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RE/INCARNATER  作者: クロウ
第二幕 魂の在処
49/84

第047話 回想/さよならを告げることもできずに

 ゾロア・ブラッドロウは小国『ランドリア』の出身だった。

 三つの国に分かれて争っていた時代。領土拡大を巡って各地で争いが起こる中で、ゾロアは戦術考案を担当する部門のトップに在籍していた。


 比較的裕福な家庭に生まれ、幼い頃から頭の回転が早く、周りからも期待を寄せられて育ったゾロアは、それに応えるようにたくましく成長していった。

 普段から冷静沈着、類い稀なる頭脳と判断能力を持ち、数多の戦争を勝利へと導いていく。『エスティア』という、非常に高い技術力を持つ国に押され気味だった『ランドリア』は、ゾロアの台頭により一気呵成。巻き返し始めたのであった。


 民からは『英雄』などと持て囃された。ゾロアも、民の笑顔を見るのが好きだった。国を勝利へと導かねばならないと、軍師は強い責任感を持って戦場に立った。


 やがて、魔獣という新たなる危機が円環大陸に広がった。その頃、まだ大霊杯による退魔効果が存在しない円環大陸には、人の背を優に超える巨大な魔獣が至る所に存在した。並外れた腕力や生命エネルギーを持ち、非戦闘員が遭遇すればまず命はないと断言できるほどに、その存在は人々にとって脅威だった。


 ゾロアも、その対応に追われた。領土を巡る戦争は一時中断し、民を守るために兵を動かした。しかしそれにも限界がある。どれだけ討伐しても、魔獣は一向に減る気配がなかったからだ。

 このままでは拉致があかないとした三国は、初めての『協調』を選択した。同時に、三国の主要人物によって会談が行われることが決定した。


 ランドリアからは満場一致でゾロアが派遣されることとなった。オストレーアからは、ゾロアも散々手を焼かされた怪物リリーナ・ハーヴェス、エスティアからは高い技術力の源たる研究者レイノルド・グレイハーツが選ばれた。


 集まった三人。ついこの間まで宿敵だった存在が、今目の前にいる。

 第一印象は最悪だった。

 こうして顔を合わせるのは初めてであったが、リリーナという女性はこのような国の危機にあってヘラヘラと笑っていたし、レイノルドとかいう研究者は「仲良くしていきましょう」などと気の抜けたことを言っている。この者たちは自分の国を救う気がないのか、と問い詰めたい気分だった。


「実際に会うのは初めてよね! 私はリリーナ! リリーナ・ハーヴェス! 『オストレーア』の代表として来ました!」


 特に、リリーナとは全く馬が合わなかった。こんなふざけた女性に、私たちは手こずっていたのか──ゾロアは自分の想像していたリリーナとの乖離に、頭痛がする思いだった。


「君があの一騎当千のリリーナか……。この前の会戦では随分派手に被害を出してくれたな」

「あなたがゾロアね? あなたたちだって私の国に──」

「おいおいやめろ。今はそんなことを言っている場合ではないんだ。協力だよ、協力」


 人間、すぐに気持ちを切り替えることはできない。こうなることは予想できていた。しかし、このふざけた女に馬鹿にされるのだけは我慢ならなかった。


「私は好意的に行こうと思ったのにこいつが突っかかってくるから!」

「ハッ、何を言うか。私は事実を口にしたまでだ、怪力女」

「うるさい陰険男」

「いんけ……っ? 黙れよマジカルゴリラ」

「ご、ゴリラって!? 女の子にゴリラって言った!? 信じられない、デリカシーのかけらもないのね、あなたって!」

「こんなにドレスの似合わない女性を見るのは初めてだ」

「むきーーーーーー!!!! 今日のためだけに仕立ててもらったのに! 似合わないのはまあ同意するけど!」

「お、おーい、俺のこと忘れてないかー?」


 そうして初顔合わせは、考えられる中でも最悪の結果に終わった。

 このような状況で、三国が手を取り合って魔獣に立ち向かうなんてことができるのか? ゾロアは募る不安を胸に抱えながら、国の未来を案じることとなった。

 しかし、そこはやはり国の中心人物。やるべきことはきちんと分かっていた。レイノルドによって提供された技術──主に魔導兵器群を、残りの二国にも配備。それらを携えた軍をゾロアが指揮し、リリーナと共に戦場を駆け回った。


