第051話 名も無きあなたに捧ぐ詩
天蓋付きのベッドは、一人孤独に眠った場所。
使い古されたぬいぐるみは、幼き少女の唯一の話し相手。
何度も読み返されて擦り切れた絵本や伝記は、外の世界を覗き見る窓。
勉強に使ったであろうびっしりと文字の書き込まれたノートは、皇女としてこの国をまとめなければならないという責任の表れ。
そして少女は勢いよく駆け出して、その空間を後にして。
やがて現実へと帰還し、目を開けた。
光に包まれた少女の身体に、変化が起きた。
あの日ばっさりと切られてしまった輝く金髪が一気に伸長し、最初期と同じ長髪へと変わる。
見開かれた瞳は、碧眼から大精霊の髪と同じ銀色に。
そして────アトラ・ファン・エストランティアは、現実を超える。
☆★☆
「ぁ、グ……ッ」
ついに耐久に限界が来る。数に押されて捌き切れなくなった黒蛇に、僕は石ころのようにぶっ飛ばされて壁に激突する。
痛みはあった。それでも、興奮が同じだけあった。
間に合ったからだ。
光に包まれる少女。僕が捌き切れなかった黒蛇が次々とアトラへ食いかかっていく。
だが────。
「っ、何が……?」
ゾロアが息を飲む。それもそのはず、ゾロアの放った黒蛇は確かにアトラの身体を撃ち貫いたはずなのに──血の雫一つ、吹き出していない。
すり抜けている。今のアトラに、物質化した影は当たらない。
第2アビリティ──【霊体化】。
アトラがゲームにおいて『鉄血皇女』『モンスタープリンセス』と呼ばれた所以。ただのお姫様から、立派な魔法使いへと変貌を遂げる第一歩。
そして、それだけではなく。
「ははっ、マジか……!」
僕は鳥肌を抑えきれなかった。
人間の進化を瞬間を目撃した。その興奮が全身を包んでいた。
アトラが本来この場で身につけるのは第2アビリティのみ。臨壊はもっと先になるはずだった。
しかし今、彼女はその言葉を口にした。
──真の姿へと大きく近づいた少女は、蛹から成虫へ。
大きく羽を広げ、大空へと羽ばたく。
雌伏の時は終わりだ。
「ゾロア、見ているか。これが、お前の馬鹿にした人間──その魂の輝きだ」
☆★☆
第2アビリティ
【霊体化】/習得条件:大精霊との対話を重ねる
肉体を分解し、自身を精霊へと近づけることで、魂のみの存在となる。霊体化中は以下の効果が発動する。
・自身の物理攻撃力がゼロになる
・敵の物理攻撃を透過し、完全に無効化する
・魔法攻撃の被ダメージが2倍になり、一定値食らうと霊体化が解除される
☆★☆
一人では何もできない。
そう嘆いた少女が手に入れたのは、皮肉にも自分だけでは完結しない力だった。
誰かに頼り、共に戦う。きっとこの力は、そんな思いに呼応して現れた。
『あなたはもう、一人じゃない』──それを知った少女がたどり着いた、二人で戦うための力。
少年が振り返り、手を差し伸べてくる。アトラは頷いて、地面を滑るように翔けた。霊体は尾を引き、一筋の流星と化す。
そして。
「──『臨壊』──」
それは、名も無き誰かを英雄にするための力。魂の輝き。
一人では飛べない空も──二人ならば、きっと飛べるから。
「──『名も無きあなたに捧ぐ詩』──」
☆★☆
『名も無きあなたに捧ぐ詩』
対象に『憑依』する。憑依したキャラクターに、自身のステータス基礎値の半分を加算する。憑依中は、憑依対象のダメージも同様に受ける。
一人では何もできない、という弱い心象から生まれた臨壊。
/習得条件:自分にできることと、できないことを知る
☆★☆
