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RE/INCARNATER  作者: クロウ
第三幕 泥だらけの直感勇者
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第068話 月夜に花揺れて

 時は遡り二週間前。


 ジンとユリスが連れ立って特訓に消え、残された僕ら旅団の面々も大会に向けての準備を整えようということになった。

 結局チーム分けは抽選で(いたって公平な抽選である)『僕とアトラ』ペアと『ハザマとメイ』ペアとなったのだが、いざ訓練が始まるとここに一つの問題が生じた。


「……憑依ができない?」


 空き地を借りて特訓を始めて数十分。ミスティに相手役を頼み、模擬戦形式で練習をしていたところ、アトラが俯きがちにそう訴えてきた。


「ごめん……理由も分からなくて……」


 申し訳なさそうに悲しげな表情をするので、僕は慌てて気にしなくていいと伝えた。

 しかし、一体どういうことか。

 臨壊『名もなきあ(ネームレス・)なたに贈る詩(ラヴァーズ)』は、霊体化状態から憑依状態へ移行する能力だ。そこに使用制限などはなく、ゲーム内ではゲージさえ溜まっていれば確実に使えた。数値で動くものだから、失敗なんて存在しない。


「うーん……」


 この世界が単なるデータで構成されたものではないことは、既に理解している。だがそうなると、いよいよ理由も分からなくなってくる。


 ゲームにおける『臨壊ゲージ』は、マナとは異なる数値だ。ダメージを受ける、もしくは与えることでボルテージが高まるが如く蓄積される。この世界でもそれが適用されているかどうかは判断のしようがないが、これまで臨壊が用いられたシーンを振り返ってみると、おおよその法則性は同じと見える。

 すなわち、「非戦闘状態からいきなり臨壊を使うことはできない」だ。

 感情の高まりなのか、一定時間の戦闘行為なのか。分からないが、とにかく臨壊の行使にはこの世界における何かの条件がある。 それがアトラの問題に絡んでいるのかもしれない。


(グラフィカルに表示されないというだけで、ここまで厄介になるとは……)


 一番可能性が高いのは、アトラの心理的な要因だ。ゲームには一切存在せず、この世界にはあるもの。心の問題だ。

 とすると──


(僕のことが嫌いになった、とか……!?)


 まさか、そんなことはない……と思いたい。だが、『憑依』という仕組みを考えた時、憑依先の相手に心理的な嫌悪感を抱いていると失敗する、という理屈は自然な気がする。


「何も、心当たりはないんだよね?」

「……」


 試しに聞いてみても、アトラは俯くばかりで答えに窮しているようだった。

 なんだよ、その言いにくそうな表情は……。ますます不安になるだろう……。


「とりあえず今は、臨壊なしで戦う方法を模索するしかないな……。大丈夫、きっとなんとかなる!」

「そう……だね。うん、頑張ろう」


 だが、ここで足踏みしていては勝つ戦いも勝てなくなる。僕らには他にいくらだって戦術があるはずだ。磨く場所は臨壊だけじゃない。


 その一例として、まずアトラが強化したのは魔法だった。

 これまで『ボルテクス・レイ』一本で戦ってきた彼女だが、さすがにそろそろ力不足感も否めなくなってきた。


 ということで、まずは新技の特訓だ。

 得意属性である『雷』をさらに伸ばす。彼女がこの二週間で習得を目指すのは、雷系単体中級魔法『レボルティクス・アロー』。一撃の威力は『ボルテクス・レイ』に劣るものの、無動作での三連発が可能。問題点だった技の起こりや弾速も圧倒的に向上する。

