの執念に笑いを漏らし始めた。負けると分かっているのに挑みに行くハザマ。それを懲りずに返り討ちにするアザミ。いつしか二人の戦いは名物になり、それまでハザマを怖がっていて近寄ってこなかった子供たちも仲間入りしてみんなで笑い合う日々が始まった。
かつてのハザマならば、笑い者にされたというだけで頭に血を登らせて殴りかかっていただろう。しかし、今の彼にとってはどうでもよかった。そんな苛立ちをはるかに超える敵が目の前にいたからだ。
またある日、ハザマは腕相撲で勝負しようと持ちかけた。いつも通り軽快に笑って承諾し、コテンパンに叩きのめして来るのだろうと思ったのだが、違った。
「う、腕相撲か……うーん……」
なぜかアザミは渋った。腕相撲だと何か都合が悪いのか? 完全無欠たるアザミに隙など存在しないのではなかったか、と首をひねる。
「アザミ、今日も頼むぜー!」「今日こそは諦めてくれるといいなー!」「頑張ってー! アザミくーん!」「いけー!」「頑張れー!」
子供たちの声援もいつも通り。アザミはそれに押されるようにして、木箱の前に立った。
「……」
「あ……?」
やはり表情が優れない。まさか、体調でも悪いのか。だがかつて彼は、「体が弱いことを言い訳にしない」と言っていた。それに今日もこの溜まり場に来ている以上、戦うことになるのは分かっていたはずだ。ならば──迷う必要なし! 今日こそ全身全霊でブチのめす! 死ね、アザミ! と内心喚き散らしながら、ハザマは構えた。
調子の良い少年がレフェリーを買って出る。二人は向かい合い、腕を組み合わせて位置についた。そして──
☆★☆
勝った。
あまりにあっけない勝利だった。
腕相撲会場にはどよめきが広がっていた。まるで隕石が落ちてきたかのような騒ぎだった。
あのアザミが負けた、150連勝がついに途絶えた、声だけ番長のハザマに負けた、明日は雪が降るぞ、きっと調子が悪かったんだ、そうに違いない、だって無敵のアザミが、最強のアザミが──。
子供たちは口々に噂した。こんなのはきっと偶然だ。何かの間違いだと。しかし、そうは言いつつも子供達だってバカじゃない。腕相撲に運なんて存在しないことは、誰もが分かっていた。
「はは……負けちゃった、か。そうか……こればっかりは、どうにもならないか……」
アザミが「負けた」と口にしたことで、さらなるどよめきが広がる。本当に負けたのだと、改めて皆が理解した。
「ごめん。今日のところは帰るよ。……ゴホ、ゲホッ、また明日」
アザミは長い前髪で表情を隠し、困惑する子供たちを残して足早にその場を去った。
皆が状況を理解できずに首を傾げる。
──しかしただ一人、ハザマだけが無言でその背中を追いかけた。
☆★☆
「おいッ!」
その決着に一番納得がいかないのは、他の誰でもないハザマだった。
「待てやゴラァ!!!!」
呼び止めたその背中は、いつにも増して弱々しかった。
「テメェッ! どういうことだよさっきの腕相撲はッ!」
ハザマは、誰よりも自分の勝利が信じられなかった。これまでありとあらゆる勝負をしてきて、自分が勝てそうな気配は全くなかった。100回以上戦った。偶然なんて言葉では片付けられない。この勝負だけ明確におかしかった。
「ンの野郎、まさか手ェ抜いたんじゃねえだろ──」
だからハザマは、もう戦うのに飽きたアザミが勝たせてくれたんじゃないかと疑った。
「──────」
しかし、次の瞬間その考えは霧散することになった。
「ひぅ……っ、んぇ、ゔえぇ……っ」
「なっ……」
少年は泣いていた。女の子みたいな情けない声を漏らして、顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。
「は……?」
はじめに困惑があった。なぜたった一回負けたくらいで泣いているのか、ハザマには理解できなかった。
「何、泣いてんだよ」
そして、次第に怒りに変わった。
「テメェが! なんで泣いてんだよッ! たった一回負けたぐらいで、生まれたばかりのガキみてェにわんわん喚いてんじゃねェぞッッ!!!!」
胸ぐらを掴み上げて、ハザマは叫んだ。
「ふざけんなよクソが! 何百と負けた俺がッ! お前に負け続けた俺がッ!! どれだけ悔しかったと思ってやがる!! バカにしてんのかゴラァッッ!!!!」
