第052話 さよならは────
背後から全力で駆けつける男の存在を、僕の未来視は確かに捉えていた。
ハザマ・アルゴノート。ミスティを安全な場所まで退避させたのち戻ってきたその男は、振りかぶった大剣を敵の得物にぶち当てた。
「────────『三斬火』ッッ!!!!」
爆発のような衝撃が全身を貫く──しかし、歩みが止まることはなかった。
ルインフォード戦で、ハザマは特攻を仕掛けた。身体を剣に見立てて『三斬火』を放つという荒業は、自身を焼き尽くす文字通り捨て身の攻撃だった。
しかし今、同じように炎を身に纏ったハザマは、笑いながら敵の攻撃を受け止めていた。
秋ノ型八番・『覇付』。自分の生命エネルギーを完全にコントロールし、本来発散されてしまうそれを周囲に留める技。炎の弾丸と化して、ハザマは僕らを追い抜いていった。
「行けッ!!」
煌々と燃え上がるその姿は、神々しさすらあった。
ハザマの言葉に、僕は頷き前を見据える。
彼がこじ開けた道のその先には、一人の男が待ち構えていた。
「ゾロア……!」
その直線、わずか十メートル程度。
それは僕らとゾロアの間に横たわった、魂の距離。
「──行こう」
『うん』
それをゼロにするために。
「──────ッ」
正真正銘、最後の攻防が始まる。
ゾロアが地を蹴り駆け出した。大爪を振りかぶり、迫る。
(アトラ、後は頼んだ)
『大丈夫。任せて』
胸の中で交わした言葉は、それだけだった。そして──
『憑依──解除っ!』
瞬間、僕の身体から光が抜けて、一人の少女を形作った。臨壊による憑依を解除した霊体アトラだ。
僕はアトラの背中に手を当て、思いっきり押し出した。
もちろん触れることはできない。それでも、ありったけの想いを込めて。
(翔け抜けろ、アトラ────!)
少女は今日一番の光に身を包む。
その光輝は空を翔け、一通の手紙を届けるため──一条の流星と化す。
アトラよ、どうか────僕らの魂を繋ぐ架け橋となれ。
『らああああああああああああああああああああっっ!!!!』
裂帛の気合いとともに飛び出したアトラ。
行く手にいくつもの影が立ちはだかるが、今の彼女にゾロアの影は通用しない。全てをすり抜けて、本体の元へと加速し──
『これで終わりよ』
宣言と同時。
『──「ボルテクス・レイ」ッ!』
アトラは全魔力を注ぎ込んだ雷撃を、影の装甲の向こうにある体内に直接叩き込んだ。
「──────────────────────」
声にならない悲鳴が、倉庫に木霊した。
☆★☆
『──「ボルテクス・レイ」ッ!』
暴れ狂う雷撃が体内に放たれた。それは、敵の魔法防御などを完全に無視して届く一撃。どれだけ分厚い装甲で攻撃を防ごうが、霊体はそれを通過して通常の何倍ものダメージを叩き込む。
そして、それと同時に──ゾロアの中にアトラの想いが流れ込んだ。
霊体という特殊な性質を持つ彼女の感情が、生命エネルギーに乗ってゾロアの魂に直接届いたのだ。
(これ…………は……)
朦朧とする意識。臨壊による分身も消えて、今にも倒れこみそうなゾロアの脳内には、一つの光景が広がっていた。
(そう、か…………これが、あいつの言っていた────)
アトラが乗せた想い。それは、エイジの魂の中で見たあのセリフだった。
(本当……なのか……)
疑いようもなかった。
(本当に、私は……リリーナを……っ)
どんな道のりの果てにたどり着くのか、脈絡は一切分からない。それでも、彼が見た世界は『必ずたどり着くこと』を保証してくれる。
ゾロアが最も嫌った『主人公』という力が、ゾロアが最も欲しかった保証をくれた。
300年。長かった。この道が正しいのか、本当にリリーナの元まで続いているのか、不安で仕方なかった。それでも止まってしまえば、リリーナには二度と会えなくなる。だからこそ足掻き続けた。途中、何度も答えを見失いそうになりながらも──足だけは止めずにいた。
(ああ……──)
だけど、今。この道のりの先にゴールがあるということを、ゾロアは知った。
それは……悔しいほど嬉しくて、同時にたまらなく安心してしまって。
あれだけ憎かったエイジの言葉に救われている自分がいることを、ゾロアは決して認めはしないけれど。
それでも胸の内に湧き上がってくる安堵は、抑えきれなくて。
「もう一度言うよ、ゾロア」