 憑依がなくとも、これを習得するだけで大きな戦力アップが見込めるはずだ。


「……頑張らなくちゃ」


 よし、と握りこぶしを作って気合いを入れる少女。僕はその正面に立って、両手を広げた。


「来い!」

「え、エイジくんに撃つの?」

「もちろん、全部避けるよ。未来視の反応速度を上げる練習にもなる」

「な、なるほど……でも、全部避けられるのは、なんだか悔しいわね」

「まあ死にはしないし、当てられるものなら当ててくれても構わないけど」

「むう!」


 ちょっとした煽りに、アトラが頬を膨らませる。


「ほんとーに当てるからねっ!」


 腰に手を当てて立つ少女を見て、僕は頷く。

 ……うん。仲が悪くなった訳じゃない。

 きっとこれはちょっとしたすれ違いだ。きっかけさえあれば、すぐにでもいつもの僕らに戻れる。

 目の前にいるのは、十代の女の子だ。迷ったり悩んだりすることだってある。そしてそれは、僕も同じ。


「あとで文句言われても、受け付けないんだからっ!」


 少し伸びた金色の髪を風になびかせながら、アトラが杖を構えて魔力を高めていく。

 それに呼応するように、僕は両目に意識を集中し、未来を描き出す。


 だが、この眼には見えないものがある。

 彼女は今何を思い、何を考えているのだろう。それすらもこの眼で見通せたら──そう思いかけて、思考を断ち切った。


 分からないからこそいいものだってある。攻略本を読んで完璧に遊び尽くすのも良いものだが、僕が真に愛したのは手探りで進む暗中の旅路。

 僕の目の前にいるのは生身の人間だ。ゲームでは体験できない生のやり取りができる。それは、エストランティア・サーガを愛した者としてこれ以上ない幸福だと、今更ながら実感できた。


「よし、来いッ!」


 僕は気合を込めて声を張った。



 ──彼女のことを、もっと知りたい。



 そんな思いを、胸に秘めて。



☆★☆


「今頃せっせとイチャイチャしてるんでしょうね」

「ん? 誰が?」

「いえ、なんでもありませんよ。ハザマ様」


 厳正なる抽選の結果、残念ながら安藤影次はご用意できなかったためハザマと組むことになった機械仕掛けの少女は、若干の不機嫌さを隠すこともなく佇んでいた。

 こちらも別の空き地。二人がまず行うべきは、チームワークの形成だった。

 ちなみに、同じ場にルナとミスティも集まっている。後ほど模擬戦の相手をしてもらう算段なのだ。


「せっかく出るからにゃ、勝たんと面白くないわけだ! メイ、よろしくなあ!」

「よろしくお願いします。一緒にエイジ様とアトラ様のペアを叩き潰し、私たちの力を見せつけましょう」

「お前、なんか顔が怖くないか?」

「そんなことはありません。私はポーカーフェイスがチャームポイントですので」

「そ、そうか……」


 両手を頬に当ててむにむにと顔をいじるメイドに、男ハザマは一歩身を引くことしかできない。

 とはいえ、こんなところから足並みを乱していては、ユースティア武闘大会では通用しない。二人三脚で目指す頂点には、チームワークが不可欠だ。

 ということで二人はまず、互いを知るために能力を披露することにした。 


「月華流剣術──秋ノ型八番・『覇付はづき』」


「己に覇を付与する」と書いて覇付はづき。ハザマが使えば、得意属性たる『炎』が全身を包み込み、揺らめかせる。

 ハザマはかつて、竜狼との決戦の際に「自身の体を対象とした『三斬火サザンカ』」を放ったことがある。あれは反動を考慮しない捨て身の一撃で、ルインフォードに炎ごと吹き飛ばされなければ大事に至っていたかもしれない危険な行いだった。


 しかし、成長した今は違う。


『覇付』の習得により、肉体を薄い魔力で覆うことで火傷を防ぐ術を手に入れた。

 もはや彼が、自身の炎に焼かれることはない。

 目下の課題は、『三斬火サザンカ』のさらなる性能向上。タメ速度や、最大威力を伸ばすこと。手に入れた『覇付』の力を生かして、熱を上手く利用するのだ。


 次に、メイ。


「──『サモン=スペリオ』」


 彼女が操るのは召喚術。予め魔法陣を描いた場所に配置した物体を、瞬時に手元へ転送する。


「ただし、非生物に限ります。博士を突然転送してきたりはできません」


 研究所の倉庫にはありとあらゆる武器が保管されており、メイは状況に合わせてそれを使い分ける。ただし、その倉庫にレイノルド博士がいても飛ばすことはできないということだった。