触れ合うはずの指先は、そのまますり抜けて重なり合う。
二人の身体が一つになり、奇跡を成す。
モノクロ写真のように灰色だったエイジの髪は、憑依した少女の影響で今や黄金に変色し、燐光を放っている。
全身を包み込む温もりと、仄かなオーラ。身体全体が陽炎のように揺らめいている。
確かに、あの少女を感じる。
『ごめん、おまたせ!』
意識に直接流れ込んでくる声に、エイジはニヤリと笑った。
「ようやく、反撃開始だ」
エイジの言葉に、ゾロアは苛立ちを露わにした。
「…………卑怯だ」
孤独な研究者は、認めなかった。
それだけは、絶対に認められなかった。
「逆境になったからとすぐに覚醒、簡単に新たな力を得る……ッ。なぜお前らばかり、ふざけるな……ッ!」
主人公だから、ヒロインだからと強力な力を身につけて。敵キャラは気持ちよく倒されて終わり? 馬鹿にするのも大概にしろ、と。
彼女を失ったのはゾロアが主人公ではないからだと、言外にそう告げられているようで──どうしても、許しがたい。
「クソがああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」
蛇は、獲物を狩り殺すため、その顎門を広げた。
☆★☆
「身体が……軽い……ッ!」
雄叫びとともに放たれた無数の攻撃は、その全てが空振りに終わった。そこには既に、僕の身体はない。
自分でも驚くほどだった。今の僕は、おそらく瞬間的にルナクラスのスピードを手に入れている。
速さだけじゃない。むしろ、一番強烈な変化はここだ。
「アトラ、借りるよ──ッ!」
『うんっ!』
剣先にバチッ、と火花が舞い散る。それはやがて稲妻へと成長し、振るった剣の軌跡をなぞるように焼き払った。
アトラの『ボルテクス・レイ』だ。それを剣に纏わせて振るったのだ。
本来は一人で魔法を編みつつ武器も扱わなければならない魔技だが、今僕の中には魔法を担当してくれる少女がいる。ならば、彼女に任せて武器の扱いに集中すればいい。いくら使っても生命エネルギーが底を尽きる気配はなかった。アトラが抱える膨大なエネルギーの半分が、僕の身体に流れ込んでいるからだ。
「行ける──!」
光明が見えた。僕は一転攻勢、初めてゾロアへの接近を試みる。
「チッ──」
地面を滑るように弧を描いて駆け抜ける。もちろん、無数の黒蛇が牙を剥く。近づけば近づくほどその密度は高くなる。
(前から二本、側面から三本……)
被弾コースに入っている黒蛇は五つ。それも、ほぼ同時に直撃するため一つを切り落としていても意味がない。これら全てを、一気に叩き斬る必要があった。
だが、問題はない。
(月華流剣術・春ノ型壱番──)
師匠の使う剣聖術には遠く及ばないが──今の僕ならば、きっと。
「──『無憑』ッ!」
剣を振る、という動作をなくした斬撃。それはつまり、発動からヒットまでのタイムラグがゼロ秒であるということ。
さらに言えば、『無憑』は連発ができれば理論上無限に同時攻撃ができるということになる。
(今だからできる、秒間五連撃──!)
瞬間、五つの黒蛇は首を断ち切られていた。
微かに残る雷撃による火花だけが、攻撃の存在を示していた。
「『よしっ!』」
二人の声が重なった。心は既に一つ。
難所は突破した。ゾロアはもう目前だ。
「お前にだけは、絶対に……絶対に負けられねェッ!」
するとゾロアは、僕も見たことのない行動をとった。
拡散させていた影を全て引っ込めると、今度は自分の周囲に高密度展開した。
(何をする気だ……?)