霞む視界の向こうに立つ少年は、敵のくせに切なそうに微笑みながら。
「お前は、間違っていない」
一言、そう口にした。
ゾロアは今後も、アンドウ・エイジという存在を許容することはできないだろう。安全な場所から人の命を語るような輩が、信頼できる訳がない。
だが、許せないと思う要因を強く意識すればするほど、彼の語った未来の自分の存在性が高まっていく。
どんなに憎もうと、これから先の人生でゾロアはエイジの言葉を忘れることはできない。それは既に、楔のように彼の心に打ち込まれてしまったから。
(皮肉な、ことだな…………)
ふと、自嘲混じりの笑みを浮かべて。
(私も既に、新たな物語を歩み出していた、という訳か……)
意識を手放そうとした瞬間、視界の端に映り込んだのは。
(懐かしい、顔だ……)
息を切らせて走ってきた、一人の老人だった。
(随分と老けたな、レイノルド────)
しかし、再会を喜ぶなんて二人には似合わない。
きっとこれからも、ゾロアとレイノルドはすれ違い続ける。邂逅は一瞬。再び二人の道は、分かたれる。
(じゃあな……──)
そうして、今度こそ。
ゾロアの意識は、闇の中へ沈んでいったのだった。
☆★☆
ハッハッハッ! ついに、ついに手に入れた! 私はこの力を使って時を渡る旅に出る! さらばだ、少年ッ!!
待っててくれ、リリーナ────。
☆★☆
爆発の煙が晴れた後には、何も残っていなかった。
ゾロアはルインフォードの時と同じように、死亡と同時にエストランティア城の円卓に帰還したのだろう。
戦闘終了。そう実感するとともに、疲労感が大挙して襲いかかってきた。
『終わった──────」
霊体化を解除したアトラは、そのまま地面に落下して突っ伏した。生命エネルギーを使い続けた結果か。
「ふう……」
全速力で駆け付けたであろうハザマも、その場に腰を下ろした。
ふと見れば、背後にレイノルド博士が立っていた。老体に鞭を打って、息を切らせて走ってきた博士は、かつての戦友の残影を見て立ち止まった。
「…………ゾロア」
ほんの数秒の出来事。その中で、博士は何を思うのか。僕らには分からない思いがあるのだろうと、その表情から見て取れた。
「博士っ」
博士の姿を確認したアトラが立ち上がり、駆け寄る。
「メイちゃんが……っ」
「──!」
アトラは、ここで何が起きたのかを博士に説明した。僕が捕まって、抜け出すためには『リセット』しなければならなかったこと。その結果をなかったことにするため、メイが時間遡行を使ったこと。そして──今に至ること。
「何の準備も無しに三軸能力を使ったのか……」
少女は、壁に寄りかかったまま機能を停止していた。
虚空を見つめる瞳に光はなく。
身動き一つ取らないその少女は──まるで、死体のようで。
博士が寄り添って手を取るが、力なく垂れ下がる。
「どうにかならないんですか、博士……っ」
アトラは涙目で訴える。責任を感じているのは、僕からでも分かる。
「今の輪廻核は三軸能力の負荷に耐えきれない。使えばこのように、機能が止まってしまうのじゃ」
博士は淡々と、事務的に語った。
「人間と同じじゃ。完全に機能が停止すると……擬似的に人格を形成していたデータも消える。つまり、実質的な死じゃ」
その言葉を聞き、ここにいる全員が息を飲んだ。
「身体自体は生きている。だが、再起動してもそこにいるのは、かつてのメイではなく……別の何かじゃろう」
「そんな……っ。そんなの……嫌……ッ」
死。かつての少女は二度と戻らない。あの冷たくて、何を考えているのか分からなくて……でも自分を探しながら、必死に生きていた少女はもういない。
「博士ッ! あなたは悲しくないんですか!? 辛くはないんですかッ! 私は……私はこんな終わり方、絶対に嫌ですッ!」
「……」
「博士っっ!!!!」
アトラの言葉に――博士は苦しげに、胸の奥底から絞り出したような言葉を吐いた。
「もう何も、誰も失いたくない……っ」
その言葉を聞き、アトラは歯を食いしばった。
「……まだよ」
涙を拭ったアトラが、不意にそう言った。
「まだ終わってない」
眦を決し、再び霊体化した少女。一体何をするつもりなのか──
『探しに行く。……彼女の、心の中に!』
「……!」
霊体化による『憑依』を用いて、心の中に潜って直接メイの魂を引っ張り上げる──というのがアトラの考えだった。果たしてそんなことが可能なのか。僕には見当もつかないが……それでも、やらないよりはいい。それだけは間違いなかった。
