第005話 即席パーティ結成
「へくちっ」
可愛らしいくしゃみが、赤黒く燃え盛る厄災の空に響き渡った。
「あ、あばばばばばば、あば」
僕はこのまま爆発するんじゃないかというくらい脳に血が集まっているのを自覚した。
だって。
目の前には美少女。それも、全裸。
僕は慌てて目をそらした。かろうじて土煙で隠れていた。そういうことにしておこう。僕は何も見ていない。
「うーん、あれぇ、記憶が……およ? 服もない」
僕は、少女のうわ言のようなその言葉で思い出す。
──まあ、人間界に落とす過程で記憶とかその他諸々吹き飛ぶでしょうが……。
(その他諸々────! 消えちゃいけないもの消えてるから!)
あの神様のドヤ顔が脳裏に浮かぶ。もっとこう、威厳のある存在だったはずなのだが、いつの間にかネタキャラのような扱いになっている。
──と。そんなことを考えていた時だった。
「見つけたぞ、逃すなッ!」
「──ッ!?」
瞬間。僕は弾かれたように後ろを振り返る。するとそこには既に、三人もの魔道士の姿。
「見つかった……っ!」
あの爆音だ。気がつかないはずがない。
僕は緊張に跳ねる心臓を抑え込み、再び走り出した。
どうする。どうする。どうする。
目の前の少女。腕に抱えたアトラ姫。迫る追っ手、限られた時間。瞬間的な判断が求められる。
そして、そんな中で僕が出した結論は。
(ええい、ままよ──ッ!)
僕は全速力で大地を蹴りながらアトラ姫を米俵のように左手で担ぎ直すと、空いた右手で謎の少女を引っ掴んだ。
「わぷっ」
半ばラリアットに近い勢いで少女の腹を引っ掛けて、小脇に抱える。またもやモノスゴイ感触が右腕全体を包み込むが、気にしている余裕はない。
「うわああああああああああああああああっ!!」
背後から火球が迫る。それを『英雄の眼』による直感で右に左に躱していく。あの痛みを知っているからこその、火事場の馬鹿力。
一歩間違えば直撃。石に躓くだけでゲームオーバー。画面越しに見るのとは訳が違う。
悲鳴を上げながらも、しかし止まらない。
あまりにも鮮明な死の香りに、僕は涙を浮かべながら逃げることしかできなかった。
☆★☆
「だぁあああっ、はぁ……はぁ……っ」
数分後、どうにか追っ手を巻いた僕は森の中で木に背を預けて息を整えていた。
「えーっと、お疲れ様です……?」
とりあえず僕の上着を被せて急場をしのいだ状態の少女が投げやりな労いの言葉を投げかけてくる。
「ああ、お疲れだよまったく……!」
身体能力の強化は過信できるものではなかった。確かに出力は上がったが、しかし動かしているのは僕の脳だ。マシンの性能が上がっても動かしているのが僕なら、その能力を十全に発揮することはできない。
「そ、それで……君は、誰?」
僕は恐る恐る問いかける。銀髪の少女はよくぞ聞いてくれましたとばかりに無い胸を張って、
「私の名前はミスティです!」
「うん」
「……」
「……」
沈黙。
「そ、それだけ?」
「はい☆」
「……」
やはりこの少女──ミスティは記憶がないようだ。ユグドミスティアの言葉を借りるなら、人間界に化身を落とす過程で消えてしまうものなのだろう。服も消えた。
「ええとぉ、何か、とても重要で絶対に忘れてはならない使命を帯びていたはずなんですけど……それがなんなのかは、さっぱり……」
「そ、そうか……」
「誰かを助ける……? そのためにここに来たような、そうでないような」
ここで「実は君は大精霊ユグドミスティアの化身で、僕たちの旅の助けとして生み出された存在なんだ」なんて説明しても理解してもらえるとはとても思えない。
ミスティ。名前からしてもやはり彼女がユグドミスティアによる『助力』なのだろうけど……。
(この子は……役に立つ、のか?)