疑問に思ったのもつかの間、その影はなんとゾロアに向けて牙を剥いた。
「なっ」
思わずブレーキをかける。知らない行動は最大限の警戒が必要だった。
ゾロアの身体は完全に影に取り込まれて、今や一つの大きな球となっていた。漆黒の球体は、絶えず回転しながら、その勢いを強めていく。そして──
交差する傷跡が表面に生まれ、一気に裂けて弾ける。
「ッ、ァァ…………」
唸り声と共に現れたのは、外套の上から影を纏った男だった。
仮面のように顔まで黒き鎧で覆われたその姿は、獣のようだった。
何よりも特徴的なのは右腕だった。身長と同じ程度まで肥大化し、何者をも貫き引き裂くであろう鋭い爪を形作っている。
「もう一度殺す……殺せば……お前は……」
次の瞬間、ゾロアは両足を思い切り縮めて、体のバネを利用して飛び出した。
(っ、早────ッ!?)
それまでの速度を大幅に上回る接近に、未来視を持っているにも関わらず僕は一瞬ひるんでしまった。しかし、
『──んんんんんんっ!』
体が思いっきり引っ張られる感覚。僕はなすがままとなり、後方へ飛んだ。
「っ、助かったアトラ!」
『気にしないで。──視えるの、わたしにも!』
「……!」
視える。言うまでもなく、それは【英雄の眼】による未来視のことだろう。
未来視の共有。臨壊による憑依に、こんな隠された力があったなんて。
(まだまだ未知が多い……!)
アトラが導いてくれたおかげで窮地を脱した僕は、すぐさま反撃を開始する。
光と影が激突し、衝撃音と共に火花を散らす。
光属性の閃剣+アトラの雷属性、どちらも影には『刺さる』属性だ。だが、ゾロアの纏う影は黒蛇として放つ影よりも高密度らしく、切断することはできなかった。
「──────」
ゾロアは無言だった。
あれだけ「許せない」と感情をぶつけていた男はしかし、本気の勝負に言葉は余計だと知っているらしかった。
影を物質化し、操るアビリティ【影傀儡】は、直接攻撃や防御にのみ使われるものだとばかり思っていた。『装備する』は、流石に想定外だった。
『エイジくん、ゾロアが消えた!』
(……影に潜ったのか)
もう一つのアビリティ【影渡り】は自分自身を影化するというものだ。影に潜行して別の影から飛び出す、なんてこともできる。実質的な瞬間移動の能力。
【影傀儡】と【影渡り】は同時に使うことができないが、うまく使い分けると遠近どちらにも対応できる強力な戦闘スタイルが確立できる。
(──来る)
とはいえ、単純な奇襲ならば未来視で躱せる。背後から現れたゾロアの爪撃をノールックで回避して、振り向きざまに剣を撃ち込む──が、やはり刃は通らない。
どちらも決め手に欠ける硬直状態。
『足りない……何か、あと一つ……』
アトラがそう言った瞬間、彼女の考えている内容が脳内に流れ込んでくる。確かに、アトラのいう通りだ。
──刃が通らないということは、奴にダメージを与える手段がない。
奴は今、全身を影で覆い尽くしている。もし高密度の影に刃が通らないのであれば、彼に傷をつけることすら不可能ということになる。このまま戦い続ければ、まぐれで攻撃を食らって倒れるのは僕だ。
今の二属性同時攻撃でもダメだとなると、これ以上の火力を持つ技をぶつけるか、影の装備を解除させるしかないか。しかし、どうやって……?
──二人でも届かない……?