 ちなみにどうでもいいが兵器群はレイノルドによって『魔導兵装群グレイハルコンMk-2』と名付けられている。

 それを聞いた傍観者のミスティがにしし、と笑って愉快げに体を揺らしている。


「突然あのじいさんが飛んできたらちょっと面白いですね」

「……『実践成功だ! わはは!』と言いながら飛んできそうな雰囲気は……確かにありますね」


 メイもそれに同意しつつ、銃の動作を確認する。


「武器は全て魔法銃です。私のマナを込めることで、四種類の弾丸を使い分けることができます」


 通常弾、誘導弾、爆裂弾、散弾に分かれて、それぞれ名前通りの性能を持っている。威力や効果は込めたマナに応じて変化する。

 メイは後衛職の中でもガンナー的な立ち回りを得意とする。前衛に攻撃が集中するユースティア武闘大会は、後衛が身の安全を確保しやすいので、ひたすら撃ちまくって火力を出せるという意味でメイにとっては相性が良い戦闘方法だった。


「合わせてみましょうか」

「おうよ!」


 模擬戦だ。ハザマ・メイペアVSルナ・ミスティペア。今回はルナが仮の前衛として戦闘を行う。

 四人が動き出す。メイも、本格的な対人戦は初めてなので感覚を掴もうと立ち回りを開始する。

 通常弾は直線的に飛んでいく弾丸だ。細かいオプションが存在しない代わりに弾速は最速を誇り、マナ効率がいい。主に牽制などに利用する。

 召喚したのは、かの有名なファンネル型の小型兵器が四つ。メイのマナによる遠隔操作で空中に浮かぶビットは、三次元的に敵を追い込む。

 加えて両手にはハンドガン。取り回しの良い二丁拳銃スタイルで自らも攻撃に参加する。総勢六ケ所からの多角射撃、これがメイ・グレイハーツの真骨頂だ。

 さらに。


『一斉射撃入ります。2、1――(ファイア)


 ハザマの耳に装着されたインカム。メイのマナによって編まれた音声を受信し、ハザマに伝える。情報力とはチーム戦には重要なファクターだ。


 常連選手のオルランド・セリカ組もある程度アクションを起こしたあとは必ず合流するような立ち回りをすることを意識していた。

 それは情報を共有して、行動に反映するためだ。息が合わないと個人の力を超えた戦闘は生まれない。


 メイは、情報をリアルタイムでハザマに送り届けることができる。これはおそらく参加者全体を見渡してもハザマ・メイ組のみが扱う技術だろう。

 メイの射撃に合わせてハザマが引く。その情報は相手には伝わらない。このアドバンテージは大きい。


「むっ……」


 ルナが練習用の木剣でファンネルの攻撃を叩き落としまくふのもだいぶ頭がおかしいのだが、それを超える勢いでメイの銃撃が叩き込まれていく。

 一基のファンネルにキィィィイイイイ、と光が収束していく。ルナがそれを察知するも、銃弾を防ぎながらでは対応が遅れて――


「なるほど」


 ルナの呟きと同時に放たれたのは爆裂弾。エネルギー効率は通常弾に劣り、チャージに多少の時間がかかるという短所はあるものの、着弾地点から半径0.5メートル程度の小爆発を起こすことができる。

 通常弾の雨を降らせながら爆裂弾を紛れさせることで、対応を難しくしているのだ。

 巧妙にカモフラージュされた爆撃団は見事ルナに命中――かと思われたが。


「……さすがミスティ様」


 ルナの四方を取り囲む氷壁。もちろん、ミスティが放った氷魔法だ。


「……私一人でも防げた」

「えー? 何を強がっちゃってんですか、まったく〜」

「……うるさい」


 間髪入れず、生まれた氷の防壁へ突っ込む影があった。青年は大剣を振りかぶり、重力を味方につけて大上段より振り落とす。


「どおおおおおおおおおらァァッッ!!!!」


 怒声とともに叩き込まれた一撃は熱を帯び、氷壁を溶解させる。中のルナも捉える算段だったが、さすがのルナ師匠は咄嗟に飛び退いてそれを回避。


「甘い甘い。砂糖菓子のように甘い」


 華麗に空を舞う少女。そのままハザマの背後に着地し、コツン、と膝裏を叩く。「おあっ」という短い悲鳴が聞こえたかと思うと、ハザマはすでにガクンと膝をついていた。大剣のデメリット、攻撃直後の隙を狙われた形だ。


「一回死んだ」

「――ッ、」


 すかさずメイがフォローを入れる。ファンネルを操り、自身も2丁拳銃の引き金を引くが──届かない。ミスティが放った氷の矢が逐一銃弾を叩き落としているからだ。


(なんて正確な魔力コントロール……)


