第062話「私、彼らについていく!」
――起きて早々、ユースティア邸に響いたのはそんな宣言だった。
男性陣も、女性陣も、ユリスの両親も見事に困惑をあらわにしていた。いきなり何を言い始めるのか、と。
リビングに集まり、皆で朝食を摂ろうとした時だった。ユリスはいきなり立ち上がり、そう言い放ったのだった。
「ちょ、ユリっち……?」
「決めたのよ。あなたたちだけじゃ不安だから、私もその旅についていくってね」
「そ、それは聞こえたけど……っ?」
ユリスは頑として譲らないようだった。どんな心境の変化なのか。よっぽどのことがない限り、たった一日で決めるような簡単な話ではないはずだ。
ユリスだって身分や立場がある。「行く」と言って行けるほど、彼女のポジションも簡単なものじゃない。その証拠に──
「ダメだ」
ユリスの父、グレイルはヒゲをいじりながらサクッと一刀両断した。
「ダメに決まってるだろう。お前のワガママはいつものことだが、今回のはシャレになってないぞ」
「私はただ、私がすべきことを考えただけよ。それの何が悪いの?」
「悪いに決まってる。だいたいお前には、領主の娘という立場が──」
「だから、その立場よりも大事なものがあるって言ってんの!」
瞬間的に、そこにいた全員が理解した。これはまた喧嘩になるな、と。
しかも今回はユリスの分が悪い。どう見ても無理があって、通ることのない主張のように思えた。
「いつものことだから気にしないで……と言いたいところだけど、今回は荒れそうねぇ」
母、エレオノーラも思わず苦笑いといった様子で頬に手を当てている。それだけユリスの決断は大きく、簡単に答えを出せる問題ではないということでもあった。
「ユリスさん、いきなりどうしたんですかね? 絶対やめた方がいいと思いますけどね、宿暮らしは肩が凝るので」
最年少のクセにオヤジ臭いことを言いながら、ミスティはエレオノーラ特製の朝ご飯を美味そうにかき込んでいる。娘でもないのに遠慮が一切ない。持ち前の図太さを存分に発揮している。
「……」
アトラは一人、黙ったままだ。
ユリスがいきなりこんなことを言い出した理由。それを知っているのは彼女だけ。故に、理を説いて止められるのもまた彼女だけなのだが、あんなところを見られてしまった以上、強気に言い出すことも難しい。
だから黙るしかない。アトラだってユリスがいてくれれば心強いと思うが、冷静に彼女の立場を考えればそれができないことも分かるだろう。ユリスが自分から折れてくれるのを祈ることしかできない。
アトラは今、非常に複雑な立場にいるのだった。
「だから──」
「でも!──」
来客がいることすら忘れて、二人の議論は白熱していく。ユリスの気迫は凄まじいが、父親もそれに負けず劣らずパワーがあった。
アトラがあわあわしている間もガンガンヒートアップしていく二人。そのうち手が出るんじゃないか、と誰もが恐れ始める。
「があああ、しつこい! 無理なもんは無理だ!今お前を国外に出せるわけがないだろう!」
そうしてついにキレたのは、父親の方だった。
「自分の身くらい自分で守れるわ! 私、魔法には自信があるんだからッ!」
「ああ、俺の娘ならそれくらい当然だッ!」
止めたいのか止めたくないのか分からない発言だった。
どうやら熱くなると一人称が私から俺に変わるらしいグレイルは、ドンッ! とテーブルに手をつき、腕を組むユリスと正面切って睨み合いをしている。
「じゃあ別にいいじゃない! さっと行ってさっと解決して帰ってくるわよ!」
「お前は見通しが甘いんだといつも言っているだろう! 今回の件は我々ユースティア側が簡単に口出ししていいものじゃない。下手すれば外交問題に発展する恐れだってある!支援をするなら正式に国として手続きを行ってだなぁ……」
「回りくどいっっっ!!!!!!」
ガチの喧嘩じゃん、と誰かが呟いた。残りの者たちもそれに頷くしかない。
ユリスはとにかく我が強い。皇女で身分的にはさらに格上なアトラなんか、全く比べ物にならないくらいのワガママプリンセス。
そんなユリスなのだが、実際にそのワガママ意見が通ることは少ない。領主である父親には勝てないのだ。
ユリスも別に父親の頭を悩ませたいわけじゃない。彼女がそうした『ワガママ』を口にするのは、もっと絡まり合ったややこしい感情が原因だ。到底一言では説明しきれない、曖昧で、モヤモヤとした、つかみどころのない思い。きっとユリス本人も気づいていない、年頃の少女が領主の娘という立ち位置にいるからこそ生まれてくる葛藤。
その辺りから、ユリス・ユースティアの本質が見えてくる。
いつか彼女も理解するかもしれない──でも今は、わけも分からないままワガママを振りかざす横暴な女の子。ユリスはそんな不安定さを抱えた少女だった。