そんな疑問が、わずかでも生まれてしまった。その瞬間、アトラは力強く否定した。
『そんなことない。きっと道はある。二人なら、絶対に』
「──」
どくん、と心臓が揺れた。
胸の内に直接響いてくるその言葉は、ただ言われるよりも何倍も効果があった。
──ごめん、アトラ。
弱音を吐きたがる自分を、アトラが支えてくれる。その安心感が、今の僕を強くする。
だからこそ、アトラにできないことを僕がやるんだ。
剣を強く握りしめ、僕は再び駆け出した。
アトラ憑依によるステータスブーストをかけた僕。
影装備によるステータスブーストをかけたゾロア。
それまでの限界をはるかに超える速度で、僕たちはぶつかり合った。
互いに譲れぬ想いがあった。ゾロアは僕の主張を決して認めないだろうが、僕はゾロアの主張を否定するつもりはなかった。
主人公は卑怯だ。
だが、卑怯だからこそ戦わなければならないと僕は思う。
主人公にしか救えない命があるのなら、それを救いに行く。
主人公にしか見れない物語があるというのなら、そこを目指す。
リセットできる存在は、この世界に生きる人々からすれば命を冒涜しているように見えてしまうだろう。特に、大切な人を何もできずに失ったゾロアにとっては。
でも、違うんだ。僕らがリセットボタンを押すのは、決して命を冒涜している訳じゃない。
もう一度、スタートボタンを押すため。
『これまで』を無かったことにするのは、『これから』を救うためだから。
(納得してくれとは言わない。それでも、僕らゲームのプレイヤーが持ってる感情だけは、届けたい)
それに僕は、敵キャラクターだからって単なる物語の舞台装置だとは思わない。敵には敵なりの動機があって、見方を変えれば、きっと向こうが主人公になることだってある。
主人公よりも敵キャラクターの方が好き。そんなコメントを見たことだって、何度もある。エストランティア・サーガも例外じゃない。
ゲームでは、ゾロアは不可思議なキャラクターだった。研究者だというが、何の研究をしているのかも判明しない。言動も謎が多く、皆は「そういうキャラなのだ」と納得せざるを得なかった。だが、そんなミステリアスな言動を好むプレイヤーも多くいたし、影使いという戦闘スタイルは派手で、多くのゲームファンに好まれていた。
ゾロアは決して、蔑ろになんてされていなかったのだ。
(だけど……)
それをゾロアに伝えるための、言葉が出てこなかった。
何をぶつければ、彼に届くのか。敵キャラクターは主人公に倒されるためだけの存在じゃないのだと、僕は彼に伝えたい。
戦いは平行線を辿る。
きっと言葉を見つけた時この戦いも決するのだろうと、僕は理由もなく確信していた。
☆★☆
憑依、それは不思議な感覚だった。
自分がアトラであることは確かなのに、エイジでもあるような。そんなふわふわとしたイメージ。
自分と彼、二つの魂が同居している。霊体となったアトラは、エイジという存在と同化することで意識までシンクロしていく。
(考えや思いが、直接伝わってくる……っ)
時間が経過すればするほどシンクロ率は上昇し、思考も共有されていく。エイジの思考が伝わってくる。逆にアトラの思考も、エイジに伝わっている。
互いを信じている。それが分かるから、より絆が深まる。加速度的に魂は重なり合っていき、そして──
(……あれ?)
気がつくとアトラは真っ白な空間に立っていた。
(この感じ……)
アトラは直感的に、そこが無意識領域だと理解した。
それは、憑依によって二つの魂が極限まで近づいた結果だった。アトラは先の大精霊のやり取りのように、エイジの無意識領域にたどり着いたのだった。
辺りを見回すと、そこにはアトラの時と同じように何かが転がっていた。