 表情には出さないものの、メイは驚愕していた。

 ファンネルは非常に小型で、人の頭程度の大きさしかない。それが四基。独立して空を飛び交う四つのビットから放出される魔力弾を、ミスティは全て迎撃している。

 桁外れの空間把握能力と魔力制御。きっと思い切り攻められれば一瞬で勝負は決するだろう。ミスティがそれをしないのは、これがメイたちのための模擬戦だから。


 レイノルド博士の元で仕事をしていた頃は、研究に必要な材料を集めに行ったり小型の魔獣を狩ることしかしていなかった。故に、対人における『戦闘勘』とも言うべきものが、メイには欠如していた。


「く……ぅ……っ」


 少女はただ歯噛みすることしかできない。

 ルナとミスティは目立った連携こそしないものの、個々の力が高すぎてハザマとメイでは太刀打ちできない。

 明らかな戦力差。正直、これならもう──


「師匠とミスティが試合に出ればいいんじゃねぇ!?」


 メイの心の声を代弁するような青年の問いかけに、和装の少女とダガーを手にした幼女は顔を見合わせて。


「「いや」」


 しかめっ面で、そう答えた。


☆★☆


 ジンとユリスが参加する初戦まであと一週間を切った頃。

 昼間のむせ返るような熱気が引いていき、風とともに運ばれてくる鈴虫の音色が耳に心地いい月夜。その日の特訓を終えた僕らは、疲れを癒すべく仮宿へと帰還する。

 僕らとハザマのペアは一応敵ということになるので、お互いの手の内を明かさないためにも別々で特訓している。顔を合わせるのは一日の終わり、ユースティア邸で食事をとる時だけだ。


 そこでは、ハザマがその日どのくらい実力を伸ばしたのか自慢したり、ユリスが「ジンは本当に腰抜け」と馬鹿にしてジンを涙目にさせたり、メイが皆に紅茶を振舞ったり、様々な形で親睦を深めていった。


 世界は混乱の最中にあるが、今は英気を養うことで明日をよりよいものにする。旅団の中には、そんな前向きな雰囲気が出来上がっていた。ただ、隣に座るアトラだけは表情が固いように思えてならなかった。


 マルギットでの一件以降、アトラの様子がおかしいのはなんとなく感じていた。直接彼女に聞けばいいのかもしれないが……僕に女の子の悩みを聞いてあげられるほどのコミュニケーション能力はない。ゲームのヒロインを攻略するのとは違うのだ。

 すぐに答えが出るような問題ではないので、今は胸の内にとどめておくことしかできない。


「ふぅ……」


 時は進み、夜更け。

 同室のハザマとジンがすっかり夢の中だというのに、僕はベランダで風に当たっていた。

 アトラのこととか、ジンのこととか、それこそ自分のこととか、考えることは山ほどあった。

 そんな思索に耽る僕を現実に呼び戻す音が響いた。

 控えめなドアのノック音だ。


「ん、どうした?」


 ドアを開けると、そこに立っていたのはメイだった。

 トレードマークのメイド服一式ではなく、ゆったりとしたパジャマ姿。手を後ろに組んで、視線は足元。前髪が目元を隠し、純白の長髪は僅かに湿り気を帯びている。軽く頬が上気しているのは、お風呂上がりだからか。……何より、いい匂いがする。ウチの女性陣は風呂が好きらしい。


「あの……」


 やはりメイの表情は変わらない。ただ、その仕草や雰囲気から、なんとなく言いにくそうなのが伝わってくる。このあたりは、かつてと大きく変わったところだった。


「夜分遅くに申し訳ありません、エイジ様。どうしても……アレを、お願いしたくて……」


 むず痒そうに俯く少女のお願いに、僕もようやく来訪の理由に行き当たる。


「わ、分かった。そうだよな、ごめん。僕が先に気づくべきだった」

「いえ、そんなことは。私が一方的にご迷惑をおかけしているので、エイジ様が気負う必要は全くありません」

「迷惑だなんて思わないよ! メイは大切な仲間だし……」

「仲間、ですか。今はそうおっしゃっていただけるだけでも、至上の喜びでございます」

「そんな、大げさな……」


 僕はメイの『要求』を満たすために、場所を変えることにした。

 一階へ降りて、裏庭へ。人気が全くないその場所へ、メイを連れていく。

 裏庭には、ユリスが世話をする色とりどりの花が咲いている。月明かりに照らされて幻想的な雰囲気を醸し出すその空間の中心に、二人掛けのベンチが円形に並ぶ休憩所のような場所がある。

