第061話 うまくいかないこと。
今回に限って、という前置きが付いてしまうが。
あえて、断言しよう。
この物語は、安藤影次の物語ではない。
この物語は──泥だらけの、直感勇者の物語だ。
☆★☆
日も傾いてきて、西日が眩しい夕焼け色の空。
ジンはエイジがハザマたちとともに帰路に着くのを、少し離れたところから見ていた。そこに映るのは、自分が知るよりも少し小さな背中だ。
ジンが知る父と、目の前の少年。同一人物なのかは、判断が怪しいところだが──それでも、あの少年が安藤影次なのは疑いようのない事実だった。
あまり気は強くないが、優しい性格で皆の中心に立つ。彼らの旅はまだ始まったばかりだというが、既にそこには旅団を統べる長としての風格が宿りつつある。ジンが知る、あのカッコいい背中と重なるー。
「ちょっと」
そんなとき、少女の声がジンの背中を打った。不遜で、ちょっと機嫌が悪そうな彼女の声だ。
「な、何……?」
ユリス・ユースティア。
ユースティア自治領、領主の娘。肩書きに恥じぬ自信家で、皇女アトラの親友。
ジンはそんな彼女を恐れていた。この世界にやってきてすぐに出会った者たちの一人。元の世界では全然交流がなかったため、どう接すればいいか分からない。ジンは人と話すのが基本的に苦手なため、強気な彼女のようなタイプは最も苦手とするところ。元の世界で交流があった面々は辛うじて初対面でもなんとかなったものの、彼女に関してはお手上げ。もう、話しかけてこられるだけで怖くて仕方ないといった様子だった。
そんなことだから、なかなか輪に入っていけず、集団の後ろを歩いていたジン。そんな彼の隣に、ユリスが歩を遅らせて並んだのだった。
「あんた、なんで助けたの?」
いきなりぶつけてきたのは、そんなアバウトな質問だった。
「そ、それは……さっきの飛び込みの件、ってことだよね?」
思い当たるものはそれしかなかった。ユリスも頷く。
なんだか微妙な距離を保ちながら、二人は歩いていく。談笑する旅団メンバーを尻目に、ジンとユリスの間には微妙な空気が流れる。
「言っとくけど、あんたが助けなくても私は平気だったの。植物操作って便利なのよ? 手に持てるサイズでタンポポの綿毛を作ればいいもの」
「え、あっ……そうか。うわ……」
紫髪の少女は、自分一人であの局面を立て直す術があった。ユリス・ユースティアは自信だけの女ではなかった。それに見合うだけの力も、ちゃんと持っていた。
手を後ろで組んで夕焼け空を見上げながら呟く少女の横顔は、わずかに朱に染まっているようにも見えた。それは果たして夕日の色か、それとも――。
「馬鹿よね、あんた」
ユリスは立ち止まってクルッと振り返ると、手から伸ばした木の枝でジンの左足を軽く叩いた。
「あっ、づッ……っ」
「やっぱり」
ユリスはため息をついて、再び歩き出した。
彼女には分かっていたのだ。着水の際に、左足を打ち付けたことが。
「な、なんだよ……」
ジンはわずかに遅れてついていく。傍若無人な主人に付き従う下僕──その構図が、早くも出来上がってしまっていた。
「……私から見たら」
自分の考えを確かめるように、少女は毛束をくるくるといじる。
「あんたの行動は無駄に満ちてる。馬鹿だし、理屈が通ってないし、あと……個人的にムカつく」
「私怨っ!?」
やっぱり嫌われてるッ!? とジンは心の中で涙を流した。
「だから、聞かせて。――なんで助けようと思ったの?」
しかし、ジンの感情に反してどうも彼女の視線に遊びの色は見えない。ただ純粋に、理由を知りたがる目がそこにあった。
茶化さないで答えて──そんな彼女の真っ直ぐな気持ちが、伝わってくるようだった。
「僕は……」
ジンは胸の内に問いかけた。あの瞬間の衝動的な感情に無理やり理由をつけるなら、なんだろう。
「……あの時の僕は、何も考えてなかったよ」
まず、正直な感想を述べて。