「なんだろう、これ……」
アトラが手に取ったのは、四角い箱だった。
鉄でできているのか、かなり重い。側面には何か突起があり、緑色の光がチカチカと光っている。そこから伸びた紐がもう一つの直方体と繋がっており、直方体は四角くくり抜かれて灰色の板がはめ込まれていた。
「うーん……」
アトラは見たことのないものだった。好奇心に囚われつつもあたりを見回すと、他にも横倒しになった勉強机や、真っ二つに折られた鉛筆、他にも色々転がっていた。
アトラはその中から、一冊の本を手に取った。なんだか見覚えのある表紙に釣られたのだが……。
「って、これ私じゃない!」
その表紙は、何を隠そうアトラご本人様だった。『エストランティア・サーガ 完全攻略本』と書かれており、ページをめくると何やら膨大な量の情報が書き込まれていた。
「じ、時間があれば全部読ませてほしいわね……」
今はそんな場合ではないし、なんだか怖くなったのでそっと元の場所に戻した。あんまり人の心の中を勝手に覗き見るのはよくない──などと思っていた時。
不意に、ブツンという音が聞こえてきて振り返った。
先ほどの直方体の中に、何かが映し出されている。
「これ、ゾロア……?」
ゾロアのイラスト、四角い枠、そこに次々と表示される文字。
次々に流れていくそれを、アトラはただ眺めていた。
「ぁ……」
そして確信する。これは、ゲームだと。
この謎の箱こそがゲームで、ここに映されているものこそがゲーム画面なのだと。
突然光り出したのは……おそらく、この世界の主人であるエイジの影響だろう。彼が何かを思ったからこそ、この世界にも変化が起きている。
そして、その画面に映し出されるのは全てゾロアの登場しているシーンだった。高速で流れていくセリフ。それはまるで、何かを探しているように……。
「……」
アトラはなぜか、そこから目が離せなかった。今まさにエイジは何かをしようとしている。その結果が、直接この四角い板に現れるのだと文字通り魂で理解していた。
「…………」
待つ。
「………………」
待ち続ける。
目まぐるしく変化する早送りの映像。その中でもやはり、ゾロアの発言には『研究』や『実験』といったワードが頻出していた。内容までは明らかにされなかったが、ゾロアはゲームの中でもひたすらに何かを追い求めていた。
アトラはレイノルドから直接過去の話を聞いた訳ではなかったが、既にリリーナのことを知っていた。エイジから流れ込んできた感情の中には、ゾロアが喪くしたリリーナに対するものも多く含まれていたからだ。
(どうか……どうか)
だからこそ、願ってしまう。
主人公である彼だからこそ、敵であるゾロアに言えることがあるのではないかと。
(だって、君はこんなに……)
エイジの感情が伝わってきてしまうから、なおさら思ってしまう。彼はこんなにもエストランティア・サーガを愛していて、そこに生きたキャラクターたちを本気で愛しているということ。
それはゾロアだって例外じゃないんだと。
ゾロアからすれば、リリーナが死んだ肝心な時にいないような主人公なんて、存在しない方がマシなのかもしれない。
それでも。それでも、だ。
『安藤影次』は主人公なのだ。
全てが都合よく回る存在で、卑怯なのかもしれないけど。
きっとそんな馬鹿げた存在じゃないと、救えないものがある。
プレイヤーがいて、主人公がいるからこそ──物語はエンディングに向けて歩み始めることができるから。
(だから、止まるな……!)
アトラは祈るように両手を握り合わせた。
信じている。彼なら答えにたどり着くと。
何度コントローラーを投げ出しても戻ってきてしまうような彼ならば、きっと──!