「な、何を……」
博士が困惑するの尻目に、僕は決心する。
「僕も連れて行ってくれ」
『分かった。行きましょう、一緒に』
アトラが再び僕の中に入ってくる。一心同体となった僕らは、メイの手を取り、繋がる。
ゆっくりと目を閉じて、アトラに魂を託す。霊体となった少女に身を委ね、心の中を翔け抜けた。
──そしてたどり着いたのは、森だった。
単純な森ではない。そこは電子機器のコードのようなものが無数に絡み合った、不可思議な空間だった。
もちろんそこに、メイの姿はない。無人の森が、延々と続いていた。
僕とアトラは並んで立っていた。この無限に続いていそうな空間から、たった一人の少女を探し出す。
「行こう」
『……うん』
不可能かもしれない。それでもやるのだ。
コードをかき分けて、森中を走り回る。時折不審なノイズ音が聞こえたり、たまに落ちているモニターが光り出したりして、不気味で仕方ない。
『……ねえ、エイジくん。この変な音、前にも聞いたことがない?』
そう言われて、僕も思い至った。
『繝。繧、縺ッ縺薙▲縺。縲よ?・縺?〒縲』
この感じ。前にもどこかで……。
「ダメだ。何の音なのかはさっぱり──」
『聞こえる』
「え?」
突然、アトラは方向転換した。
『こっちだ、って言ってる』
「分かるの?」
『うん。この体だと聞こえる。「メイはこっち。急いで。」って』
メイの場所を教えてくれる。ということは、メイではない誰か? 一体誰が……?
正体不明の声に導かれるようにして、僕はアトラと二人森を走った。どれくらいの時間が経ったのか分からない──いや、この空間に時間という概念が存在するのかも怪しいが、それなりの距離を走った頃。
『いたっ!』
アトラが指差した先。
そこには、コードに絡め取られて、今にも森に飲み込まれそうになった少女がいた。
「急げッ!」
『うんっ』
僕らは全力で駆け寄って、コードを引き剥がす。しかし、その森はまるで生きているかのようにそれを邪魔してくる。
「くそっ、なんだよこいつは……ッ!」
遠い。絡みつくコードは、決してメイに触らせてないと言わんばかりだった。
「メイッ! おい、メイ────ッッ!!!!」
『メイちゃん、目を覚ましてっ!』
目を閉じていた少女は、それに気づく。顔を上げて、こちらに目を向けると、ぼんやりとした表情で首を傾げた。
「なぜ……ここニ……」
「『お前を助けに来たッ!』」
「どうしテ……」
メイはますます深く、遠くへ飲み込まれていく。
「どうして、ワタシなんかのためニ……っ」
機械少女は首を横に振った。光の宿らない瞳に、諦観混じりの表情。
「もういいんデス。ワタシは、ワタシの役目を果たしタ。……私は機械デス。博士によって作り出され、この世に生を受けた仮初めの命でしタ。──────でも、あなたはそんな私に本物だと言ってくれた。嬉しかった。この命をくれたのは博士です。でも、この命を本物だと認めてくれたのはエイジ様です。ゲームの登場人物に本気になってくれるようなあなただからこそ、ワタシは最期に……本物になれたんです」
「違う、僕は……」
今のメイは、彼女の心本体だ。胸の内に隠されていた数々の思いを、何のフィルターも介さずに出力している状態。ありのままの、彼女の思い。
「メイナの話を聞いてから、ずっと考えていました。ワタシが生まれた意味。失敗作の自分がこの世界で生き続けることに意味なんてあるのか、と」
『メイちゃん……』
「最後の最後に意味を持てた。それだけで、ワタシの短い人生は報われた」
その時。
今までずっと無表情を貫いて来た彼女が、微笑んだ。
「ワタシはあなた達人間とは違う。やっぱり一緒だなんて思えない。でも──そんなワタシのことを受け入れてくれた。ワタシがいくら拒絶しても、手を差し伸べてくれた。ワタシはダメだったけど、これからもきっと、誰かに──その手を、差し伸べて、あげてほしい」
それはまさに、別れの言葉のようで。
「ワタシを人間と言ってくれて、ありがとう」
「ダメだ、メイ────ッ!」
はっきりとここで終わりだと、告げられているようで。
「さよなら――」
「『終わらせないッ!!』」
それでも僕らは、手を伸ばした。
「勝手に満足して終わろうとするなよ。そんなの、認めないからな」