 リリーナが味方となったことで、ゾロアはその恐ろしさを再確認した。一騎当千とは言葉だけにとどまらない。本当に彼女は千の魔獣を討ってみせた。天性のものであろう莫大な魔力を武器に、先陣を切って敵へと向かっていく姿は、リリーナ個人のことは気に食わないゾロアとしても認めざるを得なかった。


「ふう。この一帯はとりあえず狩り尽くしたかな」


 巨大な斧を肩に担ぎ、返り血で真っ赤に染まったリリーナは盛大なため息をつきながら前線基地へと帰還した。


「次は南方だ。ライノ種が群れで街を襲っているらしい。救援要請が来ている」

「……む」


 ゾロアの事務報告に、床に寝転がったリリーナは表情を歪めた。


「あの! そんなことより先に言うことがあるんじゃない!?」


 バッと飛び起き、ゾロアに詰め寄る。


「言うこと? そうだな……血生臭いから早く洗ってこい」

「にゃっ!?」


 ポニーテールに結ばれた本来プラチナブロンドの髪は、今や真紅に変わり果てていた。顔や身体にもあちこちに返り血が飛んでいて、ゾンビのようになっている。……これで自分が負った傷は一つもないのが、また恐ろしいところなのだが。


「疲れて帰って来たんだからおかえりなさい、お疲れ様くらい言ってくれてもいいじゃん!」


 グダグダと何やら訳の分からぬ文句を言いまくるリリーナ。ゾロアは毎回、適当に流すことにしていた。構っているような時間はないからだ。しかし、今日は一段としつこかった。


「だいたいね、ゾロアは女の子の扱い方をちゃんと学んだ方がいいよ」

「ゴリラに女の子の扱い方を解説されるほど私は憐れではない」

「もー! それをやめろっつってんのー!」


 何が悲しくて血だらけの女に説教をされなければならないのか。本当に血臭が酷いので早く洗ってきてほしいと、本心を述べたまでなのだが。


「いい? 女の子には優しくしないとダメなんだよ!」


 リリーナは既に22歳で、女の子と呼ぶには若干怪しかったが、ここで何か言えばまた説教が長引きそうだったのでゾロアは黙って聞くことにした。


「髪を切ったら褒める! ドレスを着てたら褒める! 傷つけるようなことは言っちゃダメだし、しちゃダメ! 男なら常に紳士でいなきゃ!」


 得意げに語るリリーナ。魔獣の攻撃を容易く跳ね返す金属のような肉体を持っているくせに、心は年若い乙女のようだった。

 ゾロアはそういう浮ついた心が理解できなかったし、これからも相容れないものだとばかり思っていた。

 しかし、その考え方は変わることとなる。

 魔獣との連戦の中、疲弊していく軍隊。ゾロアは感覚として、このままでは士気が下がり瓦解すると分かっていたが──そうなることはなかった。


 リリーナ・ハーヴェスという希望は、暗く淀んだ雰囲気の中にあって光り輝いていた。


 常に笑顔で、明るく元気な彼女は、自ら最前線で圧倒的な戦果を上げつつも周りに声をかけられるような視野の広さを持っていた。彼女はただ馬鹿みたいに笑っていた訳じゃない。自分がそうして笑顔でいることが、人々にとって何よりも希望になるのだと、知っていたのだった。


「…………」


 ゾロアは軍師というポジション故に、自軍全体を見渡す機会が多い。そして、リリーナの存在感を意識する機会もまた、多かった。

 この女性がいれば、国は助かる。

 そんな期待が生まれ始めていた。


「にゃああああああ、しんどー……」


 その日も戦終わりに、ゾロアに愚痴を言うためだけにリリーナは血塗れで司令部へとやってきた。


「……」


 部屋が汚れるから入ってくるな──と、喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。代わりにゾロアは、


「……お疲れ様。あの場面で君が来てくれなければ戦線が瓦解していた。助かった」


 気まぐれに、そんなことを言った。


「…………………………う、そ」


 するとリリーナは、まるで幽霊でも見たかのように目を丸くしてぽかんと口を半開きにした。


「え、え!? なんて!? もう一回! 今のもう一回言ってみて!?」

「二度は言わん」

「なんでよーーーーーー!!!! いいじゃん減るもんでもないしー!」


 それくらいのご褒美はあってもいいと思うんだけどなー! とチラチラこちらを伺ってくるリリーナ。こうなると譲らないのは、短い付き合いながらも分かっていた。


「……お疲れ様」

「んー! ありがとう! めちゃくちゃ頑張りました! いぇい!」

「……」


 やはりこのテンションにはついていけない、とゾロアは改めて思ったのだった。

 

