第006話 MP管理は慎重に
初めてプレイしたゲームが『エストランティア・サーガ』だった。
まだ小さかった僕は、その自由度の高いファンタジー世界に魅了された。そこには無限大の可能性が眠っていた。敵と戦うたび、ダンジョンを探索するたび、新しいマップへ移動するたび、街を探索するたび、新たな発見をして一喜一憂した。
その瞬間、僕は現実を忘れていた。
画面の中の主人公は、まさしく勇者だった。持ち前の勇気で数多の困難を乗り越えていく姿に、僕は心を震わせた。
それは、僕にはないものだ。僕は、誰かを助けるために自ら死地へ飛び込んだり、自分を犠牲にしてまで悪の親玉を倒そうなどとは思えない。
人間は本質的に自分にないものを持っている人間に惹かれるのだと、どこがで聞いたことがある。
僕にはない勇気を持った人間が、画面の中で縦横無尽の大活躍を繰り広げている。それだけ僕は、胸のすくような思いがした。
いつしか僕は、ゲームに熱中した。
時間をかければかけるほど、キャラクターは強くなっていく。どんな障害も乗り越えられるようになる。
問題には解決策が用意してあり、どんなに高い壁も必ず超えられるようにできている。そんな世界だからこそ、僕は有り余った時間を費やしてレベルを上げた。街を探索した。武器を手に入れて、アイテムを集めて、何周も何周もそのゲームをプレイした。
盲目的に。何かに追われるように。初めてゲームに触れたあの日の感動が、胸の中から消えてしまわないように。
ここが、自分の生きる世界なのだと知った。ゲームをしている自分こそが、本当の自分なのだと思った。
何もない自分が、物語の中の勇者になれる。
そう──
今思えば、僕はきっと。
誰にも負けない何かが欲しかったんだ。
☆★☆
偽物の勇者。本物のお姫様。謎の少女。
そうして、勇者一行はパーティを結成した。
まず、目指すべきはエストランティア城から西に向かった場所にある村、リドラだ。
それでは、リドラを目指すイカれたパーティメンバーを紹介しよう。
身体は勇者、心はオタク。未来視の目と護身用の剣一本で世界を救え──ブライト。
ボロ切れのドレス、煤に汚れた玉の肌。この状況にあってなお輝きの失われないその美しさ。エストランティア皇国第一皇女にして、現在は居城を追われた悲劇のヒロイン──アトラ。
突然空から落ちてきた謎の少女、その正体は、この世界に座す大精霊ユグドミスティアの化身。銀髪赤眼に神の名残を感じさせるものの言動はだいぶ天然な、全裸プラス他人の上着な少女──ミスティ。
一夜明けて、朝。
三人は森に身を潜めつつ、西を目指す。コンパスも地図もない行軍だが、僕の脳内にはしっかり地形がインプットされている。
「あなた、記憶喪失なんて大変ね」
「そちらこそ、お姫様なんて肩が凝りそうなご身分で」
「そんなことないわよ。大変だけど、誰かのために働けるのは楽しいわ。天職なのよ、きっと」
「ひええ、完成された人間ですねえ」
先導する僕の後ろでは、早速メインヒロインと神の化身が会話している。休息を取ってある程度回復したのか、アトラの表情も幾分柔らかくなったようにも見える。
状況は依然として悪いが、当面の命の危機が去ったことによる安心感は大きい。僕もこの先のことを考える余裕が生まれてきた。
リドラの村では、とある青年が待っている。そこでのイベントをこなすことで、彼が仲間になるのだ。気性は荒いが心優しい騎士で、様々な武術を習得しておりゲームでは非常に優秀な前衛キャラへと成長する。彼を仲間にすると、一気に戦闘が楽になる。だからこそ早くそこまでたどり着きたいのだが──
「……っ、」
そこで僕は立ち止まった。
この先にいるものたちが見えてしまったからだ。
「おぶっ」
前を見ていなかったらしいミスティが僕の背中に激突した。
「な、なんですかいきなり立ち止まっ──って……」
ミスティは辺りを見回して静かに声のボリュームを落とした。