 休憩所の中心には水瓶があり、そこから絶えずこぼれ落ちる水が、溝を通って流れていく。

 星の光を受けてきらめく小川の合間を縫って、僕は少女をベンチへ導いた。


「な、何度やっても緊張するな……」

「私が感じている、この落ち着かなさ……これが緊張だとすれば、私もエイジ様と同じ気持ちでいます」


 それでも淡々と言葉を発するメイは、静かにベンチに腰掛ける。


「私、知っております。これを世間では、『逢引』と言うのですよね?」

「ど、どこで聞いてきたんだその言葉っ!?」

「ふふふ。冗談です」


 ふふふ、とは言っているが別に顔が笑っていないのが恐ろしい。彼女の進化は素晴らしいことだが、僕らには想像もつかないような速度になってきているのかもしれなかった。


「エイジ様? そんなところに立っておられては疲れてしまいますよ。こちらへ」


 メイがポン、と隣に座るよう手で指し示す。ベンチはそれほど大きくない。そこに座れば、必然距離を縮めることとなる。

 だが、棒立ちというわけにもいかない。僕はゴクリと唾を飲み込みつつ、彼女の隣に腰掛けた。


(ち、近いーーーー! 肩当たる! 女の子の匂いする! り、理性が……音を立てて軋んでいる!)


 夜更けに女の子と二人きり、というのは男子高校生にはあまりにも刺激的すぎた。僕は思いきり下唇を噛んで、自分を保つことに専念する。

 だが、これは恥ずかしさの限界点ではない。僕らは今から、もっと恐ろしいことをするのだから……。


「それでは…………お願い致します」


 メイが身体をずらして、僕に背を向ける。その動作だけでもあちこち触れ合って、そのたびビクッと身体が跳ねてしまう。

 そして彼女は、ゆっくりとパジャマのボタンに手を掛けていく。

 心臓がバクバクと鼓動を刻んでいる。顔が熱くて仕方ない。

 微かな衣擦れの音と、小川を流れる水の音。次第に露出していく白い肩。髪が揺れるたびに漂う少女の香りと、庭中に咲く花々の香り。五感が一気に鋭敏になったように感じられて、流れ込んでくる情報の多さに目眩がした僕はたまらず口を挟んだ。


「な、なあ……何度も聞いて申し訳ないけど、やっぱり服を脱がなきゃいけないのか?」

「もちろんです。布一枚でも、マナは減衰しますから」


 僕らが今行おうとしていること。それは決して逢引などではない。

 メイの輪廻核。それはほぼ完成形に近いものだったが、未だに『完璧』ではなかった。定期的に、他人の手によって調整チューニングとマナの補給を行う必要があるのだ。

 以前はレイノルド博士が行なっていたらしいが、今は僕がその代わりを務めている。約五日に一回ほど、メイはこうして夜な夜な僕を訪ねてくるのだ。


 やがて、メイの背中が完全に露出する。透き通るような透明感を持つ肌に視線が吸い込まれてしまい、僕は慌てて首をブンブンと振った。これは『そういうこと』ではない。彼女は僕を信頼して身体を預けてくれるのだ。変なことを考えちゃいけない──と、自分に言い聞かせる。


「それじゃあ、行くよ」

「はい。いつでも……」


 短いやり取りを交わして、僕はメイの背中に手を向ける。


「ん……っ、」


 ひたり、と手が背中に触れた瞬間、メイが微かに身体を跳ねさせた。

 僕はメイを驚かせないように、落ち着いて体内を巡るマナを意識する。自分の身体を流れる血流を、メイの背中を通して彼女にも繋ぐようなイメージだ。


「ぁ……、ん……」


 マナを流し始めた途端、メイが小さな声を上げた。


「だ、大丈夫?」

「え、ええ。お気になさらず……続けてください」


 胸にパジャマを抱いたまま、メイが肩で呼吸をする。そのたびに白髪がさらりと流れ落ちていく。


「ごめん。僕が下手くそだから……」

「そんなまさか。お上手ですよ、エイジ様……」


 少女の息が荒くなっていく。メイによれば、調整チューニングを行うと身体中の敏感な部分が刺激されるような感覚を味わうのだという。要は、他人のマナが身体に入ってくると違和感が発生するということらしい。