まくし立てるハザマに対して、少年はしかし涙を流しながらも黙るばかりだった。
「……言い返せよ」
余計に、怒りが募った。
「文句があるなら言い返せよッ!! ンだよその目は! 言いたいことがあるなら言いやがれ! 反論があるならぶつけてこいッ! ずっと黙ってちゃ! 何も! 分かんねェんだよッ!!」
感情に身を任せるままに、ハザマは掴んだ胸ぐらを思い切り引き寄せて頭突きをブチかました。
「ぁ、ぐぅ……っ」
思い切り脳天に一撃を食らったアザミは軽々と吹っ飛んでいった。ハザマ相手に150連勝を記録した少年と同一人物とは、とても思えない姿だった。
「……」
生まれたての子鹿のように震えながら、アザミは身体を起こす。眉間から血が流れており、仕立てのいい服も汚れて台無しだった。
「ボクに、だって……」
しかし、アザミはもはやそんなこと全く気にしていなかった。
「ボクにだって! 事情はあるんだよッッ!!!!」
あれだけ温厚だった彼が、涙を目一杯に貯めながら、吠えたのだ。
「何知らないくせにッ!! たった数百戦ったくらいで知った気になって!! 別にいいだろッ、泣いたって!!」
そしてお返しとばかりに、ハザマに全力で頭突きをし返した。
「ガ、ァ……」
しかし、力のないアザミの頭突きはハザマを倒すには至らない。ただハザマの眉間を赤く腫れさせるのみ。
「痛えんだよクソがッ!!」
「んぐあっ、う……うううううっ!」
何度ぶっ飛ばされようと、アザミは懲りずに立ち上がる。いつのまにか立場は逆転していた。
無策に突っ込んでくるアザミを、ハザマが叩き落とす。華麗に攻撃を避けていたあの頃のアザミとは思えない、乱暴なやり方だった。
「クッソおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」
「オラァあああああああああああああああああああああああッッ!!!!」
そんな泥仕合が、延々と続いていった──
☆★☆
少年は、いつかと同じ青空を見上げていた。あの時とは違うのは、倒れているのが二人だということだった。
路地裏での乱闘の果てに二人は力尽きて倒れ、家と家の隙間から垣間見える入道雲をただぼんやりと眺めている。鳥の鳴き声だけがこだまして、二人の間には妙な沈黙が流れていた。
「……なあ」
そんな静寂を断ち切ったのは、ハザマの問いかけだった。
「なんでそんなに勝負にこだわンだよ」
思えば最初から疑問だった。身体が弱い彼は、側から見てもとても荒事向きとは思えない。そんな彼がわざわざ「一番強い相手」を求めてやってきて、倒すなんて。
アザミは、目立ちたいとかグループのリーダーになりたいとか、そういった願いは持っていないようだった。だからこそ分からなかった。彼が勝負にこだわる理由。たった一敗しただけで、涙を流す理由が。
「…………」
アザミは少し躊躇ったそぶりを見せたが、やがて答えた。
「ボクは『先天性マナ過敏症』っていう病気でね」
身体を起こし、壁に身を寄りかからせて少年は寂しそうに笑った。
「生まれつき大気中に漂うマナに影響を受けやすいんだ。長い間外気に触れ続けているとめまいや吐き気がしたり、調子が悪いと倒れたりする」
(だから……いつもすぐに帰るのか……)
それを聞いて納得する部分も多々あった。アザミは、ふらりとたまり場に顔を出してはすぐに帰ってしまうのである。それも、マナ過敏症の話を聞けば納得だった。
「まあ、そんな病気のおかげでボクは他人の感情が読めたり、居場所が分かったりするんだけどね」
「なッ、そういうことかよ……!!」
マナ過敏症は、言い換えれば大気中の微弱なマナにすら反応できてしまうほどにマナに対する感度が高いということだ。マナの流れる有機物であればなんだろうと、目を閉じていてもアザミは居場所を察知できるしある程度感情や行動も読み取ることができる。
――鬼ごっこ。かくれんぼ。チャンバラ。だるまさんがころんだ。魚釣り。四葉のクローバー探し。すべてそうだった。アザミはまるで背中に目がついているかのような、あるいは最初から答えが分かっているかのような優雅な動きでハザマを圧倒したのは、そういうカラクリだった。
では、腕相撲は。