「……どうしたもんかね」
娘が今、大人へと続く階段の道半ばにいることを父グレイルは確かに感じ取っていた。娘が特別厄介な道のりを辿っているということも、同時になんとなく察しがついていた。
グレイルが言う通り、ユリスを今国外に出すのが得策でないのは真実だ。ユリスがいかに魔法使いとして優秀であろうと、危険はそう簡単に退けられるものではないし、領主の娘として果たさなければならない責務や山積みされた教科書もある(ユリスのサボりがちな姿は想像に難くないだろう)。
グレイルは、毎日のように娘と口論をしている。当たり前すぎて口に出すことすら憚られるが、もちろん娘が嫌いなわけではない。むしろ、グレイルは何より娘のことを考えている。
じゃじゃ馬に育ってしまった娘を、なんとか正しい大人にしてやりたい。子育てのいろはなど何一つ理解していない、仕事一筋だった彼なりに色々考えた結果が、「細かいことは分からないから、正面からぶつかり合う」だった。
不器用な親父は今日もそれを実践している。だがそれだけでは先に進めないことも、薄々分かってきた。
向かいに座っているアトラはオロオロと不安げな瞳を揺らしている。
皇女、アトラ・ファン・エストランティア。いつのまにか愛娘の親友となっていた少女。二人の間に何があったのかは親の知るところではないし、知る必要もないだろう。きっと二人だけの物語があったはずだから。
だからこそ――そんな彼女だからこそ。
親では手の及ばない、娘のややこしい感情も解きほぐしてくれるのではないか。直接親がああだこうだと指示をするよりも、同じ目線で語り合える彼女だからこそ伝えられるメッセージがあるのではないか、と。
そんな勝手な期待が、グレイルの胸のうちを過ぎって──そして。
「ああもう、分かった!」
グレイルは、彼女に託してみようと決めたのだ。
「交換条件だ! ユリス、お前も武闘大会に出ろ。そこで優勝したら──旅団への同行を認めてやる!」
「──ッ!!」
そんなことだろうと思った、と息を吐いたのは母エレオノーラだ。このような事態には慣れたと言わんばかりの呆れ顔であった。
「…………本当? 男に二言はないわね?」
「父親に向かってよくそんな生意気な口が叩けるな、お前はっ!」
「ぶ」
ユリスの両頬をぐに、と鷲掴みにしてブニブニするグレイル。ユリスは額に怒りマークが浮かびそうな鬼の形相で、しかし甘んじてそれを受け入れている。暴君は、折衷案が出されたことでひとまず引き下がったようだ。
「フンっ、いいわ。ならやってやるまでよ。優勝でも世界征服でも、なんでもやってやる──!」
「世界征服はやめておきなね……」
こういう時にたしなめるのは、やはり親友アトラの出番のようだった。
「武闘大会……ってことは、あなたたちとも戦うことになるのね」
ユリスは皆を見回す。
既にエントリーが決まっているメンバーが四人。エイジ、アトラ、メイ、ハザマ。ユリスは旅団から送り込まれるこれらの刺客を退けて、頂点に立たなければいけなくなった。
いわば、昨日の友が今日の敵へ。
そこには既に熱い火花が散り始めていた。まあ、一方的にユリスから発せられるものだったが。
御誂え向きに用意された武闘大会最後の一枠。そこにユリス・ユースティアの名前が刻み込まれた。
しかし、問題が一つ。
「ユースティア武闘大会は、男女ペアでの参戦が義務付けられているのではないのですか?」
静々と優雅に紅茶のカップを運んでいたメイが、ピタリと足を止めて言い放った。まるで機を伺っていたかのような素早さだった。ここぞとばかりに来た。
「……む」
途端にしかめっ面となる暴れ馬。再びあたりを見回す。
参加決定済みの四人を除けば、そこにいるのは銀髪ロリと改造和服とヘタレが一名。
「ん? 男装をご希望ですか?」
女性的特徴が薄いミスティならもしかしたらいけるかも、と思ったが、運営サイドである領主が目の前にいるのに不正が通用するわけがなかった。
「私? 大会が壊れるのでやめといたほうがいいと思う」
話によると彼女はエイジやハザマの師匠らしい。底知れぬ力には魅力を感じるが……抑えきれない胸元の激しい主張からも分かる通り、やはり同性なので却下。
「……」
となると──というか、最初からこの場にある選択肢は一つだけだったのだが。
「……え?」
全員の視線が、一人の少年に注がれた。
名をジン・シュナイダー。並行世界から来たという、エイジの息子。姿もエイジと瓜二つだが、自信なさげな表情が皮肉なことに明確な差別化を可能としてしまっている。そんな少年。
「あいつ」
ユリスは不躾にジンを指差した。傲岸不遜の化身は、他人の人生を勝手に決めてしまう。