「はぁっ……ん……、ぁっ……」


 もっと上手くマナを流し込めれば減るはずなのだが、まだ上達の兆しは見えない。こうしてメイに負担をかけてばかりだ。

 この行為は、僕がマナの扱いに習熟するための特訓という意味合いも込められている。この世界独自の概念である『魔法』。それに慣れるためだ。


「もっと……んっ、強くしても、構いませんよ……っ?」

「で、でも辛そうだけど……?」

「私は、エイジ様の全てを受け止める覚悟です。女性の覚悟を、台無しするおつもりですか……?」


 妙な言い回しなのが気になるところだが、何か言い返すとよくないことになりそうな気がしたので、僕は素直にメイの言葉に従った。


「あっ、……んんっ……!」


 出力を上げた瞬間、メイの体が一際強く跳ねた。僕はその反応一つ一つにビクビクしながらも、彼女の体内へマナを駆け巡らせて流れを整える。

 本来であれば、輪廻核のある正面から行うべきなのだが、面と向かってそんなことをしたら僕が耐えられないということが分かり、今の形となった。


「なあ、メイ……やっぱり僕じゃなくて、アトラとかミスティみたいな、魔法が得意な人たちにお願いした方がいいんじゃないかな?」


 メイは文句一つ言わないが、僕としては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。魔法が下手な僕は、調整チューニングにも時間がかかってしまう。レイノルド博士による調整チューニングのときは声を上げることもなかったと言うから、やはり僕が下手くそなのだろう。


「マナには相性があります。特に、調整チューニングのような繊細なものには、それが大きく反映されます。身体の内側に相手のマナを受け入れる行為なのですから、当たり前といえば当たり前ですが」


 メイが言うには、僕のマナは非常に相性がいいらしく、レイノルド博士による調整チューニングよりも調子が良くなるのだという。どこに違いがあるのかは不明だ。


 何となく、アトラの憑依がうまくいかない理由もこの相性のあたりにあるのかと思えてきた。


「……エイジ様。今他の方のことを考えたでしょう」

「え? な、何でいきなりそんな……?」

「分かるのですよ。マナの流れが乱れますので。集中してください」

「は、はいぃ……」


 僕は思考を振り払い、改めて調整チューニングに専念する。


「……他人に任せるべきだなんて、おっしゃらないでください。私はこの瞬間が何より至福の時なのです。不器用でも、あなたが流してくれるマナを全身で感じるこの瞬間が幸福なのです」


 背中を向けたままのメイがわずかに顔をこちらへ向けて、目を細めた。


「だから──」


 それは、笑顔というには若干不恰好だったが。



「メイドの些細な楽しみを、奪わないでくださいませ」



 彼女なりの『喜びの表現』なのだろうと、そう思った。


☆★☆


 全てのボタンを留め直して、メイは立ち上がった。調整チューニングを受けた直後は気持ちも昂ぶっているのか、夜風に当たって身体は適度に冷めたはずなのに、頬は朱に染まったままだった。


「エイジ様、もう一つだけお願いがございます」


 家に戻る途中、メイがさっと振り返った。


「武闘大会、必ず勝ち上がりますので。そして……直接対決で勝利した暁には、ご褒美をいただけますか?」

「ご、ご褒美って?」

「それは……勝ってからのお楽しみでございます」


 内容の分からないご褒美を要求される……? 一体僕は何をやらされるんだ……?


「ま、まあ、僕にできることなら全然構わないけど」

「そうですか。ならば、契約成立ですね。会話ログは記録させていただきました」

「なっ」


 言質を取るほどの重大な案件らしい。いよいよ恐ろしくなってきた。


「き、今日は遅いからもう寝よう! 明日も特訓があるんだ!」

「そうですね。夜分遅くに付き合わせてしまって申し訳ありません」

「いやいや、僕はいいんだ! また気軽に声をかけてよ! じゃ!」


 試合は近い。彼女の『ご褒美』とやらは気になるところだが、今は大会に向けて特訓に集中しなければ。

 僕は逃げるように彼女に背を向けて、部屋へと戻った。


☆★☆


































「……」




 一部始終を見届けた少女は、金色の髪を風に揺らしながら胸に手を当てていた。










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