第004話 大精霊というにはいささか可愛すぎる何か
「お願い。この勇気ある青年に、力を……!」
その声が、闇を切り裂いた。
突然現実へと引き戻される意識。ふわりと体が宙へと浮かび上がり、ぼんやりとした光が僕の周囲を舞う。
「これ、は……」
輝きは強く、そして大きくなっていく。光の粒たちが高速で回転している。それらは細かな文字列へと変換され、大きな円環を作り上げた。
「温かい……」
血溜まりが、まるでビデオを逆再生するかのように俺の身体へと吸い込まれていく。腹に開いた傷が瞬く間に塞がり、痛みも違和感もない元通りの肌へ。
「良かった、間に合った……。ユグドミスティア様は、願いを聞き届けてくれ、た……」
こてんとその場にへたり込みながら目元に涙を浮かべた金髪碧眼の少女は、安心したのかぐらりと揺れる。
「うおっ、」
僕は咄嗟にそれを支える。精神力である魔力を使い果たした上に、巫女として大精霊ユグドミスティアに語りかけるという異形まで成し遂げたのだ。意識を失っても無理はない。
「すぅ……すぅ……」
「え、えと、この後は……」
こんな時なのに、無防備な少女の寝顔にドキドキしてしまう自分が恥ずかしい。僕は一人で顔を熱くしながらも、次なる行動を思案する。
とにかく、今はこの場を離れなければならない。追っ手に見つからないように姫をこの城下町から脱出させなければならないのだが──
なんとこのゲーム、突然ここからスニーキングミッションが始まる。
いわゆるゲーム内のミニゲームというやつなのだが、これがまた難易度が高い。主人公は気を失った姫を背負ったまま、辺りを走り回る悪の魔道士たちの視界に入らないように城門まで辿り着かねばならない。
見つかるとすぐに応援を呼ばれ、大量の敵が襲いかかってきて現状ではレベルが足りずにゲームオーバーだ。
なので、某ダンボールをこよなく愛する傭兵よろしく脱出任務を遂行しなければならない──
「よ、よし……!」
僕は気合いを入れる。
「非常時だから、ごめん……っ!」
僕は心情的に一度断りを入れながら、アトラ姫を抱き上げた。
「お、おおお、あ……っ」
僕は生唾を飲み込んだ。
胸元に寝息が当たってくすぐったい上に、もうなんというか、こう、全部が柔らかい。近くで見ると、まつ毛の長さや唇の艶やかさがはっきりと分かる。しかも、破れかけのドレスからは素足の太ももが覗いていて──
(うわ──────っ! ダメダメダメ! そんなこと考えてる場合じゃないって!)
事は一刻を争うのだ。いくら僕が恋したあのヒロインが、コスプレなんか目じゃない超絶クオリティの造形で目の前にいても……今はそんな場合じゃない。気合いを入れ直せ、僕。
「すぅううううう、はぁ………」
深呼吸一つ。
「行くぞっ」
僕は駆け出した。
まずは三つ目の分かれ道を……右。
そこから直進。大通りにぶつかる二つ前の路地に入る。細い道を駆け抜け、城下町の出口を目指す。しかし、
「次は……────っ」
いきなりだった。
『直感』が告げる。この先に、人がいると。
「こんな感覚なのか……っ」
僕は脳裏に浮かんだビジョンに冷や汗をかいた。
この脱出劇の鍵になるもの。そして同時に、今後の物語でも最も重要な──主人公の特殊能力。
『直感』。
何も特別なものを持たないただの平民だったブライトという青年が、大精霊ユグドミスティアに命の危機を救われ、アトラ姫を守ることの代価として得たものの一つ──それが『英雄の眼』だった。
瞬間的な未来視。数秒先の世界がどうなっているのかを見通す眼だ。
ゲームでは単にそういう能力を得たというだけだったが、現実と化したこの世界では違う。実際に脳裏に数瞬後の未来が見える。直感的に何が起こるかを理解できる。それはかつてない感覚だったが、不思議と馴染んでいた。
「いける、か……?」
僕はそこに光明を見た。感覚に従っていれば見つかることはないはず。それに、
(体が軽い……っ)
大精霊より賜ったのは英雄の眼だけではない。筋力や持久力といった基本的な身体能力も大幅に向上している。人一人を抱えて街を疾走してもバテることはない。
「大丈夫、これならいける……っ!」
僕はさらに速度を上げた。最後の敵をやりすごし、目指す城門は目の前に。障害はない。あとは全速力で駆け抜けるだけ──
その時だった。
やはり物事は、そう上手くはいってくれない。
ジジジ、と。まるでノイズのような音がどこからか聞こえてくる。
「なん──」
僕が疑問を感じ立ち止まるのと同時だった。
「だ、あれ……」
上空から。
何かが。
落ちてくる。
「えっ」
飛来。衝突──そして、爆音。
「え、えええええ!?」
僕はアトラ姫を庇って背を向けてしゃがみ込む。ものすごい爆風が背中を叩いた。
(グリムガルドの攻撃!? いや、時間的には間に合ってるはず、追っ手にも見つかってない、ならなぜ!?)
パニックに陥る思考。またもやゲームのシナリオから外れた現象に見舞われ、僕の脳内は完全にパンク状態で──
『ゲームのシナリオから外れた現象』?
ふと、その文章に違和感を覚える。
そういえば僕──ついさっきも、同じような場面に遭遇しなかったか……?
その疑問は、すぐに氷解することとなる。
「いたた……なんで私がこんな目にぃ……」
そうだ。そうだった。
──そんなに不安なら……いいでしょう。私もついていきます。
そんなことを言っていた馬鹿がいた……!
晴れていく砂塵。クレーターの中心には人影。僕の推測が間違っていなければ、そのお方は──
「ユグドミスティアさ……ま──」
言いかけた僕は、硬直した。完全に動作を停止した。ブルースクリーンもびっくりの動作停止具合だった。
「んんん? あれぇ、ここはどこですかぁ……?」
クレーターの中心でペタンと座り込み、キョロキョロと辺りを見渡すのは中学生くらいの身長の美少女。
なんと、耳が尖っている。種族としてはエルフに当たるのだろうか。確かにこのゲームの世界にはエルフなどの種族も存在する。人間の姿ではあるが、かなり特殊なタイプのようだ。
特に、夜空に揺れる月光のような銀髪を雅やかに編み込んだセミロングと、ルビーに勝るとも劣らない宝石のような真紅色の瞳は、まさに神の名残と言わんばかりで。
確かに、そのあどけない表情はあの大精霊ユグドミスティア様の面影を残していて。
そして、何より。
「へくちっ」
全裸、だった。