そこにいたのは追っ手──ではなく。
「道を譲ってくれる気配は……なさそうね」
アトラが素早く杖を構える。
グルル、と低く唸る鳴き声。森に溶け込む暗緑色の体毛。統率の取れた森の狩人たち。森に住む下級魔獣。
「グリーンウルフ……!」
代表的ないわゆる『雑魚モンスター』の集団が、僕たちの眼前に迫っていた。
(戦闘は避けられない……)
当たり前のことなのに、考えずにいたこと。森に入れば、そこに住む魔獣に遭遇する。そして遭遇すれば、始まるのは戦闘だ。ゲームの基本システムだ。
呼吸を落ち着けて、僕は剣をとる。抜きはなった護身用の剣は、木漏れ日を反射して輝きを放つ。そのことで、自分は今武器を手にしているのだと再確認する。
僕に剣を扱うことなんてできるのか。
この世界に迷い込む前──言うなれば前世の僕は、剣はもちろんのこと運動なんてからっきしだった。ここで都合よく「実は剣道を習っていて……」なんて設定は出てこない。正真正銘僕は、学校とゲーム屋と自宅を行き来するだけの生活をしていた。
どう体を動かせばいいかなんて分からない──だが、それでも。
今この状況が変わるわけではない。
ならばもう──どうにかするしかないじゃないか。
「た、倒しましょう。どうにかして」
僕の震える声に、強い意志を宿した少女の声が呼応する。
「もちろんよ。こんなところで倒れるわけにはいかないわ」
敵を目の前にしても何ら緊張した様子のない少女も、参戦の意を示す。
「私もお手伝いしますねー」
そして、戦端が開かれた。
「グルルゥゥウオオオ────ッッ!!」
「うわああっ!?」
先陣切って突っ込んできた一匹目を、僕は無様に尻餅をつきながら躱す。未来が見えていても、体と判断力が付いてこない。どうするか考えているうちに、その未来が来てしまう。
「響け雷鳴──『ボルテクス・レイ』」
そんな僕とは裏腹に、長い金髪を閃かせながらアトラは呪文を行使する。
ボルテクス・レイ。雷系単体初級魔法。アトラが最初から習得している魔法の一つだ。威力は低いが即効性に長け、魔力の消費も少ないので序盤では最も重宝する攻撃系魔法だ。
青白い稲光が、突出してきたグリーンウルフの一匹に直撃する。甲高い悲鳴のような鳴き声とともに一瞬の硬直。そしてアトラに食いかかろうとしていた狼は空中で撃墜される。
(……すごい。城に篭りっきりのお姫様のはずなのに……)
彼女が城でどんな暮らしをしていたのか、僕は知っている。将来国を治める者として、必死に歴史や法律、この世界のあり方を学びつつ、持ち前の才能を生かして魔法の探求にも熱心に取り組んだ。また、大精霊ユグドミスティアを創世神と捉える『精霊教』の巫女としての研鑽も積んでいる──という回想がゲーム内に存在する。
この世界がゲーム準拠であるならば、あの数分程度の回想も彼女にとっては人生の一つ。文字列ではない、本物の物語が彼女の中には息づいているはずで。
「……っ」
それなのに、僕は。
自分の手を見下ろす。小さく震えるその手は、自分がいかに情けない存在なのかを表している。
(ダメだ。ダメだダメだダメだ、こんなんじゃ)
僕は視線を上げる。一匹目の撃墜を受けて、周りを取り囲むグリーンウルフは警戒を強めているようだ。そう、あの魔獣たちもただのプログラムされたモンスターじゃない。ここで生きているのだ。
(落ち着け。動きは見えてる)
僕は視線をそのままに、ゆっくりと深呼吸。
(思い出せ、グリーンウルフの動きを。特徴を。癖を。そして弱点を)
やつらは決して強敵じゃない。序盤も序盤、プレイヤーたちがまだ操作にもゲームシステムにも慣れていない頃に出てくる敵だ。
(──そうだ。さっきのやつもそうだった)
グリーンウルフの攻撃予備動作。飛びかかってくる噛みつき攻撃の前に、やつらは必ず一度吠える。
「グルルゥゥウオオオ────ッッ!!」
(来る──!)
