第070話 幕間(前編)/その竜狼は行先を知るか
眼下に広がる城下町は、かつての活気が嘘のように静けさに包まれている。動く影は一つも見当たらない。路地を駆け回る子供も、市場を賑やかす夫人も、公園に憩う老夫婦の影も、全てが過去のものとなって一ヶ月近くが経過した。エストランティアを襲ったあの一件以降、街は時を止めたかのように放置されていた。
ルインフォードは、再生された体が本来の機能を取り戻すまで静かに耐え忍びつつ、ここで思案に明け暮れる日々を送っていた。
「……」
自分らが襲ったその街を見下ろしながら、城のテラスに佇むルインフォードは、柱に背を預けている。
『理想郷委員会』。魔導師グリムガルド・オーデングレイスの名の下に集った、我らが理想郷を取り戻すための組織。
ゾロアから技術提供されたという、不死者を人工的に生み出す技術によって『改造』された構成員『魔術的人工生命』──決して折れぬ七本の槍が、大義を果たすため確実に目的を完遂する。
ルインフォードは、『改造』されて初めての死を迎えたことで、その事実を聞かされた。力に溺れないため、そして目的を見失わないためにも、初の死を経験したタイミングで不死の事実を教えるのが通例らしい。
ルインフォードは魔術的人工生命となってから一年ほど。ついこの間埋まった最後の一枠を除けば、彼は新参者。蘇った際のゾロアから聞いた話では、不死の事実を知るのは最後となったようだ。
しかしそのような事実、ルインフォードにとっては瑣末なことであった。自分はただ槍としての役目を果たすのみ。一度折れた穂先だが、再び振るえると言うのなら迷わず手に取ろう。それが、命令を成し遂げられなかった自分にできる最大の償いとなると、そう考えてきた。
──ルインフォードはこれまで、誰よりも忠実に命令を遵守し、行動を起こしてきた。
自分が間違いを犯したとは思わない。眼下の街並みにも、なんら感慨は抱かない。街を襲えと言われればそうするし、グリムガルドは原則こういった命令はしないが──人を殺せと言われれば、そうする。一切の迷いなくだ。
『理想郷委員会』は正しい。グリムガルドが掲げる理想とは正義の御旗だ。その信頼に揺らぎはない。
では今、ルインフォードの思考を占拠するものは何か?
それはとある少年の、ふとした発言だった。
──次は妹のシャルティアあたりを連れて来るんだな。
アンドウ・エイジ。あの少年と、その仲間たちとの一戦。最終局面で、エイジが放った言葉だ。
それ自体には、全くおかしな点はない。なんてことない捨て台詞。
しかし、ルインフォードにとっては疑問の塊であった。
まず何よりも、ルインフォードの中には『シャルティア・ヴァナルガンド』などという妹がいたという記憶がない。もっと言えば、人間であった頃の記憶そのものが全くないのだ。
『理想郷委員会』には、『金星』シャルティア・ヴァナルガンドという少女が在籍している。ルインフォードとは反対の、左肩から翼を生やす少女だ。髪の色も同じく白、尖った耳の形状や爬虫類のように縦に割れた紅色の虹彩まで、全ての特徴が一致する。
しかしやはり、記憶にはない。シャルティアという少女に関する情報は、『改造』以後に限られている。
それに対して、当のシャルティア・ヴァナルガンドはルインフォードのことを『お兄様』と呼んではばからない。
今までは全く興味がなく、他人のことなど眼中になかった。どうでもいい人間が自分のことを何と呼ぼうが関係ないと、無視を貫き通してきた。
だが。
敗北があった。
初めての敗北だった。
ルインフォードはこれまで、自分が間違っていると思ったことはなかった。なぜなら、全てに勝利するからだ。
敗北とはつまり、ルインフォードが彼らに劣ったということだ。言い換えれば、ルインフォードのやり方は間違っていたということになる。
自分を見つめ直す──なんて、そんなセンチメンタルな気持ちを抱いたわけではないが。
それでもルインフォードは、考えを改める必要があった。