☆★☆

 

 だが、ゾロアのそんな思いとは裏腹に、前線にはとある噂が広がっていった。


 曰く──ゾロアとリリーナ、あの二人いつも一緒にいるよな? と。


 確かに、実際の仲はともかく二人はよく行動を共にしていた。というのも、二人はこの軍の中心人物であり、会議などがあれば常に顔を合わせる。また、ゾロアが受け持つのは最も危険な戦場であり、それはリリーナも同様。派遣される条件が同じだからこそ、同じ場所にいることは何もおかしなことはない。だが……。


 ──あの二人、やけに仲が良いよな?

 ──いつも楽しげに話してるし。

 ──いい感じの雰囲気だよな。


 悪態を吐くゾロアと、めげずに話しかけるリリーナの構図は、側から見れば「仲睦まじい」とも取れる。

 そしてこの時のゾロアは知らぬことだが…………戦いが終わってすぐにゾロアの元に向かうリリーナには、戦果報告以外のちょっとした気持ちがあった。


 オストレーア──リリーナが生まれたその国では、彼女は『戦女神』として祭り上げられていた。実際、神格化されるほどの力を有していたし、リリーナも満更ではなかった。

 しかし、彼女には腹を割って話せる友人がいなかった。あまりに強大な個は、当然のように孤立する。それが辛かった訳ではないが、恋しかったのは確かだった。


 若くして国の頂点に立った少女は、年頃の娘が経験するような青春を過ごすことなく、大人になってしまった。

 そこに、ゾロア・ブラッドロウとの出会いがあった。

 ゾロアはリリーナを敬うどころか、貶してくるような野郎だった。人生初めての経験に、リリーナのゾロアに対する第一印象は最悪だった。


 最悪だった──それなのに、リリーナはどうしてもゾロアのことが気になってしまう。自分と対等に接してくる人間との出会いは、リリーナにとって刺激的だった。

 褒められるのには慣れていた。しかし、仲のいい友達がするように馬鹿にされるのは初めての経験で、ちょっとだけ楽しかった。


 戦場から帰還してまず向かうのは、歓声が待つ民衆の元ではなく罵倒が待つゾロアの元だった。

 ゾロアと馬鹿みたいな話をするのが、彼女の心の支えとなっていた。

 だがある日、何の気まぐれかゾロアが不思議なことを言い出した。


「……お疲れ様。あの場面で君が来てくれなければ戦線が瓦解していた。助かった」


 その言葉を聞いた瞬間、リリーナはまず理解ができなかった。

 あの偏屈なゾロアが? なぜいきなり? 意味が分からない。

 だが、頬を掻き目を背けながら言うゾロアを見て、リリーナはニヤリと笑った。


 ──何の気まぐれか知らないが、これはイジり甲斐があるぞ、と。


 やはりゾロアと一緒にいると面白い。とっても楽しい。リリーナは自分の身体に異常が起きていることも忘れて、ゾロアをからかい続けるのだった。

 戦場に立ち、感情を殺して魔獣をなぎ倒していく時、リリーナはよく父や母、母国の民の笑顔を思い出していた。それが気力となり、彼女を突き動かす原動力となっていた。だが最近は、そこにとある一人の男が混ざるようになった。


 その男は長身痩せ気味で、自分が斧を振れば一発でへし折れそうな見た目をしていた。長い黒髪が目元を隠し、見るからに陰険そうなその男──その姿を思い出しては、なぜか力が湧いてくる。

 かつては争い合っていた敵国の将が、今や心の支えとなっていた。面白いこともあるものだと、リリーナは最初笑っていたが、だんだんと笑い事で済まされないものだと気付き始める。


 この感情は何だ? ゾロアのことを思う時間は、日に日に伸びていく。正体不明の気持ちが膨れ上がっていく。青春を知らない女は、その感情の名前を知らなかった。だから──


 ──二人は、恋仲なのではないか?