腕相撲に、駆け引きなんて存在しない。決められた状態からスタートし、ただ腕力を競うだけの単純な勝負。アザミの腕力は、その細腕通りに平均以下だ。アザミが渋い顔をした理由も、そのまま順当に敗北した理由も、そういうわけだった。
「前置きが長くなったね。ボクが勝負にこだわる理由……だったよね」
自嘲気味の笑みを浮かべるアザミ。ハザマは無言で続く言葉を待った。
「自分で言うのもおかしいけれど、ボクは裕福な家庭に生まれて、恵まれた環境で育った。やりたいことは全部やらせてもらえたし、不満はなかった。ただ一点、この病に関すること以外はね」
アザミの両親は、有り体に言えば過保護だった。『先天性マナ過敏症』という珍しい病を抱えた息子を大切に思うあまり、部屋を改造して外気を取り込まないようにしたり、毎日のように医者を呼んで経過を診させたりした。
「ボクは、それがたまらなく嫌だった。なんで特別扱いするんだって思った。みんなと同じように接してほしかった。もちろん、それが優しさからくるものだっていうことは理解してたよ。だからボクは別に、両親が嫌いなわけじゃないんだ。ただ、そうやって守られなきゃ生きられない『弱い自分』が大嫌いだった」
だから強さを証明する必要があった。自分は一人で生きていける。誰に守られずともやっていけると、親に証明する必要があった。
「……ボクは君を利用したんだ。自分の強さを証明するための相手として、都合よく利用した。あんな力を使ってね。……卑怯だと笑ってくれていいよ」
「……」
たった一度の敗北。しかし、それがアザミにとってどれだけ重いものだったのかを少年は理解した。
腕相撲なんていうちょっとした勝負。しかしそれは、無常にも彼の持つ真の姿――本質的な『弱さ』を露呈させるものだった。
負けて悔しい、なんていう単純な感情じゃない。目を背けて、隠していた本質がさらけ出されることは、彼にとって何よりも『痛い』ことなのだと。
それが分かったから。
――だから、ハザマは。
「……ざけんじゃねェぞ」
怒りをあらわにした。
「調子に乗ってんじゃねえぞてめェ。俺を利用したって? 何様のつもりだよ。俺は、俺が戦いたいから戦ったんだ! 俺の意志を勝手にお前のものにするんじゃねェ!! そして――俺が弱いから負けたんだッッ!!!!」
「――っ、」
「力を使うことが卑怯? 笑わせんな」
一拍置いて。ハザマは言った。
「それはお前の力だろうが」
「…………え?」
「体調が悪くなるか知らんけどよ。その代償を背負って得た力なんだろうが。じゃあそれは紛れもなくお前のもんで、卑怯だと笑われる筋合いは一切ねえだろ」
「…………そうなの?」
「は!? そうだろ普通に考えて! お前バカか?」
「ば、バカじゃない! ボクだって、ずっといろいろ考えてきて……それで……それでっ」
「おい!! なんでまた泣き出すんだよ!」
「うるさい! 黙れ! ばか!」
「アァ? バカって言う方がバカなんだよッ!」
そうしてふたたび始まる取っ組み合い。彼らはやはり、子供だった。
「……」
「……」
しばらくして、ふと我に返る。俺たちは一体何をしているんだろうと。
「……ぶふっ」
「くくっ」
どちらともなく笑えてきて。なんとなくおかしかった。
「何してんだろうな、俺たち」
「……ああ、まったくだよ」
☆★☆
アザミは腕のいい医師を探して家族とともにあちこちを転々としているらしい。エストランティア城下町に引っ越してきたのもそれが理由だった。
ハザマは、フラフラのアザミの肩を担いで彼の家まで送っていた。さすがに長い間外に居すぎた。アザミは息も荒く、少し熱もあるようだった。
犬猿の仲なんて言っている場合ではない。ハザマはアザミに自宅の場所を聞き出し、律儀に送り届けようとしていた。
そんな道すがら、ハザマはアザミからいろいろな話を聞いた。
マナ過敏症の治療は非常に長い期間がかかるということ。一朝一夕でどうにかなるものではなく、そこに焦りがあったアザミは、強さを求めたということ。
「いろいろあんだな、お前も」
「……まあね」
やがてアザミの家につく。やはり大きな家だ。ひと目で裕福と分かる。一庶民でしかないハザマからすれば想像もつかない世界だ。
「アザミちゃんっ!」