僕は真横へ体を投げ出して回避。攻撃は直線的だ。数秒後の世界を未来視する『英雄の眼』があれば、回避自体は容易い。
「よっ、ほっ」
向こうでは、ミスティがものすごい体術を披露していた。
飛びかかってきたグリーンウルフに対して、体を落として真下から顎を蹴り上げる。勢いを殺されるとともに空中へ跳ね上げられ、落ちてきたところを右ストレート。もう一匹向かってきていたグリーンウルフの方角へとぶっ飛ばしていった。
(か、神様強え…………)
しかし、彼女は僕の上着を羽織っているだけである。そんなにビュンビュン動き回ると……色々とまずいことになる。
(あっちはなるべく見ないようにしよう……)
僕がまごまごしているうちにも、ミスティは魔法職であるアトラを守りながら次々と敵を処理している。後ろに控えたアトラは敵の攻撃に晒されることなく次々とボルテクス・レイで敵を薙ぎ払っていく。
──だが、そこで僕は気がつく。
「だ、ダメですアトラ様! 今は魔法を使わないでください!」
「っ、え?」
なぜ僕がそんなをことを言うのか。
それは、この先に通常攻撃のダメージが通りにくい敵が待ち構えているのを知っているからだ。ここでアトラにバカスカ魔法を撃たせたプレイヤーは後々出てくる『グレイトータス』という敵に超苦戦する羽目になる。
アトラの初期MPが32。『ボルテクス・レイ』一発あたりの使用MPが4なので、次の休息まで8回しか使えない。
ここでアトラの魔法を温存できれば、後々の戦闘を楽に、安全に突破できる。
──そう。ここで頑張るべきなのは、僕だ。
「今度こそ──」
魔道士との戦闘の時は何の役にも立たなかった。ただ見ていることしかできなかった。
震える手を抑え込む。
自分の腕を過大評価するわけじゃないが、画面の中のブライトはそれはもう華麗に敵をなぎ倒していた。あの動きを再現──とまではいかなくとも、手本とすればきっと少しはまともになるはず。
「よしっ」
僕は狙いを定める。脳内で何度も動き方を反芻し、シミュレーションを繰り返す。そして──
「グルルゥゥウオオオ────ッッ!!」
(ここだ──!)
吠え声に合わせて僕は半身になる。ギリギリまで引きつけてから、飛びかかり噛みつき攻撃を躱す。それと同時に体を回転、がら空きの胴めがけて剣を叩き込む──
「ギャウンッ!?」
肉を切り裂く感触、そして短い悲鳴とともにグリーンウルフが地に伏す。
それが僕の、初めての勝利だった。
グリーンウルフの体が黒い靄となって空気に溶けていく。後に残されたのは、魔力の結晶である小さな精霊石だ。
(うん、いける──!)
僕は確信する。剣の腕なんて素人以下、体の動かし方もろくに分からないオタクの僕でも、相手の攻撃予備動作と『英雄の眼』さえあれば倒せる。
そうして次の敵に向かおうとした時。
「私、魔法を使わなかったら何の役にも立たないんですけどー!」
遠くの方からアトラが文句を言ってくる。
「棒立ちは申し訳ないんですけどーっ!」
「え、えぇ……そんなこと言われても」
……まさかそんな形で文句を言われるとは。そもそもゲーム内でキャラクターは文句を言わないしな。
まあ、生きてる人間なんだから信条に反することには文句の一つも出るか──と納得しかけたところで、隣までやってきたミスティが話しかけてくる。
「あのあのー、なぜ魔法を使っちゃダメなんですか?」
「それは──」
僕は戦闘の合間にグレイトータスの情報を教える。ミスティはふむふむと頷くと、
「多分私も魔法使えるんで、大丈夫だと思いますよ?」
「……え」
初耳。
「なんかこう、脳内に漠然としたイメージが……文言が……んー! 氷凛冷結──『アイシクル・ロンド』!」
放たれたのは、なんと中級全体魔法だった。
「嘘やろ」
思わずなぜか関西弁が出てきてしまうくらいにはとんでもない技が出てきた。
唱えた瞬間、ミスティを中心とした氷の世界が顕現した。地面から生えてきた氷柱がグリーンウルフを捉え、串刺しにし、氷漬けにする。
「「「うわあ……」」」
口をぽかんと開けてその光景を楽しそうに眺めているミスティ。
同じく口をぽかんと開けて唖然とする僕。
アイシクル・ロンド。氷系中級全体魔法。自分を中心とする半径8メートルに存在する敵を対象とし、氷柱で氷漬けにする。氷系ダメージプラス行動阻害効果。
デバフ付き全体魔法という、中級魔法の中でも破格の性能を持つこの魔法──なのだが。
このゲームの味方キャラクターの中に、氷属性を扱えるキャラクターは存在しない。つまり、敵専用魔法なのだ。
(って、もしかしてミスティは……あ、ああ、妄想でしかなかった氷属性魔法職なのか!)
どれだけ攻略法や裏技を検索してもついぞ発見されなかった「氷属性魔法を操る味方」と、こんな形で出会えるとは。興奮だ。
「すごいわね、あなた……」
アトラが氷柱をコンコンと叩いている。もはや氷山のようなそれは、彼女の背丈を越えている。
「いや、本当にすごい……だって、中級魔法……」
完全にオーバーキルだ。おそらくグリーンウルフたちは総体力の三倍近いダメージで消しとばされただろう。大精霊の化身、恐るべし。
「ミスティがいれば今後の戦闘もらくしょ──」
「魔力が切れましたね」
「嘘やろ」