 そんな噂が耳に届いた時、リリーナは納得した。



 ああ、そうか。



 私は、ゾロアのことが────。


 

☆★☆

 

 ある日を境に、リリーナがめっきり顔を出さなくなった。

 もはや日常の一部だったリリーナとのやりとりが失われて、ゾロアとしても心に何かぽっかりと穴が空いたような感覚を味わうこととなった。

 なぜかは分からないが、鬱陶しい奴がいなくなってよかった。これで業務に集中できる。そう思ったのに、捗らない。


 あんなに憎まれ口を叩いたはずの相手なのに、この喪失感は何だ? リリーナの顔が浮かんでは、作業の邪魔をしていく。人生を国に捧げた男は、その感情の名前を知らなかった。だから──


 ──二人は、恋仲なのではないか?


 そんな噂が耳に届いた時、ゾロアは納得した。



 ああ、そうか。



 私は、リリーナのことが────。


 

☆★☆

 

 円環大陸全域に出現した魔獣に対抗するには、リリーナという『戦術兵器』をフル稼働させる必要があった。次々と襲い来る魔獣に対抗するためには、それしかなかった。

 もちろん、負担は一点に集中する。リリーナは天性の才能で常人離れした生命エネルギーを有しており、一般的な魔術師とは比べものにならないほどのタフさを誇っていたが、それでも限界はある。


 昔のように、笑っていられるほどの余裕はなくなった。ただ敵を殺し、帰還し、また戦場に出て、殺すだけ。

 日に日に限界が近づいていることは分かっていた。しかし、それを明かすことはできなかった。今前線を離れれば瞬時に瓦解するということは、リリーナが一番よく分かっていた。


 相談のできる人はいない。唯一話せそうなゾロアに会うのも躊躇われた。今会えば、自分がどんなことを口走るか分からない。


 だが、もともと二人は行動を共にする機会が多い。会わないようにするにも、限界があった。

 ある日、ゾロアは戦場帰りのリリーナとばったり会ってしまった。

 例の如く血塗れの女はいくらかやつれており、凍りついた表情で巨大な斧を引きずりながら歩いていた。そこに、かつてのような天真爛漫な笑顔はない。


「あっ……」


 思わず、といった雰囲気の言葉が漏れた。リリーナはどこか慌てた様子で顔を隠した。


「ちょ、ちょっと待って! 見ないで! 今、血だらけですっごく汚いからっ」

「い、いや、この前までは全然気にしてなかったじゃないか」

「今は気にするの!」

「なんだよそれ……」


 挙動不審なリリーナのせいで、ゾロアもなんとなく気まずくなってしまう。その理由も本当は分かっていたが、今のゾロアは気づかないフリをするしかなかった。


「というか、大丈夫か?」


 その問いかけは、「連戦で疲れていないか?」という意味を込めての確認だった。しかし、ゾロアが一歩踏み出すのに合わせてリリーナは一歩身を引いた。


「だ、大丈夫に決まってるよ! 私は全然平気! むしろそっちこそ……迷惑かけてない?」


 リリーナはその問いかけを、「みんなの噂を気にしていないか?」というふうに受け取ってしまった。だから照れ隠しに、魔法しか取り柄のないこんな化け物との間柄を噂されて迷惑していないか、と聞き返すしかなかった。