自分を下したあの少年は、『何か』を知っている。自分にまつわる何か、とても大切なことを。
アンドウ・エイジが知っていて、ルインフォード・ヴァナルガンドが知らないこと。それこそが勝敗を分けた『何か』なのではないかと、竜狼は考えた。
初めての敗北は、わずかだが竜狼の思考に変化をもたらしたのだ。
そして、その足がかりとなるのは──シャルティアだ。
(──連れてこいと言うのなら、お望み通りにしてやろう。そしてもう一度、闘争を)
初めて己の間違いを自覚した一匹の竜狼は、それを正すため戦いに赴く。記憶に存在しない妹、天筆とともに。
☆★☆
シャルティア・ヴァナルガンド。
ルインフォードと比べるとかなり小柄。ウェーブ気味の白髪にキャスケット帽。髪色とは対照的に、ダークトーンに纏められた西洋風の衣装。マントを羽織っており、知的な印象を受ける。
ルインフォードが訪れたのはエストランティア城、書庫。歴史書をはじめとして、エストランティア中から集められた貴重な書物、あるいは統計資料や報告書といったデータ類もこの場に集約されている。
そんな本の山の只中に、くだんの少女はいた。そのロケーションも相まって、まさしく司書のような出で立ちだ。
「──シャルティア」
中ほどの椅子に腰掛けて、神妙な面持ちでページをめくりながら何やら書き記していた少女が顔を上げる。かけていた眼鏡をすっと外してこちらに視線を向けると、すぐさま少女はパアッと表情を明るくした。
「お兄様っ! どうされたのですか? お、お兄様からわたくしに声をかけてくださるなんて、初めてのことでは……っ?♡」
一言名前を呼んだだけでなぜか目を潤ませる少女に、ルインフォードは「やはり一時の気の迷いか」と踵を返そうとする足をなんとか抑えた。
「お前に用があってここにきた。それ以外にないだろう」
「おっしゃる通りですわ! して、お兄様ほどの方がわたくしにどんなご用件ですの?」
「……」
ルインフォードは言葉に詰まった。
この世に敵なしと謳った竜狼であったが、ただ一人シャルティアだけは苦手としていた。
記憶にない『妹』。それだけではない。特に何をしたわけでもないのに好意的に接してくる上に、ベタベタとくっついてくる。触れば斬ると脅しても、「わたくし、お兄様に斬られるなら本望ですわ」と頬を赤らめるのみ。任務の邪魔をするようなら本当に斬ってしまおうかと思ったこともあるのだが、そういう時に限って大人しくしている。
まるで──好きなだけ甘えておきながら距離感は完全に把握している、本当の家族のように。
だから、ルインフォードはシャルティアが苦手だった。
しかしそうも言っていられない。ルインフォードは変わらなければならないのだ。そのきっかけとなるのがこの少女だというのなら、正面切って向き合う必要がある。
「──お前は、己の妹だと言ったな」
尋ねると、少女はビクリと跳ねた。
「え、ええ! そうですわ! 何度戯言と切り捨てられようと、わたくしはお兄様をお兄様と呼ぶことをやめるつもりはありませんのよっ」
実際何度も戯言と切り捨てられた経験から、強気な口調とは裏腹にシャルティアは生まれたての子鹿のように震えている。
ルインフォードは数秒思案し、口を開いた。
「──お前が己の妹だと知っている一般人がいた」
「……『一般人』ですの?『理想郷委員会』の幹部ではなく?」
シャルティアは首を傾げた。『理想郷委員会』のメンバーであれば、常日頃少女がお兄様お兄様と連呼しているのを聞いているし、二人の関係性について知っていてもおかしくない。
だが、一般人となれば話は別だ。この大陸で、ルインフォードとシャルティアの関係性を知る人間は一人もいないはず──
と、その時だった。
「「────」」
二人の脳内に電流が駆け抜けるような刺激が走った。
「これは……」
「招集、ですわね」
『理想郷委員会』幹部八名にのみ伝達される合図。長であるグリムガルドの呼びかけだ。
☆★☆
かつては皇帝や側近たちがそこに座ったのであろう──巨大な円卓には、現在九つの席が残されている。