「────」
その時。
「……ぁ」
早送りだった映像が、通常の速度に戻った。
そこから再生されたのは、ある一つのセリフ。それはゾロアの出番の中でも最後の最後に当たる部分だった。
前後の脈絡は分からない。そのラストシーンでゾロアが口にした言葉が、画面に表示されていく。
たったそれだけだった。
でも、それだけで十分だった。
「ぁ……っ」
その一文が目に飛び込んできた時、アトラは思わず口元を押さえた。
そこには、一つの救いが記されていた。
☆★☆
その時胸に浮かんできたのは、ゲーム内でのゾロアのラストシーンだった。
「…………そうだ」
ゲーム単体ではそのセリフの意味が分からず、僕の意識にも残っていなかった。様々な考察がされたが、結局「ゾロアのことだから」と謎のまま終わってしまったシーンがあった。
「そうだった……!」
僕は今、その意味を正確に理解していた。
『エイジくん』
胸の中で、アトラが頷く。「大丈夫だ、そのまま進め」と少女の思いが背中を押してくれる。
『彼に伝えてあげて。あなただけが知る、未来の話を』
──ああ。
僕はまっすぐ立ち、ゾロアに向き合った。
「ゾロア、聞いてくれ」
その行動を一言で表すならば、『ネタバレ』だ。
「これは、お前がゲーム内で最後に言ったセリフだ」
本来ネタバレとは嫌われる行為であり、とても褒められたことじゃない。だけど今、この場、この瞬間だけは違う。
光差す場所へと続く、たった一本の道になる──そう信じて、僕は心の中に浮かんだその言葉を読み上げた。
「『ハッハッハッ! ついに、ついに手に入れた! 私はこの力を使って時を渡る旅に出る! さらばだ、少年ッ!!』」
「────────────────」
激しく鳴り響いていた戦いの音が、止んだ。
「な…………何、を」
ゾロアが後ずさる。代わりに僕は、一歩前に出た。
「ゾロア。お前が最後に言い放ったセリフだよ。エンディング間際、ゾロアはなぜか突然の失踪を遂げる。理由もなく、脈絡もなく」
「何を言って……やがる……」
「僕が見てきた、君の最後だ」
今ならば分かる。その言葉の真の意味と、彼の目的。
ゾロアは、成し遂げたのだ。
「ゾロア、君のいう通りだ。僕は卑怯なんだ。卑怯だから、知ってる」
リリーナという女性の最期には立ち会えなかった。でも僕らには、『これから』がある。
主人公はきっと、『これから』のために戦う存在だから。
「『ゲーム』に携わった人も、そのプレイヤーも、みんなお前のことを蔑ろになんかしてない。敵キャラクターは、ただやられるためだけの存在なんかじゃない。敵にだって生きる意味があって、目的があって……魂がある」
ゾロアが嫌った『主人公』だからこそ、僕は宣言できる。
「だから、ゾロア──」
自信を持って、胸を張って……彼に、言ってやれるんだ。
「お前は、間違っていない」
「──」
「そのまま進め! お前が嫌いな僕が保証してやるッ!! お前の人生は、決して間違いじゃない! 失敗と敗北続きの物語なんかじゃないんだ! お前のことを愛したどこかの誰かが──たとえ都合がいいと知っていても、『救いあれ』と書き記したんだよ。ゾロア・ブラッドロウという一人の男が歩んだ物語の、最後の一ページに」
「────」
『エイジくん、少しだけ身体貸してッ』
「えっ」
「『ゾロアっ!』」
瞬間、体の制御が奪われる。そして、アトラが勝手に喋り始めた。
「『あなたはたくさん酷いことをした。それは到底許されるものじゃない。私たちは決して分かり合えない。あなたはきっと、卑怯な力を使う主人公のことを許すことはできないと思う。でも、だからこそ──あなたは、エイジくんを信じることだけはできるんじゃない?』」
ゾロアは狼狽えていた。首を横に振るが、そこに先のような力はない。
「私は……っ、リリーナ……」
それでもゾロアは認めようとしなかった。300年分の意地があった。突如現れた訳も分からぬガキの言葉を、認めることはできなかった。
「…………でまかせだ。ンなもん、油断させるための嘘に決まってる」
300年どうにもならなかったという事実が、彼の中で重い足枷になっている。
「……都合が良すぎるだろうが。そんな──そんな安易な救済が、許されてたまるかよ」