 ゾロアもリリーナも、戦場では優秀だがこういう場面ではただひたすらに不器用な男女であった。

 交わされた言葉は僅か。そして二人は、すれ違う。


「わ、私は全く気にしてない。君が大丈夫なら、それでいいんだ」

「そ、そっか……よかった。うん」


 リリーナはその言葉を聞いて、久しぶりに笑うことができた。凝り固まっていた心が、優しく溶かされるようだった。


 それに、ゾロアは気にしてないと言ってくれた。もしかしたら自分の思いを受け入れてくれるのではないか──と甘い期待を抱くには、その言葉は十分すぎるほどだった。

 むしろ、そんな期待を抱かないともう自分は折れてしまうかもしれないという危機感があったのかもしれない。


「あ、あのさ!」


 付かず離れず、絶妙な距離で立ち止まった二人。今頃真っ赤に染まっているであろう頬は、きっと返り血で隠れているはずだ。


「次の戦いが終わったら、ちょっとだけお話させてほしいな」

「え、あ、ああ。分かった、けど……話って……」

「……これからのこと。それじゃ、私明日も早いから! じゃね!」


 リリーナはそれだけ言うと、足早に去っていった。

 ゾロアにはまだ色々と聞きたいことがあったが、今彼女と一対一で話すのは気まずかった。呼び止めるのもなんだか変だ。次会う時でいいだろう。彼女も話があるというし。



 そうして二人は別々の道を歩み始めた。



 再びその道が重なることはなかった。



 次の戦いを終えた時、帰ってきたリリーナは物言わぬ骸と化していた。

 リリーナを殺したのは、巨大な蛇の魔獣だったという。力の賢者は、過去最大級の魔獣相手に単騎で立ち向かい、相討ちに沈んだ。


 仲間が()()()()()、天真爛漫な笑顔が魅力的だったその女性は、今や見る影もなかった。あの流麗に靡くプラチナブロンドのポニーテールは、戦闘の中で邪魔になったのか、はたまた敵の攻撃か、乱雑に切り飛ばされていた。身体は至る所がボロボロで痛ましい。左足はひしゃげて、あらぬ方向を向いている。右腕がちぎれており、肘から先がない。これじゃあ斧も握れないじゃないか。


(話があるんじゃなかったのか。何か、言いたいことがあったんじゃないのか。私はたくさんあったよ。話したいことが、伝えたい思いが)


 ゾロアは冷たくなったリリーナの亡骸の前に、膝をついた。

 優しく頬を撫でる。血と埃に汚れて輝きは薄れているが、その下にはきめ細やかで美しい肌があることを知っている。もちろん彼女に直接言ったことはない。言う機会は、もう訪れない。


「なあ、髪、短くなったな。ショートヘアも、似合うんじゃないか」


 甦るのは、いつかの言葉。



『髪を切ったら褒める! ドレスを着てたら褒める! 傷つけるようなことは言っちゃダメだし、しちゃダメ! 男なら常に紳士でいなきゃ!』



(なあ、リリーナ。ちゃんと褒めたぞ。なんか言ってくれよ。頼むから)


 返事があるはずもなかった。


(なんでだよ。君は誰よりも強かったじゃないか。ついこの間まで、笑ってたじゃないか)


 ゾロアがリリーナの不調に気づけなかったのは、ほんの些細なすれ違いが原因だった。気まずいからと距離を置くなんて、そんな大したことのない理由が、二人の道を永遠に分かつこととなった。

 くだらない。実にくだらない理由で、リリーナは、死んだ。


「あんなに強かったのにな。それでも……人間って、こんな簡単に死ぬんだな」


 知らず識らずのうちに、そんな言葉が口をついて出た。

 隣で肩に手をかけるレイノルドに縋るように、情けない言葉が次から次へと溢れた。


「なあ……お前、頭いいんだろ。研究者、なんだろ。こいつ、生き返らせてくれよ。この世界に必要な女なんだよ。分かるだろ?」

「それは……」


 数多くの大発明を成し遂げて歴史に名を刻むような研究者、レイノルド・グレイハーツなら、もしかしたら。

 心の底では無理だと分かっていても、抑えきれなかった。


「できないんだ。死者は、蘇らない」


 分かりきった答え。しかしそう断言された瞬間、ゾロアの中で何かが決壊する音がした。


「……ははっ。何が三賢人だ。民を守れない。女性一人、救えない。結局私たちには、何もできないじゃないか」


 人間はこんなにも容易く、死ぬ。下らない感情のすれ違いのせいで永遠に還らぬ者となる。

 ならこんなモノ、守る価値もないじゃないか。

 簡単に消えて無くなるガラクタのためだけにリリーナは死んだ。使い潰されたのだ。


 ──いや、使い潰したのは自分自身でもある。リリーナの限界に気づけなかったのは自分だ。悪いのは自分だ。だが、たとえそうだと分かっていたとしても──こんなに簡単に死ぬ女性一人に、国の運命を背負わせた『人間』という弱き種が憎くて仕方なかった。黒い感情が胸を支配していくのが分かってしまった。


(くだらない。ああ、くだらない──)