薄暗がりの中、ルインフォードとシャルティアは自分の定位置に座る。
ほとんどの座席はまだ空席だったが、彼らよりも早く埋まっている席がひとつだけあった。
「……」
眉間をしわを寄せて貧乏ゆすりをしている、ボロボロの黒い外套を羽織った男──ゾロア・ブラッドロウだ。
「また死んだのか、貴様は」
「あァ? うるさいな。君に言われたくないよ、真っ先にやられたくせに」
「…………」
憎まれ口を叩かせればゾロアの右に出る者はいない。ルインフォードは苛立ちを覚えながらも、このようなやり取りに益はないと黙り込んだ。
そうして待つうちに、残りの座席にも次々とメンバーが集っていく。ただし実体はない。ジジジ、という雑音の後に、席に半透明のシルエットが浮かぶ。
幹部の多くは、現在円環大陸各地に飛んでいる。そのため、円卓に固着された魂を介して通信を行う形で招集に応じるのだ。
そして──静かに部屋のドアを開けて、入ってきた二人の男。ひょろ長い側近の男性と、この組織の主。
二人が席に着くことで、全ての椅子が埋まる────
水星の座、『蛇教者』ゾロア・ブラッドロウ。
「乳臭いガキが多すぎる。ちょっとは落ち着けないのか」
金星の座、『天筆』シャルティア・ヴァナルガンド。
「ここにいる者のほとんどが、生きてきた年数ならおじさんおばさんなんて次元はとっくに超えてますわ」
火星の座、『忠剣』マガツ・ムラマサ。
「元気なことはよいことですよ。活力のない老いぼれよりは幾分かマシでしょう」
木星の座、『竜狼』ルインフォード・ヴァナルガンド。
「……どうでもいい。さっさと始めろ」
土星の座、『忍狐』アカネ・エルフロント。
「…………」
天王星の座、『聖盾』アルテナ・アイギスフェルト。
「ゾロア! 私の方を見て言いましたね!? 私のことをガキと言いましたね!? 私は大人のレディですッ!」
海王星の座、『揺姫』ヴェルフレア・ローレライ。
「じ、自分でそれを言っちゃったら、だ、ダメなんじゃ、ないかなぁ……?」
冥王星の座、『人間』カドクラ。
「はいはい、みなさん始めますよ。お静かにー」
『理想郷委員会』──総勢九名、集結。
「みんな、突然の招集に応じてくれてありがとう」
いかにも優男といった様子の青年から放たれた声は、そのイメージに違わず棘がなく、しかし長というには少し頼りなさげなものだった。
「今回集まってもらったのは他でもない。俺たちの計画に『障害』が発生したからだ」
グリムガルドはルインフォード、ゾロアを順に見て、
「皇女捜索に向かってもらったルインフォード、及びマルギットでの『陣』敷設の任務に当たってもらっていたゾロアがやられた。アトラ・ファン・エストランティアは、何やら厄介な仲間を味方につけたらしい。立て続けに二件となれば、対策を練る必要がある」
組織の長は皆を見回す。
「アンドウ・エイジ。それが俺たちの『敵』の名だ」
告げられたのは、『理想郷委員会』の理想を阻む『悪』の名。
「いいか? まず、アンドウ・エイジは殺せない。理屈は不明だが、死ぬとその知識を持ってある一定の時間まで戻り、世界をやり直すことができる。そうだな、ゾロア?」
「ああ。私が接敵し情報を引き出した限りはそうだ。それ以上のことは分からん。死んだからな!」
「ありがとう。十分に貴重な情報だ。ってことで、その男がアトラを守っているらしいんだ。みんな、どうすればいいと思う?」
グリムガルドは命令を下すのではなく、幹部に意見を求めた。幹部たちは『ループ』の構造に対してさほど抵抗なく理解を示している。彼らも同じように不死の力を持っているからだ。
そんなグリムガルドの問いに真っ先に反応したのは、小柄な金髪少女、アルテナ・アイギスフェルトだった。
「アトラ共々、拘束するしかありません。死なれると知識を引き継がれるのであれば、『死なれないように拘束する』。我々に対しても有効なその手法が、そのままアンドウ・エイジにも当てはまるはずです」
追従するのは、つばの大きな魔女帽子を被った陰湿な見た目の女性、ヴェルフレアだ。