「でも身体が勝手に動いたのは、きっと――僕の胸の中に、お父さんの背中が常にあるからだと思う」
冷静に見つめ直した自分の姿を、語った。
「僕は本当に何もできない人間で、弱くて、情けなくて……自分が嫌いなんだ。うん、ユリスさんの言った通り、僕は馬鹿で、無駄が多くて、ドジなんだ。情けない話だけどさ。でも、そんな僕でもお父さんの息子であることは変わらない。立派で、強くて、誰もが憧れるお父さんの息子は――変わらず、ずっと僕。だから変わらなくちゃいけない。お父さんの息子としてふさわしい自分にならなきゃいけない。いつも、そう考えてる」
だからあの時、体が動いたのかもしれないと。ジンは自らの見解を述べた。
父。安藤影次。自分では到底たどり着くことができない高み。そんな絶対に叶わない夢を追いかけることを宿命付けられた自分。
そんなジンだからこそ、あの瞬間に一歩踏み出した。結果、意味のないことをした。
目指そうという意志はあっても結果が伴わない。皮肉なことに、その構図は見事にジン・シュナイダーという人物を体現していた。
「……ふうん」
ユリスは自分で聞いておいて興味なさげな返事をする。少し前を歩くユリスの表情は、ジンからは見ることができない。
「あ、あの……」
そんな返事をされたジンもなんだか恥ずかしくなってくる。
ここにきて、ジンは自分が柄にもなく長々と喋ってしまったことに気がついた。
自分語りが気持ちが悪いと思われたかも。ネガティブ発言がウザいとか? もしくは父を目指すなんて綺麗事気持ち悪いって? どれもあり得そうで怖い──そしてそんなことばかり考えてしまう自分が、やはり嫌いだった。
だが――。
「まあ、そういうのは……嫌いじゃないわ」
「えっ!?」
ジンは驚愕した。
だって、真逆のことだったからだ。
ジンが自己嫌悪に陥っていたところに浴びせかけられたのは、「嫌いじゃない」その一言。
灰髪の少年は耳を疑った。比喩ではなく耳をかっぽじった。聞き返そうと思ったが怖くてやめた。混乱だった。
そんなパニックに陥るほどに──ユリスからジンに対して肯定的な発言が出てきたのは初めてだった。悲しいことに。
「嫌いじゃないというだけで、かっこいいとは微塵も思えないけど」
……肯定的かは怪しいところか。
「はは……」
思わず乾いた笑いを漏らすジンとは対照的に、ユリスは自分のペースで歩いていく。
結局のところ、この少女には勝てないな……とジンは一人夕焼け空を見上げながら思うのだった。
☆★☆
ユリスは曲がったことが嫌いだ。言いたいことをちゃんと言わないやつも嫌いだ。なので、言った。
思ったことはちゃんと言う。それは今までの罵詈雑言も真実だが、「嫌いじゃない」という発言もまた嘘偽りないということを示していた。
「……」
ユリスはずっと「何か気に入らない」といった様子でむすっとしている。ジンも、それに対して何か言ってくることはない。そもそも、小心者の彼に声をかける勇気なんてあるはずもないのだ。
夕日を背景に、二人の若者が小道を行く。海で親友と遊び尽くしたユリスの長髪はしっとりと湿っていて、髪はいくつかの毛束となって肌に張り付いている。水着の上から羽織ったパーカーは、裾から瑞々しい太ももが覗いて逆に扇情的に見える。普段はツーサイドアップの髪だが、今は乾かすためか全て解いており、風に揺られるままとなっていた。
「……あああ、もうっ!!」
突然ユリスが、髪をかき乱して唸った。
「え、今度は何っ!?」
それに反応したジンが真上に1mくらい跳ねて飛び退く。今度は何事か。一体何を言われるのか。お手柔らかに頼む、と。
「そこ! 座って!!」
ユリスは手近な岩を顎で指し、そこへ座れと伝えてくる。逆らう気は一切ない。ジンは従順な犬のように言われるままにした。
紫髪少女は、そのそばに膝をついてジンの左足に手のひらを向けた。そして優しき光が溢れだす。