『ええ。私たちが、許さない』
「ぇ……」
呆然とするメイに、僕らはまくし立てる。
「君はそれでいいのかもしれない。だけど、僕たちが嫌だ! いいか。主人公ってのは──ハッピーエンドじゃなきゃ許せない、わがままでどうしようもない存在なんだよッ!」
『あなたの存在は、もうあなただけのものじゃない。私たちの心の中に刻み込まれてる』
「でも、ワタシは……」
「生まれた意味ならこれから作ればいいッ!」
今はただ、必死に訴えるしかない。彼女に届くことを祈って、言葉を重ねるしかない。
「最初から意味を持って生まれてきた存在なんてほとんどいないよ。最初はみんな、何もないところから始まるんだ。僕だってそうだった。ゲームと出会って、初めて自分が自分になったんだ。そうやっていろんなものを知って、意味を生み出していけばいい。そこに人間か機械かなんて、関係ないと思う」
僕は、自分が本当に安藤影次なのか分からない。自分が自分なのかすら曖昧な今、こんな言葉に説得力はないのかもしれない。それでも僕は──一人のゲーマーとして、彼女に伝えねばならない思いがあった。
「ゲームの登場人物に魂なんてない。客観的に見たら、そうなのかもしれない。でも、僕は違うと思うんだ。僕らプレイヤーの心を動かして、躍動する彼らは──間違いなく本物だった。だから──」
そして僕は、ありったけの思いを込めて、彼女に告げた。
「信じる心にこそ、魂は宿る」
ないと言ってしまえば、魂なんて曖昧な概念は跡形もなく消えてしまう。だからこそ、あると信じる。作り物だろうと関係ない。
だからもう、あとは彼女自身の問題だ。彼女がこれからを生きたいと願うか、もう終わりだと諦めるか。
「ワタシ、は……」
「聞かせてくれ。君の、君自身の本当の思いを」
「──ワタシは、メイナの代わりに作られた存在だから。メイナになれなかった時点で、もう生きる意味はないと思った。でも…………あなたたちが、ワタシを見てくれるなら。メイナじゃない、メイとしてのワタシを見てくれるなら」
そしてメイは、頬に一筋の涙を流して。
「ワタシは──いえ。私は、もう少し、生きてみたいと思う」
目一杯、こちらへ向けて手を伸ばした。
「──助けて」
「『その言葉を待ってた!』」
僕らもそれに応え、身体をコードの塊にねじ込む。
「届け……っ!!」
しかし、あと一歩足りない。
『何で──ッ!』
ほんの数センチなのに、その距離が縮まない。
時間がない。このままでは、メイが飲み込まれてしまう。焦る気持ちとは裏腹に、身体は思うように動かなかった。
これでもダメなのか。あと少しなのに。
こんな終わり方は絶対にダメだ。せっかく彼女が、前を向けたというのに────
『──────────────────』
その時。
僕らは、幻影を見た。
コードの森の向こう。わずかに光を帯びたその姿は──少女の形をしていた。
それは、まるで霊体アトラのように全てをすり抜けて、メイの隣までやってくると。
「え──」
軽く、背中を押した。
その瞬間を逃さず、僕らはメイの手を取った。
「引け、アトラっ!」
『うんっ!』
コードの塊からメイを引き抜く。名前も分からない少女はそれを見て、ふわりと微笑んだような気がした。
そして、僕らは現実へと帰還する────。
☆★☆
レイノルドはその間、ただ見守ることしかできなかった。
もともとレイノルドは、メイにしてやれることはないと思っていた。無責任に彼女を生み出し、そのまま彼女と向き合えずに今日という日まで来てしまった。
メイに恨まれて当然だと思っていた。あんなことを言って、メイを苦しめて……。
メイとどう向き合えばよかったのか、いまだに結論は出ない。
それでもレイノルドは、その場で待ち続けた。すると──
「これ、は……」
目を閉じたメイの頬を伝う、一筋の涙。
「涙……」
レイノルドは困惑した。メイに、涙を流す機能なんて存在しないからだ。
なぜ──そう思うのと同時に、一つの納得もあった。
もはや彼女は、自分が作ったメイではない。様々な経験を積んで、確立した──一人の少女なのだと。
それを見た瞬間、レイノルドは悟った。彼女にかける言葉は、最初から一つしかなかったのだ。
涙を流す機能──全ての生命体に許された可能性。人はそれを、進化と呼んだ。