「で、でも、そう簡単に……捕まるとは……」
「そうだね。単純な戦闘能力で言えば、うちでも上位に位置するルインフォードがやられてる。生半可な戦力であれば、今後も返り討ちにされるだろうね。その間にも彼らはどんどん仲間を集めて、力をつけてしまう。時間が経てば経つほど、対処は困難になるんだ」
「で、ではどうすると言うのです!?」
「総攻撃だ」
グリムガルドが出した結論は単純明快だった。
「今各地で取りかかってもらっている『世界円』敷設を一旦中止する。俺の方で行なっている大霊杯の封印解除が終わらない限り、このラインは動かせないからね。先に鍵となるアトラを獲りにいく。同時にアンドウ・エイジを拘束し、無力化する。これでどうかな?」
「問題はどれだけの人員を動員できるか、ですな」
すっと手を挙げたマガツに皆の視線が集まる。
しわの多い手で、白く染まった髭を軽く撫でながら意見を出す。
「敵の現在地によりますが、我らは今大陸各地に散らばってしまっています。急遽集めるにしても、相応の時間はかかるでしょう」
「マガツ翁の言う通りだ。まずは敵の現在地を把握。その後、近い位置にいる幹部を集めて総攻撃をかける。ゾロア、敵の居場所は分からないか?」
「さあ。死んですぐこっちに戻ってきてるんだ、その後の行動は把握していない」
「だよな……。とりあえず、マルギットからの予測進路上を捜索するしかない。ルインフォード、頼めるか?」
「……御意」
もともとエイジと接触するつもりでいたルインフォードに否はない。しかし、懸念が一つあった。
これから始まろうとしているのは戦争だ。これでは、エイジから情報を引き出している場合ではなくなってしまう。
「発見次第、一旦こちらに連絡だ。そこでもう一度情報を共有して、攻撃を開始する。これで行こう」
指示を出し終えた長は、ふう、と一息吐いて背もたれに体重を預ける。
「シャルティア、エストランティアを覆う魔導防壁の展開はどんな調子かな?」
「九割は終えましたわ。これ以上手を加える必要はないかと」
「そうか。そうすると、手が空くな」
「ぜひっ、お兄様のお手伝いがしたいですわっ!」
「う、うん。分かった。そうしようか」
「やりましたわ!」
キラキラとした視線を兄に向ける妹。跳ね除けたいところであったが、今回はルインフォードも受け入れた。ルインフォードの考えには、シャルティアは必要だ。
「シャルティアさん。あまり浮かれてはいけませんよ」
釘を刺してくるのは、笑みを浮かべる謎多き男カドクラだ。
「今一度、我々の目的を思い出しましょう! 常に初心、常に軸を見失わないことです!」
「ああ、カドクラの言う通りだ」
拳を握り、グリムガルドが立ち上がる。
「この星は今、崩壊しつつある。皆も痛いほど理解している通り、円環大陸の外側は未知の崩壊現象によって生活もままならない不毛の大地と化した」
「原因は大霊杯です。神話に名高い伝説の『星天器』と言えば聞こえはいいですが、その正体とは大地からマナを根こそぎ奪い取って、円環大陸『だけ』を守るあまりに不平等な装置です」
「大霊杯を奪取する。それが叶わないのならば、せめて破壊だ。強制封印解除用の『世界円』は、まだ完成に程遠いけど……一刻も早く処理しなければならない。俺たちの大切な仲間が、向こうで待ってる。イグドレンシア帝国を守るため――そうだろう、みんな」
大きく頷く者もいれば、無言を貫く者もいる。しかしその目に宿る意志だけは統一されていた。
「世界を救えるのは俺たちだけだ」
啖呵を切った長に続き、側近であるカドクラが言葉を継ぐ。
「お優しい我らが主に代わり、私から皆さんに。これだけは徹底していただきたい」
『理想郷委員会』の頭脳であるカドクラは、皆に言い聞かせるようにはっきりと告げた。
「たとえ悪だと罵られようと切り捨てなさい。奪われ続けたあの絶望を、私たちは決して忘れてはいけない。全ては、我らが星を守るため──」
感情の読めない表情ながら、言葉は強く。
「──抵抗する者には容赦するな。これは生存競争だ」