名を、中級単体治癒魔法『キュアリエ』。
包み込まれるように広がる光が、少年の左足を癒やしていく。
「なんで……っ?」
「なんで、ですって?」
ユリスは……依然、不機嫌そうだ。だが治癒は継続して施してくれる。なんだかジンにはちぐはぐに思えた。彼女が何を考えているのか全く分からない。
「勘違いしないで。私が納得しないってだけ。――こうしないと、気が済まないだけ」
ただそれだけ言い残して、ユリスは立ち上がった。その頃にはもう足の痛みは完全に消えており、何の不自由なく動かせるようになっていた。元々、水面に打ち付けた際の軽い打撲程度だったため、歩くことなら支障はなかった。だからジンも隠していた。なぜ隠していたのかと聞かれると、また答えに困ってしまうのだが……。
とにかく、それでもユリスは怪我を治療した。彼女は、「自分のため」とそう言い張るが、本当なのだろうか? 自分のために他人に治癒魔法を施す──なんて。
「だから、なんなんだよ……」
ジンのつぶやきが、少女の背中に届く。もちろんユリスもそれを聞いていた。
本来ならばきっと、「なんか文句ある!?」とでも突っ込んでいたところだろう。しかし少女はそうしなかった。
彼女の胸の中にあるのは、ただ一つ──
(──ごめんねって、言えなかった……)
そんな素直になれない自分に向けた、ちょっとした後悔だった。
☆★☆
ユリスらが屋敷に帰還した頃には陽も完全に落ちて、空には星がまたたき始めていた。空気が澄んでいて、明かりも少ないこの地方は、マルギットなんかと比べれば星空の美しさは段違いだ。ゆっくりと眺めるのもまた乙なものだが──しかし、今日ばかりはその星空に想いを馳せる余裕はなさそうだった。
ベランダから吹き抜ける生暖かい夜風が、遊び疲れてぐったりしたエイジたちの頬を撫でる。
その緩やかな時間の流れに身を任せていると、次に襲ってくるものは相場が決まっている。一様に伸びやあくびをしながら、あてがわれた客人用の部屋へと消えていく面々。ルナもちゃっかりそこに加わっている。どうやらしばらくは行動を共にするようだ。
大好きなお風呂を借りてご満悦なアトラも、ユリスと連れ立って部屋へ向かっていく。
「わあ、懐かしい……」
そこは、吹き抜けのロフトが印象的な部屋だった。一階と二階で別れていて、女子はここで枕を共にすることになるようだ。
アトラはかつて交流会でこの屋敷を訪れた際に、この部屋に来たことがあった。風が吹き抜けて、とっても気持ちがいい部屋。アトラのお気に入りなのである。
「私、もう疲れちゃった……」
ユリスの母、エレオノーラが広げてくれたと思われる布団へ向かって、寝間着に身を包んだ少女はバタリと倒れ込む。
約一ヶ月ぶりの、ふかふかの寝処。これまでの宿屋での生活も悪くはなかったが、元皇女としては生活の差を感じざるを得ない。常に緊張した状態を保っていたアトラからすれば、真の意味で気を緩めることができたのは今日が初めてだった。「疲れた」とは、そういう思いも含んでいるのだった。
「ふにゃあ……」
「恐ろしくあざとい鳴き声が聞こえたわね……」
早くも夢の中か、普段のアトラからは想像もつかない寝言が漏れた。
「まあ、今日はゆっくり寝かせてあげようかしらね」
疲れを隠せない皆は、アトラに続くようにして布団に倒れ込んだ。
修学旅行の夜のような大はしゃぎをするには、少しこれまでの道のりが厳しすぎた。旅団のメンバーは既に気持ちよさげな寝息を立てている。
そして、それにつられるようにユリスも、疲れという名の睡魔に導かれていった――…………。
☆★☆
「殺させてやるよ。アトラ、お前にな」
そんな声が脳内に響いたことで、アトラは目を開けることとなった。
いつの間にか、少女はあの暗い倉庫に立っていた。
瞬間。ゾワリ、と全身に鳥肌が立つ。
(――なぜ? なぜ私が、またここに……?)