「どうやら私、心優しき方に拾われたみたいなので、そのままついていくことにします。見捨てないでくださいね」
「見捨てたりはしないけど……」
「あ、なんですか? 対価ですか? 馬車馬のようにこき使ってくれて構いませんよ」
「そういうことじゃなくて……」
「あ、もしかして体をご所望ですか? さすがにそれは……」
「そ、そんなこと一言も言ってないよ!」
「冗談ですよ」
「……」
……独特の間合いを持つ女の子だ。
「んぅ……ふぁあ……」
そんな微妙な沈黙が流れる中、もう一人の眠り姫がようやく目を覚ます。
「あれ、私……」
パチパチと目を瞬かせて、辺りを見回すアトラ。
「お、お目覚めですか」
「あなたは……」
ようやく焦点のあった瞳と視線がぶつかる。僕を見てあの出来事を思い出したのか、アトラはバッと立ち上がると、
「あ、あなた生きてたのね! 追っ手は!? エストランティア城は!? 私たちの、国は……?」
「お、落ち着いて!」
慌てふためく姫様。僕は「まだ安静にしてないと」と彼女をなだめて座らせ、ここに至るまでの経緯を説明した。
僕の話を聞き、その美しい顔に影を落とす少女だったが、それでも現実はしっかり受け止めたようだった。
「そう、なのね……」
アトラは、この事件の重さを噛みしめるように拳を握った。
「私、この国を救わなくちゃ」
救国。
その意志の強さは筋金入りだ。そう、彼女のその勇敢な心が未来のエストランティアを形作る。ブライトとともに全国を旅して仲間を集めて絆を結び、エストランティア城を占拠したグリムガルドを討ち倒すその日まで、彼女は決して止まらない──
「ごめんなさい。申し遅れたわ。私の名前はアトラ・ファン・エストランティア……って、さすがに知ってるわよね」
「そ、そりゃもちろん!」
そこに至ってようやく緊張が抜けたのか、彼女は疲れは残るものの精一杯の笑みを浮かべた。
「あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
「あっ……ぼ、僕は……」
名前を問われて、僕は言葉に詰まった。
僕の身体はブライトという青年のものだ。しかし、中に入っている人格は運動音痴のゲーム好き高校生、安藤影次。
ブライト。影次。
ならば今の僕は、一体どちらなのか。
しばらく迷ったのち、僕はこう答えた。
「僕の名前は、ブライト。ブライト・シュナイダーです」
この世界で生きる覚悟を決める上で、名乗るならばそちらの方が都合がいい。いきなり安藤影次です、なんて言ったって耳慣れない単語に首を傾げられるだけだ。
「ブライト。ブライトね。改めてお礼を言わせて」
そうしてアトラは静かに頭を下げた。
「ありがとう。私を助けてくれて」
それは日本式のお辞儀。中世風ファンタジーといえど日本で発売されたゲームだからか、こういった馴染みやすい風習などはそのまま取り入れられている。
(そうだ。彼女は平民のブライトにだって躊躇いなく頭を下げられるような、そんな人なんだ)
人気投票でもダントツ一位。高貴な身分にありながらそれに驕ることなく、最初から最後まで国民の平和のために尽力した心強き少女。この手の人気投票で順当にメインヒロインが一位を取ることは意外に少ないものだが、彼女は二位に二倍の差をつけてぶっちぎっていった。『エストランティア・サーガ』を知らずともアトラの名前くらいは聞いたことがある、というゲーマーは多い。
そんな誰もが恋したヒロインが──今、目の前に。
「あ、ぇ、ええと……っ、そんな、僕は……た、大したことは……」
腕を振り首を振り、しどろもどろで返答することしかできない僕に、しかし彼女は真剣に向き合ってくれる。
(直視、できない……!)