成長し、進化する。それは人間ならば誰しも備えた機能だ。
「メイ……お前は、もう……」
その言葉を言い終わるかどうか、というところだった。目を伏せていたエイジが飛び起きて、同時に体の中から半透明になったアトラが抜け出した。
「だ、大丈夫か!?」
ハザマが倒れかけたエイジを受け止め、霊体化したアトラに度肝を抜かれている。
「博士、再起動だ!」
「し、しかし……」
エイジの言葉に、レイノルドは渋った。それでもエイジは譲らなかった。
「いいから、早く! ──彼女が待ってる!」
「──」
熱のこもったその言葉に、レイノルドは動くしかなかった。
メイの背中に手を当て、生命エネルギーを流し込む。外部から力を流すことで、メイを起動するためのゼンマイを回すのだ。
一瞬、輪廻核が強く光を発する。再起動した核が、全身にエネルギーを行き渡らせていく。そして、
「──00153β、セットアップ。再起動を実行します」
目を覚ました少女は、自分の手のひらを見つめ、そして周りを見渡す。
「──私は……」
なぜここにいるのか、それすらも分からないといった様子で、メイは不思議そうにしている。
「メイ、なのか……?」
同じくレイノルドも、信じられないと首を横に振っている。確かに、今起きたのは理屈では説明のつかない現象だ。エイジたちも一体何がどうなっていたのか理解はしていない。
でも、メイは今ここにいる。それだけで、十分なのだ。
「メイ……っ」
レイノルドはそのまま、メイを抱きしめた。
「く、苦しいです。博士」
「すまない、すまない……っ」
溢れ出した感情は、歯止めがきかない。もはや二人の間には、なんの障害もなかった。
「ずっとわしは見失っておった。メイナの背中を追い続けて、お前のことを全く見ていなかった……」
「博士……」
「簡単なことだった。わしは──」
気がつけば、レイノルドもまた涙を流していた。賢者と持て囃されようと、こうして人は間違えるのだと──メイをより一層強く抱きしめて。
「──わしはただ、『お前は人間だ』と、一言認めてやるだけでよかったんじゃな……」
「──────」
その言葉を聞いた瞬間、メイの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは、メイの涙を見た瞬間に博士がたどり着いた答えだった。
レイノルドは、本物の人間を生み出そうとあの手この手で研究を続けてきた。しかし、答えは最初からそこにあったのだ。自信を持って認めてやる。生みの親であるレイノルドが彼女を肯定してあげるだけで、メイの抱えた葛藤を消し去ることができたのだ。
「私は……人として、『メイ』として、生きたい……っ」
「ああ。……ああ。それでいい。たくさんのものを背負わせてすまなかった。お前は、お前の人生を歩むのじゃ……っ」
迷い続けた二人は、ついに答えにたどり着いた。
「後悔じゃない。わしは、誇りに思うべきだったのじゃ。メイを生み出したこと──大切な二人目の娘、メイ・グレイハーツはこんなにもたくましく成長したのだと……!」
「ぁ……あぁ……っ」
それが限界だった。
メイは声を上げて泣いた。それまで無表情、感情は一切表に出さなかった彼女が、赤子のように泣いていた。
ここまで堪えていたいくつもの思いが、堰を切ったように溢れ出していく。
溜め込んでいた気持ちは涙となって流れ出し、代わりに胸の中に広がるのは温かい感情。
誇りだと、そう言ってくれた。
ああ、それだけで──生まれた意味に、なるじゃないか。
生きる意味を探し続け、人間と機械の間で揺れる少女。
愛娘を取り戻すために、果てのない研究に挑んだ男。
迷い、悩み、苦しみ続けた二人は──
「私を生んでくれて、ありがとう。博士──いや、お父さん」
いくつもの葛藤を乗り越えて、今日この時、本当の意味で家族となった。
それはゲームには記されなかった、本当の意味で『生きる人間』の物語。
誰もが馬鹿にするかもしれない。ありえないと笑うかもしれない。それでもきっと、彼女は信じたのだ。作り物の命だって、本物になれると。そして────
魂の在処は、この胸に。
『Estrantia Saga』
Chapter02 Whereabouts of the soul
completed.
☆★☆
エイジとアトラは二人顔を見合わせ、ニコリと笑って拳を打ち当てた。