人が夢を夢と認識できることは少ない。無意識の内にそれは脳内で映像となり、そして勝手に再生される。
望む望まずに、関わらずだ。
床に転がる短剣が目について仕方ない。その短剣が何を意味するか。これからあの短剣が何に使われるか。アトラはその全てをなぜか鮮明に脳裏に思い描くことができた。未来視の力を持っているわけでもないのにだ。
今すぐにアレをどこか遠くにやらなければ──そんな衝動的、本能的とも言える胸の内の叫びを聞いたアトラは、すぐさま動き出そうとする。
しかし、一歩先んじるようにしてその『影』は行動を起こした。
「私としては、このまま二人を拘束して帰ってもいいんだがなァ」
愉快そうに両手を広げ、喜劇めいた大仰な仕草でアトラを囃し立てる漆黒。
黒髪の男は止まらない。瞼を閉じることすら許されない。目の前の少年とは違って拘束されているわけでもないのに、アトラに体の自由はなかった。
「ぐ……っ、アトラ、頼む……それしか、ない────!」
アトラは、縋るしかない。あのときと同じように。何度だって映像を繰り返して、何度だってそれをしなければならない。
「託すんだ、次の……僕に────!」
ずっと、考えていることがある。
何か、他に方法はなかったのだろうか。
あのときは、メイやエイジが助けてくれた。アトラ一人では何もできなかった。それが自分の弱さだと理解した。受け入れることで、彼女は次の段階に進むことができた。
だが、それとこれとは別問題だ。
もし、自分がもっと良い解決法を持っていたら。きっと彼を苦しめることはなかった。もっと楽で、簡単な方法であの場面を切り抜けることができたはずなのだ。
協力することは必要だ。一人の人間にできることは限られている。
じゃあ、ずっと足手まといのままでいいのか? そういうことではないだろう。
アトラはマルギットの一件で、みんなに迷惑をかけたのだ。そのことを、決して忘れてはならない。
彼は死亡後に人生をリセットできるという不思議な力を持っている。しかし、それは痛みの記憶すらも引き継ぐことも同時に意味するのだ。
(私が……彼を……)
そう。この時にはそれしかなかった。自分の弱さについても納得した。だけど、それだけで自分を許せるほどアトラは楽観的ではない。
あの日以降、常にアトラの胸の中に渦巻く自責の念。いつまで経っても消えることはないその靄は、やはりゾロア・ブラッドロウという男が残していった楔なのか。
そして、抗いようもなく決定的な場面は訪れる。
「────、」
ざくり、という肉を引き裂く感覚。
自分がエイジを殺したのだという事実。
それらは決して消えることなく、アトラの心を責め立て続ける。その思いこそが、アトラがエイジに対して一歩引いてしまう最大の要因だ。「恥ずかしいから」なんてものは上っ面に取り繕った仮面に過ぎない。
夢は深層心理を描き出す。触れたくない思い出だって、容赦なく。
(なんでこんなもの見せるの……? お願い、やめてよ……っ)
きっと彼は笑って許してくれる。気にしないでと、慰めてくれるだろう。だけど、それでアトラの中に突き刺さった棘は抜けるのか? 彼女は本当の意味で、彼と共に歩むことができるのか?
自分自身が見せる過去。消せない記憶。彼の隣にいる、黒く染まった自分。
「ァハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
悪魔のような哄笑が、脳内に響き続ける。
それは、終わらない悪夢。抜けない楔。
血に濡れた彼女の手は、決して彼に届かない――――――。
☆★☆
鈴虫が奏でる音色と、少女たちの寝息だけが響くはずの、そんな真夜中。窓から覗く月明かりだけが、その空間を仄かに照らしている。
夜風に紛れて、苦しげなうめき声が静寂を破った。
「ぅ、あ……はぁっ、……っ……」
ようやくあの世界から開放された。アトラは安堵なのか不快感なのか自分でも分からない最悪の寝起きで、静かに瞼を開いた。
目に入ったのは天井。シーリングファンが音もなく回っている。
せっかく風呂に入ったはずなのに、体中にびっしりと気持ちの悪い汗をかいている。
最悪だ。
「っ、はぁっ、はぁ…………はあ……っ」
息も荒い。まるでずっと呼吸を止めていたかのように、体中が酸素を求めている。
「ふう……」
アトラは大きく息を吐きだした。呼吸を落ち着けて、自分が今いる現実を意識する。もうあの悪夢は終わったのだと、自分を信じ込ませる。
誰にも話していないが、最近眠るたびにこうなるのだ。そのせいで寝不足になっている。彼女が真っ先に布団へ倒れ込んだのもそれが原因だった。