 この感情がリリーナを殺した。自分の中に渦巻く低俗な感情が、一人の人生を終わらせてしまった。

 取り戻さねばならない。

 レイノルドが不可能というのなら、自分でなんとかするしかない。

 何に代えても、リリーナ・ハーヴェスを取り戻さねばならない。

 この国に必要な女性──そんなのは建前だ。本当はただ、自分が取り戻したいだけ。贖罪に他ならなかった。


『死者を蘇らせる』──魔法研究の第一人者たるレイノルドが不可能と断言したその命題に、ゾロアは一生を賭けて挑む決意をした。


 文字通りの、一生だ。


 ゾロアは国を出た。こんなガラクタを守る意味など、もはや存在しない。責任も、立場も、知ったことじゃない。全てを投げ出してでも、リリーナを救ってみせる。


 そのためには、人間の貧弱な体を捨てる必要があった。


 ゾロア自身は、大した力を持っていない。決して失敗のできない戦い。自分が死んでは、彼女を救うこともできなくなる。


 だからこそ、まずは自身の不死を実現する必要があった。


 普通のやり方ではレイノルドに追いつくことすらままならない。ゾロアはまず、自分を不死──二軸にするために、身体を改造した。

 方法は簡単だった。強大な生命エネルギーを持つ魔獣を身体に取り込む。それだけだ。

 その頃の円環大陸には大霊杯が存在せず、恐ろしいほどのエネルギー量を持つ魔獣がわんさかいた。

 その中からゾロアが選んだのは、リリーナが相討ちしたという蛇の魔獣だった。それは、自らの身に憎き魔獣を取り込むことで、この決意を絶対に忘れないという一種の戒めでもあった。

 ゾロアは、蛇の魔獣の細胞を体内に取り込んだ。結果、人間の限界を超える生命エネルギー量を実現した。二軸に至り、人間を捨てたのだ。


 代償といってもゾロアにとっては些細なことだったが、性格に若干の異変が現れた。蛇の魔獣が持つ性質が混ざったのか、攻撃的・好戦的な思考が増え、過激になった。生命エネルギーは文字通り『生きる力』だ。蛇のそれが混ざることで、影響が出ないはずもなかった。


 レイノルドは自らの生命エネルギーを磨き続けてようやく二軸に至るまで四十年の月日を費やしたが、禁忌の実験はそれを僅か五年で成し遂げてしまった。肉体を作り変え、性格すらも変わったかつての勇気の賢者は、もはや以前のゾロア・ブラッドロウと同一人物と言えるかすら怪しかった。しかし、本人からすればどうでもいいことだった。


 自らを魔術的人工生命ホムンクルスと名乗り、不死者となったゾロアでも、死者を蘇らせるには至らなかった。

 肉体を不死とする術は見つけても、失われた魂を現世に呼び戻すことができない。魂についての研究も重ねたが、結局レイノルドが導き出した『霊魂階層論』以上のことは分からなかった。


 となれば、解決策は一つ。さらなる進化──三軸へ至り、時間を遡ること。そこでリリーナを救う。リリーナを三軸に導き、この世界へ連れ帰る。そして二人で、永遠を生きるのだ。


 ──300年経った今も、そこには至っていない。それでもゾロアは止まることだけは決してしない。

 謎の魔術師グリムガルドと組むことになっても、それすら利用してたった一つの命題に立ち向かう。



(リリーナ。私は必ず君を取り戻す)



 たとえ以前の自分ではなくなろうと、その思いだけは変わらず胸に抱き。



(あの日、彼女が言えなかった言葉を聞くために──)



 ゾロアは今日も、人間を弄ぶ。


 

☆★☆

 

「……」


 懐かしい夢を見てしまった──と、ゾロアは身体を起こす。

 薄暗い室内に、計器が発する怪しい緑色の光だけが瞬いている。どうやら寝落ちしてしまったらしい。

 本来ゾロアに睡眠は不要だ。二軸転者たる彼らは、日常生活を送る上でエネルギー不足に陥ることはない。だが、生命エネルギーを使い果たした場合は別だ。魔法などで身体の中のエネルギーが空になると、回復するための休息が必要になる。ゾロアはここにある計器や機械類を全て自分の生命エネルギーで動かしている。それらで大量に消費するため、睡眠も必要だった。


