第071話 幕間(後編)/その竜狼は六つの刀を背負い
計画に修正が加えられて、会議は解散となる。
『影』は霧散し、実際にこの場にいる者たちのみが残される。さらに長と側近が大霊杯の封印解除に戻ったことで、ゾロア、シャルティア、ルインフォードのみとなった。
グリムガルドの後を追うように、竜狼も踵を返そうとしたが──そこを呼び止める声があった。
「ルインフォード。お前に聞きたいことがある」
ゾロアだ。本来は犬猿の仲である彼がルインフォードに用とは、これは相当のことだ。流石の竜狼も足を止め、要件を問う。
「お前は、アンドウ・エイジに敗北したよな」
「──何だ。貴様の戯言に付き合っている暇はないぞ」
また嫌味でも言う気なのかと切って捨てようと思ったものの、
「違う。今回ばかりは真面目な話だ」
「ゾロアが真面目な話をしているところなんて見たことがありませんのよ」
「シャルティアは黙ってろォ! 解剖してやろうかァ!?」
「まあ、野蛮なこと。お兄様ぁっ、あの腐れニシキヘビがわたくしをいじめてきますわっ」
「……」
どれだけ瞳を潤ませても、こと竜狼に関しては無意味でしかない。
「要件を言え」
ルインフォードは引っ付こうとするシャルティアを払いのけて、手短に尋ねる。
「アンドウ・エイジについてだ。──いや、奴の近くにいる存在について、と言った方が正しいか」
それはアトラやハザマのことか、と聞き返そうとしたが、どうやら違う様子だ。ルインフォードは黙って言葉の続きを待った。
「私は今回の会議で意図的に伏せた事実がある。ルインフォード、お前『X』と聞いて心当たりはあるか?」
「『X』……? 知らん、そんなものは」
「なら、アンドウ・エイジの近くに妙な奴はいなかったか? 私たちの益になる情報を流すような輩だ」
「…………」
突然の質問に一瞬思考が止まったルインフォードだったが、言葉をよく咀嚼するうちに一つの答えにたどり着いた。
「妙かどうか、は知らんが……いた。己に、アンドウ・エイジの居場所を伝えに来た者が」
「ビンゴだ。やはり接触していたか」
ゾロアは納得がいった様子で頷いているが、ルインフォードには状況が理解できない。
「だが、奴はグリムガルドからの伝令だと名乗っていたぞ」
「ンなもん真っ赤な嘘だろうよ。なァに騙されてんだァ?」
「っ……」
つくづく癇に障る奴だ。ルインフォードは何度この男を斬ろうと思ったか分からない。百を超えてから数えるのをやめた。
「フードを被っていて、どうやっても顔が見えない。まるでそこにだけ靄がかかったように霞んで見える。声もどこかに反響しているかのように不安定で、男女の区別すらつかない。シルエットが人間で、小柄なことしか分からない。そんな『いかにも』な奴が、単なる伝令なわけがあるか?」
「……」
ルインフォードは命令を遵守することは得意であったが、自分で考えて行動することは苦手だった。とはいえ、伝令と敵の区別もつかないとは、詰めが甘すぎる。
「まあ、なぜか奴は本来『理想郷委員会』しか知り得ない情報も持っているからな」
そう。問題なのは、その人物──『X』が重要な情報を握っているということだ。
「私は自分で調べたのではなく、『X』からアンドウ・エイジに関する秘密を聞いたのだ」
ゾロアは、会議では伏せていた『X』という人物について語った。ゲーム『エストランティア・サーガ』の知識を持ち、セーブ&ロードで世界をやり直すという謎の力についてだ。
「ゲーム、ですか……。この円環大陸をめぐるお話が、他の世界では遊戯になっているというのは、にわかには信じがたいですわね」
流石に疑問が残るのか、横で話を聞いていたシャルティアも首を傾げた。
「けど、妙ですわ。話を聞く限り、その『X』という人物の目的が見えてきません」
「奴はアンドウ・エイジにとって不利益な行動をとっている。では『理想郷委員会』の味方なのかと言われれば……それもまだ確定ではない」
「力で脅して聞き出せばいいだろう。それが最も効率がいい」
「試したさ。だが、ダメだ。奴は私たちとは違う『次元』にいる」
「そんなに強いんですの?」
「強いか弱いか、じゃない。勝負にならない」
「なんだ、それは?」