なんとかピンチを抜け出した今だからこそ分かる。分かってしまう。
原画担当しらたき先生の美麗グラフィックに、CV担当佐々木梨絵そのままの声で喋る本物の『アトラ・ファン・エストランティア』が目の前にいるのだ。ゲーマーなら卒倒確実。心臓を抑えて苦しみだし担架に乗せられて救急車で運ばれるだろう。
「それなのに……ごめんなさい、こんなことに巻き込んでしまって。もしかするとあなたは、大変な運命を辿ることになるかもしれない……」
殊勝に語るそのセリフも──ああ、ゲームで聞いた通りだ。
彼女らしい、どこまでも他人のことを思いやれるアトラの魅力に溢れたセリフだ。
(そうだ。僕は……いやブライトは、彼女と将来──)
そこまで考えて、僕は。
「あ、あああああああああああああああああああ!」
「ど、どうしたの!?」
頭を掻きむしった。
よくない。このことを考えるのはよくない。僕は今後ブライトとアトラがどうなるのか全て知っているけど、これは考えてはいけないやつだ。
突然の奇行に面食らうアトラ。数秒後、恥ずかしくなって縮こまる僕。
そろそろ夜の帳が下りる森に、嫌な静寂が訪れた。
「あのー、そろそろいいですかぁ?」
じっとりとした目でその静寂を突き破ったのは、それまで黙って話を聞いていた銀髪赤眼の少女だった。
「こ、この子はどなた?」
初対面のアトラが首を傾げる。対するミスティはのほほんと右手を上げて、
「ミスティって言います。名前しか覚えてません。記憶喪失な悲劇の子なのです」
「た、大変なのね……」
「なんか恐ろしい黒ずくめの人たちに攻撃されそうになったのを、この人が助けてくれたんですー」
「あなた、あの状況から私含めて二人の人間を背負って脱出したの!?」
「ま、まあ……」
「凄い力……いや、そうか。ユグドミスティア様の加護……!」
アトラは何やら思案しているようで、顎に手を当てている。
「……今後のことなんだけど」
そして、控えめなボリュームで切り出す。
「私は、グリムガルドを倒すための方法と、手伝ってくれる仲間を探さなければならないわ。命を助けてもらった身でこんなことを言える道理はないことくらい分かっているけど……」
アトラは自然な動作で僕の手を取って、自らの両手で包み込んだ。心臓がバクン、と跳ねた。
「私に力を貸してくれないかしら。今私に頼れるのは、あなたたちだけなの……っ」
そう。彼女はゲームのヒロインだ。手を握って上目遣いで真摯に懇願してくる、なんて芸当軽くこなしてくる。
破れかけで黒く煤けた白手袋。舞踏会の途中でそのまま飛び出してきたかのような人形めいた少女。
そんな目で見つめられたら、僕は──
頷くことしか、できない。
「ありがとう。ありがとう……っ! とっても心強いわ! きっとあなたならなんとかしてくれる、そんな気がする!」
覚えている。このセリフと同時に、アトラのパーティ加入メッセージが表示されるのだ。新たな仲間が生まれた時の高揚感は、筆舌に尽くしがたいものがある。
「私もお手伝いしますよぉー。他にやることもないですし、なんだか面白そうなので」
そこにミスティも賛同する。これで三人だ。
偽物の勇者。本物のお姫様。謎の少女。
たとえ勇者の中身が別物だろうと、構わず物語は進む。
(……やるしかない)
僕には、ブライトのような『度胸』も『勇気』もないけれど。
かつて全員生還完全攻略を果たした『知識』がある。
(……一人も死なせない)
なぜゲームの世界に迷い込んだのか。この世界は一体何なのか。それが分からないままだとしても、今目の前にあるこの物語を歩んでいかなければならないことは、変わらないから。
きっとエンディングを迎えれば、この世界から抜け出せる。今はそう信じるしかない。そして──やるならば、完全攻略。
だってそれが──
ゲーマーというものだろう。