「もう、嫌」
目尻に溜まった涙を拭って、小さく呟いたその一言。それに反応した一人の少女がいた。
「ねえ……」
「っ!?」
ビクリ、と跳ねた。
振り向くまでもなく、声で分かっていた。親友が起き上がって、心配そうな瞳を向けて座っていた。
「い、いつから……っ?」
「最初から。アトラちゃんが『うー』とか『ああー』とか呻くから、起こされたのよ」
「あ、はは……ごめんごめん」
「……」
「……」
嫌な沈黙だった。
「あはは、ちょっと変な夢見ちゃって。気にしないで。私、なんか夢見が悪いのよねー」
「……」
決して逃してはくれない、そんな沈黙だった。
「いつから?」
端的に一言、ユリスは尋ねた。
奇しくも、それはアトラと同じ問いかけだった。しかし、意味は異なる。
アトラだって馬鹿じゃない。何を聞いているのかなんて分かっている。
分かりきっている。でも──。
「き、気にしないでって……」
「……」
「言ってる、のに……」
「……」
彼女に限って、ごまかしは通じない。そんなことはアトラにも分かっていた。だから──
ユリスに目を合わせることもできずに、少女は絞り出すように答えた。
「……一週間くらい前。マルギットを出てから、ずっと」
「……はぁ」
大仰にため息をつく親友に、アトラは目を合わせることができなかった。彼女の性格を考えれば、何を言われるのかは大体分かっていた。
「あなた、自分が今の国にとってどれだけ大切な存在か自覚してるの?」
「わ、分かってる! だから──」
「私が言いたいのはっ!」
寝静まる皆に配慮してボリュームを抑えつつ、しかし確かな意志を感じさせる声でユリスは訴えた。
「私が言いたいのは、あなたが倒れたら全てが終わりってことよ。それなのに一人で問題抱え込んで、勝手に辛くなって、人知れず耐えきれなくなって決壊なんてしたら──取り返しのつかないことになるわ」
それは親友だからこそ言える、心からの忠告だった。
「アトラ・ファン・エストランティアは換えがきかない存在なの。あなたの体はあなただけのものじゃない。もっと皇女らしく堂々と、不遜に振る舞いなさいよ!」
ユリスがそんなことを言うのは、彼女が本当のアトラを知っているからだ。今のアトラは、国の問題やエイジとの関係性、その他膨大な量の問題に押し潰されて本来の彼女とは程遠い不安定さになっている。
きっと、それだけ今置かれている状況が苦しいということなのだ。だから、
「……大丈夫?」
不安げな少女の手を取り、優しく包み込んだ。
「ユリっち……」
「人一倍責任感が強いのは知ってたけど……まさか、これほどとはね。もう、ちゃんと相談しなさいよそういうことは。エイジが気まずいって言うならハザマでもいいし、異性だと話しづらいならメイやミスティでもいいし。なんなら、私だっていいんだから。吐き出さないと溜まってくだけよ」
うるうる、とアトラの瞳が揺れる。
──ああ、ダメだ。
そう思った瞬間には、もう間に合わなかった。
「ゔゔうう」
「わひゃあ!?」
涙目のままダイブしてきたアトラを受け止めきれず、ユリスはベッドに横倒しになった。
「もう、何よいきなり!」
「うううううう……」
唸ってるだけじゃ分かんないわよ! と言いたいところだったが、そこはグッと飲み込む。
胸に顔を埋めてグリグリしてくるアトラを見ていると、なんだかおかしくて仕方がなくて、そんなことを言う気にもなれなかったのだ。
「うん……」
ぎゅうっとしがみついてくるアトラ。ユリスはただ優しく少女の背を撫でる。されるがままに、ユリスは彼女を受け入れた。
「……このまま一緒に寝てもいい?」
「えっ」
「いい?」
流石に甘えすぎでしょ! というツッコミも……飲み込んだほうがいいのだろうか?
でも、この小動物みたいな不安げな瞳を向けられたら、ユリスも断れない。さっき頼れと言った手前、突き返すのも忍びないし。
「しょうがないわね」
まあ抱き心地もいいしそれくらい許してやるか、とユリスは開き直り、自分の布団に招き入れた。
それからしばらくは、密談に花を咲かせた。もともと仲良しな二人だったが、今日このやり取りを経て更に深く互いを知ることとなった。
──夜更け。少女たちの微かな話し声だけが、宵の静寂を乱す。風が吹けば攫ってしまうほどの儚い邂逅であっても、二人にとってはかけがえのない時間だった。
窓から覗く月明かりだけが、微笑み合う二人の表情を照らし出す。
そうしてどちらともなく寝付くまで、二人きりの内緒話は続いた。
その内容は──語るべきではないだろう。乙女の秘密に踏み込むのは、少々野暮というものだ。