ゾロアの言っている意味が理解できないルインフォードは思わず聞き返した。一般的な人類を遥かに超える力を持つ『理想郷委員会』のメンバーが、『勝負にならない』とまで言う相手とは、一体何なのか。
「さっきの会議を思い出せ。この城にいないメンバーは、実体を持たない『影』で会議に参加しただろう? 要は、その影に戦いを挑もうとしているようなものなんだ」
ゾロアが言うには、その者はまるでこちらの攻撃など『存在しなかった』かのようにその場に在り続けるのだという。ヴァナルガンド兄妹には想像もつかなかったが、人間的にはともかく実力は確かなゾロアがそう言うのだから間違いないのだろう。
「とにかく今言えるのは、奴は『倒せない』ということだ。まあ、私たちに攻撃する気もないようだがね」
大仰に肩をすくめるゾロア。
ゾロアの言う通り、確かにある意味『不死』よりも厄介だ。だからこそ、『X』が敵か味方か見極める必要があった。
「ここで、もう一つ重要なことがある」
ゾロアはさらに話を続けた。
「『X』という人物について、おそらくエイジ側も何の情報も得ていないということだ」
接触して得た情報をもとにゾロアは、『X』という人物は現状どちらの側にもついていないという根拠を示す。
「私がアンドウ・エイジに『揺さぶり』をかけた時、奴は思いっきり間抜けな面を晒していた。つまり、情報を流すような存在のことは想定していないということだ」
ゾロアの見立てはこうだ。
『X』は『理想郷委員会』にアンドウ・エイジの情報を流している。ゾロアとルインフォードが接触しているため、これは事実だ。
だが、おそらく『X』はエイジに『理想郷委員会』の情報は流していない。現状は推測だが、向こうが有利な行動をしてこないことからそう判断できる。
まとめると、「現状どちらの味方でもないが、どちらかといえば『理想郷委員会』寄り」となる。
「はっきりしませんわね。アンドウ・エイジを排除したいのではないのでしょうか? そうしたいのであれば、実力でどうにかできそうな気もしますけれど」
「あくまで私たちにアンドウ・エイジを倒してほしいのかもしれない。奴は、『これは負荷実験だ』と言っていたが……」
『理想郷委員会』が把握しているものでは、これまで『X』が行なった行動は、「ルインフォードにエイジたちの居場所を知らせる」「ゾロアにセーブ&ロードについて教える」の二つ。そこから『負荷実験』という言葉を考えると、『X』は何らかの理由でアンドウ・エイジに負荷をかけたいのかもしれない。
「『理想郷委員会』が奴を倒すことに意味があるのか、もしくは『X』が何らかの理由でエイジを倒せない状況にいるか」
「──いずれにせよ、グリムガルド様に報告するべきではないのか」
ルインフォードの懸念は、その不確定分子がグリムガルドの目的を阻むことだった。
「報告をしてどうする? 私たちでは倒せない相手がいます、どうにかしてくださいと泣きつくか?」
「いや……」
確かに、現状『理想郷委員会』に対抗手段はない。ゾロアとしては、向こうが何もしてこない限りこちらも手を出さないのが最も穏便に済むやり方だと考えていた。
「警戒は怠るな。奴に関する話もこの場限りとしておけ。『他の人間に話すな』と言われているからな」
「なっ!? それをわたくしたちに話したんですの!?」
「ハッハッハッ! 殺されるなら一緒に殺されてやろう!」
「ちょっと! 巻き込まないでくださいます!?」
☆★☆
今後も、ゾロアは独自に研究を続けるという。昔からこの男は『理想郷委員会』に対して協力的ではないが、不死の技術を提供したという点で在籍を許されているのだろう。ルインフォードからしてみれば組織における『癌』といったところだった。
「……シャルティア」
「はい! お呼びですの?」
再構築した肉体のリハビリもある程度済み、アンドウ・エイジの捜索に乗り出そうという時。
「聞きたいことがある」
「なんなりと!! 趣味は読書っ! 好きなお兄様はお兄様ッ!」
「勝手に答えるな」
寄ってきたシャルティアは「あうっ」と情けない声を上げて風に跳ね返された。
「お前……人間だった頃の記憶はあるのか?」
ルインフォードの疑問はそれだった。なぜシャルティアはルインフォードを兄と慕うのか?