「あいつと一緒に出る。それで──優勝してやる!」
「え、ええ!?」
ジンは今にも椅子から転げ落ちそうだった。
なぜいつもユリスの標的は自分なのか。いや、今回はたまたま条件に合致するのが自分だけだったということだろうが。
それにしても運が悪いというか、運命の巡り合わせというか……『ジン・シュナイダー』と『ユリス・ユースティア』には不思議な縁があるようだ。何か目に見えない、糸のようなものがある。
そう。その糸が、二人を繋ぎ合わせるのだ。
「僕が……大会に」
ジンは、驚き混乱する思考とは別に、状況を冷静に俯瞰する自分がいることを感じていた。
ユリスと相棒として、大会に出る。それが何を意味するか。
ユリスの目的達成のために力を貸す。それはつまり、父と直接戦うことになるかもしれないということだ。自分にそんな大役が務まるか? 普段の彼ならば間違いなく「無理に決まっている」「どうせ負けるから」と首を横に振っただろう。
でも今、そうしてすぐに結論を出すことはなかった。わずかな沈黙だけがあった。
「……」
皆の視線が自分に集まっているのが分かる。父親の影響で、注目されるのは慣れていた。でも、いつまでたっても好きにはなれなかった。分不相応だからだ。
──これは、嫌な空気だ。
これまで何度も味わってきた、『注目』から『期待はずれ』に変わるあの瞬間。その前兆を、少年は直感的に理解していた。
──「あの子、英雄の息子って割には、なんだか情けないわよね」
──「なんか拍子抜けしたわ。国を守った英雄の才能は受け継がれなかったんだな」
──「安藤影次が引退したらあいつが全権代表を引き継ぐんだろ? 大丈夫か、あんな様子で」
──「可哀想に。英雄の息子も大変だろうな」
罵倒じゃない。恨まれているわけでもない。ただただ、思っていたのと違うという軽い失望と、同情や憐れみがあるだけ。
その視線は、単なる悪意ある視線なんかよりもよっぽど痛かった。それならいっそ、直接「死ね」とか「消えろ」とか言われる方がマシとさえ思えた。
「僕は……」
この空気を変えたい。ずっとそう思ってきた。
『注目』が『期待はずれ』に変わらないように。
皆の視線を恐れず、生きていけるように。
父のような立派な英雄になるために。
──諦めないことだけが、自分の取り柄だと思うから。
だから、自然と言葉は出てきた。
「分かりました。出ます、大会に」
ジン・シュナイダーは確かに父親のような偉大な英雄ではなかった。度胸もないし自信もないし、人望もないし実力もない。だが、確かに受け継いだものもあった。
それが、諦めないことだった。
かの少年が何度死亡しようがリトライを選択し続けたように、ジン・シュナイダーも、無理だ僕にはできないと弱音を吐きながらも決して諦めることだけはしなかった。
ジンが今この世界にいることも。
両親が彼一人を送り出したことも。
ユリスとともに大会に出ることになったのも。
全ては、彼が諦めずにここまで来たからなのかもしれない。
「へぇ、意外」
わずかな驚きをにじませたのは水色髪の少女だった。
室内でも頑なに外さないマフラーをくいっと引き上げて、少女は笑った。頬杖をついて、立ち上がった少年の頼りない背中を見上げる。
「……あなたの思いは、今もちゃんと受け継がれてる。大丈夫だよ、『エイジ』……」
ルナは誰にも聞こえないくらいの声量でそうひとりごちて、どこか遠くへ想いを馳せるように窓の向こうを眺めた。
「さあ、そうと決まったら特訓よ! 行くわよほら!」
「え、ちょ、今から!?」
ユリスはジンの手を掴むと、勢いよく家を飛び出していく。
そうして翻弄されるまま、灰髪の少年は運命に流される。この先、どれだけ苦しみもがくことになろうが、先導者は一切関知しないだろう。暴れ馬が引く馬車に繋がれた哀れな少年は、どこまで彼女についていけるのか。すぐに振り落とされてしまうのか、あるいは────。
二人を眺める者たちの表情は様々だ。ため息をつく者、苦笑いする者、ニヤニヤと笑う者、一切興味ない様子の者、ライバルが増えたと喜ぶ者、あるいは微笑む者。
決してユリスやジンだけではない。ここにいる少年少女、全員が大きな流れの中にいる。
こうして生まれた大きなうねりは、ある一点に向かって収束していく。
ユースティア武闘大会。
そこに集うのは、それぞれに思いを抱えた一組の番。
繰り広げられるのは、まだ見ぬ男女が織りなす友情と絆の円舞曲。
新たなるうねりの予感も孕みながら確かに波を大きくしていくのは期待ゆえか、あるいは不安か。
少なくとも言えるのは──
「助けてええええあああああああああああああああああ」
ジン・シュナイダーの胸の内に渦巻くのは純度100%の不安である、ということだけだった。