 ──ゾロアが皇女の身柄を欲したのは理由があった。


 大精霊ユグドミスティアの血を引くという皇族。創世神たる存在を祖先に持つ皇族ならば、きっと特別な力を秘めているに違いない──と考えたからだ。

 警戒してなかなか寝ようとしないアトラも、根負けして二日目にはベッドに倒れ込んだ。ゾロアはそれを待って、検査を行った。


 と言っても、特殊な機材でスキャンをかけて、アトラという少女が持つ『皇族の特別性』を調べるだけだ。

 気づけばきっと暴れるため、起こさないように血を僅かに抜いて、サンプルを採り、検査する。

 ゾロアはその検査の途中、エネルギー切れで眠りに落ちたらしい。機械類に再びエネルギーを流し込むことで再起動。検査の続きを実行する。


 その結果は──。


「なんだこりゃァ?」


 ゾロアは『人間』を研究して300年、限りなく人体の構造に詳しい自信があった。だが、そんなゾロアの知識を持ってしても、意味不明な結果が出た。


 そのモニターには、個人が持つ生命エネルギー──つまり魔力や輪廻力リインの源たる力をパターン化し、言うなれば『パーソナルウェーブ』のようなものを表示する。ゾロアの考えでは、そこに一般的な人間との差異を発見して特別性を見出す予定だった。


 そうして表示されたアトラのパーソナルウェーブは、確かに一般的な人間とは全く異なっていた。

 まず、この少女は莫大な生命エネルギーを抱えている。それは波形が大きく振れていることが表している。この量は、二軸かそれ以上に等しいエネルギー量だ。彼女自身は全く気づいていないが、内側に膨大な力が眠っているという証拠に他ならなかった。


 そこまではいい。問題は、次だった。


 ゾロアが研究に扱うパーソナルウェーブは一人につき一つだ。個人個人で波形が決まっており、変わることはない。指紋のようなものだ。


 アトラのパーソナルウェーブは、なぜか二つあった。


 強力に振れている、二軸以上と推測される『主波形』。

 微弱に揺れる、一軸程度と推測される『副波形』。

 その二つが、まるで螺旋を描くように交錯している。

 最初は計器の異常かと思った。しかし、どれだけ調べても機械側に問題はない。やはり、アトラのパーソナルウェーブには二種類の波形があるのだ。


「女個人の力と、大精霊の力か……?」


 推測できるのは、少女本来の力とは別に『大精霊の持つ力』とも言うべき別種の要素が波形に現れているケースだ。


 一人につき一つしか存在しないはずのパーソナルウェーブだが、大精霊クラスの力があると反応するのかもしれない。にしても、これは……。


「お前は、誰だ……?」


 もし『主波形』が大精霊の血に由来するエネルギーなのであれば、もはやこの少女は『アトラ・ファン・エストランティア』ではなく、『大精霊ユグドミスティア』だ。


 こんなもの、見たことない。この少女が人間かどうかだって怪しい。間違いなく、未知だ。

 ゾロアは数多くの研究をしてきたが、300年の中でも皇族に触れる機会はなかった。今回、グリムガルドが起こした事件によって皇族を捕えるという決定的なチャンスをモノにしたのだ。ここを見逃すわけにはいかない。


 四日なんていう中途半端な猶予期間を用意したのは、その実ゾロアの研究のための時間だった。

 そして今まさに、研究は進展の兆しを見せていた。四日かけてデータを絞れるだけ絞り尽くす。そうすればもう用済みだ。新たな研究対象(メイ)と交換してしまえばいい──ゾロア本人も、そう思っていた。

 しかし。


「まだだ。四日じゃ足りない。こいつには、何かがある」


 二つの波形。神話に語られる存在の片鱗かもしれないその波形を前に、ゾロアは興奮を隠せない。


「さて。手放すには惜しくなってしまったな──」


 人間の上位存在たる自分に、我慢なんて似合わないだろう。欲しいものは手に入れる。それが生まれ変わったゾロア・ブラッドロウの生き方だ。

 蛇の因子が攻撃的な思考を呼び起こす。ゾロアはもはや、それを拒むこともしなかった。

 理性などなくなっても構わない。必要なのは野望を完遂する意志のみ。


「面白くなってきたじゃないか……」


 狂笑が研究室に木霊する。



 人を救うために人を捨てようとした男の戦いは終わらない。



 ──戦場を駆け抜けるプラチナブロンドの面影を、瞼の裏に思い浮かべながら。



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