乱れた髪をさっと直しながら、シャルティアは答える。
「いいえ。『理想郷委員会』で生前の記憶を持っているのは、オリジナルであるゾロアと長のグリムガルドのみですわ。ああ、あとそもそも『魔術的人工生命』ではないカドクラもそうですわね」
ということは、シャルティアの中にも『ルインフォード・ヴァナルガンド』という兄の存在はないはずだ。
「ですが……わたくしの中にある本能が叫ぶのです。お前の兄は『ルインフォード・ヴァナルガンド』であると。慕うべきはお兄様であると!」
「……感情論か」
「ええ、感情論ですわ。わたくしには、お兄様が血の繋がった本当の兄なのかどうかも分からない。でも、自分の出自について何も判断材料がないこの円環大陸で、信じられるのはそんな感情論だけなのです」
ルインフォードのような強い精神を持たない者にとっては、何か縋ることができる『柱』のようなものが必要なのかもしれない。
竜狼にとっては抱いたことのない感情だったが、理解できない感情ではなかった。
例えばそれは、外の大陸で『理想郷委員会』を送り出してくれた民の表情。突然空間が崩壊するという天変地異に見舞われて、大切な友人や家族、あるいは生きる場所すらも失われた人々の絶望に満ちた感情。そんな限界に近い精神を支えるのは、希望を取り戻すために戦う我々『理想郷委員会』の存在なのだと。
「あるいは、わたくしたちの素体となった人間の魂が、そう叫んでいるのかもしれませんわね」
「……」
ルインフォードは押し黙った。シャルティアが浮かべた優しげな表情が、なぜか胸の奥底をくすぐったからだ。
二人を『改造』したゾロアや、すべてを知るであろうグリムガルドに聞けば答えが得られるのかもしれない。しかし、『理想郷委員会』にはメンバーの過去を詮索しないという不文律があった。それに、ゾロアとは仲も良くない。あんな奴に自分たちの重要な過去を聞く気にはなれなかった。
「……アンドウ・エイジ」
しかし、一つの例外があった。
『理想郷委員会』の外にあって、おそらく『何か』を知る者。
それは組織の敵。本当であれば、最も信用ならない相手。
だが――。
――「『ゲーム』に携わった人も、そのプレイヤーも、みんなお前のことを蔑ろになんかしてない。敵キャラクターは、ただやられるためだけの存在なんかじゃない。敵にだって生きる意味があって、目的があって……魂がある」
ゾロアにかけられた言葉。ルインフォードはその全てを聞いたわけでないが、ゾロアから伝え聞く話だけでも、アンドウ・エイジがこの世界とそこに生きる人々を愛していることは明白であった。
その一点において、アンドウ・エイジには絶対の信頼が置けるのだ。奴が敵として立ちはだかる限り、その信念が曲がっていないことの証明となるのだから。
『敵だからこそ信頼できる』。ゾロアとの一件の際にも現れた、歪な関係性。
「――奴から直接聞き出す。己は一体何者なのか。そして、この世界は一体何なのか……それを知るために」
故に――
その竜狼は六つの刀を背負い。
「シャルティア。己に協力しろ」
「仰せのままに。どこまでもお供いたしますわ」
真実に至るため、歩みだした。
☆★☆
そして、現在。
「見ているんだろう、アンドウ・エイジ。貴様が連れてこいと言ったから連れてきてやったぞ──」
抜き放った刀の先に太陽の光を反射させ。
風に白い髪をなびかせて。
片割れの翼を背に備えた兄妹が、『舞台』に降り立った。
「――――さあ、己と戦え」
巻き上がる暴風。開かれる頁。
果てに吹く風は絶望の予兆か、あるいは真実へ誘う道標か。
『第258回ユースティア自治領武闘大会、20歳以下の部。一回戦第四試合、ハザマ・メイ組VSルインフォード・シャルティア組――試合開始!』
戦場に響く開戦の号令。
竜狼は因縁をその胸に宿し、立ちはだかる。