物音を聞きつけたのか、突然ドアが開いて婦人が出てくる。どうやらあの人がアザミの母親らしい。
「なっ、どうしたのその格好は……ッ!?」
アザミは泥まみれ、傷だらけで見るも無残な姿だった。そんなものを見た親がどんな反応をするか、ましてや『過保護』な彼の親ならば――
「何あなた!? 最近アザミちゃんが家を抜け出しているって話は聞いていたけれど……まさかあなたがこれを!?」
予定調和のように、母親は同じく泥だらけなハザマを見てヒステリックを起こした。
「ち、違うんですお母様! 彼は関係なくて……」
「ああ、違わねえだろ。俺がお前をボコした」
「ちょっと!! 黙っててよ!!」
「やっぱり!! その薄汚い手を離しなさいッ!」
ハザマからひったくるようにアザミを奪い取る母親。もちろん、こんなことを言われて黙っているハザマではない――しかし、彼はただ怒るのではなかった。
「アザミ。お前の気持ちがよく分かったぜ。こんなこと言われちゃ――見返したくもなる!」
――ニヤリ、と笑ったのだ。
「……なあ、アザミ。こういうのはどうだ?」
ハザマはある提案をした。
「俺が世界一強くなって、頂点で待っててやるよ。そのなんたらって病気治して、そしたら俺ともう一度戦え。最強の男と戦ったって言えば、もう誰も文句なんて言わねえだろ」
「……? ……???」
まるで状況を理解できない母親は困惑に眉をひそめることしかできない。
当たり前だ。息子の真意も理解していない母親に、分かるはずがないのだ。
その約束を理解できるのは――――拳を交わした、その少年だけなのだから。
「…………そして君を倒して、ボクが最強になるんだね」
「舐めた口聞いてんじゃねえぞゴラ」
「150連敗したくせに」
「うるせえ」
それは漠然とした未来図だった。その未来図に明確な方向性をもたせる事件が起きるのは、もう少し先の話だ。
母親に手を引かれ、家に連れて行かれる少年の背中。
あれほどまでに強い少年が、ただ病気だからという理由で不当に扱われる世界。本人がそう望んでいるのに、持っている才能を発揮できない世の中の理不尽。
目立ちたがり屋な彼だからこそ、アザミの苦悩を正面から受け止める。そして、「頂点で彼を待つ」などという突飛にも程がある発想が出てくるのだ。
「…………治す。必ず治すよ。それまで待っていてくれるかい?」
「ジジイになっても懲りずに待っててやるよ。なにせ、俺は諦めが悪いからな!」
「……そっか」
二人、ただ頷き意志を確認し合う。
「……じゃあな」
そしてハザマは背を向け、その場をあとにした。それ以上言葉を交わす必要はないと感じたからだ。
――それは子供の頃のちょっとした口約束に過ぎないかもしれない。しかし彼らにとっては何よりも大切で、かけがえのない支柱となる思い出だった。
別に友達だと確認し合ったわけじゃない。だが二人は、その時にはもう疑いようもなく親友だった。
☆★☆
だからこそ。
だからこそ、負けられない。
『世界一の剣士になる』。親友との約束を果たすために、彼は頂点を目指す。
青空。あの日も見た入道雲。
そして360度の大歓声。
燃える、燃える、燃える。心が熱く滾る。天に座する太陽の如く。
ああ、心地いい。目立ちたがりなハザマにとって、この舞台はまさに僥倖。何万人という観衆がハザマを見ている。みんなが注目している。
「悪いな――俺は目立ちたがりなんだよ。だから、どんな野郎が相手だろうと負けてなんていられねえ」
負けられない。負けたくない。
強さを誇示するために。
いずれ頂点に立つために。
そして青年は――
大剣を構え。
胸に拳を突き当てて。
あの日の約束を胸に、天に向かって吠えた。
「俺の名前はハザマっ! ハザマ・アルゴノートッ! 星天旅団の暴れ馬、燃える流星、赤き閃光ォ! 俺の剣は全てを断ち斬る! 俺の魂は全てを燃やし尽くすッ! そして、俺はァッ――――――」
――その日は、風が強く吹いていた。
そして。
「俺はッ!! 世界一の剣士になる、男だァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!!!!!」
そんな風を忘れさせるくらいに、暑く――
熱く、太陽が輝いていた。