「『…………この期に及んでまだそんなことを言うのねッ』」
「あっ、アトラ……?」
アトラの感情──若干の怒りを孕んだ思いが、胸の中で渦巻く。いい加減認めろ、素直になれと。
『ゾロアがエイジくんの存在を否定すればするほど、言葉の説得力は増していく。彼にだってもう、それは分かってるはずよ』
アトラは僕の身体の中で何かを見たのか、確信を持っている様子だった。
『だから──直接それを伝えにいく!』
「な、何を────────いや、待て」
アトラの考え。今の状況、僕と彼女にできること。その全てが、まるでジグソーパズルを完成させるかのように、綺麗にはまったような気がした。
「──やるしかない」
リスクはあった。だが、今この硬直状態を打破できるかもしれない、唯一の方法にも見える。
成功にしろ、失敗にしろ、これが最後の攻防になる。
さあ、決戦だ。
あの竜狼との一戦で、僕はみんなに送り出してもらった。だから今度は、僕がアトラを送り出す番だ。
(……アトラ。僕の思いを、頼んだ)
『任せて。必ず、彼に届けてみせる』
戦闘、再開。
同時、疾走する黒き影があった。
「私は…………私は────ッッ!!!!」
膨張し、胎動する漆黒──そして。
「──『臨壊』──」
蛇教者、ゾロア・ブラッドロウは真の姿を見せる。
「──『光無き世の影追い人』──」
それはもしかすると、あの女性の影を追い続ける男がたどり着いた場所なのかもしれなかった。
効果は単純明快。文字通りの、影分身だ。
最高同時生成数は二体。10秒後には消えてしまうが、その分身は高性能だ。ゾロアと同じレベルで影を操るし、その10秒間は何をしても死なない。
そして何より問題なのは、その影が魔法扱いであること。
ゾロアがアビリティによって物質化している影は、あくまでゾロアの通常攻撃扱いであるため物理属性だ。対して臨壊によって生まれた人形は、魔法によって作り出された影なので、それらの攻撃は全て魔法属性扱いになる。
そうなると、霊体アトラは立ち回りにくい。今の体力で、まともに魔法攻撃を食らえば即死もあり得る。
だからこそ、この10秒。臨壊でアトラをゾロア本体まで送り届けるために──。
「──『臨壊』──」
僕は溜まりきった熱を爆発させた。
「──『英雄譚の代筆者』──」
それは物語の紡ぎ手。栄光へと続くシナリオを筆に乗せて──たった10秒間だけ、僕はこの世界に運命を書き記す。
そしてその物語は──少女をあの漆黒の向こうに送り届けるための道標でもあった。
カウンター臨壊。敵の発動に被せて潰す。直接的な攻撃力を持たない分、無敵時間とも言えるこの10秒を利用して相殺する。ルインフォード戦でも真価を発揮した使い方。
10秒後、決着をつける。
(大丈夫、視える──!)
本体を含め三人分の攻撃が波の如く押し寄せるが、何百手も先を視る僕の眼は正解を導き出し、一切の被弾を許さない。範囲攻撃さえなければ、この10秒は無敵だ。
「……」
不気味な黒き影は、一瞬何か考え込むようにして立ち止まった。
(何をする気だ……?)
何をしたところでこの10秒は平気だと分かっていても、ゾロアのことだ。何か仕掛けてくることは考えられる。
そう思い、僕は確かに身構えていた。
だが次の瞬間、これから起こるであろう出来事を眼が捉え、僕は口を半開きにせざるを得なかった。
分身の片方が、その姿を解き影へと帰る。そしてそれをもう片方の分身が掴むと、長大な剣へと変化した。
「『──まずい』」
分身の武装化。圧倒的なリーチを持ったそれは、適当に振り回すだけでも周辺を薙ぎ払えるだろう。まさしく唯一の弱点である、範囲攻撃に該当する。全力で引いても、範囲内。
(ダメだ。避けきれない)
しかし、もう止まることもできない。
『──うん。そうね』
未来を信じて進む。僕は数秒後、自分がどうなるのかをはっきりと自覚しながら、一歩目を踏み出した。
迫る影の剣。倉庫内のコンテナなどもまとめて切り飛ばしながら、大質量が襲い来る。直撃すれば、上半身と下半身が真っ二つになるかもしれない。それでも目を背けず、僕は駆け出した。
なぜなら、僕には未来が見えているから。
「────────『三斬火』ッッ!!!!」
──彼が戻ってきたのを、視ていたから。




